01:盗む

「それでは、何があったのかを最初から話してください」
銭形は、相手を動揺させぬよう、努めて穏やかな口調で云った。
こうした事態に慣れていない老婦人は、明らかに戸惑いを感じている様子だった。
年老いた小柄な身体を、心細そうにストールで包みながら、視線を辺りに彷徨わせている。
もっとも、「泥棒に入られる」という事態に慣れている一般市民はまずいないから、老婦人の反応も当たり前ではある。
だがこの老婦人――ロシュフォール夫人は、微妙に風変わりな女性であることに、銭形は気づき始めていた。
ロシュフォール夫人は、現場検証のため慌しく行き来する警官たちの姿を、落ちつかなげに目で追っていたが、正面のソファに腰を下ろした銭形に声をかけられ、ようやく我に返ったようだった。小首をかしげて答える。

「ええ、あの……わたくし、どこからお話したらよいのかしら? 何だかひどく頭が混乱してしまって」
「わかります。当然のことです。突然お屋敷に泥棒が入ってきたら、驚かない人はいませんからな」
「そう云っていただくと、ホッといたしますわ」
老婦人はにっこりと、あどけないとさえいえるような微笑みを浮かべた。
仕方なく銭形も無理に笑みを返したが、彼女はにこにこと笑うばかりでいっこうに話をする様子がない。軽く咳払いすると、銭形は改めて問うた。
「えーと、それではお伺いします。昨晩、この屋敷に何者かが侵入した。これに間違いはありませんね」
「はい……確かに、知らない男性がわたくしのお部屋に入っておいでになりました」
よっぽど浮世離れした暮らしをしてきたのか、老婦人は泥棒にも敬語を使っている。実際、彼女は名門貴族の血を引く裕福な家庭に育ったご婦人であり、かなりの「箱入り」であったようだ。
だからといってこんな風にズレるものなのか、よくも「無邪気なお嬢様」のまま生きてこられたものだと、銭形は呆れつつも感心さえしてしまう。

だが、今問題なのはこの老婦人の性格などではない。銭形は質問を続けた。
「見知らぬ男が入ってきた、と。それは何時ごろでしたか?」
「そうですわねぇ。あれは何時になるのかしら。昨晩、わたくしが部屋に引き取ったのが十一時ごろで」
「それで?」
「わたくし、最近あまりよく眠れないんですの。主人が亡くなってから、色々なことを考え込んでしまうでしょう。それに、何だか近頃は見知らぬ人が屋敷の近 くをうろついていたり、おかしな電話があったりと、気になることも多くて、夜になると怖くて仕方ないものですから」
「はあ。それはお気の毒なことで」
相槌を打ってみるものの、銭形は内心焦れてきた。
だがロシュフォール夫人にまるで悪気はないようだ。自分の記憶を手繰り寄せるような表情で、熱心に語り続ける。
「それで、ベッドには入ったのですけれど、眠れないまま時間ばかりが過ぎていきましてね。昨日は読書をする気にもなれませんでした。この歳だと、小さな活字を追うのも一苦労になりますから、困ったものですわ」
「はあ……」
活字を追うことなんかどうでもいい、わしは泥棒追って忙しいんだ、聞かれたことにだけさっさと答えろ――相手が別の人間であったなら、銭形はそう怒鳴りつけたかもしれない。
だが、この品のいい、穏やかな老婦人には、そうした乱暴な口をきくことを憚らせる何かがあった。
仕方なしに、銭形は丁重に口を挟んだ。

「ロシュフォールさん、失礼ですが、あの、私は泥棒めの現れた時間をお伺いしたいのであります」
「ああ、そうでしたわね。ごめんなさい。いやですわね、歳を取ると話が長くなって」
彼女は一瞬、心底申し訳なさそうな表情を浮かべた。かえって銭形が恐縮するほどの、真摯な面持ちであった。
が、そのお詫びの言葉も、話を無駄に長くしているのだということには、あまり気づいていないようだった。
自分の長話に関する言い訳をさらに付け加え、銭形を苛立たせた後、ようやく老婦人は本題に戻ってきた。
「ベッドで二時間くらいは過ごしたでしょうか。やっとうつらうつらし始めていたのですが……なぜか突然目が覚めましたの。今にして思えば、人の気配を感じたから、目が覚めたのかもしれません。わたくし、とても眠りが浅い性質ですので」
「ということは、泥棒が侵入したのは一時過ぎ、と考えていいですかな」
「はぁ、そうなるでしょうか。……ええ、そうですわね」
やや頼りなげな答え方だ。
住み込みのメイドが警察に通報してきた時刻などから考えて、凡その犯行時刻の見当はつけていたのだが、些細な事実を確認するまでに、これほど手間取ろうとは、銭形には予想外のことであった。先が思いやられる。

「目が覚めた時、すでに泥棒は貴女の寝室に居たわけですね? その辺のことを詳しくお聞かせください」
老婦人は、きちんと結い上げた銀髪を無意識のうちに撫で押さえつつ、一生懸命に言葉を探した。
「……目は覚めたのですけれど、ただ夢の続きでも見ているかのように感じられましてね。お部屋の中に人影があったら、吃驚して叫び声の一つでもあげてしまうところなのに、なぜかその時のわたくしは、ベッドの中からその男の方をぼんやり眺めているだけでした」
「どんな男でした?」
「スラリと背の高い方でしたわ。とても派手な色のジャケットを着ていらして……あら、でも泥棒って、そんな服を着ているものなのかしら? ひどく目立つ様子でしたのよ」
善良な老婦人の、至極もっともな問いに、そういうヤツなんです、と銭形は苦々しく頷いた。
彼に「常識」は通用しない。

「それで? その男はどうしました」
「窓から入っていらしたようで、カーテンが風になびいていましたわ。月明かりが差し込んできていたのをよく覚えてます。そこに、その、泥棒の方が立っていらして。窓の鍵は確かに閉めてあったはずなのに、どうして入ってこられたのか、とても不思議に思いました」
ロシュフォール家にも、こうした大きな屋敷に相応しいセキュリティは完備されているのだが、あの男にとってはないも同然だっただろう。窓から音もなく入ってきたと聞いたところで、銭形にとっては何の不思議もない。
唐突に泥棒が現れたことを、老婦人は自分の考えを交えつつ、曖昧な言葉で語り続けていたのだが、さすがにもう付き合っていられないと感じた銭形によって、やや強引に断ち切られた。
「わかりました、泥棒は窓から侵入したわけですね。その後、ヤツは何に手をつけたのですか」
特に気を悪くした素振りもなく、いたって素直に老婦人は答える。
「室内を少し見回した後、すぐに一枚の絵の前に立たれました」

そこに、目的の金庫が隠されていたというわけだ。
「実はその絵の裏には、主人の金庫があるのです。存命中の主人が、とても大事にしていたものが、そこにしまわれたままになっておりました。ええ、このこと を知っている人はそうはいませんわ。……ですが、その方はあっさりと絵を取り外すと、壁に備え付けてある金庫に触れようとなさったのです」
「ふむ、なるほど。それで?」
「だからわたくし、思わず声を上げてしまいました。だって、主人から『決して触ってはいけない』ときつく云いつけられていた金庫なんですもの。ですから、つい」
その時、初めて男が老婦人の方を振り返ったという。
そしてようやく、彼女に恐怖心が沸いてきた。
侵入してきた泥棒は夢の中の存在などではなく、同じ室内の、ごく近いところにいるのだと、しっかり認識できたからである。

眠っているとばかり思っていた家人が起きていた。普通の泥棒なら慌てて逃げ出すか、大人しくするよう脅すか、あるいは問答無用で縛り上げるところかもしれない。
「ヤツめはどうしました? まさか手荒な真似でも」
そんなことはまずないとは思ったが、念のため問う。
案の定老婦人は、首を振ってきっぱりと、とても熱心に否定した。
「いいえ、いいえ。決してそんなことはなさいませんでしたわ。それどころか……少し驚いたようにわたくしの方を見てから、不意ににっこりと笑って、丁寧に一礼されたのです」
「……あの野郎」
相変わらず人を食った男である。銭形は、舌打ちしたい気持ちであった。
「ちょっと大袈裟でしたけれど、とても優雅で紳士的な仕草でしたわ。まるでパーティで女性をダンスに誘う時のような調子で」
その時の事を思い出してか、老婦人は少し夢見るような面持ちになる。

「そのせいでしょうか、見知らぬ方だというのに、それも、勝手に入って来られた方だというのに、怖いという気持ちが遠くなってしまって。わたくし、ただぼ んやりとベッドに身を起こしたまま、彼を見つめているばかりでしたの。大声を出して、誰かを呼ぶなんてことも、その時は思いつかなくて」
「仕方のないことです。いや、むしろじっとしていたのは賢明だったかもしれません」
たとえ騒がれたとしても、こんな弱々しい老女を傷つけたりはしなかったろうが、一応銭形はそう云ってロシュフォール夫人を慰めた。控えめな微笑みを返してから、彼女はさらに話を続けた。
泥棒は、彼女から顔をそらすと、金庫に向き直りそれに触れた。
室内の静寂を、金庫のダイヤルを回す音が破る。
そのことが、彼女を我に返らせたのだという。
「金庫の開け方は、亡き主人しか知りませんでしたから、開くわけはないと思っていたのですけれど。でも長年の習慣ってなかなか消えないものですのね。 『触ってはいけない』と云われ続けた金庫に、誰かが触れているのを見たら、つい『いけません』と声を掛けずにはいられなかったのです」

老婦人は、訴えた。
金庫に触らないで欲しい、それにその金庫を開けることは、主人を除いて誰にも出来ないのだ、と。
すると泥棒は、再び振り向いて、大きく笑った。
すでにその時、金庫の扉は開いていたのである。

「『マダム、私めに開けられない金庫などありません』――その方は、少し気取ってそう云われました」
「ちくしょう、調子に乗りおって!」
腹立たしさのあまり、口調に険しさが加わる。品のいい老婦人は、「まあ」と目を丸くした。
「いや、これは失礼。……どうぞお続けください。で、どうしました」
老婦人は、少し困ったような表情を浮かべた。
「わたくし、盗みはいけないことだとお諫めしたのですけれど、聞いていただけませんでしたわ。『お許しを、マダム。泥棒は盗むことが仕事なのです』だなんて、仰って」

その後も老婦人の話はなかなか要領を得ず、銭形は聞き出すのに苦労させられたが、要するにこういうことだ。
金庫の中身をすべて持ち出すと、再び老婦人に芝居がかった一礼をし、男は音もなく窓から去っていった。
しばらく呆然としていた老婦人だったが、やっと我に返り、住み込みのメイドを呼んだ。それから「泥棒が入った」と上へ下への大騒ぎが始まったというわけだった。
警察が駆けつけた時には、最新式の小型金庫は、無造作に扉が開かれ、空虚な内部がさらされたままであった。
中に一枚のカードだけが残されて――

銭形は慎重な面持ちになって訊ねた。
「それでですね、ロシュフォールさん、盗まれた金庫の中身なのですが」
「ええ、それが……わたくしにはわからないんですの。あの金庫、中身を見ることはおろか、触ることすら出来なかったのですもの。何が入っていたのか、知り ませんのよ。知っていたのは、たぶん主人だけだと思いますわ。お役に立てなくてとても心苦しいのですけれど」
おっとりと、老婦人は答える。
この様子では、本当に何も知らないのだろうと、銭形は思った。呑気なものだと、苦笑したくもなるが、こうした女性だからこそ、ロシュフォールという男の妻が勤まったのかもしれない、とも思う。

老婦人の亡き夫・ロシュフォール氏は、表向きは幅広い事業を展開した凄腕の実業家だったが、彼にはもう一つの顔があった。妻には生涯隠し通したようであるが、その筋では有名な事実である。
この国の裏社会のありとあらゆる情報は、どれほど些細なものだろうが最終的に彼の元へと流れてくる。そうしたネットワークを作り上げた――いわば、彼は情報屋の総元締め的存在なのであった。
集まる情報を有効的に利用し、ロシュフォール氏は政財界に密かな、だが絶大な影響力を持ち続けた。もちろん、闇の組織との関係も深かった。

金庫の中身は、ロシュフォール氏がどうしても身近においておきたかったほど、重要な情報、あるいはその証拠品、なのではなかったか。銭形はそう推測していた。
老婦人が、氏が亡くなってから「おかしなことがある」と云っていたのは、それら情報や証拠品を狙う輩が、探りを入れたり、様子を伺うために屋敷周辺をうろついていたのではないかとも思える。
その類の情報なら、手段を選ばず欲しがる人間は多かろう。己の利益のため、己の身を守るため、あるいは敵対する人間の弱みを握るために。
だがもしもそうであるなら――銭形は密かに考えを巡らせる――ヤツが盗んでいったことが、やや腑に落ちない。
確かに、使いようによってはとてつもない富を生むかも知れぬ情報だった可能性も高い。
しかし、長年の付き合いからしてそんなモノに食指を動かす男だとは、銭形にはどうしても思えないのであった。なぜ、彼が盗む必要があったのか。

銭形は、金庫の中に残されたカードを手の内に握り締める。
そこには彼の犯行であることを世に知らしめる一言、『ルパン三世参上』とあるばかりだ。
「ルパンのヤツめが……」
その言葉を聞いた老婦人が、はじかれたように顔をあげた。
「ルパン? ルパンってあの……銭形警部、あの方はルパン三世だったのですか?」
彼女はカードも見ずにいたのだろう。どこか浮世離れした老婦人は、ようやく犯人を知ったらしい。
「は、そうであります。ヤツめがルパン三世という憎っくき大泥棒でして……」
遭遇した泥棒の名前を聞くと、老婦人は大きく目を見開いて、驚きを隠させない様子だった。
「ルパン三世……アルセーヌ・ルパンの孫の? おお、あの坊やが?」
「ヤツをご存知なのですか!?」
今度は銭形が驚く番であった。老婦人の方へぐいと身を乗り出し、食いつくような勢いで問いただす。
「ルパンと面識がおありなのですかっ、ロシュフォールさん」
老婦人の目は、遠くを、あまりに遠くを透かし見るかのように細められる。そこには懐かしげな、慕わしい光が宿っていた。

「ええ、ええ。たった一度、それもずいぶんと昔のことになりますわ。あの方はほんの小さな少年だった頃……一週間だけ、この屋敷に滞在されました。お爺様とご一緒に」
「何ですって?」
しかし銭形の驚愕など、もはや老婦人の眼中にはなかった。
現状を忘れ、すっかり懐かしい過去への回想に浸りきっている様子である。柔らかく穏やかな微笑が広がる。
「うちの主人と、アルセーヌ・ルパン氏はその頃、お付き合いがありましてね。もっとも、当時あの方は別の名前を名乗っておいでしたので、かの有名なアルセーヌ・ルパン氏だと知ったのは、かなり後になってからですが」
そうした疎さも、彼女ならありそうなことであった。
「懐かしいですわ。ルパン氏と主人が、何か大切なお話をしている間、一人で放っておかれたあの子はひどく退屈そうにしていたのを、よく覚えています。ですからその間、わたくしがお相手することになりましてねぇ」
嬉しそうに語り続ける老婦人の様子に、銭形は黙って聴いていることにした。
「とても利発な、利発すぎるくらいの坊やで。それだからか妙に人を食ったというか、大人を馬鹿にしたところのある子供でしたわね。何でもよく知っていてわ たくしも舌を巻くほどでしたが……そうそう、その時まだ彼がチェスはしたことがないというものですから、教えてさしあげたんでしたわ」
「チェスを」
「ええ。一度簡単にルールを説明しただけなのに、『もうわかったから勝負しよう』なんて云われましてね。ひと勝負しましたのよ。その時はわたくしが勝ちま したけれど、かなり手ごわくって、この子は本当に今日までチェスを知らなかったのかと内心怖くなったほどでしたわ。でも、本人は負けたことがひどく不満 だったようで、ずいぶん悔しがって……」
ころころと愉快そうに笑う。
「ですけど、さすがですのよ。一週間後ここを立ち去るまでには、すっかり腕をあげて、わたくしではもう太刀打ちできなくなっておりました」
「なるほど、貴女はルパン三世の……いわばチェスの先生であったわけだ」
「まあ、先生だなんて、大袈裟ですわ」
ロシュフォール夫人は少女のように無邪気に云った。

なるほど。
銭形は心の中でそう繰り返した。
だから――盗んだのか。ルパン三世として、大々的に。
貴様の盗んだものは、このご婦人の余生の憂い、危険の種、というわけか。

「しゃらくさい真似をしおって!」
ルパン三世の犯行であることを表明した、気障なカードを、銭形は強く握り締めた。
銭形の剣幕に、老婦人はハッと身をすくませる。ふいに夢から覚めたように、楽しげな笑みはすっかり消え、覚束ない表情が戻ってくる。
「銭形警部、どうしてあの方がうちに盗みに来たりしたのでしょう。信じられませんわ。彼は、本当にルパン三世……懐かしいあの少年だったのでしょうか?」
決然と立ち上がり、銭形はかすかな苦味と共に云いきった。
「そうです。あれがルパン三世という男です」

「盗む」というお題を書くに当たって、盗んだものの奥にあるモノ、みたいな話をやってみたくなりまして。
こんな風にまとまったわけですが…こういうルパンってありなのかどうか、かなり不安です(そのわりに堂々とUPしちゃってるけど。笑)
個人的に、「無節操に誰にでもいい人」のルパンは好みじゃないんですが、自分の中での「これくらいなら」というラインを探ってみました。
常に冷酷なだけのルパン、というのも、正直私にはピンとこないので…たまにはこんなのも…どうかなぁと。びくびく←気弱(笑)
あ、それと相手役を婆さまにしたのは、完璧に私の趣味です。

(2004.8.10完成)

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