08:追いかけっこ

衝撃の余韻は、まだルパンの身体のあちこちに残っていた。
わずかの間ではあったが、気を失っていたようだ。意識が白く飛んだところまでは、はっきりと記憶している。
身体が自分のものでないような、違和感が襲う。だが、ゆっくりと手足を動かしてみると、そうした奇妙な感覚も、しだいに消えていった。
軽く頭を振ってみる。痛みはない。
特に大きな怪我はないようだった。
上手く不時着できたのだと、ほんの少し、皮肉っぽい満足感を覚える。
多少開けにくくなったドアをこじ開け、ルパンは操縦席から滑り降りた。

薄闇の中に、白い砂浜が見える。
その向こうには、暗い海が夜空と溶け合って茫漠と広がっていた。よせてはかえす波の音が、不思議と心地よい。
振り返れば、葉の大きいいかにも南国風の木々が、鬱蒼と茂っている。闇の中でもうっすらと認められるほどに鮮やかな花が、爛熟した香りをふりまきつつ咲き誇っている。
静かに見えてもその実、闇の底に生気が満ちている。耳を澄ませば、時折鳥の声や、得体の知れぬ獣のなき交わす声が聞こえる。
南海に浮かぶ島のひとつに、ルパンは不時着したようだった。


「仕事」を終えて帰る途中、ルパンが操縦するセスナが、突如操縦不能に陥った。はっきりとした原因は不明である。
たぶん、何者かによってセスナに細工をされていたのだろう。
その時ルパンは、国際的コンツェルンの本社から、巨額の現金を盗み出してきたばかりだった上、日頃から彼を付けねらう輩は後を絶たず――いわば、恨みを買ったり、狙われたりする心当たりがイヤというほどありすぎて、誰がやったのかは見当がつかない。
「ま、誰がやったにしても、迷惑なことにゃ変わらないからねぇ」
物思いを振り払うように、わざとルパンは独り言を云った。

「お前がやってることも、世間からすりゃ迷惑なんだぜ」
その声のために、ルパンの呟きは「独り言」ではなくなった。まさか応えがあろうとは思ってもいなかったルパンは、ギョッと目を剥いて振り返った。
「と、と、とっつあん! いつの間に乗ってたの」
「ルパン、御用だ!」
墜落したセスナの後部座席から、銭形が姿を現すところが、ルパンの目に飛び込んできた。迂闊にも気づかなかったが、どうやら荷物の中にでも紛れ込んで、こっそり乗り込んでいたらしい。
ルパンは、反射的に背を向けて逃げ出そうとする。
すかさず、銭形は投げ手錠を取り出すが、それは投げられる前に手から零れ落ちた。
いつもの猛烈な勢いが感じられず、足元がふらついていた。

異変に気づき、逃げ出しかけていたルパンは、恐る恐る足を止め、振り返る。
「どったの、とっつあん?」
「う、うるせぇ。大きなお世話だ」
額に脂汗を浮かべ、銭形は腕を押さえてうずくまった。痛みに、顔が歪んでいる。
肩をすくめ、ルパンはそっと銭形の方を覗き込む。
「おかしな姿勢で荷物なんかに入ってるから。不時着した時、どっか痛くしたんじゃないの? まったく無茶するんだからなぁ」
「黙れ!」
銭形は吼えた。同時に、痛むはずの手を振り上げ、いつの間にか取り出していたもう一つの手錠をかざす。
それは、あっけなくルパンの右腕を捕らえた。手錠の反対側は、当然自分の左手首にしっかりと掛ける。
「ハッハッハー。とうとう捕まえたぞ、ルパン!」
ルパン逮捕の歓喜のあまり、一瞬痛みも忘れ去ったように、銭形は高らかにそう宣言した。が、捕まえられた当のルパンに、悔しがる素振りも、逃げ出す様子もないことに、拍子抜けする。
「何だルパン、その態度は」
「あれ、俺が素直に捕まっちゃ、マズイことでもある?」
「そうは云わねえが……気味悪りぃじゃねえかよ」
ルパンは困惑したような、曖昧な微笑を浮かべた。
「だって、逃げるところがないンだもんよ。ジタバタしたってはじまらねぇや」
「何ぃ?」

言葉の真意を探ろうとルパンを睨みつけるが、銭形の気力にも限界があったようだ。
足元の砂浜に、崩れ落ちるように座り込んだ。
引きずられて、ルパンも隣に腰を下ろした。
「ちょっと見せてみなよ、とっつあん。下手したら、骨折してんじゃねぇの?」
「……いいから放っとけ。それより、逃げる所がねえって、どういうことだ」
頑固そうにそっぽを向いたままの銭形にあきれ、ルパンは小さくため息をつくが、それ以上彼の怪我については何も口出ししようとしなかった。その代わり、珍しく素直に質問に応えた。
「ここはたぶん、無人島だ。セスナの調子がおかしくなった時の場所や、その後不時着するまでの飛行距離を考えて、間違いねぇと思う」
「……そうか」

逃げ場のない場所でむやみに逃げても仕方ない。
逃げ続けていても、また追い続けていても、まさに不毛である。
この島から出られなければ、逃げ切ったとしても、捕まえたとしても、共にまったく意味を成さないのだから。
(それに――逃げる気なくさせるよなぁ)
ルパンは気づかれないように、隣に座り込んだ銭形の、痛みをこらえる表情を窺った。
どの程度の怪我なのか、はっきり見て取ることは出来ないが、これほど弱った男相手に追いかけっこしたところで、後味が悪いだけである。

波の音だけが、二人の間にあった。
波音に、原初的ともいえる懐かしさを覚える。星空の下には、穏やかな静けさが漂う。
月が出てきて、周囲を蒼白く照らした。
こんな事態だというのに、眠気すら起こってくるような、平穏な時。
ルパンは、大きく伸びをしかかったが、宿敵と手錠でつながれていることを思い出し、諦めた。
代わりに懐から煙草を取り出し、咥え、ふと何の気なしに、銭形へも煙草を勧めた。
しかし、厳つい顔をした堅物は、きっぱりとはねつけた。
「泥棒の情けは受けん」
「おーお、お堅いことで」
「お前の煙草には、何が仕込んであるかわからんからな」
銭形は、ふと、声の調子を緩めた。薄く笑っているようだった。冗談のつもりなのかもしれない。

ライターを取り出し、ルパンが煙草に火をつける。
すると、耳をつんざくような破裂音が響き、周囲を七色の光が駆け巡った。
「熱っ、あちちちち!」
「貴様、やっぱり図りおったか!」
「違うってぇ! おー、熱っちぃなコレ」
ルパンは慌てて煙草を放り出し、砂を蹴って火を消した。
どうやら、「仕掛け煙草」の方に火をつけてしまったらしい。
本気で驚いているようで「うわぁ、ヤだ。暗くて間違えちまった」などと呟いている。
「云わんこっちゃない。油断ならんヤツめ」
怪我が痛むためか、いつもほど食って掛かってこない銭形に、わずかばかり心配そうな視線を投げかける。
だが、言葉を掛けることはなく、ルパンは今度こそ本物の煙草に着火し、しみじみと味わった。

こんな風に、追いも追われもせず、銭形と隣り合わせで座っていることなど、めったにないことである。
調子が狂うのはお互い様らしく、二人は同時に落ち着かなげに身じろぎした。
「おいルパン、どうするつもりだ」
「どうって?」
「決まってるだろう、ここからの脱出だよ、脱出!」
苛々と怒鳴りつけたが、再び傷が疼いたと見え、銭形は低く呻いて胸の辺りを押さえた。
「とっつあん、無理すんなって。いきりたっても仕方ねぇよ。脱出方法なんか、ねえんだから」
銭形は、荒々しく睨みつける。
「ないってこたぁねえだろう。どうせ次元か五右エ門あたりが助けに来るんだろうが」
「通信機器も壊れちまったみたいだしなぁ。……仮に連絡とれたところで、ヤツらが来るかどうか」
語尾が頼りなげに消えた。ルパンは眉を下げて、どこかぼんやりと考え込んでいる風情である。そんな様子を脇から銭形が覗きこんだ。
「仲間割れか。だからお前、今回の盗みはひとりでやっとったのか」
急に唇を尖らせ、ルパンは知らん顔を決め込み、やたらと煙草を吹かし始めた。図星だったようだ。
からかうように、銭形がさらに続ける。
「バカめ。また不二子の肩でも持ったか」
「うっるせえなぁ、こんなところでさっそく尋問か? そんなことより、あんたの方はどうなんだヨ。警察が助けに来てくれる方が、可能性高いンじゃないの」
銭形は真顔になって、ため息をついた。
「正直、わからん。貴様を追って潜入したところまでは報告しているが、その後はな……」
「公務員のくせに、無鉄砲すぎるぜ。じゃ、助けが来る可能性ってほとんどナイわけ? うわぁ、とっつあんとサバイバル生活なんか送りたくねぇなあ。果物だけは豊富そうだから、すぐ餓え死にはしねぇだろうけど」
そう云いながらも、ルパンの様子には真剣味が薄く、あまりに緊迫感が感じられなかった。そんな態度が銭形を苛立たせる。
「バカヤロウ、全部貴様のせいだろうがッ」

またしても怪我を忘れて声を張り上げたせいで、銭形は痛みをこらえるはめになった。ルパンは困ったように頭をかきながら云った。
「だから無理するなって云ってんのに……」
「やかましい。こんなもん、一晩寝りゃ治る」
「じゃあ、寝てろよ。どうせ起きてたってすることないんだしさ」
あくまで意固地な態度を取り続ける銭形を、ルパンは面白がりながらも、若干もてあまし気味でもあった。怪我している時くらい、大人しく弱ってりゃいいのに、と苦笑いせずにはいられない。
だが銭形は首をもたげると、きっとルパンを睨み据える。
「寝られるか! 寝ている間に、お前が何を企むかわからんからな」
「あっそ。じゃあ、俺が寝ようっと。オヤスミ」
付き合っていられないとばかりに、ルパンはさっさと身を横たえた。自由な左手だけを頭の後ろに回し、目を閉じる。
だが銭形は、座ったままの姿勢を崩そうとはしなかった。黙ってルパンを横目で見、そしてゆっくりと、暗く果てしない海へと視線を送る。
南国の夜風は、不思議なほど肌に馴染んだ。

包み込まれるような静寂だった。
もちろん、波音は絶え間なく続いている。時には夜鳥の声も届く。完全なる無音の空間ではない。
だが、そうしたものを含め、静かだと感じられる。今彼らが居るこの島だけが世界のすべてになってしまったかのような安定感と、とろりと溶けてしまいそうなやわらかな静謐さが、そこにはあった。
すべてを忘れ去り、この「世界」とひとつになっていきそうな――危ういほどの心地良さ。

ふいに、眠ったと見えていたルパンが、沈黙を破った。
「こンだけ静かだと、かえって落ち着かねぇや」
あまりにも静かすぎて、穏やかすぎて、眠れなくなったのか。銭形は海に目を向けたまま、軽く頷いた。
「ああ……こんなにゆっくりすることなんか、滅多にねぇからな」
「なのに、律儀に仕事しちゃってる物好きもいる」
ルパンは繋がれた手錠を軽く持ち上げ、クスクス笑った。頑固そうに眉をしかめ、銭形は断固たる調子で云い切る。
「当たり前だ。貴様を逮捕できる機会があれば、何があっても逃すか」
「やだねぇ。クソ真面目な昭和一桁は」
そう云って、ルパンはいとも楽しそうな笑い声をたてた。

己自身は傷つき、またこの島から脱出できる確証もないというのに、この男にはまるで迷いがないと見える。
今この時、世界が滅び、残っているのはこの島だけになったとしても、銭形は手錠を外そうとはしないのではないか。
もしもルパンが背を向けて滅びた世界へ飛び出していったとしても、向かう先のことなどお構いなしに、ひたすら追ってくるのではないか。
ふとそんな夢想をし、ルパンはうんざりすると同時に、やけにおかしくてならなず、ひとり笑い続けた。

「何がおかしい。ふざけるのも程ほどに……」
憮然とした銭形の前に、そっと煙草が差し出され、言葉をさえぎった。ルパンが笑って見上げていた。
大きく息を吐き出したり、意味もなくきょろきょろと周囲を見回したり、わずかの間だがさんざん迷ったような様子を見せた後、銭形は荒っぽく煙草を受け取った。
ついでにルパンが取り出しかけたライターも奪い取り、素早く自分で火をつけた。
ライターを叩き返し、銭形は美味そうに一服する。紫煙は夜の潮風にたなびき、瞬く間に掻き消えていった。
「たまには素直になるもんだぜ、とっつあん」
静かな、沁みるように深い、ルパンの声がした。
銭形は口を開いて反論しかかった。自分では、云い返したつもりであったが、結局それは声にならずに終わった。
あっという間に意識が、闇の中に消えていく。彼を眠りに誘い込んだ「煙草」が、ぽとりと落ちた。そして彼も、後ろに倒れこみ、たちまちいびきをかきはじめた。
それを見届けると、さっと手錠を外し、立ち上がったルパンが囁く。
「辛い時は、大人しく寝ちまった方がいいんだから。オヤスミ、とっつあん」




水平線に、ほんのりと光がさしてきた。
それまで辺りを覆っていた闇がたちまち駆逐されはじめる。波が薔薇色に輝く。風さえも明るく爽快なものに変わりつつあった。
その光を反射して、空にヘリコプターの影が現れた。ルパンは満足げにそれを見つめた。
念のため、ルパンが不時着したセスナの傍の木々の陰に身を隠し、ワルサーを引き抜く。
だが、その用心は必要ないことが、すぐに判った。
ルパンの居る海岸からわずかに離れた場所に巧みに着陸し、その中から現れたのは、峰不二子だったからである。懐のホルスターに銃をしまいこむ。
「よう不二子ちゃん。待ってたぜ」
ルパンは両手を広げ、不二子を迎えた。彼女は優雅に微笑んで、ルパンからの頬へのキスを受け入れた。
「心配したわよ、ルパン」
しかし不二子の言葉はどこか空虚だった。そそくさと彼から身を離し、不時着したセスナに目を向けている。
ルパンは大袈裟に肩をすくめた。
「やっぱり不二子だったんだな。現金の入ったトランクの一つに、発信機をつけていたのは」
「あら、知ってたの。まあいいじゃない? そのお陰でこうして助けてあげられるんだから」
何を企んで発信機を仕掛けていたのかは訊かないことにした。
仕掛けた何者かをしかるべき場所におびき出す為に、発信機をそのままにしておいたのだが、ひょんなところで役に立った。
この発信機のお陰で、ルパンは無人島についても落ち着いていられたのだから。仕掛けた相手が誰であれ、これほどの大金を手に入れるためなら、無人島にだってやって来るだろうと踏んでいたのだ。

「それじゃ、トランクを運びましょう!」
不二子はいかにも嬉しそうで、生き生きしている。ルパンは頷いて、昨夜奪った大量の現金のつまったトランクを、不二子の乗ってきたヘリコプターに移し始めた。中身が現金だからか、不二子は重いとも云わず、けなげに運ぶのを手伝った。
最後の一つを運んでいたルパンは、ハタと動きを止めた。
「そうだ、忘れるところだった。とっつあんも運んでやらなきゃ。……怪我もしてるし、さすがに置いてっちゃ可哀想だモンな」
銭形は、昨日置いてきたままの場所で眠っているはずだ。
「おーい、不二子! 実はとっつあんも……あらっ?!」
殆どのトランクを積み終わったヘリコプターはすでにエンジンを掛けており、今にも離陸しそうな状態になっている。
不二子が満面の笑みを浮かべて窓から顔をのぞかせながら、何か云っていた。
唇の動きから、『貴方がこの島にいること、次元にちゃんと伝えてあげる』と読めた。そして、熱烈な投げキッス。
同時に、ヘリコプターはあっという間に空へと飛び立っていった。
「ま、待て、待ちなさいってば! 不二子っ! ちくしょうッ」
あまりにも不公平な「分け前」として、ただ一つ残されたトランクを、白い砂浜に叩きつけ、ルパンは悔しそうに地団駄を踏んだ。手を振り上げて「覚えてろよ、不二子ー!」と叫ぶ。

その振り上げた手に、カシャリと小気味のいい音をさせて、投げ手錠が掛けられた。
「待つのは貴様だ、ルパン! 今度という今度は逃げられんぞ」
「うわ、もうお目覚め?」
見るからに昨夜より精気を取り戻し、銭形は怒涛の迫力で迫ってくる。ルパンは思わず身を引いた。だが、そうはさせじと銭形は投げ手錠から伸びたワイヤーを引き絞る。
「捕まえたぞ。観念しろ」
ルパンを捕らえたことが嬉しくてならぬように、豪快な笑みを浮かべる。
そんな銭形を目の当たりにし、本当に一晩寝たら回復していやがる、とルパンは頭を抱えたくなった。
朝焼けの中に消えていく不二子のヘリコプターを恨めしげに見上げながら、次元が助けに来たら、今度こそ同情などせず銭形は置いていこうと、ルパンは心に決めるのであった。

追いかけっこといえばルパンと銭形。
ただ、闇雲にバタバタ追いかけっこさせてもオチがつかないので(笑)たまには追うものと追われるものでゆっくりしてもらいました。
もう少し二人に実のある会話をさせたかったのですが、どーしても銭形が強情で(笑)あまりお話してくれませんでした。何となくいつもと違う雰囲気を出した いなぁという想いが強かったため、私が普段書くものらしくないノリになってる箇所もあるのですが、まあそれはそれってことで(^^;
追われる者ルパンも、たまには不二子を追うという意味もこめて、オチはあんな感じに。
ただ、結局のところルパン一味+銭形は、ルパンを追っているんですよね。いろんな意味合いで。そんな話をいつかまた書けたらいいな…。

(2004.5.19完成)

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