04:変装

「おいルパン」
次元は、いつものようにノックもせず、無造作に相棒の部屋のドアを開けた。
視覚で捉える前に、まず嗅覚が違和感を察知した。
鼻先に、ふっと甘い女の香りがかすめたのだった。
部屋の中にルパンの姿はなかった。

薄暗い部屋にいたのは、ぬけるように白く滑らかな背中を惜しげもなくさらし、深紅の大胆なドレスに身を包んだ妖艶な女の姿――不二子であった。
彼女は机の周囲で何かやっていたようだったが、ドアが開かれると弾かれたように振り返った。
「あら、次元。帰ってきたの」
だが不二子は特に動じた様子もなく、うっすらと微笑みを投げかけてくる。
どう答えたものかと、次元は相手に気づかれぬくらいのごくわずかな時間考えていたが、結局ひょいと軽く帽子を持ち上げ、皮肉な笑みを返した。
「帰ってきちゃ、まずかったかい」
「そんなことないわよ。……それより、ルパンはまだなの? 待ちくたびれちゃったわ」
気だるげなため息を漏らす、濡れた唇。拗ねたような光をたたえた大きな瞳。髪をかき上げる優美な指先。
次元は質問に答えようともせず、女のそうした動きに、不躾な視線を向けていた。
「ちょっと次元、聞いてるの?!」
無視されることになど慣れていないのだろう、かすかな苛立ちを含んだ声が飛んできた。
「あ? いや、知らねぇな。俺だって今戻ってきたばかりなんだ」

そう答えると、彼は女から顔を逸らしリビングの方へ足を向けた。相棒のいない部屋に突っ立っていても仕方ない。
不二子も次元に続いて、リビングへとやって来る。
それに気づいているくせに、次元は自分の分だけのグラスを用意すると、ソファにどっかと腰を下ろし、ひとり勝手に酒を飲み始めた。彼女に何か飲み物を勧める素振りはまるでない。
不二子は、あきれて小さく呟いた。
「だからもてないのよ」
「ナンか云ったか」
「べ・つ・に」
彼女はつんと澄ましながら、次元の真正面に座を占めた。ほっそりしながらも見事な曲線美を描くその足を、いくぶん挑発的に高々と組み上げた。次元はなぜか薄ら笑いを浮かべて彼女を眺めた。
そんな視線には慣れっこだと云わんばかりにあっさりと受け流し、不二子は話しかける。

「ねぇ、今度の仕事にルパンは気乗りしてないみたいなのよ」
その仕事とは、先日不二子自身が持ってきたものであった。某美術館にある有名絵画を戴く計画のようだ。彼女が半ば強引にルパンを口説き落とした、という経緯は次元も知っていた。
「へえ、そうかい。ま、上手くアイツを乗せてやるんだな」
まるっきり我関せずといった調子である。今回の仕事自体に、彼は最初から傍観を決め込んでいたのだ。
美味そうにグラスを干すと、再び琥珀色の液体でそれを満たす。
それほど読む気もなさそうに新聞を開き、また酒を飲み――次元はそこに不二子など居ないかのように、マイペースに振舞う。いくぶんわざとらしいくらい彼女を無視していた。

そんな次元の態度をどう受け止めたものか。不意に席を立つと、不二子は猫のようにしなやかに、次元の隣に移動した。
広げていた新聞をさっと取り上げ、彼の顔を下からじっと覗き込む。
次元は、微妙に苦々しく、また見ようによっては笑いかくしゃみでもをこらえているかのような、おかしな表情を浮かべた。
だが、お構いなしに不二子は優しく囁いた。
「次元、今回の仕事、わたしと組まない? ルパンにはナイショで。ね? 絶対に悪いようにはしないわ」
自信に満ちた妖しく美しい微笑みが次元のすぐ間近にあった。大きく潤んだ瞳で意味ありげに見上げられ、彼女にひどく似つかわしい「女」そのもののような香りが鼻腔をくすぐり続ける。

「なるほど」
次元はついにプッと吹き出した。そして、一気にはじけたように大笑した。
一瞬女のほうが怯んで、彼からわずかに身を離した。
「き、気味悪ぃからもっと離れろ」
大笑いしつつ不二子に毒づく。「失礼ね」と反論したものの、彼女にいつもの勢いはなくなっていた。
しばし続いた哄笑をどうにか引っ込めはしたものの、いまだおかしくってたまらぬように次元は笑み崩れている。
懐から少しつぶれ気味の煙草を取り出し、火をつけてからゆっくりと問いかけた。
「おいおい、俺にどんな答えを期待してるんだ? 『俺がルパンを裏切ると思ってるのか』なんて相棒の鑑のような言葉か? それとも……」
紫煙を吐いて、続ける。
「ここで甘言に乗った方が、お前さんの企みには都合が良かったのかい、え、ルパン?」


「なぁんだ、やっぱりバレてた」
どこから見ても不二子本人の姿のままであった。が、それまでの女の甘く柔らかい声ではなく、いつもの軽妙なルパンの声が漏れてきた。
外見上どこも変わってはいない筈なのに、不思議と表情からも立ち振る舞いからも艶っぽい色気は消えている。
「相変わらず見事な化けっぷりだけどよ。俺を騙すたぁ、趣味が悪いんじゃねぇのか」
そう云ってはいるが気を悪くした風もなく、次元は改めて不二子に扮したルパンを眺める。長年の付き合いで、「彼女」がルパンであることは見抜けたものの、それでも時折自分の方が間違っているのではないかと疑いそうになるほどに、その変装は完璧であった。
「いやぁ、次元ちゃんを引っ掛けるつもりはなかったのヨ。だけっども、変装して出かけようとした時に、ちょうどお前が帰ってきたもんだからさぁ。ちょっと遊んじゃって」
「ヘッ、帰ってきたのが俺の方で良かったな。五右エ門でそんなことして遊ぼうモンなら……斬りかかられるぞ、オヌシ」
「違いねぇ」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
大股開いて高らかにバカ笑いしている「不二子」というのは、非常に違和感があったが、それはそれで見物ではあった。
先ほどまでの優美で女らしい不二子とこの姿を比べずにはいられない。変装のテクニックもさることながら、ルパンの演技力には、何度身近で見てもやはり唸らされる。

「ところでお前、どこへ行くつもりだったんだ?」
気を取り直して次元は尋ねた。ルパンはひょいと肩をすくめる。
「例の美術館館長サンのお宅に、ちょいとね」
さっきも話題に出た、不二子が持ちかけてきた仕事の件らしい。
「どうもあの子猫チャン、またいろいろと企んでるらしいからサ、ちょっと探り入れてくらぁ」
ルパンはそう云うと、次元のグラスを奪い、残っていた酒を一気に喉に流し込んだ。
「ご苦労なこったな。あんな女と最初から関わらなきゃいいものをよ」
だがルパンはそんな言葉を真面目に聞く様子もなく、「不二子」のウィンクを相棒に向けて悪戯っぽく投げかけた。
「そんなトコも含めて不二子ちゃんは可愛いンだもんよ」

云い終わると同時に、ルパンは表情をがらりと入れ替えた。男であれば誰しも蕩けるであろう、極上の女の微笑を浮かべてみせる。
そこにはもう、今までのルパンはいなかった。
「では、次元さん、ごきげんよう」
不二子そのものの声で優雅に挨拶すると、自然な淑やかさで立ち上がる。
そして、軽くお尻を揺らしながら、アジトを出て行った。
「あればっかりは、ホントに見事だというしかねぇな」
ポツリともらした次元の本音の呟きを聞いているものは、もうそこに居なかった。



ルパンが出かけて行ってまもなくのこと、暇を暇だとも思わずに、次元が悠然と一人の時間を楽しんでいる時であった。
突然リビングのドアが開かれた。先ほど次元の鼻先をかすめていた、女の香りが再び漂ってくる。不二子であった。
(今度のはどうやら本物らしいな)
彼女に気づかれないようにそう見定めると、次元は視線を新聞に戻し、無愛想に云った。
「ルパンなら出かけてるぜ」
「あら、そうなの」
彼が留守だと知れば、すぐに帰るだろうとの予想は外れた。
不二子は次元のそばに腰を下ろすと、こっそりと打ち明け話をするようなトーンで語りかけてきた。
「ねえ、次元。ルパンったら、次の仕事の打ち合わせを『するする』って云うだけで、なかなかつかまらないのよ。やる気あるのかしらね?」
「さあな」
彼のそっけない相槌を気に止めもせず、不二子は少し間をおいてから、声の調子を改めて、話し続けた。
「いい話があるのよ。ね、ちゃんと聞いて頂戴」
新聞を強引に奪い取ると、不二子は次元を意味ありげな瞳で覗き込んでくる。男だったら誰しもふるいつきたくなるほど悩ましく、誘いかけるような女の表情だった。
「今回の仕事、わたしと組んでみない? ルパンには秘密で……」

その途端、次元は派手にプーッと吹き出した。腹の底から笑いに笑った。
おかしなことを云ったつもりもないのに、突然こんな風に爆笑された不二子からしてみれば、発狂でもしたのかと思うほどに、彼は大いに笑い続けた。
(ルパンのヤツ、予行練習しておいてくれたってワケか?)
彼はどこまで予測していたのだろうか。次元はおかしくってならなかった。
一体何なのよ!と、本気で怒っている不二子に対して、次元はまだとても真顔に戻れそうもない。
不謹慎なほどにニヤニヤと笑いながら、さて彼女に何と答えたものかと、頭をめぐらせるのだった。

最初の予定では、当サイトにUPしてある「フェイク」がお題の04に収まる予定でした。
が、向こうは思いのほか長くなったので、改めて変装ネタでひとつ書いてみました。
ルパンの悪戯をお見通しな次元って、好きなんです(^^)。またさらにその上をお見通しなルパンも。
女に化けるルパンにも、何だか惹かれるものがあります(変装うまいなぁという意味で、ね^^)。
それと、個人的に次元は決して不二子の色香になびかない男だと思っているので(次元はそこがカッコイイのだ!)、この話はこういうムードになったようです。

(2004.4.24完成)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送