07:祖父の残したもの

夕暮れ時の寂れた港には不似合いな、派手なオープンカーが現れた。
見せつけるかのように大きなスピンを描き、一人の若い男の前で鮮やかに急停止する。
ハンドルを握っているルパンの姿に気づいた瞬間、若者は恐ろしいほどの緊張感を覚えた。戦慄にも似た感覚が全身を貫く。
が、それを認めることを、己に許そうとはしなかった。
穏やかに凪いでいる海を背に、出来る限りの余裕を持ってルパンを迎えた。決して、なめられるわけにはいかないのだ。

軽やかな身のこなしで車から降りると、ルパンはいとも呑気な調子で話しかけてきた。
「俺を呼び出したのはアンタかい?」
「ああ。僕はニック。お見知りおきを、ルパンさん」
負けじと、何気ない口調で答える。
ニックと名乗った若者は、柔和な微笑みを浮かべて、軽く会釈してみせた。
まだ少年のあどけなさを残し、どこかとっぽい印象を与える、憎めない顔つきの男である。だが、そこには強烈な自負心が透けて見え隠れし、彼が見た目ほど油断のならない人間だということを示していた。
ルパンはわざと、値踏みするような視線を向けた。

「で、ナンの用なんだい、坊や」
「わかっていると思いますけどね、ルパンさん。写真は届いたんでしょう? だから、ここまで来てくれたんですよね」
名乗ったというのに「坊や」呼ばわりされ、ニックは内心穏やかではなかった。だが、ここでくだらぬ感情を面に出すほど愚かではない。静かに問い返す。
相変わらず、ルパンの視線が注がれている。気を緩めることは出来ない。
「コレか」
懐から、ルパンは封書を取り出した。先日ニックが送ったものである。
「そうです。そこに写っているのが『本物だ』と思ったからこそ、わざわざ呼び出しに応じた。……違うんですか」
ルパンは軽く鼻で笑った。
「お前こそ、用事があるから俺を呼び出したんだろ? まずは聞いてやろうってんだ。ハッキリ云ってみな?」
大して興味がないような、力の抜けた声だった。だが、わけのわからぬ威圧感を覚え、ニックは思わずつばを飲み込んだ。さらには唇を湿らせてから、改めて、口を開く。

「あなたなら、買い取ってくれるんじゃないか、と思ってるんだ。その……『盗術』をね」

声は、確かにルパンの元に届いているはずだった。が、彼はすぐに答えようとはしなかった。
おもむろに封筒から数十枚のポラロイド写真を抜き、カードのように扇形に開いてみせた。それらには、一冊の書物――「盗術」の表紙や中身がくっきりと写されている。
何をする気かとニックが注目すると、突然、ルパンの手の中にあった写真に小さな炎が上がる。あっという間にメラメラと写真は焼き尽くされ、海風に散っていく。魔術師のようになめらかな手つきであった。
「坊や、俺が誰だかわかってる?」
ニックはやや気を呑まれ、ルパンの問いかけに馬鹿正直に答えた。
「わ、わかっているさ。ルパン三世」
「そ〜う、大正解〜」
馬鹿にしてるのか、大袈裟なフシをつけて云う。ニックはつい、不快そうに目を細めてしまった。だがルパンは気に留めたそぶりもなく、相変わらず冗談めかした口調で続ける。
「だったら俺が、欲しいモノはこの手で奪う大泥棒、だってこともわかってるよなぁ?」

「わかってるつもりですよ。でも……こっちだってそう云われることは、あらかじめ予想済みなんだ」
薄くそばかすの散る若々しいその面に、かすかに赤みが刺す。ルパンとの交渉が、そう容易くいかないことくらい、承知していた。
そんなニックの反応に、興味を引かれたようだ。ルパンの目が先ほどまでよりずっと生き生きしてきた。
「へーえ、大したモンだ。だがな、坊や、あまりヤンチャな真似はしない方がいいぜ。俺の相棒は案外気が短いからな。イライラさせると……」
そう云って、ルパンは何気なく海の方へ視線を向ける。ニックはルパンの動きにも注意を払いながら、慎重に背後を振り返った。
波間に、一隻の小さな貨物船が浮かんでいるのが見える。

「あの船から、次元さんが僕を狙っている、とでも云う気ですか」
ルパンは答えず、いかにも人が悪そうにニヤニヤしているばかりだ。
だがニックはひるまなかった。大きく息を吸い込んで、話し出す。
「ルパンさん、僕だって用心するってことくらい知ってるよ。さすがにまだ死にたくはないですからね。だから、こうしてあなたに会う前に、さんざん下調べしてきたんだ」
「…ほう?」
「そう、たとえば次元さんも五右エ門さんも、今は別の国へ行ってしまって留守だってこと。あ、不二子さんも同様らしいですね。だから、あの船から僕を狙っているあなたの相棒なんか、いないんだ。いるならすぐ撃ってみるといい」
云い切ったニックの額に、一粒の汗が浮かんだ。
途端に、ルパンの笑い声が響いた。いかにも愉快そうに拍手さえしている。
「よく出来ましたぁ。なかなかやるじゃないのよ。慎重な準備と大胆なハッタリは、『盗術』の、いわば真髄だからな」
自分の調査に確信を持っていたとはいえ、何をしでかすか予想のつかないルパンが相手だ。「撃ってみろ」と云うには勇気が要った。とりあえず、この賭けには勝ったようだ。
だがこれで、ニックは早くも持ち札を一枚、切ってしまったことになる。
彼を褒めるルパンの余裕が、ひどく気になりつつも、冷静さを装いわざとらしく頭を下げる。
「嬉しいな、ルパンさんに褒めてもらえるなんて。これで、僕もだてに『盗術』を読んじゃいないんだってことが、わかってもらえたかな」
不敵な様子で腕組みをしながら、ルパンはひとつ頷いた。

「だったら……今僕が持っている『盗術』が本物だということも信じてくれただろうし。交渉に入りたいんだけど」
「おーや。度胸のある坊やだこと。まだ俺様に『盗術』を買い戻せって云うつもりかい?」
「欲しいはずだよ、ルパンさん。あれはアルセーヌ・ルパンがあなたに残した唯一の遺産だって話じゃないか」
話の先を促しているのか、それともニックの言葉を肯定するのが嫌なのか、ルパンは無言のままであった。


アルセーヌ・ルパンの著作「盗術」――すぐれた人間考察の賜物である心理トリックと、大胆で独創的な物理トリックから成る盗術の極意を記したその書物こそが、ルパン三世を世紀の大怪盗として育て上げたと云う。
一般に、その存在を知る者は決して多くはなかったが、ごく一部では有名な話でもあり、「盗術」を欲する者は今も後を絶たない。
というのも、「盗術」が後継者ルパン三世の元から失われて久しく、今も時折持ち主を変えながら暗黒街のどこかに伝わっていると噂されるからである。実際、そうであったことは、現在「盗術」の所有者であるニック自身が良く知っている。


「ひょんなことから僕の手元に、あの『盗術』がやって来たんだけど……これはやはりあなたに返すべきだろうって思ってね。こうしてわざわざお知らせしたんですよ? 少しは誠意を感じて欲しいなぁ」
「誠意と来たか」
思わずルパンは苦笑いする。が、ニックはいたって大真面目であった。
「だってそうでしょ。あの本を欲しがってる悪党やその卵は、ゴロゴロいますよ。そいつらの誰かに買い取らせたっていいんだ。どんなヤツだって、あなたよりはずっと扱いやすいだろうしね」
「フーン、野心家なんだな。ま、結構でしょ」
ルパンが指摘した通り、「あのルパン三世相手に」何かを巻き上げたとなれば、ニックの名前は大々的に売れる。箔がつく。
だからこそ、大きな危険を冒してもルパン本人と渡り合う決意をしたのである。

ルパンは懐に手を伸ばし、煙草を取り出した。ゆったりとした何気ない動きに過ぎなかった。
しかしその動作に、一瞬激しく身をすくませてしまった。辛うじて、ばたばたと自分の銃を取り出すような無様な真似はしなくて済んだが、この怯えは伝わってしまっただろうか。
一服しながらルパンは問う。
「で、お前の条件は?」
ようやく、ここまでこぎつけた。聞きたかった台詞を、ついにルパンの口から云わせる事に成功したのだ。
ニックは、思わず会心の笑みを浮かべた。
「エメラルドのついた宝剣。この間、T国から盗み出したばかりでしょう? あれが欲しいな」
「よっく知ってんなぁ」
「云ったでしょ、あなたのことは十分調べたって。何もルパン家の全財宝をくれなんて云ってるわけじゃない。どうです、安い買い物だと思うけど」
くわえ煙草のままルパンはしばし考えている。
ニックはさらに畳み掛けた。どうしてもイエスと云わせたかったのだ。
「僕は、今まであなたと敵対した人間のように馬鹿じゃないよ。欲をかき過ぎれば身を滅ぼすことも知っている。だから、これ以上のものは望みもしないし、騙しもしない」
熱心に説くニックを、ルパンは黙ったまま見つめている。夕暮れの中に、若者の意志の強そうな瞳だけが妙に輝く。
「たかだか宝剣ひとつだけで『盗術』が戻ってくるんだ。条件を飲んだ方が、得なんじゃないですか」

短くなった煙草を捨て、ゆっくりと足で踏み消す。
再び顔をあげた時、ルパンの面は今までになく冷たく、ゾッとするほど非情な翳りを帯びてニックを見据えていた。背筋がこわばるような視線であった。
「ひとつ聞くぜ。俺があんたを力ずくで連れ去って、拷問にかけてでも『盗術』のありかを吐かせるんじゃないかって可能性は考えなかったのか」
ルパンは底知れぬ低い声で、囁きかけてくる。
もはや冷静さを取り繕うことは不可能になっていた。それほど、今のルパンは恐ろしかった。
静かだが、それだけにひどく凄みのある冷徹な表情。暗黒街でルパンが恐ろしがられている理由が、いまようやくわかった。
それでもニックは、何とか体勢を整え、ルパンの上手に出ようと懸命に頭を働かせた。そうしなければ、本当に命を失ってしまうだろうという気がした。
「も、もちろんそれは考えたよ。でも、ぼ、僕のような若造相手に、天下のルパン三世ともあろう者が、そんなみっともないことするはず……」
「いいか、坊や。最後に教えておいてやろう」
ルパンは有無を云わさずニックの言葉を断ち切った。
「第一に、俺は野郎と取引するのがキライだ。第二に、俺は人の目なんか気にしない。やりたいようにやる。どれほど、みっともなかろうがな」
「ま、待って!」
必死になって声を振り絞った。ルパンの「最後に」という言葉が、ふるえるほどリアルに響いていた。
「僕を殺したら、『盗術』は永遠に手に入らない! それでもいいんですか」
「……」
「こ、今夜中に僕が戻らなければ、僕の相棒が『盗術』を焼き捨てることになっているんだ。僕にだって相棒くらいいる。だ、だから……」

「これまた結構」
そう云うと同時に、ルパンの手にはワルサーP38が握られていた。あまりの早業に、ニックはわずかばかりも反応することが出来なかった。己とのあまりの力量の差に愕然とする。
銃口は、小揺るぎもせずニックの心臓を狙っている。
射るようなルパンの視線は、冴え冴えと冷たい。

「そしてもう一つ教えてやるよ。俺が『盗術』を取り返したいと思っていると、勝手に信じてたようだが、それは大きな間違いだ」
「え……?」
「世のゴロツキどもの手に渡って広まっちまうくらいなら、さっさと処分しちまいてぇと思っているとは……まるで考えなかったみたいだな」
うすく、微笑む。ニックは魅入られたように、ただふるえているしかなかった。
「俺にはもうあの本は必要ねぇ。内容すべて、俺の血肉になってっからな。いわば、俺が生きた『盗術』ってワケよ」
少し気取って、ルパンは云う。
銃を握る手に、次第に力が加わっていった。
ルパンは本気だ。本当に撃たれる、とニックの心臓は凍りついた。
「ち、ちょっと待っ……」
「命乞いはきかねぇよ。お前を殺せばこの世から『盗術』は消えるんだろ」
「う、う、嘘なんです! 僕に相棒がいるっていうのも、僕が帰らなければ『盗術』が燃やされるっていうのも」
「それこそ見え透いた嘘だ」
冷ややかに云い切るルパンには、まるで取りつくしまがなかった。引き金が絞られる。

ついにニックは降参した。
「ここにあります! 『盗術』は、こ、ここにッ!」
悲鳴のようにそう云って、ジャケットの背中から一冊の本を取り出したのであった。

その瞬間、引き金が引かれた。


パーンという破裂音が響く。目の前が真っ白になった。撃たれた、と思った。
思わず身を竦めたはずみで、ただでさえ恐怖でふるえおぼつかなくなっていた足元は、一気に崩れた。
ふらふらと数歩下がると、堪え切れず海へと倒れこんでいく。
「おっと」
その隙に手元から、大事に抱えていた『盗術』が抜き取られるのを感じた。

暗い水の中でわずかの間もがいていると、どこにも怪我をしていない自分にようやく気づいた。
激しく水をかき、何とか顔を出す。
黄昏の中に、紙ふぶきやテープの飛び出したおもちゃのワルサーと、それを握ったまま楽しそうに笑ってニックを見下ろしている、ルパン三世の姿が見えた。
先ほどまでの小昏く酷薄そうな様子はみじんもない。あれは己の恐怖心が見せた幻だったのではないかと思うほどに、いま目の前にいるルパンは、陽気で他愛なく、悪戯っ子のような表情を浮かべている。
彼は明るく云った。
「自分から出してくれて、助かったぜぇ。俺ぁ、野郎をひんむく趣味はねぇからよ、どうやってそこから出させようか、迷っちまったヨ」
いくつもの工夫と試行錯誤を重ね、背中に本が隠してあるとは決して見えないようにしてきたつもりだったのだが、ルパンには最初からお見通しだったようだ。ニックはひどく脱力した。

「これは戴いていくぜ、ニック坊や」
「ル、ルパンさん」
「なんたって、俺の爺様の形見だかンな。……じゃ、風邪ひくなよ」
左手で軽く『盗術』を掲げ、別れの合図とする。ニックが水面から陸へ上がろうともがいている間に、エンジン音が響き――ルパンが去っていくのがわかった。

残されたのは、おもちゃのワルサーただ一丁。
ルパンが立ち去った後に、ぽつりと捨てられている。それだけが、今の出来事が現実であったことを物語る。
ずぶ濡れになったニックは、それを取り上げ、しばし途方にくれていた。海風がひどく身にこたえた。
しかし、ようやく気を取り直すと、苦笑いしながら呟いた。
「ま、あのルパンから『ワルサー』を手に入れたんだ。最初の獲物としては上出来だよな」

爺様が何を残したことにしようかなぁと、あれこれ考えたのですが、ピンとくるものが思い浮かばず、だったらいっそ原作最重要アイテムの「盗術」でいこうと決めたら、ササッと書けました。
原作で、なぜか「盗術」が他人の手に渡ったままの状態が続いてるので(『怪人格』で結局戻ってきたのかな?)その設定を使わせてもらいました。
ハッタリ合戦という雰囲気にしたかったのですが、どんなものでしょう。若造くん相手じゃルパンには物足りなかったかも?
「盗術」は読んだからって誰しもルパンになれるわけではなく云々ってことも言いたかった…。それを盛り込むとルパンの台詞が妙に長く、説明調でしかも説教臭くなったのでヤメましたが。無念。

(2004.6.2完成)

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