泥棒の休日 (後)

「とっつあ〜ん、洋服くらい着せてくれてもいいんでないの? 男二人がほぼ全裸で手錠でつながれてるって、かなりマヌケな光景だぜ」
風呂場では、ルパンは銭形に訴えかけていた。
転んだ時に打った腰を痛そうにさすりながら、己の姿を見下ろした。
逃げ出そうとした時に慌しく腰に巻きつけたタオルだけが、身体を覆う全てだった。右手には、しっかりと手錠が掛けられている。
銭形も同様の姿だったが、いっこうに頓着する様子はない。
「うるせぇ! 今すぐ護送車を呼んでやる。それまでの辛抱なんだから、ゴチャゴチャと贅沢ぬかすな」
「ううっ寒い。おい、とっつあんてばよ、せめて脱衣所に戻ろうぜ。何もここにいるこたぁねえだろ?」
もっともだと思ったか、銭形はその言葉を一喝して退けることはしなかった。
いずれにせよ、まずは地元警察に連絡しなければならないのである。寒風吹く露天風呂に居続ける必要はなかった。
湯船には、結局一口も味わうことのなかった熱燗や盆が乱暴に散ったままになっており、洗い場には、逃げ出した二人の捨て去ったタオルや石鹸が転がって、短い間にどこか荒んだ有様になっていた。
穏やかにあがり続ける温泉の湯気だけが、変わらずに長閑だ。

「よし、行こう。おかしな真似するんじゃねえぞ。この手錠は特別製だ。外そうったってそうはいかねえからな」
「へいへい。あ〜あ、まったくとんだ休暇になったもんだよ」
宿敵のぼやきを、銭形は満足げに聞き入っている。ついでに自慢げに口を開いた。
「これぞ天網恢恢……というヤツだ。お前らが日本にやって来て、この県のどこかに潜んでるという情報を掴んだんでな。お前の行きそうな場所を、当たってたんだ」
ルパンは口元を尖らせた。
「勘だけは鋭いんだからなぁ」
「恐れ入ったか」
銭形は豪快に笑ったが、隙を見せずにルパンと繋がる手錠をに引いて脱衣所へ向かった。

二人が脱衣所へ入っていくと、突然廊下へ通じる扉が開いた。
女将と番頭が、揃って顔を覗かせた。女将の艶っぽい細面の顔も、番頭の無骨そうな顔も、先ほどルパンらを玄関先で出迎えた時とは別人のように硬い表情だった。
奇妙な光を湛えた目を、手錠で繋がれた二人に向けてくる。
その目に、ルパンは思わず一歩退いた。
だが銭形は上機嫌で、彼らに頷きかけた。
「おお女将、いいところへ来てくれた。大至急警察に連絡してくれ。たった今、かのルパン三世を逮捕したんでな」
女将と呼びかけられた女は、ふいに唇を毒花のように綻ばせた。口元の小さなほくろが、きゅっとつりあがる。
そこに浮かんだのは、決して友好的な笑みではなかった。
「あら、警察沙汰は困りますわ」
「何を云っとる……」
不信げに女将を問い質そうとする銭形の手を、ルパンは強引に手錠ごと引っ張り、後にしたばかりの浴場へと躍り出た。
「とっつあんこっちだ!」
「ルパンッ?!」
二人の背に鞭のように鋭い声が、投げつけられた。
「動くんじゃない!」

扉から全身を現した女は、その手にしっかりと拳銃を握り締めていた。さっきは番頭と呼ばれていた男が、残忍そうに顔を引きゆがめた。
縄のような筋肉が張りつめ、まるで獣のように異様に長い腕を覗かせ、男は両手に持ったロープをピシリと引き絞った。
女が、ルパンと銭形に均等に銃口を向けつつ、云った。
「二人とも、大人しく捕まってもらいますよ」
「俺、もうこのとっつあんに捕まっちゃってるんだけど?」
ルパンが、とぼけたように繋がれた右手を軽く持ち上げる。つられて一緒に腕を上げた銭形であったが、「勝手に動くな」と云わんばかりに荒っぽく手をおろす。
そして堂々と云い放った。
「そうだぞ! ルパンめを捕まえるのはこのわしだけだ。だいたい、貴様らは何者だッ」

冷たい風が吹き、きっちりと結い上げていた女の髪が、わずかにほつれた。
「ルパン、貴方を買いたいって人が大勢いるのよ。貴方達が来るっていうから、わざわざこんな田舎の旅館を乗っ取ったりしたの。一服盛った酒は飲んでくれなかったみたいだし、当初の予定はちょっと狂ったけど……素直に一緒に行ってくれるわね?」
銭形の質問には答えようとせず、女は淡々そうと云った。
ルパンの目が、挑戦的に輝く。
「ご苦労なこったね、ニセ女将。でも、嫌だって云ったら?」
「抵抗しても構わないわよ。生きたままなら十倍の値がつくことになっているから残念だけれど、仕方ないわ」
妖しく笑って、いっそう強く銃を握り締めた。
その時、遠く響くマグナムの銃声が聞こえてきた。ルパンはハッと耳をそばだてる。
「相棒さんたちも当然一緒よ」
宿の内部には、従業員を装っていた彼らの仲間がまだいるのだろう。次元と五右エ門を捕らえるべく、戦いが巻き起こっているようだ。断続的に銃声が続く。
だが、女らは冷静だった。ルパンもまた、動じることはなかった。

「貴様ら、あちこちから恨み買いやがって」
銭形が叱るように小声で囁いた。ルパンは軽く肩をすくめ「お陰サンで」と受け流す。
悪びれない彼の態度に軽く眉をひそめながらも、銭形は銃を向け続ける女と、ロープで二人を縛り上げようと一歩ずつ近づく男に怒鳴りつけた。
「賞金稼ぎのゴロツキどもめ! わしはICPOの銭形だぞッ。こんなことを許すわけにはいかん!」
「あら、銭形警部。貴方をご所望の方もいるんだから他人事じゃありませんよ」
「な、何?!」
「貴方がルパン逮捕作戦のどさくさで壊滅させた組織も多いそうねぇ……それに貴方の持っている警察の情報を欲しがってる方もいますし、いい値がつきそうだわ」
「……ッ」
怒りのあまり顔を真っ赤にして絶句している銭形の隣で、ルパンがクスクスと笑った。
「とっつあん、人気者ぉ」
「ふざけるな!!」
銭形の怒りが爆発した。

いきなり身を低くすると、番頭姿の男の懐に頭から突っ込んでいく。有無を云わさずルパンも引きずっていった。
慌てた女が反射的に一発発砲するが、虚しく空を切る。
構わず銭形は、男に体当たりを食らわせた。ワンテンポ遅れてルパンも銭形に覆いかぶさるように続いた。
不意をついたにも関わらず、男は数歩足を引いただけで、二人の体当たりを受け止めた。鎧のような筋肉が全身を覆っている。
ふてぶてしい笑いに顔をゆがめると、男はロープを投げ捨てざま太い腕を振り回して、銭形とルパンを弾き飛ばした。
「わーッ」
二人は派手に転んで、湯の方まで滑っていった。
間髪いれず、男が大股で二人を追いつめる。
互いに手錠が邪魔をして、まだ立ち上がれずにいた二人に、上から巨大な拳を叩きつける。
危ういところで二人が避けたそれは、洗い場のタイルにひびを入れて、人間離れした威力を見せ付けた。男は、まるで痛みを感じていないらしい。
「うわ、苦手なタイプだわぁ」
くだらんことをほざくなという銭形の叫びは、発せられることなく飲み込まれた。再び驚異的な拳が襲い掛かってきたのだ。
立て続けに攻撃が繰り出される。その都度、露天風呂の洗い場や、湯を囲む岩場に、無残なひびが走る。
どたばたと転がり、飛び跳ね、不思議と息の合ったタイミングで拳を避け続けながら、ルパンと銭形はちらりと目配せをしあった。

男が大きく腕を振りかぶって突進してくるその瞬間、二人は、できる限り身を低く構えた。繋がったままの腕を、一気に突き出す。
手錠の鎖はピンと張り、男のむこう脛を強打した。二人はそのまま男とすれ違い、滑るように背後へ回りこんだ。
突進していた勢いと脛の痛みのあまり、男は大きく前につんのめった。すかさずルパンが、たたらを踏んでいる男の尻を蹴り飛ばした。
温泉に巨大な水しぶきがあがった。

それまで、めまぐるしく動き回るルパンらに狙いを絞れず、手を出しかねていた女だったが、覚悟を決めたように、再びしっかりと銃を構えた。
殺してでも連れて行くと腹を決めたのだろう。
女の動きに気づいたルパンは、先ほどから散らばっているタオルをひょいと手に取ると、迷わず駆け寄った。
「とっつあん、そっち頼む!」
うめくような声を、ルパンは勝手に了承と受け取った。

銃弾が左肩のすぐそばをかすめ去る。だが、ルパンは躊躇はしなかった。
続けて、彼の心臓に標準が合わせられる。
引き金に力が込められた瞬間、全身をバネのようにして横っ飛びに飛んだ。同時に、濡れて重くなったタオルをしなわせると、女の右手にそれを絡める。
あらぬ方向に銃弾が逸れたが、再び彼に狙いを定めようする。ルパンは絡めたタオルを器用に操り、彼女の腕の自由を奪った。ひねりながら強く引くと、次の銃弾は床にめり込んだ。
その隙に、銃を蹴り落とす。
女が身構える間も与えず、ルパンはそのタオルを、今度は首に絡ませた。
背後から女を抱きかかえるようにしながら、少しずつ力を加えていく。女は恐怖の悲鳴をあげた。
それには構わず、ルパンは耳元でそっと囁く。
「こんなんで俺が捕まると思っちゃった? どうせなら色仕掛けでもして篭絡してくれたらいいのにさぁ」
ふざけた言葉と裏腹に、その声にはナイフのような冷たさを孕んでいた。

「おいルパン! わしの目の前で無法な真似は許さんぞ!」
銭形は息を切らしながらも、がみがみと怒鳴った。その足元には、怪力の男がぐったりと蹲っている。
どうやら、倒すことに成功したようだった。
それを見てルパンは満足げに笑うと、女の首に絡めていたタオルをあっさり放した。
女は、崩れるように倒れ伏した。
「わかってるって。ちょっと脅かして気絶させただけだよ。お邪魔虫のとっつあんがいなきゃ、美人女将と温泉でお戯れ〜なんてことも出来たのに、ザンネン」
「バカ云うな。……って、お前、いつ手錠をはずしたんだ?!」
今になってようやく気づいたらしく、銭形は目をひん剥いて、自分の左手だけに引っかかっている手錠とルパンを見比べた。
じりじりと銭形との距離を計り、ルパンは楽しげに嘯いた。
「温泉に入ったらお肌スベッスベになっちゃったみたいでさぁ、さっきスルッと外れちまったんだわ」
「このッ、だったらもう一度逮捕だ!」
そう云って飛び掛ってくる銭形の足元めがけて、ルパンは石鹸を放り投げた。期待通り、銭形は見事な滑りっぷりを披露した。
ちょうどその時、露天風呂の柵越しに、クラクションが響いた。背後に広がる山に通された細い路に、車を乗り入れて来たようだ。続いて彼の名を呼ぶ相棒の声が届く。
「ルパン、大丈夫か!」
「ああ、今行く!」
腰を抑えながら立ち上がろうとする銭形を避け、ルパンは軽々と柵の上に飛び立った。
「とっつあん、後のことはよろしく頼むわ。そんじゃ、お達者で」
「待て、こら待てと云うのに、ルパン!」
当然のことながら待つはずもなく、ルパンはひらひらと手を振ると、柵の向こうへと素早く姿を消したのだった。



「ああ、寒い。もっと暖房効かせろよ、次元」
「ほぼ裸なんだから、そりゃ寒いだろうよ」
助手席でルパンはぶるぶると身を震わせている。タオル一枚を身に着けただけのその姿には苦笑いするしかない。
もっとも、襲い掛かって来た敵を倒すことに忙しく、まだきちんと着替えをする暇のなかった次元と五右エ門も、浴衣一枚を羽織っただけだったから、寒いのは同様だった。

「休日だったはずなのに、ひでぇ目にあったもんだな」
次元は片手でハンドルを握りながら、煙草に火をつけ、しみじみと吹かしながらそう呟く。
後部座席では、五右エ門が大きく頷いて同意を示している。ルパンも煙草に手を伸ばしつつ云った。
「まさか、温泉旅館ごと乗っ取られてるなんて思わないもんなぁ。とっつあんまで現れやがるし、ついてねぇや。次に予定してた日本での仕事も、またの機会にってことだな」
「拙者、当分温泉はこりごりだ。それに、巻き込んだ形になった、あの宿の従業員たちには悪いことをした」
五右エ門の言葉に、ルパンは相棒二人を半々に見やりながら尋ねた。
「そういや、その従業員たちは助けたの?」
「ああ、縛られてたのを外してきただけだが」
ルパンがにやけながら身を乗り出す。
「なあ、本物の女将、若くて美人だった?」
あまりに呑気な問いに、次元も五右エ門も呆れて笑い出した。
そして、ルパンの聞きたがる様を面白がりながら、わざと秘密めかして答えずにおくのであった。

「ルパン」に出てくる風呂シーンに凝ってる最中、ぼんやりと「温泉で鉢合わせするルパンらと銭形」というシチュエーションが浮かびまして。それをイラスト化したら、今度はその前後にまで妄想が及び、一つの話になりました。(イラストに興味のある方はこちらへどうぞ)
とはいえ、元々がちょっとしたお遊びイラストからスタートしたものなので、これまたひねりのないドタバタに終始してしまいました。こういうのも個人的には嫌いじゃありませんが(笑)
後半、ルパンと銭形に焦点を合わせることになったので、次元と五右エ門の戦うシーンはご想像にお任せする形に。まあ武器を持ったあの二人ですから、それほどの苦戦もせずに鮮やかに決めてくれていたのではないかと^^
一方、不本意だけど気が合ってしまったり、仕方なく一緒に戦うハメになるルパンと銭形って、何だかすごく好きなんです。それと武器も持たずに、手元にあるものだけで戦うことになるルパン、とか。
機会があったら、またいずれ形を変えて書いてみたいところであります。

(05.2.16完成)

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