不在 (後)

その銃弾は、庭に面した広い窓に撃ち込まれていた。
さすがにマルセル宅の窓は防弾仕様になっているらしく、わずかに白い亀裂が走っただけに終わった。
が、銃声の鳴り響いた瞬間、マルセルはもちろん、スキンヘッドの巨漢も、次元の後ろを固める黒服の男たちも、一斉に窓の外へ振り返った。
「何事だ!」
マルセルの金切り声が上がる。
窓を横切った黒い影に、部屋に居た者すべての視線が集中する。

わずかに出来たその隙を、次元は逃さなかった。
袖口に巧妙に隠しておいた刃の薄いナイフを取り出し、彼を縛っていたロープを断ち切る。
振り向きざま、彼の両脇に居る黒服の男二人に猛然と襲い掛かった。あまりの素早さに、二人は何が起きたのか理解できなかっただろう。
次元は、二人の頭を両手でそれぞれ鷲掴みにし、力任せに打ち合わせた。
一人は白目をむいて昏倒し、痛みに悲鳴を上げた方の男は、さらに一発鋭い拳を腹に浴びて、倒れ伏した。

「貴様ッ」
室内の異変に気づいた巨漢は、抜いていた拳銃を次元に向けようとした。
しかし次元の方が早かった。
彼は奪われていた己の銃を、気絶した男からすでに取り返していたのだった。
狙い違わず、次元は男の肩を射抜いた。痛みと衝撃で、その巨体は床に沈んだ。
瞬く間に、マルセルは部屋の中でたった一人、次元と対峙することになっていた。

マルセルも焦って自分の拳銃を引き抜いたが、あっさりと次元の一発で弾き飛ばされた。
まるで肉食獣のように静かに、そして獰猛に、次元はマルセルに近づいた。まだ熱い銃口を向ける。
「早撃ち勝負なら、いつでも受けてたつぜ」
帽子のつばの下から覗く瞳は物騒に光っていたが、冗談めかして口元だけで笑ってみせる。そんな次元を、マルセルは憎々しげに、だが卑屈そうに見上げた。
「このままで済むと思ってるのか。いや、わ、私を殺したらここから無事に出られんよ。わかってるんだろうねぇ?」
「負け惜しみは……」
次元は手の中でくるりと銃を回すと、グリップでマルセルの頭を殴りつけた。
「夢の中で云うんだな」
そう言い捨てると、気を失ってソファにぐったりと倒れこんだマルセルに背を向けた。

先ほど銃弾が撃ち込まれた窓辺へ近づき、鍵を開けた。マルセルに云われるまでもなく、ここから逃げ出すのは一苦労であることは察せられた。
銃声を聞きつけた護衛の黒服たちが、この部屋に向かって廊下を駆けてくるのが聞こえる。
庭にも黒服の男たちがいることは間違いないが、廊下へ出るわけにはいかない。次元は、窓を乗り越え、薄暗い庭へと飛び出した。

外灯がともっているものの、あまりに豪奢で広大な庭園には、隠れるにふさわしい陰が多く存在していた。それは、この間ルパンと共に侵入した時にわかっていた。
庭に仕掛けられている警報装置の場所も覚えている。
ルパンによって破られた警備体制は、すでに変更が加えられている可能性が高いが、それでもマルセル邸の見取り図が頭に入っていることは、逃げ出すのに役に立つ。
次元は植え込みに身を隠し、ばたばたと慌しく走っていく男たちをやり過ごすと、屋敷沿いに裏へ回り、駐車場から車を盗んで逃げ出すことにした。庭を横切り、塀を乗り越える手もあるが、何の道具もなしに高圧電流の流れる塀を越えることは難しい。
周囲に人気がなくなったのを見計らい、次元はそっと駆け出した。

脱出の算段を頭の中で考えながらも、次元には、さっき絶妙なタイミングで窓に撃ち込まれた銃弾のことが気になってならなかった。あれは誰が、何のために撃ったものだったのか。
(敵の多いマルセルだ、刺客が忍び込んでいた可能性がないわけではないが……)
それにしては、あまりにも出来すぎたタイミングではないだろうか。
まるで、次元が逃げ出す隙を作るために、マルセルたちの注意を逸らすために、放たれたかのような銃弾。
(まさか)
次元の脳裏に、一瞬だけ相棒の姿が浮かんだが、すぐにそれを打ち消した。それこそあまりにも出来すぎだ。

その時、獰猛な犬の唸り声が次元の耳を射た。薄闇の中に、一対の目が光る。
思わず足を止め、背後を振り返ると、そこにも忍び寄る赤い目があった。
彼を前後から挟み込むような形で、ドーベルマンが三匹、接近しつつある。
騒ぎが起きた時点で、庭に放たれた犬たちであろう。人間の護衛よりも早く、見事次元を見つけ出したというわけだ。
低く唸り、牙をむく。だが犬らは、少しずつ近づいて来つつも、まだ次元に襲い掛かろうとはしなかった。しなやかな体に力を溜め込み、爆発させる隙を伺っている。
しばし、次元は身動きもせずに、犬と睨み合う形となった。

「おい、こっちだ!」
鋭く囁く声。同時に、次元の目の前に、一本のロープが下りてきた。
緊張感が、一気に弾けた。
大きく吼えて、犬たちは次元に殺到する。
次元は反射的に声に従い、勢いよく跳んでロープにつかまった。一匹の犬に足に噛み付かれるところだったが、素早く身を縮め危ういところで逃れた。
がっしりとした木の枝から下りてきたそのロープを、巧みに登りきる。
ロープをしっかり支えていた男の顔が見えてくると、次元は呆れて目を見張った。先ほど次元を救った銃弾の主は、彼だったのだ。
太い枝の上にいったん身を落ち着け、彼と真正面から顔を見合わせた。
下では盛んに犬が吼えたてている。ゆっくりしている場合ではないのだが、やはり訊かずにはいられなかった。

「こんなところで何やってんだ、とっつあん」
「調査だ!」
銭形は胸を張り、きっぱりと言い放った。そしてトーンを下げて、ぼそりと一言付け加える。
「極秘のだが」
次元はニヤニヤと笑った。
「お得意の暴走ってワケかい。相変わらずやるねぇ、とっつあん」
「うるせぇ! 貴様こそ何をしとったんだ。危ないところだったろうが」
「……調査だ」
真似て答える。銭形は苦々しく眉間に皺を寄せた。次元が捕らえられたふりをして乗り込んだことを、見抜いたのだろう。
「まったく無茶するヤツだな」
「俺はルパンのように手の込んだ悪知恵が浮かばないんでね」
「早死にするぞ」
「長生きしたいなんて思っちゃいないさ」
次元は冗談とも本気ともつかぬ調子で云った。二人は目を見交わし、苦笑しあった。

けたたましく吼える犬に気づき、あちこちから黒服の男たちが集まりつつあった。次元は枝の陰から下を覗き、集まってくる男たちの数を数えた。
「こうしちゃいられねぇな。もうこんなところに用はねぇ。逃げるとしようぜ」
遠まわしに、ルパンはここにいなかったと伝える。銭形はすぐに察したようで、大きく同意した。
「ヤツら結構いるな。弾数が足りるかどうか。ま、とっつあんもいることだし、やってみるか」
次元のその言葉に、銭形は目をむいた。
「殺しはいかんぞ!」
「この非常時にッ」
「ダメなモンはダメだ! 何か仕込んできてないのか、お前らのよく使う小道具。あるだろう! それを出せ!」
頑固に云い張る銭形に、次元は猛烈に何か云い返したそうに口元をひん曲げたが、結局それをぐっと飲み込んだ。云い争いをしている場合ではないのだった。
仕方なく、内ポケットから、ボール状のもの数個を取り出す。銭形は満足げに頷いた。
「あるじゃねぇか。それ使え。眠らせろ。早くやれ」
「簡単に云うなってんだ。屋内じゃねぇし、風向きも悪い。どうなっても、俺は知らねぇぞ」
せっつく銭形にうんざりし、次元はやけっぱちに云い放った。どうにでもなれとばかりに、ボール型の催眠弾を木の下に集まりつつある男たちと犬に向けて、投げつけた。

たちまち辺り一面に白い煙が舞い上がる。悲鳴、怒声、激しい咳が白煙の中に渦巻く。
催眠ガスを含んだ煙は、風に散り、あるいは立ちのぼり、木の上にいる次元と銭形の元にも漂ってきた。二人は慌てて口元を抑える。煙には、なぜか刺激臭も含まれていた。
「おい、何だこりゃ! たまらんぞ」
「……催涙ガスの玉も混じってたみたいだな」
「バカモン!」
思わず大口を開けて一喝してしまった銭形は、煙を吸い込み、激しくむせた。
口元を押さえたままモゴモゴと、だが断固として次元は云い返した。
「俺はあんたの部下じゃねえ」

煙が高いところへ立ち昇ってくるのは当然の道理である。さらには風向きの関係もあり、その白煙は吹き散らされる前に二人のもとにまで律儀に返ってくる有様だった。
二人はこのまま燻されていてはたまらぬと、思いきって木から飛び降りた。
下も同じように混乱状態を呈していた。催眠ガスが効き、倒れ眠り込んでしまっている者もいれば、煙に咳き込み、あるいは涙が止まらず目を抑えたまま蹲っている者もいる。
だが、そのうちの数人はうまく煙をやり過ごしたようで、次元と銭形を発見するや、たちまち襲い掛かってきた。
次元は動じることなく、滑らかにマグナムを抜いた。
まさに「目にも留まらぬ」という使い古された言葉で表現したくなるような、それは早業であった。
五人の男たちの握った銃を、正確無比に撃って弾き飛ばす。彼らに手出しする隙を与えなかった。
「でかした!」
銭形はそう怒鳴ると、銃を弾き飛ばされ丸腰になった男たちに、猛然と突進していった。
「元気だねぇ、とっつあんは」
次元が呟いている間に、銭形は得意の体術を駆使して、あっという間に五人を伸していた。
少し得意げに、銭形は次元を振り返ったが、その面がすぐにこわばる。
次元の背後に、ガスにもやられず残っていた三匹の犬が、再び唸り声を上げながら一歩一歩近づいているのを見たからであった。

犬たちに気づくと、次元は素早く身を翻し、銭形の脇を駆け抜けた。
「とっつあん、後は頼んだ!」
「お、おいっ、次元、貴様、待てッ」
走り出した次元の動きに反応し、犬たちは一斉に吼えて地を蹴った。
視線を次元と犬の交互にさまよわせ、わずかの間棒立ちになっていた銭形が、犬たちの格好の的となった。
鋭い牙と爪が、容赦なく迫る。逃げるにはすでに手遅れだ。背を向けた瞬間犬の牙の餌食となってしまうだろう。
銭形は「ちくしょう」とわめいてみたが、仕方なく戦う決意を定めて、低く身構えた。



何人かのガードマンをやり過ごし、あるいは戦闘不能状態にしてやりながら、次元はマルセル邸の駐車場にたどり着いた。
一台の大きなオープンカーに乗り込む。キーは駐車場前で叩きのめした男から奪い取ってある。
エンジンをかけ数回大きく吹かすと、アクセルを強く踏み、急ハンドルで車庫から飛び出した。
猛スピードで今来た道を疾駆する。
勇敢にも車を止めようと立ちふさがろうとした者もいるにはいたが、クラクションを鳴らし、容赦なくスピードを上げて走り来るその凄まじさに、結局は悲鳴混じりに身を避けた。

銭形がドーベルマンと格闘している様子が見えてきた。
すでに二匹の犬を撃退したようだが、最後の一匹に苦戦していた。銭形は最も大きなドーベルマンの下敷きになり、あわや首を噛み切られる寸前で、その牙を食い止めた。
喰らいつこうとする犬の顔をありったけの力で押し上げる。その腕は震えていた。まさに力比べであった。
「とっつあん、乗れ!」
次元は、殆どスピードを緩めずに突っ込んでいった。
渾身の力を込めて、銭形は下からドーベルマンを蹴り上げる。ギャンという鳴き声と共に、犬は弧を描いて跳ね飛ばされた。
その勢いのまま瞬時もおかずに銭形は身を起こすと、走り寄った次元の車に向けて飛んだ。
絶妙なタイミングでしがみつき、助手席に転がり乗る。
「さすがに上手いモンだな」
半ば本気で感心し、次元はそっと云った。
銭形はむっつりとしたまま答えず、傷ついた腕に滲む血を拭った。

さらに車を加速させる。正面には、噴水の向こうにマルセル邸の門が姿を現した。高い柵状の門は、しっかりと鍵がかけられ、黒服の男二人がマシンガンを持って立ちふさがっている。
次元はマグナムを腰から引き抜いた。
「とっつあん、ハンドル」
答えも待たずにハンドルを放し、運転席から立ち上がった。アクセルだけは片足で踏み続ける。慌てて銭形は身を伸ばし、ハンドルを押さえる。
「このまま真っ直ぐだ」
「好きにやれ」
観念したように銭形が答える。
マシンガンから放たれる銃弾が、車体を、そして次元の頬を掠めていく。微かに熱い。
だが頬の熱は、疾走する車に吹きつける風の中に消えた。
次元は門を閉ざしている鍵の部分だけに狙いを集中させ、すべての弾を一点に撃ち込んだ。
スピードを緩める気配もなく突き進んでくる様子に恐れをなし、ついに男たちは門の前から逃げ出した。ぎりぎりのタイミングであった。
車は派手な音を立てて門に突っ込んだ。
鍵が壊されていたために、思いのほか門は素直に開いた。車体の前面がわずかにひしゃげたが、その衝撃にも耐え、変わらぬ速度で走りぬけた。
少しの間、後ろからマシンガンを乱射する音が追ってきたが、それもすぐに遠くなっていった。



まだ相当な速さで車を走らせながら、次元は内ポケットから取り出した煙草に火をつけた。しみじみと吸い込む。
今頃になって、マルセルの手下に殴られたあちこちが痛んだ。
銭形も同様だろう。犬との格闘で全身傷だらけの様子である。
次元は不思議な高揚感の余韻と、虚脱感に浸りながら、隣で憮然としている銭形を横目で見た。
「あーあ、余計な骨折っちまった。あんたのせいだぜ、とっつあん」
「何でワシの」
「だいたいな、ルパンがちょっと消えたくらいで大袈裟……」
次元がそう云いかけた時であった。銭形の懐で携帯電話が鳴った。仕方なく、次元は口をつぐんだ。
そんな彼に背を向けるようにして電話を取る。「ああ」「うん」と数回低く答えた後、銭形は唐突に怒鳴り飛ばした。
「何ぃ?! バカモン、どうしてそれを真っ先に報告せんのだ!ああ、言い訳はいらん。……わかった、すぐに戻る!」
荒っぽく電話を切る。

そして銭形は、次元の方に顔を向けると、淡々と云った。
「ルパンの目撃情報があった」
「……!」
次元は黙って車を止めた。
そのニュースに関心がないわけがない。だが次元は無表情のまま、ゆっくりと銭形に尋ねた。
「どこで?」
「オスロの高級ホテルのロビーで、だと」
答える銭形の顔が、わずかだが笑みにほころんだ。
「何でも、金髪美人と一緒で、デレデレとやに下がっているところを地元警察に見つかったんだとよ。すぐ逃げたらしいが、緊急手配が掛かってる」
「……あのバカ」
吐き捨てるように云う。だが、その言葉に安堵がにじみ出ていることを、次元は自覚せずにはいられなかった。
「やっぱりオンナとしけ込んでいやがった」
「結局お前の云う通りだったな、次元」
「そういうヤツなんだよ。居たら居たで、居なきゃ居ないで、とことん人騒がせな野郎なんだ」
「まったくだな、怪しからん」
銭形と次元は、再び苦笑いし合った。あまりにも異なり、それでいてあまりにも似通った、笑みであった。


銭形はそこで車を降りた。パトカーが銭形を拾いにやって来るのだろう。次元としては、すぐにでも立ち去らなくてはならない。
だがその前に片付けて置きたいことがあった。
次元は何やらごそごそと体をさぐった後、取り出したものを銭形に放り投げた。
「例のマイクロフィルムだ。万が一の場合は、ルパンと交換しようと思ってたんだが、もうその必要はないみたいだからな」
「こんなもの身に着けて乗り込んで、よく奴らに見つからなかったな」
しっかりとそれを受け取り、懐にしまいこみながら、銭形は呟いた。次元は悪戯っぽく笑う。
「ルパン直伝の隠し場所だからな」
「……」
銭形は一瞬、心底嫌そうに顔をしかめた。一体、どこに隠してあったと想像したものか。次元は銭形の反応を、内心意地悪く楽しんだ。
やがて気を取り直したように、大真面目な顔つきで、銭形は云った。
「これはICPOが責任を持って適切に処理しよう。安心しろ」

そして銭形は、次元に背を向けて歩き出した。その背にふざけ半分で声をかける。
「今日は見逃してくれるのかい?」
ぴたりと足を止め、銭形は硬い背中で、云い切った。
「次元、覚えておけよ。ルパンを捕まえたら、すぐにお前もこの手でひっ捕らえる。そして一緒に処刑台へ送ってやる」
再び銭形は歩き出し、次元から遠ざかり始めた。が、言葉はまだ続いていた。
「ま、悪くねぇ死に方だろ?」
次元の答えを待たずに、軽く手を上げる。しばしの別れの合図でもあり、これで馴れ合いの会話は終わりだ――と、そんな合図のようでもあった。
遠のく銭形を見送りながら、次元は短くなった煙草を投げ捨てた。
「勝手なこと云いやがって」
その呟きは、誰にも届くことなく、夜の闇の中へと溶けていった。

これまた思いついてから形にするまでに時間の掛かった話。去年の夏頃から「書きたい」と思っていたものでした。私の場合、一気に書きあがるか、ダラダラと時間ばかり掛かるか、どちらかのパターンなんですね(笑)
それにしても、これはかなり書き上げるのに苦戦しました。ラストまで決まっているのにこれほど「書けない」と思うのも珍しいかも。どこで悩んでいたのか、ご想像にお任せします(笑)…まあ私は、肉体的にも精神的にも「痛い」話を書くのは苦手なようです。
次元と銭形という組み合わせで話を進めてみたいという思いはずいぶん前からありまして。ルパンを中心において、最も近く真反対に位置する二人、ようやく書けて良かったです。最初の予定とは少し違った話になりましたけど。
まあこの話で何が書きたかったかというと、「愛されるルパン」「いてもいなくても人騒がせなルパン」といったところでしょうか(そうなの?笑)

(04.2.3完成)

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