02:自業自得

七面倒くさい仕掛けをようやく解除して、次元はようやくアジトの中へ入ることができた。
ドアを開けるだけで一仕事だ――慣れていることとはいえ、肩をすくめたいような気分だった。
トリッキーでひねくれていて危険なドアのロックは、仕掛けた本人そのもののようにも思われる。もっとも、ヤツだったら嬉々としてこうしたシロモノに挑んでいくことだろう。

閑静な森の中に立ち並んだ金持ちたちの別荘の中に紛れ、一見優雅なたたずまいのただの家にしか見えない。しかし、ルパンの数あるアジトの中でも、最も奇妙な罠の数々が隠された一軒なのだった。
一昨日の晩の大仕事の後、銭形の執拗で広範囲な包囲網から逃げきることが難しく、一旦身を隠すために仕方なくここを選んだのであったが、久しぶりにやってくると次元はどこにどんなトリックが身を潜めているのか忘れそうになる。
侵入者からお宝や彼ら自身を守るための仕掛けなのだが、あまりにも厳重すぎてこっちが怪我でもしそうだと、次元は皮肉そうに唇を吊り上げた。
もっとも、ルパンにとっては身を守るためのアジトというよりは、彼のトリックの実験場として考えているらしい。
あやしげな発明家たちから何やら大量に買い込んできたり、自ら工具をふるって懸命に機械の塊と格闘していたこともある。

ようやくリビングにたどり着いて、サイドボードからグラスを取り出し、買ってきたばかりのスコッチと一緒にテーブルの上に置く。そして仕掛けのないことを確認してからソファに腰を降ろした。
ルパンも五右ェ門も、どこかへ行ってしまって留守らしい。
まだこの辺りを捜索し続けている銭形に見つからぬよう、さっきまでの次元同様せいぜいこの近辺で気晴らししているだけだろう。いずれすぐ戻ってくるはずだった。
「やれやれ、やっとゆっくりさせてもらえそうだ」
そう呟きながら、煙草をくわえたその時、奥の部屋から重い物音が響いた。と同時に、かすかな悲鳴。
侵入者がいるのだ。確かめねばなるまい。
次元は眉をひそめ、大きく口元をひん曲げた。せっかくのんびり出来ると思ったのに、またわずらわしい罠の待つアジトの中を移動しなくてはならないのか。
この鬱陶しいアジトに関しては、一度ルパンに断固として文句を云おうと、次元は心に決め、渋々腰を上げた。


奥の部屋を開ける前から、嫌な予感がしていた。
その辺のチンピラ如きでは、到底アジトの最奥までたどり着くことは不可能だ。
しかも、そこには一昨日大々的に盗んできた世界最大のエメラルドが置いてある。ということは……

面倒には関わりたくない。ルパンが帰ってくるまで放っておいても構わないはずだ。どうせ罠にかかった人間は逃げられやしない。
さすがに仕掛けられた罠で死ぬようなことはあるまいが、そうなったらなったで自業自得というものだ。次元には関わりのないことのはずだった。
本当は開けたくないのだが、なぜか部屋のドアを開けてしまった。
この心理は何なのだろう。怖いもの見たさ、単なる好奇心なのか。
お宝が積まれただだっ広い部屋の中の光景を見た瞬間、次元はポカンと口を開けた。くわえ煙草がポロリと落ち、無意識のうちに踏み消したが、視線は相変わらず部屋へと注がれたままだった。


巨大なガラス玉の中に、峰不二子が閉じ込められている。
膝を突き、不安定な硬質ガラス玉の中で必死にバランスを取りながら、継ぎ目を探して何とかこじ開けようとしているようだった。
どうせ不二子がお宝欲しさに忍び込んだのだろうと薄々わかってはいたものの、いささか予想と違った光景に面食らい、次元は僅かの間立ち尽くしてそれを眺めていたが、やがてプッと吹き出し、盛大に笑い出した。
まるで――ハムスターボールだ。
ルパンはいつの間にこんな奇妙な罠を仕組んでおいたのだろう。一昨日盗んできたエメラルドを置いたときに、その陳列台に触れると発動する仕組みにでもしたのか。
その珍妙で大きなハムスターボールはバランスを崩すとコロコロと前のめりに転がりそうになる。不二子は慌てて体勢を立て直そうともがいていた。

その時、ようやく次元に気づいた不二子は、一瞬だけ顔を赤めたが、すぐさま声を荒げた。
「何笑ってるのよ! 早く助けてったら!」
これを笑わずして何を笑おうか。そんな勢いで次元は笑い続けていた。
「お似合いだぜ、不二子」
「イジワル! 出してって言ってるでしょ」
「また俺たちの上前ハネようとしたバチが当たったんだぜ」
不二子はつんと顔を背け、すねたように言う。
「そんなんじゃないわよ、世界最大のエメラルドってどんなものかちょっと見たかっただけよ……」
あまりに説得力に欠ける言い訳に、再び次元は笑った。
「まあ、しばらくの間そこで反省してるんだな、泥棒猫チャン」
「待ってよ次元! このままにしていくっていうの? ひどいわ! 出してよ、早く」
自分のしようとしたことは棚に上げて、不二子は責めるように叫んだ。
「何なのよ、この変な仕掛けは! ガラスの檻なの? どこにも継ぎ目が見えないし……開けてよ、ねえ次元ったら!」

ニヤニヤしながらハムスター状態の不二子を眺め、次元はゆっくりと部屋の中へ入っていった。
「開けろったって、俺だって開け方なんざ知らねぇんだ。いつの間にかルパンが作ったヤツらしいからな」
「ウソ、ウソでしょ。イジワルしないで早く出してよ」
「嘘なんかじゃねえ。ルパンしか、知らねえよ。ヤツが帰ってきたら開けてもらうんだな」
「じゃルパンはどこへ行ったの? いつ帰ってくるのよ。それまでこのままだなんてひどいわ!」
さっきまでの八つ当たりに近い怒りの色が消え、いかにも哀れを誘う表情を不二子は浮かべた。
確かに、少しでも重心がずれると転がりだし、座っていることも難しい空ろなガラス玉の中で、いつ帰るともわからぬルパンを待つのは辛かろう。
だが……自業自得ではないか。
次元の責任など何もない。人の宝を横取りしようとした不二子のせいだ。こんな訳の分からないモノを作ったルパンのせいだ。

一旦はそう思い、次元は助けを求める不二子に背を向けようとした。
しかし、なぜか部屋の外へ出て行くことは躊躇われた。
これから上等のスコッチを楽しもうという時に、一つ屋根の下で不二子がわめき続けるかと思うと、それだけで酒の味が落ちる気がする。
チッと舌打ちし、次元は不二子入りのハムスターボールに慎重に近づいた。

どういう仕組みだか見当もつかないが、不二子をその中に飲み込んだのだから、この玉には必ず開く場所があるはずなのだ。それを見つければ何とかなるのではないだろうか。
次元は遠巻きに、しかし丹念にあらゆる角度からガラス玉を観察した。
「ねえ、早く」
「うるせえ、黙ってろ!」
不機嫌そうに怒鳴り返し、再びガラス玉を睨みつける。

見た限りでは、開け口に相当する継ぎ目はまったく見当たらない。傷一つない綺麗なガラス玉でしかない。
それなのに、中には不二子がすがるような目で次元を見上げている。
まったく腹立たしいことこの上ない。
思わず次元は無造作にガラス玉に触った。


何が起こったのか、世界一の早撃ちガンマンの次元にすらわからなかった。それはあまりにも一瞬のことで、予想外のことだったからだ。
気づいた時には、次元は不二子と同じく、ハムスターボールの中に閉じ込められていた。
「な、なんだこりゃあ!!」
「どうしてアナタまで入ってくるのよぅ!」
不二子が悲壮な声をあげる。
まさにこのガラス玉に食われた、としか言いようのない出来事だった。触った瞬間、表面の特殊硬質ガラスが大きくスライドし、わずかに前のめりになった次元へ向かって――まるで意思を持っているかのように――転がり、彼を飲み込んだのだ。
そして、瞬く間にガラスは一部の隙もなく閉じてしまい、完全に沈黙した。

幸い、大人が二人入っても、多少の余裕がある程にその玉の中は広かった。
が、こんなささやかな「幸い」であっても、幾倍もの不幸でそれはあっという間に帳消しになってしまう。
気が合わない二人が入ったことで、ハムスターボールはいっそうバランスが取り辛くなり、転がりださないよう膝立ちしたまま、始終重心に気遣っていなくてはならない。
うっかりすると、すぐに不二子とぶつかり、その都度文句が飛び交う。
「ちったぁ協力したらどうだ! お前が好き勝手に動こうとするから転がっちまうんだよ!」
「あなたがふらふらしてるのが悪いのよ。それよりちょっともっとあっち行ってよ」
「こっちの台詞だ!」
ちくしょう、ルパンのヤツ。次元の頭には、その言葉しか浮かんでこなかった。
これだけ密閉されているというのに、不思議と呼吸は苦しくならないようだった。きっと新素材の奇妙なガラスであるか、見えないカラクリでもあるのだろう。尋ねればきっと得意げにルパンは説明するに違いなかった。
これもわずかな「幸い」に入るのだろうが……そんなものはくそっくらえだ、と次元は内心毒づいた。

考えた末、二人で壁際まで移動することにした。片側だけでも壁を支えに出来れば、ずいぶん安定するだろう。
二人は四苦八苦しながら、まさしくハムスターさながらにボールを内側から転がし、どうにか目的としたスペースまでたどり着いた。
その後、壁を内側から思い切り叩いたり、開けるための何らかのセンサーに触れないかと期待しあちこちを触ったりしてみたが、すべて徒労に終わった。
次元は拳銃を抜きかけたが、ルパンの仕込んだ奇妙な特殊ガラスであることを考えると、撃ち込むことは躊躇われた。万が一にも、弾が跳ね返ってきたらとんでもないことになる。
結局は、ルパンが帰ってくるのを待つのが一番確実で安全な方法だ。

あの時、こんな女放っておくんだったと痛感する。
今となっては、どうして助けてみようと思ったのか、自分でも皆目わからない。
己の甘さに嫌気が差した。


その時だった。奥の部屋へ向かってくる気配がした。
次元と不二子は思わず顔を見合わせた。あまりにその勢いが良すぎたからか、再びボールが転がりだそうとするのを、必死で止めねばならなかった。
「ルパンかしら」
「……いや」
そうであって欲しい。だが、足音が靴のものではないような次元にはした。それでも二人は期待に満ちた目でドアを見つめた。
入ってきたのは、五右ェ門だった。
「お主ら、何をやっておるのだ」
呆れ果てたように、五右ェ門は目を見開いて尋ねてくる。
経緯のあまりのお粗末さに次元は答えに詰まった。が、五右ェ門が来てくれたことで、救われた気がした。不二子も同様だったようで、すぐさま叫んだ。
「五右ェ門、これを斬ってちょうだい! この忌々しいガラス玉を!」
「斬るのは構わんが……」
状況が腑に落ちないのか、五右ェ門はわずかにためらいを見せている。次元もすかさず云った。
「いいから早く斬ってくれ」
「うむ」
ようやく頷くと、五右ェ門は静かに刀を抜き放ち、袈裟懸けに気合もろとも斬りつけた。




「……信じられない」
「どういう仕組みなんだよ、こりゃ」
「拙者は……斬れなかった、のか?」
三人とも、呆然としていた。
気が付くと、五右ェ門まで玉の中に入り込んでいたからだ。
斬鉄剣は正確にガラス玉を捉えたように見えた。が、捕らわれたのは五右ェ門の方だったのだ。
次元の時と同じく(そしておそらく不二子の時もそうだったのだろう)、ガラス玉が瞬時に侵入者を食ったような形となった。

当然五右ェ門が入ってきた瞬間、大きくバランスを崩し、互いにぶつかり絡み合いながら、体勢を立て直すのにしばし必死にならざるを得なかった。
その時が過ぎてしまうと、三人はただただ途方にくれるしかなかった。
不二子はいっそう狭くて居心地が悪くなった玉の中から出られず、ふてくされたように黙り込んでいるし、五右ェ門は五右ェ門でたかがガラス玉を斬ることができず、己自身まで捕まってしまうという失態を演じたことをひどく恥じている様子だった。
外側だけに開閉のセンサーがついているのだろうか。次元はぼんやりと考えてみるも、現状では何の役にも立たなかった。
「ちくしょう、ルパンのヤツ。くっだらねぇモン作りやがって」
そうぼやくと、不二子が同意してきた。
「ホントよね。だからルパンのアジトはイヤなのよ」
次元はジロリと睨む。
「イヤならこそこそ入ってくるんじゃねえ。そもそもお前が欲かいて侵入してきて、挙句の果てにこんな玉ッコロにとっ捕まったのが悪いんだろうが!」
「な、何よ、その言い方。捕まったのはアナタだって同じでしょう! 相棒の作った仕掛けくらい解除できないの?」
「……静かにせんか」
あやうく虚しい言い争いになりかけたが、五右ェ門の低く凄みのある声に、二人は口を閉ざした。



どれくらい沈黙が続いただろう。
いい加減、狭苦しく、グラグラ揺れる玉の中でバランスを取ることにも疲れを覚えてきた頃だった。
再び、足音がした。奥の部屋へ近づいてきているようだ。
「誰か、来る?」
「らしいな」
「ルパンよね?」
「……」
早くもようやく出られるという安堵感をあらわにした不二子に、次元も同調しようとしたが、何かがひっかかり答えることが出来なかった。五右ェ門も同じらしい。
部屋に近づく気配は、いかにも静かで慎重だ。足音を出来るだけ立てぬよう、一歩一歩近づいてきているように感じられる。

もしかしたら、一番見つけて欲しくない人物に、このアジトが見つかったのではないだろうか。
彼がこの状況を見たら、好機とばかりにまず間違いなく急接近して、三人を一気に捕らえようとするだろう。
そうしたら――
嫌な想像に、次元は頭を振った。
不二子も何かを感じたらしく、急に不安げな面持ちになる。五右ェ門は油断なく、ドアを見据えていた。

いや。
ルパンだって、これだけ奇妙な仕掛けだらけのアジトの中ならば、多少なりとも慎重に歩くだろう。
ヤツは元々泥棒の習い癖で、足音も大してたてやしない。
そうだ、きっとルパンだ。
次元はそう思おうとした。思いたかった。
ルパンだったら、散々文句を云ってやる。そしてこんな下らない仕掛けは、全部捨てさせてやるのだ。
さあ、早く来い、ルパン!
次元は大きく息を吸って、待ち受けた。


やがて、静かにドアが開かれた。

これを思いついたのは、トーマス・オーエンの「黒い玉」を読んだ時だと言ったら怒られるかなぁ(笑)。
原作では、ルパンのアジトって仕掛けだらけで、不二子も座った椅子にぱっくり捕らえられてたことありましたよね。それもこの話を思いつくきっかけになってます。
巨大なハムスターボールは結局どんな仕組みだったのか私にもよく判りませんが(笑)、まあたまにはこんなのもいいかな、と。
不二子の欲ゆえの自業自得と、次元の優しさというか甘さというか、非情になりきれないゆえの自業自得を書いてみました(そう言っちゃ次元は可哀想か…)。巻き込まれた五右ェ門もご難です。
この後、やって来たのが誰であるにしろ、いずれルパンが次元・不二子・五右ェ門にさんざん文句を言われ、お灸を据えられること間違いなしなので、ルパンの仕掛け・トリック好きゆえの自業自得の話にもなるかもしれません(強引?笑)

(2008.1.18完成)

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