孤高の剣士 (後)

一歩踏み出せば、この小柄な老人の命は一瞬にして消える。何も躊躇うことはない。
師・百地の敵。こやつの命を奪うことは、師の命令なのだ。
だが、この無抵抗。無反応……。この老人の「気」のあまりの静寂。
どういうことなのだ。まるでもうすでに……五右エ門ははたと気づいた。
(そう。まるで、すでに死んでいるかのような……)

死の気配。そうとしかいえないものが、そこにはあったのだ。

五右エ門はわずかに刀を下げた。相変わらず五右エ門は隙なく身構えているが、その顔は奇妙な表情を浮かべていた。
塚原老はピクリと眉をあげ五右エ門を見上げ、云った。
「ほう?気づいたか。そう、わしはもう長くない。あと数ヶ月も保たんだろう」
命乞いのつもりか? そんな皮肉な台詞は、五右エ門の舌の上で凍りついた。老人の言葉が嘘でないことは、これ以上ないほど明白な事として五右エ門にはわかってしまったのだった。
五右エ門は、いまだ老人の胸元に斬鉄剣を突きつけたまま、微動だにしない。が、先程までの異様に張りつめた殺気に、ほんの微かな戸惑いが滲んだ。
「さんざん人の命を奪って来たんでな。自業自得よ。……さあ、やりなされ」
「……」

うら若き暗殺者と、死を内包した老暗殺者。二人の目が静かにぶつかりあった。
老人は、興味深げに五右エ門を見つめ、すべてを越えてしまった者だけができるであろう、静かな笑みを浮かべた。
「石川の。お前さん、百地がわしを殺すよう命じた時、ヤツはわしのことを何と説明した?」
そうだった。五右エ門は、師の言葉を思い出した。目の前にいる老人がどれだけ悪辣で卑怯極まりない殺しをしてきたか、百地にどれだけひどいことをしてきたか。

「しかも貴様は百地先生の娘を殺した」
五右エ門の言葉を聞くと、塚原老はさもおかしそうに顔を歪ませ、楽しげな、だがかすれた笑い声を洩らした。
「何がおかしいっ!」
五右エ門は怒鳴った。
老人は少しも動じた様子がなく、クククと咽喉を鳴らして笑っていた。
「あの男も相変わらずだ。『伊賀の死神』め。殺すなら殺したいからと正直に言えばよいものを、そうやっていつもつまらぬ理由をひねり上げる。己の卑劣さを隠すために、己を正当化したいがために、他人を悪しざまに言わずにはいられない……」
「百地先生を侮辱する気か?!」

切り捨てていいはずだった。だが、何かがひっかかっている。五右エ門は剣先を老人の胸元に向けるだけにとどめていた。老人は穏やかに云った。
「娘を殺されたのはわしの方よ。随分昔の話だが……」
「まさか」
「信じなくても構わんがの。お前さんに百地のヤツが並べ立てた卑劣な殺し、ほとんどがヤツ自身がやったことよ。わしだとて殺し屋、潔白などというつもりもないが、暗黒街の最低限の仁義は守ってきたつもりだ。 しかし、ヤツは……」
「黙れッ!」
「そなた、百地を信じておるのか……?」


信じて?
生まれて初めて問い掛けられたその言葉に、五右エ門は戸惑いを覚えた。
自分は百地を「信じて」いるのだろうか?いつも百地の言うことにはすべて従ってきた。だが……
「師」だから?何も疑わずにいたのだろうか?
「師」は「師」だ。それ以上でも、それ以下でもないはずではないか。信じるもなにもないはずだ。
五右エ門は、己の狼狽を押し隠してそう強く考えた。


老人は穏やかな声で続ける。
「お前さんも気をつけたほうがいい。百地の嫉みはお前さんにも向かっているだろう。あやつは常に己が殺し屋界の頂点にいたいのだ。わしを殺したいのもその せいさね。わしがすっかり足を洗ったのも信じずに……な。ヤツの殺し屋界の帝王の座を妨げる人間は、どんな恩や縁があろうと殺る。それが百地三太夫、伊賀 の死神という男よ」
「バカな」
そう答えたものの、五右エ門の胸には重くのしかかるものがあることを認めざるを得なかった。
「バカなことだと思うか?今回ここにお前さんを送ったのだって、わしとお前さんのどちらが倒れてもヤツにとっては得だからよ。あまりにも若くして名をあげたお前さんを、あの百地が許すとはとても思えぬ」
「うるさいッ!!」

斬鉄剣が鋭く一閃した。
が、塚原老はピクリとも動かなかった。
斬鉄剣は、老人をわずかにはずし、ただ空を斬った。
なぜか、この老人を切ることが出来なかった。
無抵抗な、死のように静寂な人間を斬ることは、五右エ門の剣が許さなかったのだ。
果てしなく長く感じられる一瞬が過ぎた。



五右エ門は、大きく息をついて斬鉄剣を鞘に収めた。
「斬らんのか?」
「貴様はすでに死者も同然。オレが斬るまでもなかろう」
「わしを殺さぬと、お前さんがまずいことになろうに」
五右エ門は、瞳の底にかすかに不思議そうな様子をたたえて、この死にかけた元殺し屋を見つめた。殺されかけたくせに、その殺そうとした相手を心配するなどというおめでたい人間がいるとは、夢にも思わなかったのだ。
「あの塚原道厳は、もうこの寺からとっくに姿を消していた。いたのは老いぼれた寺男だけ……その男だとてバカではあるまい。こんな物騒な場所に長くは居るまい」
「なるほど」
と、塚原老は微笑しつつ答えた。

ヒグラシが鳴き始めていた。
まだ外の日は高いが、夕暮れの気配が忍び込んでいる。
五右エ門は縁側から降り、草履を穿く。
その背後に、老人が声をかけた。
「百地には気をつけなされ。これだけは忠告しておくぞ。……お前さんはヤツとは違う種類の人間とお見受けした」
「このオレが殺されるとでも?」
振り向きざま、五右エ門は冷たく不敵に笑った。
そんな若い殺し屋を、老人は悲しげに見つめた。
「自分だけが特別だと思わんことだ。わしも若い頃はそうだった。自分だけが特別だと思っている者は、限りなく孤独なのだ……」
「……」
五右エ門は、何も答えず静かに歩み去った。
老人は、いつまでも五右エ門が消えていった方を見つめつづけていた。



まだまだ気温の下がらぬ山道を、五右エ門はひたひたと下っていた。
同じ道をのぼった時とはまるで違った心境で。
塚原老の言葉を幾度も思い返しつつ、呟いた。
(孤独で何が悪い。この世界に生きているのなら当然のことではないか……)
だが故知らず、心はもはや静かではなかった。
(自分だけが特別だと思っている限り……)
いつまでも老人の言葉が心にこだまする。



石川五右エ門がルパン三世に出会う、数ヶ月前の出来事であった。

生まれて初めて書いたルパン的小説だったため、かなり緊張したのを覚えています。でも書き始めるとびっくりするほど早く完成した作品でもありました。
この小説を書くことが出来たことが、最終的にHP開設に踏み切ったきっかけでもあったり…(^^)。
ルパンに出会う前の五右エ門は、本当に孤独だったんだろうな〜という発想から書きたくなったお話。
テーマは登場人物が台詞として喋ってしまっているので、かなり未熟な形で提示されているのですが(^^;、「自分を特別だと思っている限り人は孤独だ」と いうことです。勿論、ルパンたちは悲壮ぶって孤独しているわけでもないので、それをカワイソウという視点からは決して書きたくないのですが。
このテーマと関連して「選ばれし者の孤独」という事にも、ずーーっと昔から妙に惹かれるものがありまして、いずれもっと上達した時に違う切り口で書くことができたらいいな、と思ってます。
そしてこの作品には、何と何と池本剛さんがイラストを描いて下さいましたvv五右エ門ばかりかゲストキャラまで。必見です!見たい方はこちら

(01.4月上旬完成)

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