願いを一つだけ (前)

埃にまみれ、疲労困憊の体でようやくアジトへ辿り着いた二人を待っていたのは、五右ェ門の低い叱責の声であった。
「お主ら本当にそれを盗んできたのか」
眉間のしわが深い。帰る早々叱りつけられ困惑気味のルパンと次元へ、厳しい視線を注いでいる。そして、ルパンが両手で抱えている、黒ずんだ古い壷へとそれを移す。
するとますます彼の顔つきは険しくなった。
「やはり厭なモノを感じる……その壷に」
「まァだそんなこと云ってるのかよ、五右ェ門」
ルパンが呆れたように肩をすくめる。そしてゆっくりと部屋の中へと進み、中央のテーブルへ盗んできたばかりの壷を置いた。
「散々苦労して、やっとかっぱらって来たシロモノなんだぜ、これでも。なんだか知らねえが、盗んでから帰ってくるまでに、えらくアクシデントがあってさぁ」
「……」
答える代わりに、五右ェ門は壷を忌まわしそうに睨み据えている。

一見しただけで相当古いものだと感じられる、得体の知れぬ重厚感のある品であった。
そのくせひび割れひとつなく、埃を払うと黒々とした妖しい艶が壷全体から発せられた。
形は取り立てて何の変哲もない。全体的に丸みを帯び、口のところできゅっとすぼまっている、ごく一般的な壷である。
なのに、奇妙なほど不気味な印象を与えるのは、表面にびっしりと、古代文字らしきものが彫られていた跡があるからだろうか。長い年月によって摩滅して、その文字がどの年代のどこの国の文字なのか、ルパンたちにはまるで見当がつかなかった。
また、その壷の口には、すっかり黄ばんだ紙で幾重にも封が施されており、その一番上の封には、呪術的な記号が記されているからかもしれない。
まるで壷の中の“何か”を、厳重に封印したかのような印象を与える。

「拙者はそれを盗むことに反対していたはずだが」
「ンなこと云っても、盗んでみたかったんだもんヨ」
ルパンは子供のように口をとがらせる。盗んできた後まで、これほど責められるのは心外であった。
五右ェ門は、ソファの上であぐらをかきながら、二人を冷たく見上げた。
「次元、先日までお主も気乗りしないと云っていたではないか」
次元は気まずげに帽子を深くかぶり直し、反対側のソファに腰を下ろしながら呟いた。
「確かに、うすっ気味悪いシロモノだとは思ったけどな……」
それでも結局はいつものようにルパンに口説き落とされ、一緒に盗みに赴いたという事らしい。
大きなため息で、五右ェ門は内心の不興を示した。
「マ、いいじゃないの。五右ェ門は妙に心配してたみたいだけっどもさ、この通り俺たちは無事にお宝手に入れて帰って来られたんだから」
ルパンが陽気な声を出すと、すかさず五右ェ門の声が飛ぶ。
「手に入れて来たことが心配だというのだ!」
尖ってこそいたものの低いままだった声が、わずかに荒げられた。
驚いて、ルパンと次元は顔を見合わせる。

「なあに怒ってんの、五右ェ門ちゃん」
「怒ってなどおらぬ。ただその壷に良からぬものを感じるだけだ」
「良からぬものったって……漠然とそんな事いわれてもさ。ねえ?」
ルパンは救いを求めるように次元に顔を向けたが、相棒もまた困惑した表情で黙り込んでいる。
仕方なく壷に向き直ると、わざと胸を逸らせて云いきった。
「どんなモノが入っているのか、開けてみりゃわからぁな」
早速とばかりに壷へと伸ばしたルパンの手を、斬鉄剣が遮った。もちろん刀は鞘に収めたままだ。が、白刃をかざしたような気迫がこめられていた。
「……やめた方が良い」
「なんでだよ。その“良からぬモノ”とやらが入ってるからなのか?」
五右ェ門は無言で頷いた。
「できることなら、今からでもこの壷を保管していた教会へ返して来い。それが嫌なら、せめて壷の封を切らぬように……」
「いい加減にしろよ、五右ェ門! 俺様がせっかく盗んだものを、おめおめと返したりできるかってぇの! 迷信深いのも大概にしてくれよマッタク。なあ、次元」
と、相棒の方を振り返ると、それまで黙って座り込んでいた彼から、思いも寄らぬ言葉が飛び出した。

「云われてみりゃ、ちょっと気味が悪いな、その壷は……」
「次元、お前まで何を云い出すんだよぉ」
「いやぁ、この壷を手にしてから、おかしなくらいトラブルがあっただろ。辛うじて逃げて来られはしたが……お前との仕事で荒っぽいのには慣れちゃいるが、これほどわけのわからないアクシデントが続いたのは珍しいと思ってな」
実際、この壷を手にした時から、不運続きであることは間違いなかった。一つ一つは些細なことである。

例えば──新品の懐中電灯の電池が切れ、ワイヤーの自動巻き上げ機が壊れ、鳴らないように処置したはずの警報装置がなぜか鳴り響き、事前に掘っておいた地下の脱出路が崩れ危うく生き埋めになりそうになり、さらに逃げると二人揃って穴へ転がり落ちる。
「それに車のエンジンがかからなくなって、そのあと途中までとっつあんとかくれんぼしながら走って逃げて……ようやく代わりの車を調達したと思ったら、タイヤがパンク、あわや大事故ってほどスピンして。えーと、後は何があったか」
次元が指折り数えるのを、ルパンは笑い飛ばした。
「そういう時もあるさ。お前、何年俺の相棒やってンのよ」
ルパンにあっけらかんと云われると、苦笑を浮かべるしかない。次元は煙草に火をつけた。
「そりゃそうなんだが、さすがに重なりすぎる。五右ェ門も何か感じ取っているようだし……俺の水虫もうずくしな」
最後の言葉は、自嘲するかのように付け加えられた。

「おーお、嘆かわしいこった。この俺様の相棒が揃いも揃って非科学的な事を……」
ルパンは道化た仕草で受け流そうとしたが、相棒たちの思いもよらぬ真摯な沈黙の前に、思わず笑みを引っ込めざるを得なくなった。
だが、納得したわけではない。すぐさま反論する。
「お前ら、この壷に妙なイメージを持ちすぎてるンだよ。だからありもしない『厭な感じ』だの『気味の悪さ』だのを感じちまうの。簡単に云えば、気のせいってヤツよ」
「違う」
五右ェ門が即座に云い返したが、ルパンは聞こえなかったかのように続けた。
「確かに爺様の手帳には、おかしな言葉が書かれてたし、この壷を守ってた教会の輩もやけに狂信的だったからな。お前らが用心するのもわかるけっども、考えてもみろよ。こんな小さな壷に、どれほど危ないモノが入ってるってんだよ?」
ルパンが大仰に肩をすくめて、視線を壷に向けた。つられて次元と五右ェ門もそれに倣う。
高さも幅も、30センチに満たない壷である。
「毒蛇か毒蜘蛛でも入ってるってのか? だがこの壷があの教会にしまい込まれてから数百年はたってるって話だろ。どんな危険な生き物だって死んでらぁな」
「ルパ……」
「時限爆弾も発信機も仕掛けられてないぜ。それくらい、ちゃんと確認済みさ。あと考えられる危険は毒ガスくらいなモンだよな。数百年変化もせずに壷の中に 留まってる猛毒があったらの話だが、ま、いいや。気になるなら防毒マスクをして開けようぜ。さーあ、心配性のお二人さんヨ、これならいいだろう?」
早口でまくし立てるルパンに、なかなか口を挟めずにいたが、ようやく五右ェ門は云った。
「そんなモノではないのだ。うまく云えんが……もっと得体の知れぬ……」
そう云いかけた途中で自ら言葉を絶った。説明しても無駄だと思ったのかもしれぬ。ルパンはそんな五右ェ門を覗き込み、からかうように云った。
「五右ェ門ちゃん、お化けでも出るっての? うちの爺様の残した言葉を真に受けてくれっのは有り難いけっどもよ、今は時代が違うのよ、時代が」
そして三人は、再び視線を、真っ黒に艶めく壷に向けるのだった。


そもそもこの壷を盗む発端は、ルパンが祖父の残した膨大な書籍や手記・手紙類の中から、とある記述を見つけた事だった。
ルパンは当初探そうとしていた物のことなど忘れ、興味を引かれた。
それは、祖父が盗もうとして果たせなかった数々の宝物の名前と、それらに関するごく簡単な説明が書かれた手帳だった。
さすがに天下の怪盗、実際に挑戦して失敗したものは少なかったが、盗む計画だけは立てたものの、さまざまな原因で実行に移せなかったお宝は案外多く、それらについても手帳では触れられていた。
その中に、件の壷が書かれていたのである。

E国のはずれ、砂漠の中のオアシスに建てられた、小さな教会にその壷はあった。
その教会は、古くからの土俗信仰に、5世紀に布教されたキリスト教が交じり合った、独自の教義を維持している。あまりに小さなグループであったため、またキリスト教総本山から見て遥か辺境の地にあったため、中世の異端狩りからも逃れたのだろう。
そこに、数百年前もたらされた黒い壷。
流浪の僧が「なんぴとたりとも触れることなかれ」と云い残したと伝えられ、教会の地下迷宮の奥に昨晩までひっそりと眠っていたのであった。
元をただせばソロモン王が“悪しきもの”を封印した壷であるとか、十字軍時代にテンプル騎士団によってヨーロッパへ持ち帰られただとか、それまでの持ち主 は尽く不運に見舞われ悲惨な最期を遂げた等等──様々な伝説が残されているが、それほど時代を遡った言い伝えについては眉唾なものだとルパンは考えてい た。

そんな黒い壷の歴史的説明の脇に、書きなぐったような手荒な祖父の文字が、さらにルパンの目をひきつけた。
“何でも願いが叶う宝。悪魔との対決?”
まったく意味はわからない。
願いを叶えるという宝とは、どんなものなのか。
また、「悪魔」とは何の比喩なのかと、ルパンは軽く頭をひねったが、もとより考えただけで判るとは思っていなかった。
ただ祖父が手に入れることが叶わなかったその壷を盗み出し、自分自身の目で確かめてみたいと、持ち前の好奇心を強くそそられたのだった。

そして今、黒い壷はこうしてルパンの手元にある──
開きさえすれば、祖父の書いた言葉の意味も判るだろう。ルパンの意思は固かった。
「開けるぜ。毒ガスが怖いンなら、マスク持ってきな」
二人の反対を押し切り、ルパンはいよいよ壷の封印を解こうと手をかけた。

「どうしても開ける気か……」
諦めきれずに五右ェ門がつい口走る。ルパンは大声でさえぎった。
「ああーッ、もう何も云うな。俺は開けるぞ、誰が何と云おうとな! これは俺が盗んだシロモノだ。俺のモンなんだ! 気に入らねぇなら、出て行けヨッ」
完全に意地になっている。
こうなった以上、ルパンに何を云っても無駄である事は、次元も五右ェ門もよく承知している。開けるに任せるしかない。
だが、それを止めていた二人も、部屋を出て行こうとはしなかった。二人とも立ち上がって、テーブルに近づく。
持ち前の好奇心の強さゆえか、ルパンの身を案じてか。
それとも、謎めいた壷から発する妖しい気配に、魅入られたのか──
三人は無言で、テーブル中央の黒い壷を注視する。
ルパンが無造作に手を伸ばし、壷を封じた幾枚もの紙をバリバリとはがしていく。
最後の一枚を壷の口からむしりとったルパンは、中をゆっくりと覗き込んだ。相棒らもそれに倣う。
壷の表面と同じく、真っ黒な闇がわだかまっている。突然、頭上の灯りがちらちらと点滅した。わずかに部屋の中が暗くなったようだ。
その瞬間、五右ェ門は刀をいつでも抜ける体勢を整えた。
次元は、気味悪そうに壷の中を見、そして動じないルパンの顔を見やった。

そうした周囲の雰囲気をいっさい気にせず、ルパンは躊躇いなく壷の中へ手を突っ込んだ。

「なんだこりゃ」
ルパンが素っ頓狂な声を上げて、小さな黒い物をつまみあげた。
すっかり乾ききり、カサカサに干からびた物体である。どうやら黒い毛らしきものが、それを覆っている。
相当古い物と思しく、乾燥し、縮みねじれたそれは、元の形が非常にわかりにくくなっているが、一方の先が細くすぼまっており、もう一方はぶつりと断ち切られたようなあとが見られる。
顔を近づけて、じろじろと観察したルパンは、明らかに失望した声で、
「動物の尻尾、みてぇだな。尻尾のミイラ。何の尾だ? 犬っコロのにしちゃ短いか」
などと呟いている。
息をつめてルパンを見守っていた次元と五右ェ門は、同時に向き直り視線を合わせた。
そして次元は肩をすくめてから、ソファへ身を投げるように座り込んだ。先ほどまでの緊張感を多少解いたように見える。
一方五右ェ門は、まだ鋭い眼光を、壷から出てきた黒い尾へ向けている。
「山羊、ではないか?」
五右ェ門が重く口を開いた。
「あン?」
「その尾だ。黒山羊の尾ではないかと申したのだ」
「ああ……そう云われればそんな風に見えらぁな。うん、山羊だなこりゃ」
そう云って、ルパンは指につまんだ黒山羊の尾をしばし眺め回していたが、やがてつまらなそうな顔つきになって、それを壷の中へ放り込むと、パッパッと手をはたいた。さもイヤなものを触ってしまったと云わんばかりの動作であった。
懐から煙草を取り出しながら、次元の隣へ腰を下ろし、ルパンはぼやいた。

「あれだけ面倒な罠を潜り抜けて盗んだってのに、お宝の正体が山羊の尻尾のミイラとはねぇ。やっぱりお宝と女は一緒で、手に入れるまでが一番魅力的だよなぁ」
「よくあるこった。気にすんな」
次元は煙草に火をつけてやりながら、いい加減な調子で慰める。それを聞いているのかルパンはさらに続けた。
「それにしたってヨ、なんだってまあ、うちの爺様はあんなモンを欲しがってたんだか」
「ご大層に何百年も守られてた壷だと聞きゃ、もっとマシなモンが入ってると誰でも思うだろ」
一緒に煙草を吸い出した次元は、ため息とともに紫煙をゆっくり吐いた後、ふいに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「でなけりゃ、お前の爺様のメモにあった通り、その尾っぽが悪魔のモノで、本当に願いを叶えてくれるんだとしたら……すげえお宝って事になるかもしれねえぜ?」
「バーカ、本気で云ってんのかよ、次元」
ルパンも笑って受け流そうとした。が、五右ェ門は相変わらず固い表情を崩さず、二人の方へ顔を向けた。
「油断すると危険だぞ、ルパン」
「危険? あの尻尾の干物がかい? あのね五右ェ門ちゃん、お前さんが昔話が好きなのは知ってっけど、迷信の類いを信用しすぎるのもさぁ……」
「あれは不吉だ。中身を見て気が済んだのなら、すぐにでも遠ざけるが良い。お主のためだ」
ルパンの言葉に耳を貸す様子もなく、五右ェ門は断固とした調子で云い切った。
その気迫に呑まれたかのように、ルパンも次元も揃って煙草を口の端にぶら下げたまま五右ェ門を見上げる。
「もしかしたら、すでに遅いかもしれんがな。……忠告はしたぞ」
そう云うと、五右ェ門は二人に背を向け、静かに部屋を出て行った。

僅かの間、部屋の中を沈黙が支配した。その中央にある黒い壷の存在感が、静けさの中だとさらに強まったような感覚にとらわれる。
やがてルパンが、我に返ったように笑顔を取り戻した。
「相ッ変わらずおかしなヤツだぜ」
「五右ェ門は妙な感覚が発達してるらしいからな。正直、俺もあの尻尾は気にくわねえ」
「次元までアレが不吉だとか云うつもりか? 確かに動物のミイラ、しかも尻尾だけなんて気色のいいもんじゃねえけっども」
次元は首を振った。
「この際、迷信じみた話は置いとくが……それ抜きにしても、噂ではデモーニッシュ協会とやらも狙ってたシロモノだって云うじゃねえか。それだけでも、危険が降りかかる可能性は十分ある」
「デモーニッシュ協会ィ? なんだそりゃ」
「いまだに悪魔信仰をしてると標榜して、あちこちで不気味な事件を起こしてる悪名高い団体だそうだ」
灰皿で煙草を強くもみ消しながら、ルパンは不敵な表情を浮かべる。
「へーえ、時代錯誤な連中がいるもんだ。ま、誰かに狙われてるなんていつもの事だろ。取り立てて大騒ぎする必要なんかないさ。お前らしくもねえ」
「……だな」
いつになく嫌な予感を感じ、それにとらわれたために余計な事を云った自分を恥じるかのように、次元は口元を微かにゆがめた。だが、その実彼の感じた得体の知れぬ不安は完全に晴れたわけではなかった。
ルパンだけがいつものように恬淡とし、大きく伸びをすると、「そろそろ寝るとすっかぁ」と呑気な声をあげるのだった。

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