切り札 (後)

「とっつあんも人が悪いねぇ。気付いてたんならサ、早いトコ云ってくれりゃいいのに」
「フン、うるせぇ。お前はもう袋のネズミだ。観念しろ」
「おお、怖ぇ」
そうしている間にも、二人に対する包囲網は縮まっていく。ネズミどころか蟻の這い出る隙もないほどの徹底ぶりだ。

「おい、ルパン。どうするつもりだ? すっかり囲まれちまったじゃねえか」
ルパンの耳元で次元が囁いている。だが、次元にも、もちろんルパンの方にも切羽詰った雰囲気は感じられない。
「困っちゃったよねぇ。次元、どうしよ」

そこへすかさず、銭形の厳しい声が飛ぶ。
「無駄口を叩くな! 護送車がすぐに来るからな。それまで大人しくしていた方が身のためだぞ、ルパン」
「へいへい。それにしてもよく俺が今日来るってわかったな、とっつあんよ」
特殊なガラスケースの中についにルパンを閉じ込め、後はこのまま刑務所まで運んでいくだけだと思えば、どれだけ仏頂面を通していても、実のところ銭形の気分は軽い。
口とて同様のようだ。
「お前が日高総監に化けていたことに気付かなかったと思うか? まあ、確かにお前の変装は見事だったよ、それだけは認めてやる。だがな、俺を羽交い絞めにしたのはまずかったぜ。ホンモノの日高総監には、俺を押さえ込めるほどの技や腕力なんかありゃしないんだ」
「……! そうか、どうもとっつあんの様子がどこかいつもと違うと思っていたんだ。あんたが警官の変装を解いた『俺』を目の前にして、後を追わずにいることなんて、ありえねぇもんな。その時それに気付かなかったなんて、ヘマしたもんだ」
「ヘマ」を認めたルパンのその言葉が、いかにも愉快でならぬように、銭形は大きく笑った。
偽警視総監だと気付いていながら、即座に暴いたりせず、むしろその状況を利用し、確実にルパンを捕えられる罠をはって待ち受ける。猪突猛進型の銭形らしからぬ芸当だと感心してか、閉じ込められている二人はただ顔を見合わせた。

ルパンは、手に持っていた祖父のものだったとされるマントを改めてまじまじと見つめ、
「というコトは、当然これも……」
「そう。偽物ってわけさ。本物はとある場所に待機中。お前らをとッ捕まえてから運び入れるって寸法だ」
誇らしげな声。それに続く高らかな銭形の笑い声。
ルパンはたまらず偽のマントを床に叩きつける。
「くっっそぉ〜」
そして怒りに任せ、荒々しくそのマントを踏みにじる。激しく床が鳴った。
2回、3回と、ルパンは悔しさを床に落ちたマントにぶつけていた。
――ように見えた。

ふいに、何かが抜けるような、重々しいガツンという音が響き渡る。
「おおっ?!」
銭形は一瞬目を疑った。
ルパンと次元の姿が、消えていたのである。
「何ッ? 何が起きた?」
猛然とガラスケースへと突進する。だが、そこにはもうあの二人の姿はどこにもなかった。
取り囲んでいた警官達からも一斉にどよめきが上がる。
「ル、ルパン!! くそっどこへ……」
銭形はガラスケースにへばりつき、思わず強く叩きつけた。非常ベルは極めて正確に反応し、けたたましい音を虚しく響かせる。

よく見ると、ルパンたちが立っていた展示スペースの中、その床の部分に大きな穴が開いている。
丸く、一刀両断されたような、抜け穴。
一見、傷一つついていないように見えていたが、力いっぱい数度踏み鳴らせば、ポカリとその口を開ける程度の、絶妙な切り込み方である。
五右エ門の仕業だろう。
ルパンは予め抜け穴を用意しておき、ちょうどこのケースの真下へと通じさせ、そして地上から力を加えればすぐ開くように五右エ門の剣技で事前に「切れ目」を入れておいたのだ。

銭形の顔が、激昂のために赤く染まる。
「おのれいつの間に……。開けろ! 早く電子ロックを開けるんだ!」
この部屋の様子を監視カメラ越に見ているであろうコンピュータ制御室に向かって、銭形は吼えた。
コンピュータ制御室の反応は早かったが、銭形にとってはルパンが逃げ出したというのに何も出来ず、ただ待つだけの、永劫にも思える時間が過ぎた。ようやくガラスケースが開いた。

即座に穴へ飛び込もうとしたちょうどその時。
いつのまにか足元に転がっていた、小さなボール状のものから、勢い良く白い煙が吹き上げた。
「くっ! こ、これは」
即効性の催眠ガスである。ものすごい噴射力で、ガスはたちまち部屋中に広がっていく。
眩暈と、脱力感が全身を支配する。銭形は思わず膝をついた。
周囲の警官たちも、それぞれ口元を押さえ、煙を避けようとしていたが、すでに遅かった。バタバタと倒れ、眠りに落ちていく。
襲いくる強烈な眠気と戦い、薄れゆく意識を叱咤しながら、銭形はそれでもただ一人、ルパンたちの逃げて行った抜け穴へ向かわんと、力の入らぬ体を懸命に伸ばした。
だが、それ以上、どうしても動くことは出来なかった。
「ちくしょう、ルパン! 覚えていろよ」
ノドも裂けよとばかりに叫んだつもりであったが、果たして本当に声が出ていたのかどうか、ついに記憶に残ることはなかった。



「チェッ、あっという間に退却かよ! オミヤゲはそれだけかい」
一方、抜け穴から下水道へ出て、暗く、嫌な臭いの立ち込める中、二人はペンライト片手に走り続けていた。
二人の声が、周囲の汚い壁面にこだまする。
「うーっるせえ! 次元、黙って走りゃいいんだよ!」
まだ偽のマントとマネキンを抱いていたことに気付き、ルパンは腹立たしげにそれらを放り投げた。

しばらくして、そろそろ催眠ガスが効果を現した頃だと見、ルパンは走るのをやめた。次元もそれに倣う。
足元をライトで照らすと、時々大きなネズミが光を避けて横切っていく。
獲物を両手に抱えてならばともかく、こんな陰鬱で不潔な場所を、何一つ得るところないままに歩いているかと思うと、気が滅入るものだ。
次元は、むっつりと自分の煙草に火をつけた。いがらっぽいだけでちっとも美味く感じられない。

「銭形のとっつあんも、少しは進歩したんだな。いつの間にやら我慢強くおなりになってぇ」
「へっ、負け惜しみ云うなって。今回お前は完全に銭形にしてやられたんだ」
「んん」
ルパンの返事ともつかない曖昧な声をどう受けとったものか、次元は刺々しかった口調を、ほんの少しだけ和らげた。
「……まあ、例の『パリ展』は2週間やってるんだ。お前のことだ、どうせ次の手だって考えてあるんだろう?」
ルパンは小さく笑ったようだった。
「そうだな、イロイロあるにはあるけど。とりあえず今は、神頼みでもしときましょうかね」
「神頼みぃ?!」
ルパンに最も似合わない言葉だ。今度はどんな気まぐれを起こしたのか。次元は少し皮肉に呟いた。
「お前の頼みを聞いてくれるカミサマがいるたぁ、意外だったな」
それに答えたルパンの声は、次元以上に皮肉っぽく、そして底知れぬ深みを帯びていた。

「いるさ。……欲張りで、気まぐれな女神だけっどもがな。今回ばかりは、そこが頼みの綱なのヨ」

◆ ◆ ◆

人気のない深夜の道を、軽快なエンジン音を響かせて、バイクを駆る。
無事仕事を終えた後の、何ともいえぬ高揚感と充実感を胸に、不二子はただひたすらバイクを走らせ続けていた。
頬に当たる夜の風がほんのり上気した頬に心地よい。
(ルパンには悪いけれど……)
出し抜いた相手に、心の中でしおらしい言葉を送ってみるものの、それも所詮戯れに過ぎない。
不二子は、今自分が手に入れたものに充分満足しており、罪悪感など感じてはいなかった。

アルセーヌ・ルパンの遺品を盗む。
今回の仕事に、ルパンが彼女を仲間に入れてくれていたら、こんな風に出し抜かれることもなかったのに、と不二子はそう思っている。
(『分け前』だけで満足しようと思っていたのに、イジワルするからよ。貴方が悪いのよ、ルパン)
罪の意識などなるっきり感じていないはずなのに、なぜか思考はルパンの元を行き来する。

あの夜の後、不二子はルパンたちから離れ、独自の情報ルートと人脈を駆使し、目的の物が博物館に運び込まれる方法と時間を探り出したのだ。
ルパンの方は、警備のすべてを把握し決定する銭形を攻め、そのルートで情報を得ていたらしいが、不二子からしてみたら危険が大きすぎる。確かに、きわめて正しい情報、そしてごく限られた秘密の情報も、銭形ならば知っているだろう。
だが銭形だけがそれらを知っているわけではないのだ。
(男って、ホントに無駄な危険ばかり冒すんだから…)
不二子は、博物館の館長をまず手中に落とし、そこから入手できた切れ切れの情報を元に、さらに不二子独自の情報ルートで調べを進め、推理し、ようやく遺品の「正しい」日本への到着時間、そして博物館への「正しい」搬入時間を知ったのである。

どうやらルパンが、銭形に罠を仕掛けられているということも、察することができた。
こんな絶好のチャンスを逃がすわけにはいかないと、不二子は一人微笑んだ。
そして今夜、フランスからの輸送機が到着する空港へ潜り込み、見事偽物とすり替えることに成功したのだ。
銭形が、ルパンにだけ注目していてくれたお陰で、空港での仕事は非常にやりやすかった。
そう、まるで不二子のために囮になってくれたかのようである。

アルセーヌ・ルパンの遺品は今、ジュラルミンケースに収められ、不二子のバイクの後ろに、厳重にくくりつけられている。

もうすぐ、不二子のアジトに着く。快適に飛ばし続けために、帰ってくるのに思ったより時間がかからなかったようだ。
一旦アジトへ戻ったら、荷造りをしてすぐにまた空港へと取って返すつもりである。
ほとぼりが冷めるまで、しばらくヨーロッパを旅行でもしようと、彼女は考えていた。朝一番の飛行機に乗ろう、と。
不二子の裏切りをいつも鷹揚に許し、それを楽しんですらいるルパンだが、果たして今回はどうだろうか。それが気にならないといったら嘘になるのかもしれない。
不二子に、自分がそう感じているという自覚はあまりないのだが。

そうして考え事をしながらも、車体を傾け、大きなカーブを鮮やかに曲がる。
バイクのライトが暗闇を裂き、カーブの果てるところに突然、一人の人影を映し出した。
「アッ」
人影を認めた瞬間、反射的に急ブレーキをかけハンドルを切る。
だが、間に合わない。
思わず息を呑む。無意識のうちに目を閉じてしまった。
キーンという金属音だけが耳の中にこだました。
「キャアッ!!」
その音と共に、バイクにわずかな衝撃が走る。バランスを崩し、不二子は派手に転んだ。

「痛……」
カラカラと音を立てて、バイクのタイヤが緩やかに回る。
ぶつけた足に、痛みを覚えた。
だが、ブレーキを掛けていたことと、ずば抜けた運動神経の良さが幸いし、特に大きな怪我ではないようだ。
一体何が起きたのか。
不二子はようやく、身を起こしながら、ひどく静まりかえった周囲を見渡す。
「……ご、五右エ門!」
気配もなく、石川五右エ門が佇んでいた。さっきバイクの前に突如現れた人影は、彼だったのである。
五右エ門は、いたって静かな眼差しを向け、
「怪我はないか」
そう問いかける五右エ門の手には、斬鉄剣と、そしてアルセーヌ・ルパンの遺品を収めたジュラルミンケースがあった。
すれ違いざまに奪われたのだ。あの時――たった一瞬の隙に。

「……」
不二子は黙ったままゆっくりと確認してみたが、身体に特に異常はない。打った足も軽い打撲程度であろう。
ただバイクを起こすと、そこに大きな傷がついてしまっている。思わず不二子は小さく溜息をついた。
五右エ門がここにいるということは、ルパンの差し金に違いない。気がつかなかったが、もしかしたらここ数日、ずっとつけられていたのかもしれない。
――ルパンは、不二子がこうして裏切ることを予期していたのだ。

「大丈夫のようだな。では、これは確かに貰い受けていくぞ」
淡々とそう云うと、五右エ門はくるりと背を向けて去って行こうとする。
「待って」
不二子は呼び止めずにはいられなかった。ひと呼吸置いて、ゆっくりと五右エ門は振り向いた。
彼の冷静な無表情が、妙に腹立たしい。五右エ門にわざときつい視線を向ける。
「ずいぶん手荒いご挨拶ね、五右エ門さん。……そのケースを返して。私が苦労して手に入れた獲物よ」
「これはルパンの祖父の形見。ルパンの手に返るべきものだ」
あくまで貫かれる五右エ門の穏やかさが、不二子をカッとさせた。
「私を『保険』にしたのね? 冗談じゃないわ、利用されるなんてまっぴらよ! 横から盗っていくなんてズルイじゃない」
日頃の己の行動については完全に棚上げして、叫ぶ。

だが、五右エ門の方は静かに、まるで頑是無い幼子に言い聞かせるかのような口調で云った。
「お主も知っているはずだ。あやつが祖父のものを無闇に人前にさらすことを好まぬことも、自分の手元に置きたいと思っていることも」
「だからって……!」
激しく反論しかかったものの、結局言葉を呑み込む。こんな言い争いをしたからといって、五右エ門が意志を翻すことなどないだろう。力ずくで奪い取ることは尚出来ぬ。
不二子にだってそれは最初からわかっていたのだ。

「ルパンがこれほど慎重に手を打ってあるなんて……。噂はやっぱり本当なのね」
「何のことだ?」
五右エ門の表情にはいかなる感情のさざなみも立たぬ。だが不二子は続けた。
「そのアルセーヌ・ルパンの遺品には、『ルパン帝国』の莫大な埋蔵金のありかを解き明かすヒントが隠されている、という噂よ」

挑戦的に言い放たれた不二子の言葉を、五右エ門は素っ気なく受け止めた。
「さあ…どうかな。オレには関係のないことだ」
「相変わらず、ご清潔でいらっしゃること」
彼女のそんな棘だらけの言い方も、彼は静かに目を閉じただけであっさりと受け流す。そして低く、呟く。
「その噂が事実かどうか、オレは知らんがな。……だがもし本当に『帝国』と関係のあるモノなら、余計に、深入りはせんことだ」
「私に忠告してくださるってワケ? それともそれは警告かしら」
「どう受け取って貰っても構わんよ」
冷たい声ではなかった。むしろ、優しいとさえ云えるかもしれぬ、声。

五右エ門は、今度こそ不二子に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。一部の隙もない、断固とした後姿。
それが、ここにはいないあの男の後姿と重なる。
その背に向かって不二子は、
「ルパンに伝えて頂戴。今回だけは利用されてあげる。ただし、この貸しは高くつくわよ――ってね」
「承った」
振り返らずに、五右エ門は答える。
そして、彼の姿は夜の闇へと消えた。

不二子もようやく、彼が消えた方向に背を向けると、ひらりとバイクに跨った。
そして今の出来事を吹っ切るかのように、大きくエンジンを鳴らすのであった。

ようやく書くことが出来た、レギュラー陣5人が勢揃いするお話です。
思いついてから形にするまで、一番時間が掛かってしまった話でもあります。
タイトルも最初は「Jorker〜切り札〜」とか「切り札〜Jorker〜」にしようかと思ったりしてましたが、「〜」ってどっかのテレスペみたいな上(笑)、どうもわかりにくいので、この直球タイトルに。
タイトルがいいかどうかはともかく(^^;、私には「これしかないな」という感じ。
ルパンが、不二子の裏切りを「最後の切り札」にしている、という話にしたかったので。
ただ普通のお宝の場合は「ルパンがそこまでするかな〜?しないだろうな」と思ったので、今回のターゲットは爺様がらみの曰く付きな品物、という設定に。
五右エ門=今回のルパンの切り札、と見ることも出来るので、その辺はご自由に解釈して楽しんでいただければと思います。
銭形との掛け合い(笑)じゃなくて駆け引きの辺りは、原作新の「ホールド・アップ」みたいな感じにしたかったのですが…書いてるうちに自分自身がワケわからなくなったので(笑)、シンプルバージョンに書き直したといういきさつがあります。
今回のルパン、イイところナシかな〜(反省)。ただルパンは、最初から「横取り」を目論んでいたわけでは、ないんですよ(と言い訳してみる)
あ、この展覧会にアルセーヌ・ルパン物が登場するのも、年代的にやや強引かもしれないんですが(きっちり時代考証してなくてスミマセン;)、「特別展示物」というコトでひとつ!(主催者が私並みにいい加減な人だったんですな、きっと)

(03.7.29完成)

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