02:さて一服

瞳の底が塗りつぶされてしまいそうなほど、見渡す限り一面の、白い世界。
眩い陽光を乱反射して、容赦なく視界を焼いてくる。
彼らの先に広がるのは、穢れのない純白の雪景色である。ところどころ、わずかに生える針葉樹だけがアクセントになっている。
見ようによってはこれほど美しい光景もあるまいが、今の彼ら三人にそれを感受する余裕はなかった。むしろ、どこまでいっても雪また雪、山また山が続くことを、無言のうちに知らしめるこの風景は、彼らの疲労をいっそう募らせるようであった。
自らの影を重そうに引きずりながら、彼らはとぼとぼと歩き続けた。

「おい、一体どこまで歩けばいいんだ?俺たちはよ」
不機嫌であることを隠そうともしていない次元の、棘を含んだ声がする。
「いやぁ、たぶんそう長くはかからないとは思うんだけっども……」
雪をかき分け先頭を歩くルパンが、前を向いたまま首をすくめて答える。その面にはどこか気まずく、困惑した色が浮かんでいる。
「いい加減な気休めを申すな。余計に気が滅入る」
これまた仏頂面の見本のような顔つきで、五右エ門が口を挟んだ。
確かに、ルパンの言葉にはまるっきり説得力というものがなかった。延々と続く遥かな白い山道が何より雄弁に、彼の安易な慰めを打ち消している。
「ま、まあ、あとひとつか二つ、峠を越さなきゃならねえかもしれねえがな。どっちにしても俺たちにかかりゃ、大したことでもないでしょうが。なぁ?」
わざと陽気に笑って、相棒たちを振り返ってはみたが、それに同調する気配はなく、白けた視線が投げ返されただけだった。
「それにホラ、下り坂に差し掛かってきてるじゃねぇか。あとはパーッと一息でさ」
相変わらず返されるのは、沈黙と冷めた薄笑い。
だがめげずにもう一声、かけてみる。
「お宝だってこうしてしっかり手に入ったんだしよ? 元気出して行こうぜ」
ルパンが、背負った大きな袋を揺すってみせると、重量感のある音が響く。
ついさっき、一山向こうの豪華な山荘から盗んできたばかりの宝石類である。人気のないこの山中で、後ろ暗い組織同士の取引が行われていたところを襲撃し、見事横取りしてきたものだ。
だが、普段であれば、心を高揚させたかもしれぬ宝の豊かな膨らみも、今の有様ではどうでもいいことのように思えてくる。

「へっ、せめてこんなにずぶ濡れじゃなけりゃな」
「次元、そう云うなってぇ」
懇願するかのように、ルパンは苦笑した。
三人は、上から下までじっとりと濡れた己の姿を見つめ、そろってため息を漏らした。
「あーあ、お前ぇがあんな余計なコトするからだぜ」
「まったくだ。何もあのような馬鹿げた操縦をすることはなかったのだ」
「……」
相棒たちのぼやき混じりの抗議に、ルパンは珍しく云い返すことなく、ただ口を尖らせただけだった。


三人の宝石強奪自体は、きわめて鮮やかに決まった。作戦、タイミング、技――何もかもが会心の出来だった。宝石を手にした時、三人ともが高らかな笑い声を抑えきれぬほどの爽快感を味わった。
けれども、調子が良かったのはそこまでであった。むしろ、この時の高揚感の余韻が、クセモノだったと云えるかもしれない。
彼らが襲ったのは、そのまま見過ごしてくれるような甘い組織ではなく、すぐに物騒な追っ手が迫った。想像以上の執拗さに、予定していた逃走経路を大きく外れて、大自然の中派手な追走劇を繰り広げる羽目に陥っていたのである。
つい先ほど、群がる追っ手をどうにか撃退することに成功するものの、事態はあまり好転しなかった。
しぶとく追いすがってきた殺し屋共を自滅させ、まんまと湖に沈めた時、気を良くしたルパンは、まるで勝利宣言するかの如く、操縦するモーターボートをアクロバティックにジャンプさせたのである。
そんなことをする必要は、みじんもなかったのだが。
直後、三人を乗せたボートは大きく傾き、凄まじい水しぶきを上げて横転したのだった。


「だいたいお前ぇはいつもそうなんだ。調子に乗りすぎるのは、悪いクセだぜ」
「うるっせぇなぁ! 一緒になって歓声あげてたのはどこのどいつだ」
「ハッハ! まさか転覆した挙句、ぶっ壊れるなんて思いもしなかったからな!」
自棄になって次元は笑った。
「済んじまったことは仕方ねぇだろうが。無駄口叩いてないで、黙って歩きゃいいんだよッ」
そろそろ相棒たちの機嫌を取ることに飽きていたルパンは、横柄に命じた。
恐ろしく気まずい沈黙が落ちかかったその時、五右エ門のくしゃみがそれを破った。

下山すれば初夏といっていい季節であり、標高の高い山中の雪ですら、昼間は溶けかかる時期ではあったが、さすがに全身湿った服をまとっての行軍は、彼らの身体を芯から冷やし始めていた。
一度きつく絞っただけの衣服は、まだ乾ききらずじっとりと体にまとわりついている。
陽が高いうちは良いが、こんな有様で夜を迎えることは考えたくもなかった。
だが、今はとにかく歩き続けるしかない。

「あーあ」
またしてもため息を漏らしながら、次元は内ポケットの煙草に手を伸ばした。
幸い封を切る前のものがひと箱、出てきた。大半はダメになっていたが奥の方を指で探ると、辛うじて吸えそうな状態のものが数本が見つかった。つまみ出して、咥える。
だがそこで、マッチがまるで使い物にならなくなっていることに気づいた。
「チッ」
ふやけきったマッチ箱を荒々しく放り投げる。
横目で見ていたルパンが、黙って自分のライターを取り出す。次元は、かすかに表情を緩めて近づいた。
ルパンが手をかざし、カチンと蓋を外して火を点そうとした。
「あら?」
ライターからはかすれた音が聞こえるだけだ。二人の表情が曇った。
「あれ、おい、こら、どうした、点かねぇな、えい、このっ」
声に合わせて幾度も着火しようとするが、空しい音が続くばかりで、いっこうに炎の上がる気配はない。
ルパンは情けなさそうに呟いた。
「悪りぃ、ガス切れだ」
「……何もかもシケてやがるぜ」
次元は天を仰いだ。

その時であった。
遠く、人工的な低音の唸りを五右エ門の耳がまず捉えた。静かな緊張感とともに、斬鉄剣を握りなおす。
「何か来るぞ」
二人も耳をそばだてた。モーター音のようなものが、かすかに届く。
「どこかの村の住人でも通りかかるんならいいんだが」
云った次元本人ですら、そんなことは期待していないことを身をもって表した。そっと腰から拳銃を引き抜く。
「いんや、そんなに甘くはないでしょ」
まだ追っ手が残っていたと考える方がこの状況では自然である。不敵に笑って、ルパンもホルスターから銃を取り出した。次元のマグナムに顎をしゃくると、からかうように云う。
「まさかそれもシケってるってこたぁ、ねえだろうな?」
「そこまでドジするかよ。拳銃だけは別さ」
言葉の端に気負いのない自負がにじむ。衣服を絞るよりも先に、銃の状態を確認しないはずがない。
「おあつらえ向きに、三台のスノーモービルのようだな」
五右エ門が低く囁く。
「うひゃー、ヤッパリ今日はついてンなぁ。それを戴いちまえば、楽ぅに下山できるぜぇ」
「よし、さっさと片付けるか」
三人は一瞬だけ視線を合わせると、それぞれが迎え撃つ位置へと散った。


ふと考え直して、ルパンはワルサーを懐にしまいこむと、傍らの大きな針葉樹に、身軽に登っていった。
ジャケットを脱ぎ、スノーモービルがやって来る方向に伸びた枝先から、それがわずかに覗くよう掛ける。ルパン自身はさらに上の枝へ登って宝石の詰まった袋とともに身を隠した。
真っ白な世界にたなびく鮮やかな赤は、何よりの目印となる。
やがて、三台のスノーモービルを駆った殺し屋たちが雪煙を巻き上げ迫ってきた。
案の定、そのうちの一人が、この木に向かって盛大にマシンガンを連射させた。たちまち、ジャケットはぼろ屑と化す。
落ちた赤い塊を確認しようと、減速しつつ近づいてきたその時、ルパンはひらりと舞い降り、殺し屋の背後に飛び乗った。
彼の唐突な出現に振り向く間も与えず、組み合わせた両手で力いっぱい後頭部を殴りつける。
殺し屋は白目をむいて倒れ掛かってきた。ハンドルを奪いがてら蹴り飛ばすと、雪の上を面白いほどころころと転がっていった。
「一丁あがり〜!」
得意げに顔をそびやかすと、ルパンはスノーモービルを軽くターンさせて止め、相棒らの姿を追った。


白い山道の真ん中に、次元は無造作に立ちふさがっていた。雪の中に、黒ずくめの衣装はひどく物騒に映る。
そんな彼の姿に、殺意に溢れた銃弾が雨と降り注ぐ。
次元は相手を挑発しているかのように、ぎりぎりまで身動きせずに引きつけた。
が、そう長く、一方的に撃たせはしなかった。
次の瞬間には、マグナムのトリガーが引かれる。
弾丸は狙い違わず、向かい来る殺し屋の肩を射抜いた。
その身体は反動で大きく飛び、雪の中に消えた。血と悲鳴が尾を引く。
操縦者を失ったスノーモービルは、勢いもそのままに次元に向かって突き進んでくる。
タイミングを計り、思い切って雪原を蹴った。
正面からうまく衝撃を殺しながら、車体前方に飛び乗った。
操縦席に移ろうと手を伸ばしたその時、雪だまりに乗り上げたスノーモービルがバウンドし、大きく宙に舞うのを感じた。
「いけねぇッ」
危険を感じ、次元はせっかく手に入れたスノーモービルから、反射的に離れた。


まるで誘い込むが如く、五右エ門はなだらかな下り坂を駆け下りる。後ろから、未熟な殺気が追ってくる。
頃合を見て振り返った。マシンガンを小脇に抱えた男が、いよいよ血気に逸り接近する。
勢いに任せて乱射された銃弾は、しかし五右エ門を脅かすことはなかった。
抜き放たれた斬鉄剣は、襲い掛かる弾の一つ一つを正確に捉える。真っ二つに断ち切られた熱い銃弾が、足元の雪を溶かした。
その離れ技を目の当たりにした殺し屋は、動揺をありありと表しながらも、自暴自棄の勢いで突進し続けて来た。
五右エ門は、一糸の乱れもない静かな眼差しを男に据えた。
すれ違いざま、斬鉄剣が大きく一閃する。
手にあったマシンガンが、バラバラの鉄屑と化して地に落ちた。
驚愕の悲鳴が迸る。
それでも、激しく雪煙を上げ、殺し屋は向きを変えて再び五右エ門の元に殺到する。失ったマシンガンの代わりに、大ぶりの拳銃を手にし、荒々しい叫びをあげ続けた。
再度、二者の影が重ならんとする。
だが今度は、斬鉄剣の届く範囲からスノーモービルが逸れた。
雪面のコブを小さなジャンプ台にして、殺し屋は飛んだ。空中から一瞬の隙をつき、五右エ門を狙うつもりだったのだろう。

結局、その目論見が果たされることはなかった。
逆方向からちょうど同じタイミングで空を舞った無人のスノーモービルが、正面からぶつかってきたからであった。
激しい衝撃音が辺りの空気をびりびりとふるわせる。
乗っていた最後の殺し屋が弾き飛ばされ、直後、ぶつかり合った二台から凄まじい勢いで炎が吹き上がった。


「何やってんだ、お前らぁ」
軽やかにスノーモービルを操って近寄ってきたルパンが、叫んだ。紅蓮の炎と黒煙の立ち上るさまを、呆気に取られて見上げていた。
驚いたのは、次元と五右エ門も同様である。二人はなす術もなく、炎上するスノーモービルを眺めているしかない。炎の爆ぜる音がやけに耳を打つ。
ようやく、次元は両手を広げて肩をすくめてみせた。
「ま、不可抗力ってヤツだ」
「左様」
五右エ門の重々しい同意にかぶせるように、ルパンが抗議の声を上げた。
「ドジ! それに乗って山を下る予定だったってぇのによ、ぶっ壊しちまうヤツがあるかぁ。お前らは歩いて下山するしかないぜ? どーすンだよ」
先ほどの仕返しとばかりに責め立てる。どこか嬉しそうですらある。
それを感じた二人は、苦笑いするしかない。
「そう云うなって、ルパンよ」
先ほど相棒が使った言葉そのままに次元は云い返す。
そしておもむろに、懐からしおれた煙草をつまみ出すと、燃え続ける炎を指先で示した。
隣で五右エ門がうっすらと微笑み頷いている。
やがて、ルパンの顔もゆっくりと綻んでいく。
「そうだな。せっかくだから一服していきましょうかね」
彼らは笑いながら炎を囲み、そっと煙草を差し伸べた。

すでに書いたお題の中で、煙草ネタは使っちゃった〜と後悔したり、「ルパン」にはあまりに多くの煙草名シーンがあるために、今更何も浮かばないよ…と、へこたれたりしてました。
が、ようやく煙草を絡めた作品を一つ。煙のように軽く、味わっていただけるものになっていればいいなぁと思いながら。
場所のイメージは、アルプス山中。イタリアからフランスへ抜ける、スキーで通るのが一番都合のいいような山道をイメージ。といってもどこだっていいんですけども(笑)
尚、このお話を書くに当たって、作中の次元のある動作のアイディアを、konさんから頂きました。
他にも大変貴重なアドバイスを頂き、本当にありがとうございました。改めてお礼申し上げますv

(2004.11.4完成)

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