ルパンを待ちながら

どこまでも、どこまでも、乾いた埃っぽい道が続いていく。
この荒野は、永遠に果てることがないのではないかと思わせるほど、何もなく、ひたすら見通しがいいだけの光景が広がっている。
荒涼として、ざらついた景色。普通なら何一つ人の心を和ませるような要素などないように思えるが、次元大介にとってはなぜか懐かしい。
地平線へと消える夕陽だけが、荒々しくも美しかった。

こんな寂れた道を走るバスなど、よくぞ今まで廃されなかったとあきれるほどだが、確かにまだバスは運行しているようだ。
大きな夕陽もそろそろ本格的に姿を隠し、黄昏が落ち始めた頃、地平線の彼方から一台のバスが現れた。遠くから眺めるその影からも、今時珍しいくらいのポンコツバスであることが見て取れる。
そのバスはヨロヨロと、次元のいるバス停まで走り寄ると、大袈裟な音を立ててゆっくりと停車した。
意外に利用者は多く、バスの中には長距離の移動に疲れた客たちが席を満たしていたが、ここで降りるものはいないらしい。
当然だな――次元はそうひとりごちた。
あまりにもちっぽけな街。ゴールドラッシュの時ならいざ知らず、今更、こんな何もない田舎町にわざわざ降りる客もいなかろう。
それに、次元はルパンがバスでやって来るとは思っていなかった。彼はきっと、車でここに現れるはずである。
単に、わかりやすい待ち合わせ場所をと、この街外れのバス停に決めただけなのだ。
次元はバスから目を逸らし、煙草にゆっくりと火をつける。
ポンコツバスは、再び騒がしい音を立てると、やっとのことで発車して行く。バスから時代遅れの黒煙が吐き出されたが、荒野に吹く風に、すぐに散らされ消えていく。

その時突然人の気配を感じた。
反射的に次元は腰に下げた銃の方へ手を伸ばしつつ、振り仰ぐ。
どうやら先ほどのバスから降りた客がいたのだった。
スラリと背が高く、真っ赤なミニスカートが似合う。まだとても若そうな女。
風に乱れた髪がかなり気になるようだ。長年の埃で、何と書いてあるのか殆ど読めなくなったバス停の看板を見上げながら、女はしきりに自分の赤茶けた髪をなでつけていた。
次元は全身に溜めていた力を緩め、再びベンチに身をゆだねると煙草を吹かし始めた。

女が、少しはなれてベンチに腰を下ろした。それを横目で見、一旦は目をそらしたものの結局次元は声を掛けた。
「時刻表が汚くて読めなかったのかもしれねぇが……今日のバスはさっきのあれが最後だぜ。待ってても別方向への乗り継ぎのバスももう来ねぇ」 
突然見知らぬ男に話しかけられたことにも、まるで警戒する様子は見せず、女は静かに微笑んだ。
「ええ、わかってるわ。あたしの目的地はここ。……ここで、人と待ち合わせをしているの」
その笑顔や口調はあどけないくせに、変に落ち着き払っている。
顔かたちだけは未成熟だが、その底には凄みすら感じさせるような、アンバランスな雰囲気を漂わせている女である。
次元は、何となく困惑して、当たり障りのない言葉をついだ。
「待ち合わせ、か」
「貴方も、でしょう?」

女は、次元を見透かすようにそう云った。やや押しの強すぎる、決め付けるような口調だった。だが、実際当たっているのだから仕方がない。
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、そういう顔しているもの。人待ち顔、とでもいうのかしら」
ふっと次元は苦笑いした。そんなに顔に出ているだろうか。
しかし、少し考えてみれば、本日はもう運行の終わっているバス停で、何をするでもなく座っている人間を見て待ち合わせかと推測するのは、そう難しいことでもない。ましてや彼女自身も人を待つ身であれば尚更である。
「……それほど熱心に待ってなんかいねぇけどな」
「待ち遠しそうだけど、でも相手が絶対に来るって、信じて疑ったことがないって顔をしているわ」
次元の言葉を聞いていたのかいなかったのか、女は一方的に話をしている。
奇妙な、違和感があった。
次元は大きく紫煙を吐くと、やや乱暴に煙草を足で踏み消した。

乾いた風が吹きつける。思わず次元は帽子を押さえた。
その間も女は身じろぎもせず、じっとこちらを見つめていた。
「ねえ、随分待っているようだけど、待っている人が来ないってことはないの?」
「……」
さっきから、この女は何が言いたいのだろう。熱っぽいような、強い光を湛えた大きな瞳で、次元を捉えたまま離さない。
やはりどこか不安定な雰囲気がつきまとい、彼女を見ていると、なぜだか居心地の悪さを感じてしまう。
が、女には悪気もないのか、小首を傾げて、次元の答えを待っているように見える。
女自身、待ち合わせ相手が来るのかどうか、不安に思っているのか。それで、同じように待ちぼうけを食らっている次元に、何かれと話しかけてくるのかもしれない。
「来ないってこたぁ、ねえな。いろいろといい加減なところはあるが、そういうことはしねぇヤツだ……ま、よっぽどのことがない限りはな」
ルパンのことを思いうかべながら、次元は素直に答えた。
そして心の中で密かに(特に仕事が絡んでいる時は、絶対にすっぽかしたりはしないヤツだからな)と付け足した。

次元は先ほどから自分の事ばかり聞かれている気がして、何の気なしに女にも問い返した。
「お前さんの待ち合わせ相手はどうなんだい? 連絡もなくすっぽかしたりする人間なのか?」
「そんなことはないわ!」
思わず鼻白むほどに激しい口調だった。女は苛立ちを隠そうともせずに叫ぶ。
「あの人は絶対に来る! だって、あんなに強いんだもの」
どうして「強い」と「絶対に来る」ことになるのか次元にはわからない。だが、女はそう云いきったことで少し落ち着いたらしく、ごく普通の様子に戻り、小声でそっと付け足した。不思議なほどあどけない口調だった。
「だから、待っているんだもの」
ちょっとワケありの、だが心底恋しい男でも待っているのだろう。
いずれにせよ、待つ身は辛い。

次元は無意識に腕時計に目をやった。
そういえば、ルパンの到着は少し遅いような気もする。
他の時ならいざしらず、仕事の時だけは、ルパンはそれほど待ち合わせ時間に遅れることはない。
確かに今回は、時間をピタリと読めるタイプの仕事ではないが、それにしても――
「よっぽどのこと」が何か起きたのだろうか。
そう考えて、次元は内心苦笑いする。女の他愛ない問い掛けに影響されたか。
今回のヤマはそれほど手こずるものではない。だからこうして、二手に分かれてそれぞれが動くことにしたのである。ルパンに限って、この程度の仕事でしくじるはずもない。

しかし本来「待つ」ということに向いているとは言いがたい性質の次元である。次第に焦れて、そわそわと落ち着かない気分になる。
頭では「ルパンに限って」と冷静に考えてはいても、心の底で苛立ちと心配が微かに蠢く。
次元は何本目かの煙草を取り出すと、慌しく火をつけた。
そんな彼の様子を、女が例の熱い瞳で凝視しているのを、次元は肌で感じていた。
微かに不快だった。

周囲は徐々に夜の気配を増していき、闇がすべての輪郭を曖昧にしていく。頼りなくぼんやりとした街灯がようやく瞬いた。
不意に再び女が口を開いた。
「来ないわね」
大きなお世話だと云いかけたが、別にルパンのことを指しているわけではなかろうと思いなおし、次元は言葉を飲み込んだ。この女の待ち合わせ相手も現れていないのだ。
「お互いにな」
少し茶化した口調で答えたが、その言葉にかぶせるように女は云った。
「来るわ、あたしの元に。あの人は必ず来る」
そうしてまたしても、底知れぬ熱に浮かされた目つきで次元を見つめた。見つめるというよりは、睨みつけるといった方が相応しいほど、女の瞳には激しい何かが込められていた。
「ねえ、貴方はちっとも不安に思っていないようね。待っている相手が来ないということもありえるってこと、想像もしたことはないの? そんなに自信があるっていうの?」
「何を……」
次元はわずかにたじろいだ。黄昏の闇に浮かぶ女の面には、狂気に近い色が現れている。

その時、女はハッと目を見張った。視線は次元を通り越して、彼の背後の道へと飛んでいる。
何かが現れたのだ。
遥かに続く道の彼方に、一台の車のヘッドライトが浮かび上がっていた。
女は、狂おしい期待と、身をよじりたくなるほどの不安の綯い交ぜになった表情を浮かべ、勢いよく立ち上がった。
次元は女の視線につられるように、そちらを見やる。


一瞬の出来事だった。
遠くから走り寄る車のヘッドライトを認めたちょうどその時、彼の本能は次元に銃を引き抜くことを命じた。
背後で撃鉄を起こす音がする。
次元は素早くベンチから転がり、振り向きざまに正確に構える。
女が、すでに小型の銃を次元に向け、引き金を引かんとしていた。


闇に二発の銃声が轟いた。


銃を落としたのは、女の方であった。
次元のマグナムは、利き腕である右肩を撃ち抜いていた。じわじわと、女のシャツが鮮血に染まる。
「ジャン……」
子供のうわ言のように、女は囁いた。
その目は、いまだ熱っぽく、だがもう次元を見ることもなく、ただひたすらやって来る車の方へと向けられている。
女にもう銃は持てまいが、それでも次元は油断することなくマグナムを握り締めたまま、近付く車の方をそっと窺った。

ようやく車の輪郭がはっきりしてくる。
ルパンの愛車のシルエットが浮かび上がる。そして中に乗っているのも、ルパンその人であった。
我知らず、次元は安堵の吐息を漏らしていた。それと同時に、女の短い絶望の悲鳴が聞こえた。
「ああっジャン!」
現れたのは、彼女の待ち焦がれていたジャンではなく、ルパンだったのだ。そして女は、泣き崩れた。
力なくマグナムを下げたまま、次元は女を見下ろしているしかなかった。


「お待たせぇ」
あまりにも場違いな、悠長極まりないルパンの声と共に、車が次元の脇でぴたりと止まった。
だがルパンの口調ほど、彼の情況は呑気なものではなかったようだ。
ルパンの頬にはうっすらと血が滲み、いつもの派手なジャケットはところどころ裂け、しかも埃だらけになっていた。
次元よりもよっぽど激しい銃撃戦を繰り広げてきたのだということが、ありありと見て取れる。
「お疲れさん」
苦笑しながら次元は相棒を労った。ルパンは片目を瞑って答えに代えた。
そしてルパンは窓から身を乗り出し、次元と、そして傷つき泣き伏している女を交互に眺めた。何かに思いをめぐらすような表情を浮かべる。が、それも一時のことで、すぐに
「さ、行こうぜ次元」
と、次元に乗るように促した。

まだ泣き続けている女を置いて、二人は車を走らせた。
すぐに医者に診せれば、あの女は死ぬことはあるまい。あの街にも医者の一人くらいはいるはずだ。ただ、本人が助かるべくそうするかどうかは、次元に知る由もないけれども。
「あいつら、最近売り出し中だった殺し屋コンビ、ジャンとカーラだぜ」
「ああ、やっぱりそうか。あの女が『ジャン』と云った時に、ようやく気付いたんだが……」
暗黒街でさらに名をあげるためにルパンたちを狙ったのか。それとも、今ルパンと次元が手にしている、莫大な宝への道しるべとなるモノを手に入れようとしていたのか。
どちらも正解なのだろう。
それでルパンはここへ来る道すがらジャンに襲われ、闘ってきたというわけだ。
その間にカーラという女が、次元を片付けるという手はずだったようである。

あの寂れたバス停で、待ち人は最初から、一人しか現れるはずがなかったのだ。
今なら女の挑発的な言葉の意味もわかる。
次元の脳裏に、女の狂おしく切ない表情が浮かんで――消えた。

「……何だか、くたびれちまったな」
「な〜んだよ次元、これからなんだぜ、仕事は。今からお前の盗ってきた地図に示されてる場所を、掘って掘って掘りまくらなくちゃならねぇんだかンな!」
ルパンは陽気に拳を振り回した。
「おーお、ずいぶん元気じゃねぇかルパン。で、ちゃんと宝の鍵の方は手に入れたんだろうな」
ハンドルを握りながら、次元に不敵に笑いかける。「当然でしょ」とその顔が雄弁にもの語っていた。
「だからよ、張り切っていこうぜ。それとも何だぁ、次元ちゃんたらもうお歳かしら?」
「フン、お前ぇを待ちくたびれたんだよ」
そう云うと、次元は助手席のシートを少し倒して、ゆっくりと身を伸ばした。

埃っぽい無愛想な道は、まだまだ遥か先の方まで続いているのだった。

時間がないとかいいながら、とりつかれたように書き上げちゃいました。
ここ最近、ひねくれたお話ばかり書いていたので(元々そういうのが好きなんですけどね^^)、たまには淡々とした、一つの情景だけで進むお話もいいかな、と思いまして。
次元が主役だと、こういう話も一応形になってくれるのが嬉しい(笑)。次元というキャラクターの力の賜物ですね。
ゲストキャラのカーラは、エキセントリックを通り越して、やや危ない感じの女にしたかったのですが、描写の匙加減が難しくて、中途半端になってしまってかも。心残りのキャラになりそうです。

(03.9.24完成)

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