10:挑戦に生きる

「のらねぇなぁ……」
そう呟いたのは、次元でも五右エ門でもなく、珍しくルパンであった。
半ばソファに寝そべるようにだらしなく腰掛けている彼の隣で、不二子が不思議そうに小首をかしげた。
「あら、どうして?」
「だ〜ってさぁ、もう飽きちゃったんだモン」
その朝届いた、招待状。やや悪趣味な黒い封筒を、物憂げに玩ぶルパンの口調は素っ気ない。
「またドロリンピック開催するって云われてもね……」
「だって貴方は、今までずっと喜んで出場してたじゃないの。それに三回連続のチャンピオンなのよ」
「だ・か・ら、飽きたのさ」
招待状をテーブルへ放り投げ、興味がなさそうに両手を広げる。
「これだけ勝ち続けちゃうと、張り合いがなくってね」
予想していなかった反応に、不二子は戸惑い気味に視線を彷徨わせた。向かいのソファで新聞を読んでいる次元も、その脇で刀の手入れをしている五右エ門も、ルパンの様子がいつもと違っていることに気づいたようだ。

「どうした、レースに目のないお前が。出ない気か?」
新聞の陰から顔を覗かせ、次元が問う。が、問われた当人は、ちょっと肩をすくめて、おどけた表情をしてみせただけだった。
「勝ち続けたから飽いたなど……お主らしい贅沢な物言いだな」
「別にイイデショ、出なくたって。ナンなら、俺の代わりに五右エ門、お前出てみろよ。次元と一緒にさ」
その口調すら、いかにも気だるげだった。
次元と五右エ門は、処置なしといった風に顔を見合わせた。


世界泥棒オリンピック大会が、三日後、新たに行われることになったという知らせが届いたことが、すべての発端だった。
過去の大会で三連覇を飾ったルパンには、予選を免除し決勝戦からの参加が呼びかけられている。
今回の決勝戦は、「盗賊の街」としてその筋では有名なアレンジャンで、街を上げての大レースを行う計画だという。
アレンジャンは某小国の一都市ということになっているが、険しい山あいのきわめて接近しにくい位置にあることや、周辺は有史以来戦乱が多く不安定な土地柄であることから、長い間独立した無法地帯と化している。
今現在も、行き場をなくした世界各国のならず者が集い続ける悪徳の都である。
長いことかけて特殊な環境下で増殖した砂色の街。道が細く複雑に入り組み、高低さのある街内部をレンガの階段が縦横無尽につなぐことで、まさに迷路そのも のといった態をなしている。地元の人間ですら道のすべて把握しているものはいないであろうと云われるほどだ。
また、周囲には高い壁を巡らせ、街のあちこちに高い塔を臨む――街全体がひとつの堅牢な城砦でもあった。
参加者といい、住人といい、街のつくりといい、一癖も二癖もある場所で行われる、「何でもあり」の泥棒レース。
いつものルパンなら、喜んで挑戦しに行くところだと思われたが、今回は一向に食指を動かされた様子はない。


「どうもヘンね。元気がないみたい。何かあったの?」
ブランデーの瓶とグラスを引き寄せると、不二子はルパンの為に注いだ。
「不二子ちゃんこそどうしたのよ。えらく優しいじゃない」
「失礼ね、これが普通よ。で、どうしてそんなに気が進まないの?」
不二子だけでなく、いつの間にか新聞を置いた次元も、手入れを終え刀を鞘に収めた五右エ門も、彼の答えを待っていた。それを知ってか知らずか、ルパンはゆっくりと酒を味わってから、ようやく口を開くのだった。

「今、アレンジャンを実質取り仕切ってる野郎、知ってるか?」
「確か、ディアスという男だったな。結構いい歳の」
裏社会の情報通らしく、次元が答えた。
「そう。問題はソイツさ」
「お主と因縁のある男なのか?」
今度は五右エ門が口を挟む。ルパンは曖昧に頷きながら、
「正確には俺とってわけじゃあないんだ。爺様の因縁なのよ。むか〜しむかし、俺の爺様とヤツの親父がライバルだったらしくってさ。そんでもってうちの爺様 にてんで勝てなかったモンだから、恨みつらみが積もりに積もって……その子供のディアスまでルパン一族に復讐するぞーなんていまだに息巻いてて、時々ヘン なチョッカイ出してくるのよ、これが。陰険で執念深いのは血筋かしらねえ」
ブランデー瓶を取り、自分のグラスに注いで、次元は呑気に云った。
「面倒くせえもんだな。爺さんの残した負の遺産ってわけかい」
「そんなトコさ」
「先祖絡みの遺恨を背負うのも、ルパン家を受け継いだお主の役割ではないのか」
生真面目な台詞を投げかける五右エ門であったが、実際は口調の重々しさほど本気ではない様子で、どこかルパンを試すニュアンスが含まれていた。受けるルパンもそれは承知で、大袈裟な身振りで笑いながら云い放つ。
「冗談ポイよ。俺自身を恨む輩の相手するだけでオナカ一杯。爺様の残したモンまでいちいち面倒見てられっかよ」
「へへ、お前ぇは特に恨みを買いやすいタイプだからな。生きてるうちにちゃんとケリつけとけよ。さもなきゃお前の子孫はさぞ苦労するだろうぜ」
次元が混ぜっ返した。

そのままいつもの雑談になりそうな流れを、不二子が冷たく遮った。
「ディアスとかいう男が、主催都市のボスである立場を利用して、貴方の命を狙ってレースに罠を仕掛けてるから参加したくないっていうのね?」
「え、いや、まあねえ」
「そんなのルパンらしくないわ。いつもの貴方だったら、敢然とその罠の中に飛び込んで、敵をあっと云わせてるところじゃないの」
思わぬ激しさで詰め寄る不二子に、ルパンはしどろもどろになった。
「ど、どうしちゃったの不二子ちゃん」
「見損なったわ。私のルパンは、そんなに意気地のない人だったかしら」
きっと見据えてくる彼女に、ルパンは口の中でもごもごと呟きながら困って眉を下げた。女の軽蔑するような、挑発するような視線は、遠慮なく彼を射すくめる。

しかし、困惑を見取ってか、不二子はふと瞳を和らげた。そっと腰をずらして彼の方へ接近し、柔らかい手でルパンの頬を撫でる。
「ねえルパン、私、貴方が優勝するところが見たいわ。参加なさいな」
「おい不二子、随分そのレースにご執心じゃねえか。よっぽどルパンを参加させてえみたいだな?」
不二子に甘くかき口説かれ、鼻の下を伸ばしかけていたルパンに代わって、次元がずけずけと割って入った。が、彼女は動じる素振りもなく、妖しい微笑を向けてくる。
「あら、わかった?」
最初から隠す気などなかったのだろう。あっさり肯定すると、すぐに視線を次元から逸らし、狙いをルパンに絞る。彼の頬や顎を意味ありげに撫でさすりながら、甘く囁いた。
「招待状にも書いてあったでしょう。優勝賞金は500万ドルなんですって」
「ふうん、不二子ちゃんはそれが欲しいんだ」
同意を意味する含み笑いを浮かべた、つややかな唇を、ルパンに近づける。相棒たちが見ていることなどお構いなしだ。
「いいでしょ、ルパン。勝てばやっぱり世界一の泥棒はあなたしかいないって証明できるし。……そうだわ、ね、そのお金が手に入ったら、一緒にバカンスに行きましょうよ。うんと豪華に、二人っきりで」
唇を受け止めつつ、ルパンは彼女の腰に手を回す。扇情的にゆっくりと指先を下へと移動させつつ、視線は女を越えて、相棒二人へと向けられた。
そしてルパンは云った。
「そりゃあいいねぇ。……でも、出来れば俺、“本物”の不二子とバカンス行きたいんだけっども」

その刹那、五右エ門の刀が鞘走った。

誰もが息を潜め、身動きをすることを憚られるほど緊迫した一瞬。
斬鉄剣が「不二子」めがけて一閃した。
チンというかすかな音と共に、刀がおさめられると、それが合図であるかのように、女の顔が二つに割れた。

真っ二つにされた変装用マスクから現れたのは、小麦色の若々しい肌と、黒目勝ちのきつい瞳が印象的な女の顔であった。
女は軽く頭を振って、潔いほど短く切った黒髪を乱すと、ゆっくりルパンから離れた。
不二子を演じていた時とはうって変わって、粗雑な身のこなしでソファに座り込む。ふてぶてしいくらい落ち着いた態度だった。
ルパンの手には、女の太ももに隠してあったのを奪った、小型の拳銃が握られている。それに気づき、不敵に微笑した。蓮っ葉な色気を感じさせる女だ。
「負けたよ。さあ、早く殺しな」
「おっと、焦るなよ。……俺たちゃ、女は殺らねえ主義なのさ。ま、さっさとディアスの元に帰るンだな」
顎をしゃくって出口を示すルパンを、女は不思議そうにしげしげと眺めた。本気で自分を逃がすつもりなのか、それとも罠があるのか、疑ってるのだろう。
「何だい、帰らないの? もしかして、俺様とキスの続きでもしたくなっちゃったのかしらぁ?」
ニヤニヤ笑うばかりで動こうとしないのは、ルパンも相棒二人も同じであった。
女はまだ用心深く男たちをじろじろねめつけながら、猫のような身のこなしで出口まで移動した。扉を閉める寸前に、一度きっと振り向く。
「甘いね、ルパン三世。ディアスは不二子ってオンナを預かってるンだから」
「ああ。ディアスに伝えな。不二子に指一本でも触れたら、ひっでえメに合わせちゃうぞってな」
ふざけた口調の底に、ぞっとするような真意が含まれていることに気づき、女は僅かに怯んだ。
が、負けん気の強い瞳で睨みつけ、さらにこれみよがしにそっぽを向いてから、ドアを叩きつけて去っていった。


「ルパン、どうするんだ」
「あの女を人質交換に使えば良かったじゃねえか」
一斉に相棒からせっつかれ、ルパンは慌て手を広げて二人を宥めた。
「まあ、待ちなさいって。ちゃんと考えがあるんだから」
「じゃあ……」
「あんなオンナまで差し向けてくるほど、どーしても俺をレースに参加させたようだな。ごねて見せてやっと偽者の目的がわかったぜ。囚われてる不二子のこともあるし、早速行きますかね、アレンジャンへ」
ルパンがそう云った時、突然五右エ門が顔をあげ、音もなく窓際へと飛んでいく。
押し殺してはいるが、外にざわめく僅かな気配に反応したのだ。
静かに外を窺うと、五右エ門は苦笑いした。

「ルパン、お馴染みの人物が参ったようだぞ」
「またとっつあんかよぉ。相変わらず仕事熱心だこと。どうしてまあ、こんなにハナが効くのかね」
窓際に身を潜め、ルパンも外を覗き見る。すると、銭形とその部下たちが、アジトを囲むべく、周辺の木立を規律正しく移動しているところだった。
銭形の様子を見つめながら、ルパンは云った。
「次元、アレ用意してくれや」
「あいよ」
次元は素早くリビングを出て行った。


アジトを全面的に包囲したことを確認した銭形は、拡声器を取り出して怒鳴った。
「ルパン!! ここは完全に包囲した。無駄な抵抗はやめて大人しく出て来いッ」
不意打ちをかけてすら、捕らえる事が難しい神出鬼没の男を相手にして、銭形はこうした宣言を欠かさない。
警察官としての立場以上に、彼の気質がそうさせるのだろう。トリック使いの相手には、結局正攻法が有効だと、いまだに心のどこかで信じているのかもしれない。
「よし、踏み込め!」
手をかざして部下たちに合図する。一斉に、アジトの表にも裏にも、警察官たちが群がった。固く閉ざされたドアを強行に突破を試みる。
ドアがこじ開けられたその時、部下の一人が声を張り上げた。
「警部! そ、空にルパンが」
「おのれ、ルパンめ。そうはさせるか」
夕暮れ色に染まった空に、ルパン特製の気球が舞った。信じられないスピードでたちまち上昇して行く。
銭形は慎重に拳銃で狙いを定めると、引き金に力を込めた。
銃声と同時に、気球から人影があっけなくコロリと落ちる。
「な、まさか?!」
驚いたのは、撃った当人の銭形である。ルパン本人を狙った覚えはないのだがと、わずかに慌てて、気球から人影が落ちた辺りに部下を差し向ける。同時に、準備していたヘリコプターで、遠ざかり続ける気球の追跡も開始させる。

報告を待つ間、銭形はアジトの中に入り込み、部屋という部屋のドアを乱暴に開け放っていた。これ見よがしの気球は、囮である可能性が高い。まだアジト内に潜んでいることもありうる。
「警部、これを発見しました!」
外を探索していた部下が、室内に飛び込んできた。その手には、稚拙な目鼻が悪戯のように描かれた、人形が抱えられていた。一応ルパンらしい雰囲気を出すために、赤いジャケットが着せられている。その悪ふざけが、いっそう銭形の苛立ちを高めた。
「先ほど気球から墜落したのは、これだと思われますッ」
「うむ」
ルパンを内心大いに罵倒しながら、銭形は考えを巡らせた。
落ちてきたのは人形だったことを思えば気球は囮……と見るのが正解なのかも知れない。
だが、これまで何度もそう考えた結果、煮え湯を飲まさせてきたのである。
囮と見せかけて、実は本当に気球で逃げているか。
そう考えた時、一番奥の部屋から「抜け穴を発見しました!」との声が上がる。
駆けつけると、床板を上げたところにぽっかりと黒い穴が開いている。隠し床はきしむこともなく開き、埃もまるで積もっていない。つい最近使ったばかりに見える。抜け穴からは地下に細い階段が伸び、その先は闇の中に溶けていた。
「くっそぅ、ルパンのヤツ。紛らわしい真似をしおって」
どちらが本命か解らなければ、両方追うまでだ。そう決断し、部下たちに向かって命令を下した。
「よし、ここから二手に分かれる。A班は引き続き、気球の捕獲に全力をつくせ! B班は俺について来い、この抜け穴を調べるッ」
「はっ!」
きびきびと部下が二手に分かれ、外に向かうものはすぐさま散っていった。銭形に従うものは、その場で整列する。
そして、銭形は、懐中電灯を手に、暗い抜け穴へと足を進めていくのだった。


「もういいかな」
「どうやら、銭形たちは去ったようだぞ」
そう呟いて、ルパンら三人は天井裏から、こっそり部屋の中を見下ろした。さっきまで溢れていた警官たちの姿はもうなかった。いざという場合は、警察官に紛れ込もうと制服を着こんで隠れていたが、必要はなかったかもしれない。
身軽に天井から降りてくると、アジトの周辺の気配を窺う。五右エ門が云った。
「いや、まだ数人、この周辺を張っているな。どうする、ルパン」
「しつっこいとっつあんさえいなけりゃ、どうにでもなるでしょ。制服着込んでることだし、ここは一つ、正面から撤退しようぜ」
ルパンが笑うと、次元も五右エ門も、自信ありげに頷き返した。



■ ■ ■




アレンジャンへの正門ともいうべき「業火の門」が、門前広場に群れ集った泥棒たちを睥睨していた。そそり立つ砂色の巨大な門は、長く波乱に富んだ歴史を耐えてきただけあって、無骨ながらも堂々たる風格を備えていた。
集っているのは、もちろん世界泥棒オリンピックに出場する「選手」たちである。
いかにも胡散臭く癖のある外見をした男たちや、歴戦のつわものといった感のあるいかつい男たちが、レースを戦うためにあつらえたそれぞれの乗り物と共にスタートラインにつく光景は、壮観でさえあった。
街中は、早くもレースを待ち受けるゴロツキどもの熱気が漲っている。
アレンジャン主催で、このレースの大規模な賭博も行われており、住民の殆どが大枚をはたいて賭けに参加している。単に珍しい見世物に沸き立つのとは違った、殺気めいた異様な雰囲気があるのは、そのせいであった。
レース参加者を「殺してはならない」と厳命されてはいたが、無頼者の住人たちによる妨害合戦は十分予想され、それがレースに与える影響も大きいと思われた。

参加者にとって、レースのルールは簡単である。
二人組で参加すること、そして、何に乗って走ろうと、どのコースを選択しようと自由だが、とにかく一番最初に、街の深奥部でありもっとも高所に位置する聖堂前のゴール地点に辿り着いたチームが勝ち、ということである。
空を飛んで移動することと、街の大規模な破壊を防ぐため、爆薬と炸裂弾の使用は禁止されているが、それ以外は何をしようと自由であり、ライバルの妨害に精を出そうと、これを機に憎い相手と殺し合いをしようと、出場者同士であれば止めるものはいない。

きわめて起伏に富み、蜘蛛の巣のように巡らされた細い路地が多い街並みを考慮してか、オフロード用のオートバイに乗って出場する者が殆どで、過去三度の優勝者であるルパン三世・次元大介組も同様であった。
ハンドルは次元が握り、盛大にエンジンを吹かしている。その後ろで、ルパンはむっつりと黙り込んでいた。

いよいよ開始時間、ゆっくりと、「業火の門」が開いていく。それがスタートの合図だ。
エンジン音が最大限に高まり、街に突入しようと、開きつつある門へと男たちが殺到する。
こうして、泥棒たちのオリンピック大会が、始まったのである。


「お前の云う通り、ルパンは来たな」
実年齢以上に妙に皺が深く、肉食鳥のように尖り狷介なその面に、暗い満足感を漂わせ、男は低く呟いた。
ディアスである。
「あからさまな挑発をした甲斐があったか。わたしの挑戦を受けてから、お前を奪い返そうって魂胆らしい。さすがクソ生意気で気障なルパン家の人間だ。思った通りだ……」
話しかけているようだが、独り言なのだろう。薄暗い部屋の中に、所狭しと並べられた多くのモニターを見つめながら、ディアスはぶつぶつと呟き続けている。
モニターには、街の各所に設置されたカメラを通し、レースの模様が映し出されていた。

(馴れ馴れしく『お前』なんて呼ばないで頂戴。虫唾が走るわ)
そう云い返そうと思った不二子ではあったが、妄執という己の世界に深く捕らわれたこの男に、彼女の抗議など通じないだろうと、言葉を飲み込んだ。
彼が喜んで応じる話題は、恨みと嫉みの対象であるルパンのことだけなのだった。

不二子は、ディアスの手下によってここへ連れてこられてから、巨大な鳥籠のような檻の中に閉じ込められていた。
ディアスの広く陰鬱な部屋に、天井から吊るされたまま監視され、彼の愚痴を聞かされ続けた不二子は、いい加減うんざりしていたのである。手荒なことこそさ れなかったものの、ディアスの虚しく尽きることを知らない恨み節は、下手な拷問以上に辛く、不愉快なものであった。
鳥籠めいたこの檻も、悪趣味の極みだと、心の中で強く罵る。
(今まで入ったことのある牢獄の中で、間違いなく最悪のトコロね)

「トップを走って、勝ち誇っているがいいさ。笑っていられるのも今のうちだ」
決まったコースがない混沌としたレースだから、現状誰がトップなのか明確ではないはずだが、ディアスはルパンと次元のバイクが一位だと決め付けている。
不二子は冷たく笑った。
「ルパンにとっては、こんなモノほんのお遊びよ。勝ち誇ってなどいるもんですか。きっと退屈しているはずだわ」
「何だと?」
「今回のレース参加者は、今までより格下の泥棒が多いみたいだし。しかも大会委員会を抱き込んだ実質的な主催者は、貴方のように面白みのない人ですもんね。勝って当たり前、挑戦し甲斐がないって、嘆いていることでしょうよ」
血相を変えて、ディアスは立ち上がった。
今まで大人しく捕らえられていた囚人が、態度を豹変させたことに思わずカッとなったのだ。
根の暗い妄執を引きずって生きる粘着質の男であるが、同時に、他愛のないことでひどく激昂しやすい未成熟な性格であることを、彼の部下や使用人に対する態度から不二子は見て取っていたのである。
ディアスの頭に血を上らせること、それこそが、不二子の狙いだった。
怒りに任せて殴ろうとしてくれれば願ったりだ。宙吊りの檻をどうにか下ろさせ、一度でも扉を開かせることが出来たら。
ルパンが今アレンジャンに居る以上、この厭らしい獄中から一歩でも外へ出られれば、どうにか合流できるはずだと、不二子は考えていたのだった。
「確かにルパンは、大した得にもならない挑戦を受けて立つのが好きだわ。生き甲斐といってもいいくらいかもね。でも、彼は『美食家』でもあるのよ。あなたが作り出す程度の安っぽい罠は、きっと口に合わないわ」
「このアマッ!!」
(掛かった)
不二子はこっそりとほくそえんだ。

怒り心頭のディアスは、部屋の隅にあるレバーへ、驚くほどの早さですっ飛んでいった。荒々しくそれを下げる。同時に、不二子の閉じ込められた檻に軽い振動が伝わり、ゆっくりと下りていくのが感じられた。
床に着くのを待つのももどかしげに、ディアスは檻に食らいつく。怒りのあまり震える手で、鍵を回す。
派手な音を立てて、鉄格子状の扉が開かれた。目の前には、獰猛に口を歪めたディアスが迫っている。
「生意気な口を二度と叩けなくしてやろう、え?! 出ろ、ルパンの情婦めッ」
またもや反論したいところだったが、一切の武器を持たぬ今、確実で決定的な隙を突かねばならない。
憎しみを込めて腕を握られ、乱暴に檻から引き出されながら、不二子はいたって冷静にそう考えていた。

「ぎゃああッ」
突然ディアスが絶叫し、不二子は不意に開放された。
彼女を掴んでいたその腕に、深々とナイフが突き刺さっている。鮮血が滴り落ちた。
「不二子に指一本触れるなって警告しておいたハズだぜ、ディアス」
「ルパン!」
いつの間に現れたのか、窓辺には悠然と、それでいて隙なく佇むルパンの姿があった。
ピクリとディアスの身体が動いたが、手の中で玩ぶもう一本のナイフで、ルパンはそれを牽制する。
「クッ、貴様どうしてここがわかった……この私の隠れ家を知る者は殆ど居ないというのに」
「なあに、あんたが寄越した変装上手のお嬢サン、あんまり可愛いんでね、プレゼントなんかしてみたわけ。発信機なんだけども、気に入ってくれたかしらねぇ」
ルパンはちょっと気取って、両手を広げた。

その隙に素早く彼の元へ駆け寄っていた不二子は、笑って云った。
「ルパン、遅かったじゃない」
「つ〜れないの。『来てくれたのね、ありがとうルパン』とかなんとか云って感動的に抱きついてくれちゃったりしても、いいんじゃない?」
「貴方が来るのはわかっていたもの」
素っ気なく云い切る不二子に、優しく頷き返す。ルパンは彼女を背に庇い、ディアスと正面から対峙した。

血まみれのナイフが床にたたきつけられた。強引に抜いたせいで、ディアスの腕の出血はますますひどくなっていた。異様にぎらつく目で、ルパンをねめつける。
「おのれ、おのれルパン。どこまでも小癪な。それではレースに参加しているのは……」
「そう、次元と、五右エ門サ」
ルパンはいかにも愉快そうに、ディアスの背後でレースの模様を映し続けるモニターに視線を送った。


オッズの低い「ルパン三世・次元大介組」以外に賭けて、大穴を当てようとしているアレンジャンの無頼住民たちは、寄って集って物を投げつけたり、滑りやすい油を撒いたりして、何とか二人を脱落させようとしていた。
もちろん、「ルパン・次元組」に賭けている者たちは、その妨害をやめさせようと必死になり、結果、常に彼らの周辺ではつかみ合いや乱闘騒ぎが巻き起こっているのだった。
子供じみた妨害工作など、淡々とかわして進んでいたが、熟したトマトが「ルパン」のヘルメットに当たって砕けた瞬間、彼はふいにカッと目を見開き、ヘルメットと変装マスクを取り去った。
背から取り出した斬鉄剣をひらめかせ、後部シートに立ち上がった五右エ門は、まるで曲芸のように鮮やかにバランスを保ながら、投げつけられるモノを片っ端から弾いていく。
ハンドルを握る次元は、大いに笑ってさらに加速したようだ。
ゴールは近い。


「し、失格だ。登録した人間以外が参加したお前らは、即失格……」
悔しげにディアスは呻いた。が、ルパンは鼻先で嘲笑した。
「まだ勘違いしてンのかい、ディアス。俺たちはな、レースに『参加』しに来たんじゃない。ゴール地点に用意されている賞金の500万ドルを、盗みに来たのさ」
血の滴り続ける腕を押さえ、よろよろと背後に数歩、ディアスはよろめいた。何気なさを装い、モニター近くのテーブルにすがりつく。
「そうはさせんぞッ、そんなことをさせてたまるか」
だがルパンは皮肉そうに唇を歪めたただけで何も答えず、不二子を抱き寄せて、部屋の窓を開けた。
「さ、早いトコこんな陰気くさい場所からおさらばしようぜ、不二子。気分直しに南の島へバカンスでもいかが?」
「あら、いいわね」
完全に自分を無視した二人の呑気なもの云いに、ディアスは怒りを沸騰させた。

「待てッ! 相棒が死んでもいいのか?」
「あン?」
いかにも面倒くさそうに、ルパンは振り向く。彼が足を止めたことでディアスは少し余裕を取り戻し、暗く目を光らせた。
「お前の相棒を生かすも殺すもわたし次第なのだぞ。やめて欲しければ……」
「あーあー、好きにしてちょうだい。あいつら結構しぶといんだから。やれるモンなら殺ってみなってな」
ぞんざいに手を振って云い捨てると、ルパンと不二子は窓枠を乗り越え、軽々とそこから飛び立ち、去っていった。
ちょうどその時、モニターには、聖堂前広場で華々しくゴールテープを切った次元と五右エ門の姿が映し出されていた。
しかし、彼らはバイクを止める素振りもなく、荒事を得意とする警備係をものともせずに、大会実行委員会の席へと突っ込むと、小型のトランクに用意されていた賞金を、風のように奪い去った。
場内がますます騒然とし、歓声や怒号がどよめくのが、モニター越しでもよくわかった。
ディアスは、憤怒で狂気のように笑い、手元にあった赤いボタンに指をかけた。
「ふふ、ふふ、ふ。取り敢えずは相棒だけで勘弁しておいてやろう。死ね! ルパンの相棒どもッ」
賞金と一緒にトランクに仕込んでおいた爆弾が、彼の指先一つで破裂するはずだった。
ディアスは躊躇わずにボタンに力を込めた。


屋根から屋根へと飛び移り、少し離れたところでディアス邸を振り返るとちょうど、低い爆音が轟き、窓ガラスが粉々に飛び散るのが見えた。
ルパンは肩をすくめた。
「レース開始前に、ヤツが仕掛けた爆弾をトランクから失敬して、さっき本人の元へ返しておいたのさ」
アレンジャン特有の乾いた風が、ディアス邸の窓から激しく吹き出る炎と黒煙を、空にたなびかせ続けていた。



アレンジャンの東端「嘆きの門」で落ち合った四人は、隠しておいたジープに飛び乗り、早々に街を後にした。
舗装されていないでこぼこの道を、ルパンは巧みにハンドルを操りながら走り続ける。
片手だけで器用に煙草を取り出し火をつけ、一度深々と味わってから、後部座席の次元に、数本残った煙草の箱ごとを放り投げた。
「お疲れサン」
「ああ、まったくだ。なあ、五右エ門」
そう云う次元の顔は、裏腹に楽しげであった。美味そうに煙草を吹かす。
ルパンの代わりに慣れぬレーシングスーツを着た五右エ門は、どこか窮屈そうに襟元を引っ張っていたが、次元の言葉に大きく頷いた。
「そうだな。空き缶や腐った野菜は、しばらく見たくないな」
「な、ヒドイもんだ。住民どもは手当たり次第何でも投げつけてくる、トリモチや落とし穴なんかそこいらじゅうにありやがる、アーチの下をくぐれば得体の知れないモンが落ちてくる、酔った暴漢のフリした暗殺者は襲い掛かってくる……噂通りに愉快な街だったぜ」
バックミラー越しに、ルパンは相棒二人に笑いかけた。
「まあいいじゃないの、貴重な体験でしょ。世の泥棒連中に『ルパン一家ここにあり』ってトコも見せられたし、不二子ちゃんはこうして無事だったしね」
「そして500万ドルも手に入ったし、でしょう?」
助手席の不二子が、ルパンにウィンクしてみせたその時、聞き覚えのあるサイレンがどんどん接近してきていることに気づいた。

「ルパーンッ、待て待て! ドロリンピックなどという不届きな催し物は、絶対に許さんぞッ」
荒野に、銭形の怒鳴り声が響き渡る。パトカーから身を乗り出し、未舗装の道などお構いなしに迫ってくる。
ルパンはうんざりして、思わず天を見上げた。
「あ〜あ、またとっつあんだ。こんなところまで追いかけてきちゃって。ハナが効く上に地獄耳。厄介なお人だよ」
運転席の方へ身を乗り出し、次元がからかうように云った。
「お前はレースに参加しないで楽したんだ、せいぜいとっつあんとの追いかけっこで上手く逃げ切ってくれよ」
「へいへい、お任せ」
明るく答えて、ルパンはますますアクセルを踏み込んだ。
四人を乗せたジープは、岩場の段差を、まるで翼でも生えているかのように派手に飛び上がるのだった。

最後のお題もようやく完成しました。「殺気」が2004年の2月初旬に出来たものですので、10話書くのに1年と3ヶ月以上掛かったことになるんですね。
お題を設定した頃は、この話も軽いものを考えていたのですが(例えば、命がけの危険な挑戦に発つルパンを、銭形が逮捕することで止めようとする話とか)……
でも「お題も最後ね」と思ったら、いろいろ欲張りたくなってしまいまして(笑)、こんなに長く。
この話の中では、ちょっと遊んでる点があって、ひとつは「ルパン」で個人的に好きな作品を思い出せる(連想できる)設定やフレーズをいくつかちりばめたこと。これは今回だけに限らず、「ルパン」書く時はよくやるんですけどね(^^)。金子裕リスペクト。
もう一つは、01〜09までのお題を、この話の中にも混ぜるという遊びをしています。どのシーンがどのお題に該当するのか、良かったら考えてみてください(笑)
(正解しても何も出ませんので、質問もなしってことで悪しからずご了承を^^)
そうそう。「盗賊の街・アレンジャン」という名称は、ハワードの「コナン」シリーズ「象の塔」から。ですが具体的街の様子、外観、イメージ等は別物です。迷路的要素をこの話では使えなかったので…ここはまたいつか何かで登場させたいところ。

(2005.5.17完成)

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