忘却の街 3

「やっと見つけたぞ、ルパン!」

その声は確かに、ルパン、と彼を呼んだ。
「とっつあん……」

「ワシから逃げ切れると思うなよ、ルパン。今度という今度は逮捕だっ!」
あまりに馴染み深い光景と台詞だった。
手錠片手に突進してくる銭形に向けて、ルパンは大喜びで駆け寄った。
「いよう、とっつあ〜〜ん! 会いたかったぜ」

てっきり背を向けて猛スピードで逃げ出すと思い込んでいた相手が、両手広げて近づいてきた意外さに、銭形は怯んだ。
「な、な、なんだルパン、その態度は……昨日までさんざん逃げ回ってたクセしやがって」
「いやいやそうなんだけどさ。固いこと云うなよ、とっつあん。いいところへ来てくれたなァ。やっぱ俺はルパンだよねぇ」
銭形の肩を気安く叩いて、ルパンは満足げに何度も頷いている。
「バカヤロウ、貴様がルパンじゃなくて誰がルパンだ。この図々しい盗っ人めが。貴様自身が忘れようとも、貴様の罪はどんなに些細なものまで、このワシがすべて覚えておるのだッ!」
そう啖呵を切ると、景気のいい音をさせて、銭形の手錠がルパンの手首を捕らえた。全身に歓喜が溢れ出ていた。
しかし、逮捕された当人は、へらへらしたまま抵抗する素振りすらない。むしろ、嬉しそうですらある。その様子に銭形は拍子抜けし、再び苦々しい表情を浮かべるのだった。

「……何を企んでいやがるんだ」
「企んでなんかいないって。ちーっとばかし困ってたところだったの。だけどとっつあんが来てくれたお陰で、少しわかってきたような気がしてね」
ルパンは愛想良く片目を瞑ってみせた。手錠を掛けられているのに、意に介する様子もない。釈然としないまま、銭形は彼を引っぱった。
「貴様を助けたつもりなんか毛頭ないわい。これから直ちに監獄へ叩き込んでやるんだからな」
「監獄ねぇ。みんなが俺のこと知ってたら入れてくれんだろうけっども」
「知ってるに決まっとるだろう、バカめ」
意味ありげな顔をして口を閉ざしたルパンの様子が気に掛かったが、銭形はそれ以上の立ち話をやめ、自分の車まで彼を引きずっていった。

左手を手錠で拘束された不自由さをものともせず、銭形はエンジンを掛けた。隣では、ルパンが大人しく座っている。
車を、近場の警察署向けて走らせ始めた。とりあえずは留置所へルパンを入れておかざるを得ない。
どの監獄へ送ることになろうと、この街からでは相当の長距離になる。厳しい警戒態勢をしいた上で護送せねばなるまい。銭形は早くもその段取りを考え始めていた。
しかし同時に、抵抗する様子もなく、考えに沈み込んでいるルパンの存在は、銭形をひどく落ち着かなくさせるのだった。
横から向けられる険しい視線に気づいたか、ルパンは顔をあげて不真面目そうに笑った。
「仕事熱心だねぇ、とっつあんは。殆ど休まないで俺のこと追っかけてきたでしょ」
「貴様があっちこっちチョロチョロと動き回るせいでな」
「いつこの街に着いたの?」
「つい、さっきだ。着いた早々、見つけたってわけよ」
銭形は得意そうに胸を張った。
宿敵の自慢を悔しがりも、茶化すこともせず、ルパンは「ふうん」と興味深げにその話を聞き、またしても何やら考え込んでいる。
「おい、逃げ出そうと考えたって無駄……」
「じゃあ昨日俺が撒いてから、大した時間もとらずにここを嗅ぎつけて、駆けつけてきたんだな。そのペースじゃ飲まず食わずだろ?」
すっかり己の思考を追うことに気をとられているらしく、ルパンは自分勝手に話を進めた。つい素直に銭形も答えてしまう。
「飲まず食わずどころか、不眠不休よ。だがな、ついに貴様を捕まえたんだ。そんなことはどうでもいいこった」
「なるほどね」


車は、ロイドバーグ警察署の前に滑り込んだ。
先ほどルパンが来たときよりさらに夜が更けたせいか、眠っているかの如く静かだ。
手錠を掛けられたまま、窮屈そうに銭形の後から車を降りたルパンは、警察署を一瞥してから云った。
「とっつあん、信じられないかもしれないけどな、ここの警官み〜んな俺のこと、知らないぜ」
「んなわけあるか。つまんねぇこと云ってワシをたぶらかそうったってそうはいかねえぞ」
ルパンは肩をすくめた。
「ま、それが普通の反応だわな。俺だって信じらンないもん。だけどホントよ。しかも警官たちだけじゃねえ。ホテルの従業員も……次元や五右エ門までな」
「ふざけるな! 赤の他人が貴様を知らないことはあっても、いつも金魚のフンみてえにくっついてるあいつらが知らねえはずはねえだろう!」
そう云って、ようやくその“金魚のフン”がいないことに気づいた銭形は、手錠で繋がれた男を見返した。
「ご覧の通り」と云いたげに、ルパンは軽く手を広げている。
「この街に来てから、どいつもこいつも、“ルパン三世”なんて男はこの世に存在しちゃいないって面しやがるんだよ。調子狂っちゃうぜぇ」
「何を云っとる、お前はここにちゃんと居るだろう。しっかりせんか、バカモノが!」
この突拍子もない話を、銭形は噛みつくように断ち切った。
右腕を引かれ、署内に連れて行かれながら、ルパンはうっすらと笑みを浮かべていた。



しかし、そこではルパンの云っていたことが、事実であると知れた。
銭形は、対応に出てきた警察官に大声を張り上げ、手近の机を叩き飛ばすはめになった。
「知らないって、そんなはずないでしょう! 世界中に指名手配されている天下の怪盗ルパン三世ですぞ!!」
「そんな男が指名手配されていると云われても……」
警官の戸惑いは本当のようだった。銭形はますますいきり立って、“証拠”とばかりに手錠に繋がれたルパン当人を前へ突き出そうとした。

すると、突然古びたコート掛けが倒れこんできた。
「おおっ?!」
手錠に引っかかっているのは、ルパンではなく、いつのまにかそのコート掛けになっていたのだった。
つい先ほどまで大人しくしていたはずなのにと、銭形は地団駄を踏む思いだった。
ルパン三世を知らないなどと、とぼけたことを云われて激昂していたわずかの隙に、当の本人が姿を消してしまった。
これでは銭形の方が、おかしなことを云っているようではないか。
「こういうヤツなんです、少しでも油断をすると消えてしまう。手のつけられない悪党、それがルパン三世なんだ! 知らないとは云わせませんぞ。あんただって見たでしょう、ここに連れてきたあの男!」
「そ、そりゃ見ましたけど……でも」
「デモもヘチマもないッ! そこのコンピューターとかいうヤツで、照会してみなさい! あの男こそルパンだ、ルパン三世なんだ!」
銭形の怒鳴り声が、深夜の署内を大きく揺るがせ続けた。



銭形の車を拝借して、再びルパンは夜の街を走っていた。
さっきとは気分の重さが違っている。走りまでいくぶん軽快さを増したようだった。
(最初からその可能性は低いと思ってたが……警官たちの態度が芝居じゃないってことは、確認できたわけだな。天下のICPO相手に、あんな態度を取る理由はねえだろう。奴らは本当に俺を知らない、あるいは忘れちまってるんだ)
車通りの少なくなった一本道を、ますます加速していく。
しかしルパンにとって重要なのは、この街の警察官やホテル従業員などではない。
(銭形のとっつあんだけは、俺を覚えてた。忘れちまってる次元や五右エ門との違いといえば――)
走り抜けつつある街の繁華街を、隙のない目で眺める。
ここへ来てから起こった奇妙な事態。
その発端を求めて、ハンドルを握りしめ、ルパンは真っ直ぐに走り続けた。


◆ ◆ ◆


その数時間前。
広大なロイド家の一室に、峰不二子はいた。
公的な客を迎える居間というよりは、主人のよりプライベートな知人を通す部屋なのだろう。
豪華な調度品を嫌味にならない程度に並べ、くつろげるように設計されたなかなか趣味のいい部屋だった。
しかし、そこに君臨する主人の性質は、部屋に大きく影を落とす。不二子にとって、この部屋が居心地が良いとは、とても云えなかった。
「どういうおつもり? さっきはいきなり拳銃をつきつけたりして」
「失礼をお詫びすればよろしいのかな、ミス・不二子」
屋敷の主、エドワード・ロイドは、金縁眼鏡越しに平然と彼女を見返した。口髭すら微動だにしない。食えない男だ。

「謝罪よりも説明をお願いしたいわ。どうしてあんなことまでして、ルパンに対して他人のふりをさせたかったのかしら、あなたは?」
夕暮れの中、ルパンと偶然出会った時、彼女の背中にはロイドの拳銃が押しつけられていた。彼は、耳元でルパンを完全に無視して立ち去るように命令したのだった。
正面に腰を下ろしたロイドは両手を組み合わせ、じっと不二子から視線を逸らさない。息がつまる気がした。
「ロイドさん……」
不二子の声に、かすかに苛立ちが含まれた。それを察知したのかどうか、ようやく彼は口を開いた。
「これは取引でしたな? 貴女にルパン三世をこの街におびき寄せてもらう代わりに、このダイヤをお渡しする、と」
答えを待たずに、ロイドはテーブルの上のベルを一振りした。
恭しさが第二の皮膚になっているかのような執事が現れ、主人の前にそっとビロードの箱を置いた。手振りだけで下がっていいことを示されると、執事は頭を垂れて素早く立ち去った。

その小箱を、ロイドは不二子の前に滑らせた。
「どうぞ、貴女のものだ」
小箱を開ける誘惑に、不二子は勝てなかった。
中には、期待以上の大きさで、神秘的な青い光が瞬いている。思わず吐息が漏れるほど、素晴らしいダイヤモンドだった。こんな時だというのに、うっとりと眺め入ってしまう。
「これで取引は成立ですね」
紳士的な口調だが、他人に有無を云わせぬ傲慢さが滲んでいた。
さっきの行動についての詮索は無用ということだ。
しかしその不愉快さを補ってあまりあるほど、そのダイヤモンドの輝きに不二子は魅せられていた。

この男とルパンの関わりが気にならないわけではなかったが、ここは一旦引き下がろうと決めた。
名残惜しげに小箱の蓋を閉じる。もっと眺め続けていたい輝きを、丁寧にしまい込むと、立ち上がった。
「そうね、取引完了。だからわたしが口を出すことじゃないけれど……ルパンを甘く見ないほうがいいわよ」
「ご忠告、感謝しますよ」
口先の万分の一も感謝していない顔つきで、ロイドは頷いた。
彼も立ち上がり、不二子のために部屋のドアを開けた。
「ここで結構よ、ロイドさん。もう二度と会うこともないでしょうけど、お元気で」
「さようなら、ミス・不二子」

あとは部屋を出て行くだけだと気が緩んだか、不二子にごく僅かな隙が出来ていた。それを、彼は見逃さなかった。
首筋に鋭い痛みを覚えた時、後悔と共に、まぶたの裏にルパンの姿がよぎったように不二子は思った。
「悪いが、貴女にもルパンを忘れてもらわねばならないんですよ……」
低く、奥底に狂気に近い何かを秘めたロイドの声が聞こえる。
だがそれもまた、すぐに意識の暗闇に溶けていった。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送