その日、ルパンと次元は明け方近くまで酒を呑み交わしていた。

Impulse

 カーテンの隙間から差し込む暖かな陽射しで、次元は目を覚ました。
 薄目を開けると、既に高く昇った太陽が寝ぼけ眼を直撃して、眩しさに思わず目を閉じた。
 窓から目を背けながら、寝癖のついた頭をがしがしと掻きむしり、むっくりと起き上がる。思い切り伸びをして、しょぼしょぼする目を擦った。
 シャツのポケットから煙草を取り出して口に咥え、おもむろに火をつける。深呼吸するかのように大きく煙を吸い込むと、ようやく人心地がついた。
 ふとテーブルに目を遣ると、そこには昨夜の酒盛りの名残が散乱していた。バーボンやスコッチの瓶がごろごろ転がり、倒れたグラスから溶けた氷が零れてテーブルを濡らし、日の光が反射してきらきら光っている。
 ふたつの灰皿には、ジタンとペルメルの吸殻が積み上がり、山崩れを起こしていた。
 更に視線を巡らせて相棒を見遣ると、ソファにだらしなく寝そべって、大いびきをかいている。クッションを抱きしめながら、「う〜ん、ふぅじこちゃ〜ん……」などと寝言を洩らしてニヤついているところを見ると、夢の中で不二子とよろしくやっているらしい。
「ちっ、幸せなヤロウだ」
 呟いて、次元は立ち上がった。山崩れを起こしている吸殻の山に煙草をねじ込む。
 大きな欠伸をしながら、取りあえず顔でも洗おうと、洗面所に向かった。



 リビングのドアを開けるなり、五右ェ門は顔をしかめた。
 濃厚な酒の香りが部屋中に充満している。乱立する酒瓶の数を数えて、盛大な溜息をついた。
 ソファを覗き込むと、ルパンが涎を垂らしながら寝こけている。次元の姿はない。洗面所から水音が聞こえてくるところを見ると、顔でも洗っているのだろう。
「全く、こやつらときたら……」
 一体どれだけ呑んでいたんだ、とかなり呆れながら、五右ェ門はテーブルの上を片付けにかかった。
 極力、物音を立てぬようにしているとはいえ、人の気配に敏感な筈のルパンが、一向に目を覚ます気配を見せない。余程深酒をしたのだろう。
 そんなになるまで呑んで、一体何を考えているのやら。
 もし今、殺し屋が襲ってきたり、銭形が警官隊を引き連れて乗り込んできたりしたら、どうするつもりなのだろうか。
 山と積もった吸殻を袋に入れながら、五右ェ門はちらとルパンの様子を盗み見た。
 ルパンは相変わらずクッションを愛おしげに抱きしめ、「ふぅじこちゃん、ちゅ〜」と寝言を言いながら唇を突き出している。その姿はあまりにもだらしなく、無防備だった。
 そんな隙だらけのルパンを見ているうちに、ある衝動が湧き上がってくるのを五右ェ門は感じた。

 ──今のこやつなら、殺れるかも知れない。

 ついこの間まで敵だった相手だ。
 今はどういう訳か、彼らの仲間に納まってしまっているが、ルパンを超えたいという思いは未だに五右ェ門の裡にある。無敵の殺し屋だった五右ェ門が、唯一殺せなかった男。
 それが今、目の前で無防備な寝姿を晒している。
 無意識のうちに、五右ェ門の手は腰に差した斬鉄剣に伸びていた。鞘を握り、親指で鯉口を切る。
 チキ、という微かな音が、やけに大きく響いた。
 しかし、ルパンは全く起きる気配を見せず、むにゃむにゃと寝言を呟いている。
 ごくり、と五右ェ門は喉を鳴らした。



 顔を洗って、髭を整え終わった頃には、すっかり目は覚めていた。
 濡れた顔をタオルで拭い、ふうと息をつく。
 さて、ルパンの奴を叩き起こすか、とリビングに戻り──ぎょっとして目を見開いた。
 異様な雰囲気がリビングを支配していた。
 ソファには相変わらず間抜けな顔で寝こけているルパンの姿、その傍らに立つ五右ェ門。
 その五右ェ門が放っている気配が尋常ではなかった。
 斬鉄剣に手をかけ、今にも抜き放たんばかりに、腰を僅かに落とし、眠るルパンを凝視している。
 鞘から僅かに覗く刃が、カーテンの隙間から差し込む光に反射して、ぎらりと光った。
 次元は咄嗟に気配を消し、ドアの影に身を潜めた。背中に手を回し、マグナムの銃把に手をかける。
(おいおい、何考えてんだぁ、五右ェ門のヤツ……)
 頼むから抜いてくれるなよ、と祈るような思いで、次元は事の成り行きを見守った。



 やがて、五右ェ門は微かな吐息をついた。
 ぱちり、と刃を鞘に収め、柄から手を離す。それまでの緊迫した雰囲気が一気に和らぎ、ドアの影に潜んでいた次元は、マグナムから手を離してほっと息をついた。
 五右ェ門は何事もなかったかのように、テーブルの上の片付けを再開しようとして──ぎくりと身体を強張らせた。
 ドアの影からこちらを見ている次元と、まともに目が合ったのだ。
「よお」
 次元はドアを開け、何でもないような素振りでリビングに踏み込んだ。しかしその双眸は、恐ろしく物騒な光を放っている。
「……いつからそこにいた?」
「お前さんが、斬鉄剣に手をかけた辺りからな」
 そう言って、次元は煙草を口に咥えた。どかりとソファに腰を下ろし、テーブルの上に足を乱暴に投げ出して、五右ェ門を見上げる。
「なんでやめた? チャンスだった筈だろ」
 ジッポーで煙草に火をつけ、煙をわざと五右ェ門に向けて吐き出す。紫煙をまともに浴びた五右ェ門は、不快げに顔をしかめながらも、避けようとはしなかった。
「……こんな無防備なこやつを斬っても、意味がない」
 やがて、ぽつりと呟かれた言葉に、次元は片眉を僅かに動かした。
「どうせやるのならば、正々堂々と、勝負したい」
 きっぱりと五右ェ門は言い、次元の視線を真っ向から受け止めた。
「──今のは……ほんの出来心だ」
 それを聞いて、ふっと次元は口許を綻ばせ、僅かに視線を和らげた。
「そうかい」
 ならいい、と小さく言って、次元は横を向いて煙を吐き出した。
 五右ェ門は吸殻を入れた袋を持って、キッチンに向かおうとした。その背中に、次元は何気ない素振りを装って声をかけた。
「──ルパンを殺れる自信があるなら、いつでも挑戦して構わないがな、五右ェ門」
 絶妙なタイミングだった。
 出て行きかけていた五右ェ門の足が止まる。振り返る五右ェ門に、次元はニッと笑って見せた。
「背後にいる俺の気配に気付かねェようじゃ、ルパンは殺れないぜ。よしんば殺れたとしても……」
 再び次元の双眸が、危険な光を孕んで五右ェ門を射た。
「その瞬間に、お前さんも死ぬことになる。──その覚悟だけは、しておけよ」
 思わず五右ェ門は息を詰めて次元を見つめた。その瞳の奥底にぞっとするほどの殺気を見て取って、背筋が寒くなるのを感じ、ごくりと唾を飲み込む。
「……肝に銘じておく」
 やっとの思いでそう言って、五右ェ門はリビングを後にした。



 五右ェ門の足音が遠ざかると同時に、ルパンがぱかっと目を開けた。
 むくりと起き上がってクッションを放り出し、次元の顔を見て笑う。
 それを見て、次元はふんと鼻を鳴らした。
「狸寝入りたぁ、人が悪ィな、お前も。……いつから起きてた?」
「あいつがごそごそ片付けを始めた時からな」
 要するに、最初から起きていた訳だ。
「まーったく、怖いねェ。あいつ、途中まではマジだったぞ。いつ斬られるかと思ってヒヤヒヤしたぜ」
「なァに言ってやがる。もしあいつが本当に抜いてたとしても、そうあっさり殺されてやるつもりなんかなかったくせによ」
「そりゃまァね、俺だって命は惜しいし。それに……」
 じっとルパンは次元を見つめた。
「……何だよ」
「お前に五右ェ門を殺させるわけにはいかねェからな」
 口調はおどけていたが、目は妙に真剣だった。次元は居心地悪そうに身じろぎし、小さく肩を竦めた。
「だったらせいぜい寝首をかかれねェように気をつけるんだな。不死身のルパン三世さんよ」
「ま、大丈夫じゃねェ? お前にあれだけ脅されりゃあ、そうそう妙な気は起こさねェと思うぜ」
「あれっくらいでビビるような可愛いタマじゃねぇだろうよ、あの剣豪坊やは」
「まぁそう言うなって。あいつも言ってたじゃねェか、さっきのはほんの出来心だってよ。あいつぁ、本気で俺を殺そうと思ったら、正面から勝負を挑んでくるさ。心配すんな、真っ向勝負なら、俺が負けることはまずあり得ねェから」
 自信満々に胸を逸らすルパンに次元は呆れた。
「ったく、その根拠のない自信は何処から来るのかねェ?」
 むっとしたように、ルパンは口を尖らせた。
「根拠ならあるぜ? あいつは真っ正直な男だからな、小細工とか悪知恵とか口先三寸とかには無縁の可愛い野郎さ。そんなヤツにこの俺が負ける筈がねェ。そうじゃねェか?」
 くっと次元は肩を揺らして笑った。
「……確かに。言えてらァ」
 五右ェ門がルパン並のしたたかさと狡猾さを身につけない限り、五右ェ門がルパンを超えることはあり得ないだろう。そしてそれは、はっきり言って五右ェ門には無理な話だ。
 決して染まることのない、純粋で高潔な魂を持った、あの侍には。

 どうやら次元が五右ェ門を殺さなければならないような事態には、当分の間なりそうもなかった。


「闘祭」でコラボが出来なかったお詫びに、と気を使っていただき、作品を頂いてしまいました(2004.4.5)
旧ルっぽい雰囲気と、ルパンと次元の会話が嬉しい!
高峰さん、本当にありがとうございました。
高峰さんのサイト「Black Tornado

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