03:獄中にて

圧倒的な静寂の内に、かすかな足音が忍び入ってきた。それは次第に大きくなってゆく。
誰かが、近づいてきている。
ルパンは、暗闇の中に身を起こし、その足音に聞き入った。少し微笑む。
この獄中で、初めて浮かべる表情だった。


長い廊下の果てに、彼の特別独房が存在する。幾重もの厳重な人的・機械的チェックを経て、ようやく辿り着ける場所。しかも、通常はごく限られた人間しか、決して通されることはない。
そこへ、彼女は姿を現したのだった。
「よう、不二子」
特殊金属で出来た分厚い扉に、わずかばかり開けられた覗き窓から顔を出した女に、ルパンは明るく声を掛けた。
いつもと変わらぬ声に、不二子の口元も柔らかく緩む。
「元気そうね、ルパン」
「モチロン元気よ元気。この通り元気ありあまっちゃってるんだけどさぁ、なんせやることないから退屈でいけねぇや」
ルパンは、しっかりと床に固定された粗末なベッドの上で、両足を打ち合わせたり、まるでヨガのように首の後ろで組んだりしてみせ、退屈しきっていることを表した。あきれて、不二子は肩をすくめた。
「ふざけている場合じゃないでしょう。今に、退屈だなんて云っていられなくなるわよ」
ルパンはあくまでも不真面目そうにニヤニヤしているようだった。
不二子の立っている廊下の常夜灯を頼りに、室内の様子はすかし見るしかない。独房内はすでに消灯時間が過ぎているとのことで、強制的に電気が消されていた。

覗き窓に嵌められた鉄格子をそっと握り、独房の方にさらに身を寄せる。さっきよりも真剣な口調で、不二子は囁いた。
「ルパン、笑い事じゃないのよ。これから先、普通では考えられないくらい厳しい取調べだって、行われかねないわ」
拷問もありうるということを仄めかすが、一向に応えた様子もない。
「わー、コワイんだわぁ」
ルパンはベッドの上で胡坐をかいたまま、不二子の脅しもどこ吹く風といった具合だ。
わざと独房の中まで聞こえるように、彼女は大きなため息をついた。
「冗談なんかじゃないの。彼らは本気よ。どうしたって、貴方からあれを取り返す気でいるわ。一体、どうしてあんなものに手を出したりしたの」
「……。知らなかったンだよ、そんな面倒くせぇシロモノだったなんて」
拗ねたようにそう云い返す。
確かに、ルパンは深い事情など知らずに盗んだのだろうと、不二子は考えていた。
たぶん彼は、単にスリルを楽しんだだけなのだ。きわめて厳重な警備のなされた、彼の美意識にも合ったきわめて価値の高い美術品。そんな刺激的で盗み甲斐のあるターゲットに惹かれた。それだけのことだったのだろう、彼にとっては。
だが、「それだけのこと」では済まされない人間が多くいる。それが問題なのだった。

先日、とある貴族の城から、ルパンは発見されたばかりの幻の名画を盗んだ。
サミュエル・エルベシウス。世界的に有名な14世紀の画家であり、天才数学者であり、錬金術師でもあった人物の作品である。
エルベシウスの芸術・研究のパトロンであり、長年のあるじであった城主に捧げられたと思われるいくつかの作品が、その城奥深くの隠し部屋から発見されたのだ。
鑑定の結果、数枚の宗教画と風景画、そしてところどころ暗号めいた記述も見られる、謎の多い数冊の書物は、どれもエルベシスウ本人によって書かれたものだと判明した。
世界中の注目が集まる中、ルパンは大々的にそれらを盗み去ってしまった。
しかし、その後はそう簡単にはいかなかった。国を挙げての大逮捕劇が繰り広げられ、ルパンの予想を遥かに超えた厳しさに、彼は今こんな薄暗い場所につなぎ置かれることになってしまっているのだった。

「エルベシウスの作品にはね、価値の分る人間にとっては、どんなことをしてでも手に入れなければならないような情報や奥義が隠されているんですって。この 国のお偉方の大半は、某結社のメンバーだとも云われているもの……手段を選ばず、絵と書物のありかを知ろうとするわ」
「おーお、胡散くさいオハナシだこと」
ルパンはあまり興味なさそうに呟いた。
「それはわたしも否定しないわ。ただ、彼らにとっては重大なことよ。それは解るでしょう?」
不二子の真摯な口調に圧されたように、ルパンは素直に頷いた。
彼女は一呼吸置いてから、できるだけ淡々と尋ねた。
「で、どうするつもりなの?」
「何が?」
わかっているくせに、のらりくらりと話の本筋から遠ざかろうとする。本心を覆い隠そうとする。――彼女にはそんな風に思えた。
身にしみついた彼の癖に過ぎないのか。それとも、この場合何か深い意図でもあるのか。彼の表情からは、窺い知ることは出来なかった。
かすかに苛立つ気持ちを抑えて、不二子は云った。
「勿論、これからのことよ」
「そうだなぁ、あンまり長居したいところじゃないのは、確かだわな」
「次元と五右エ門の助けは、当てに出来ないわよ。今回に限っては、絶対に無理。あの二人は、貴方が身をもって逃がした甲斐があって、一応国境は越えたようだけれど」
わずかに動いた彼の表情は、困惑と自嘲が綯い交ぜになったものだった。
「よせやい。別に俺はあいつらのために捕まったわけじゃないぜ」

彼の反論に頷いて見せたものの、今の不二子にとっては、重要なことではない。そのまま話を続けた。
「結社の人間は周辺諸国のどこにでもいるもの。うかつに動くと即捕まることが目に見えているから、今の時点ではさすがの二人も身を潜めているのが精一杯よ。少し怪我もしているそうだし」
「……」
ルパンは無言で狭いベッドの上に、ごろりと横になり、頭の後ろで腕を組んだ。
彼の顔は、不二子の覗く小さな窓からでは、見ることが出来なくなってしまった。
怪我をしたという相棒の身を案じているのか。それとも、彼の脱出計画を根本的に考え直しているのか。
だが不二子は、もう彼の気持ちを推し量ろうとするのを止めた。今は、ただ為すべきことをするだけだ。

「貴方のことだから、もうわかっていると思うけれど、ここから抜け出すのは、容易なことじゃないわ。徹底的に人の出入りをなくすことで、貴方が誰かと接する機会、何かにまぎれて出て行く機会を与えないようにしているし……」
食事も人が運ぶのではなく、部屋の中に備え付けられた、小さな自動昇降棚に乗せられて、定期的に配られるようになっている。当然、昇降棚に身を隠したり、そこから出て行こうとするのは、生まれたての赤ん坊くらいの大きさに戻らぬ限り不可能だ。
「どこもかしこもカメラで監視されているし。当然24時間体制で、ね」
廊下の上部から彼女を睨むカメラを、肩越しに見上げた。

その時、ルパンが跳ねるように、ひょいと身を起こした。
「そういや不二子、お前よくまあ、こんなところまで潜り込めたモンだな?」
意味ありげな視線を投げかけながら、近づいて来る。不二子は、静かに微笑むだけだ。
小さな窓を挟んで、二人はようやく真正面から向き合った。
彼女が、この国の軍服に身を包んでいることに気づいたルパンは、きらりと目を光らせた。
「ふーん、よく似合うぜ、不二子」
「あら、ありがと」
軽く受け流すが、ルパンは真意の分らぬ視線を彼女に注いだままだ。
「この国では結社メンバーが幅を利かせているけども、それをよく思わない勢力があるって話だったモンな。特に、愛国主義者の軍人が中心になっているとか」
「そうかもしれないわね」
今度は不二子が、曖昧な答えをする番だった。
「ここまで厳重な刑務所に、短時間で準備万端整えて潜り込んで来られるのも、軍部の影の協力があればこそ、か」
不二子は、答えようとしない。だが目を逸らすこともしない。
「当然、反対勢力とやらも、例のお宝ちゃんを欲しがってるってわけだ。伝説だの隠された奥義云々なんてコトは別問題に、あの絵は単純に価値のある代物だろうしな」
一人納得して、彼は頷いた。どこか面白がっているようでもある。

「ねえ、ルパン。ここを出る方法が一つだけあるわ」
彼の持ち出した話題には直接触れず、不二子は新たに口を開いた。
「正面から、堂々と出て行く方法が、ね」
「……ああ」
不敵に、あまりに不敵にルパンは笑った。
彼ならば当然、とっくに考え付いていたことなのだろう。
不二子はポケットの中から、そっと小さな瓶を取り出した。そして、彼の前に差し伸べ、云った。
「仮死剤よ」
彼は静かに、またいかにも愉快そうに、その黒い瓶と不二子を見つめている。
「荒っぽいことをせずに、堂々と出るにはそれしかないわ。取り敢えずここを出られさえすれば、あとは、わたしでも何とか手を回すことが出来るわ……」
「それで、次に目を覚ました時は、コワモテの軍人サンたちに囲まれて、絵のありかを吐かせられるってことになるのかねぇ?」
決して責めるような口調ではなかった。むしろ、不思議なほど穏やかな声だった。

「さあ……。でもわたしは、貴方を助けたいと思っているのよ」
率直なようでいて、含みを持たせたその答え方。本心を隠すことが殆ど癖になっているのは、自分自身の方なのだろうと、不二子は遠く思った。
そして、殊更挑戦的に、続ける。
「……賭けてみない、わたしに? それとも、怖い?」
「ああ、怖いねぇ。コワイコワイ」
ルパンはおどけた身振りをしてみせた。
だが言葉とは裏腹に、彼は鉄格子の隙間から手を伸ばして、彼女が差し出す黒い瓶を受け取った。
一瞬だけ触れ合った彼の手は、冷たかった。


腕時計に目を落とすと、もうタイムリミットが迫っていた。
監視カメラに、何事も異変のない偽の画面を映し続ける細工が、そろそろ切れる時間だ。
「それじゃ、また会いましょう、ルパン。塀の外で、ね」
再びベッドに腰を下ろし、ルパンはひらひらと手を振って、彼女を見送った。普段と変わらぬ緊張感のない姿だった。
何かもっと云いたいこと、云うべきことがあったような気がしたが、不二子はそのまま、彼に背を向けて足早に立ち去った。
あとは、ルパン自身が決めることなのだから。


獄中に残されたルパンは、手のひらに乗せた瓶を眺めたまま、じっと物思いにふけっていた。
身動き一つせず、どれだけの時間が経った頃だったか。
やがて、再び彼は、不敵な笑みを唇の端に浮かべたのだった。

登場させる人物を、ルパンとゲスト、ルパンと銭形、次元と五右エ門(ルパン抜きでルパンを語る話)など、いろいろ迷った結果、ルパンと不二子に。
せっかく本心の分らない者同士を起用したので(笑)、「リドルストーリー」的な雰囲気を目指してみました。
肝心なところの言葉数を、(私にしては)少なくするように、心がけてみたりして。わかりにくいかもしれないのですが、狙いといえば狙いかも。
不二子の真意はどこにあり、どうするつもりなのか、また結局ルパンはあの薬を飲んだのかどうか等、想像していただければ幸いです。
そんでもって、私の趣味により錬金術だの結社だのと、その辺のキーワードはよく出てきますが、これからも多分使ってしまうかと思われます(笑)
もちろん、すべて架空のものですが。マンネリでごめんなさい。

(2005.2.28完成)

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