オーダーメイド

背中を向けた男に、丁寧に上着を着せ掛けながら、アンリは問うた。
「如何ですか?」
その瞬間、ごく僅かな違和感を覚えた。
が、それが何なのかはっきり認識する前に、男がこちらを振り返ったので、アンリはぎこちない愛想笑いを浮かべた。我ながら、いつになっても板につかない表情である。
だが目の前の男は、すぐに鏡に向き直ってしまった。
できあがったばかりのジャケットを羽織った己の全身を、大きな鏡に写すことに夢中のようで、アンリのお愛想笑いなど気にも留めていなかった。

一代にして「大企業」と呼ばれるにふさわしい会社を立ち上げ、いろいろな意味で有名な実業家ゴダール氏の次男・シャルル。彼は、苦労知らずを絵に描いたよ うなどこか間延びした顔で、鏡の中に映る自分の姿を熱心に見つめていた。父親とは正反対の、見るからに道楽者といった感じの若者である。
さまざまな道楽を持つ中でも、シャルルという男は特に着道楽であるらしく、パリの一角に数年前ようやく小さな店を構えたアンリにも早々に目をつけ、贔屓にしてくれていた。

「君の作る服のデザインはひどく凡庸だけど、着心地がいいね、抜群に」
初めてアンリの店を覗いたシャルルは、見本の服を着てみるとそう云った。そして、すぐさま何着かオーダーメイドのスーツを注文したのである。
以来、彼は季節ごとに必ずアンリに服を注文し、こうして家まで届けさせるのだった。
デザインはひどく凡庸……か。
アンリは、彼と初めて会った時の言葉を思い返し、唇はおのずと苦笑の形を作った。

鏡越しに、曇った彼の表情に気づいたのだろうか。シャルルはふいに云った。
「似合わない?」
彼はピンク色のジャケットを着た胸元を指して、不服そうにしている。
「とんでもない、よくお似合いです」
至極真面目に、アンリは答えた。

今回は春先にかけて着るジャケット数枚を注文されていた。
派手で奇抜なファッションを好む傾向にあるシャルルにしては珍しく、今回はオーソドックスな形のジャケットを欲しがった。
色だけはやはり彼の好みらしく、ペパーミントグリーンやレモンイエロー、淡いパープル、そしてピンクとの指定であった。ひとつ間違えば、とてつもなく下品で安っぽくなってしまう色ばかりである。
だが、アンリは微妙な色合いを、そしてその色が最も活きる生地を丹念に選りすぐった。その上でシャルルという男の個性に相応しく、彼の容姿を引き立て、そして彼が着た時に最も動きやすいよう──彼のためだけの服を完璧に作り上げた。
その強い自負が、真面目くさった「お似合いです」という言葉となって出たのである。
元々、お世辞の云える気質ではない。そうであればもっと……。アンリは再び胸中に苦味をともなった思い出が広がるのを覚えた。

うつむきかけた彼の思いなど知る由もない客は、くるりと気取ってこちらを振り返った。
「ホント、いい腕してるね」
それは確かにシャルルの声であった。満足げに笑っているその顔も、紛れもなくそうである。
だが。
背中から上着を着せた時に感じた違和感が、再びよみがえってきた。
どこかが違う。いつものシャルルではない。もっとも、数年来の付き合いとはいえ、季節ごとに洋服を注文されるだけの間柄ではあるが……だからこそ感じた違和感であった。
確かに背丈も、すらりと伸びた手足も、程よい筋肉のつき方も、よく似てはいる。
しかし、プロの目でしっかりと観察すれば明らかにそれは別人のものである。
真正面にいる「シャルル」を凝視しながら、なぜ今まで気づかなかったのか、そちらの方がむしろ不思議なくらいであった。
シャルルの、遊戯としてのスポーツだけで鍛えられた肉体とは、明らかに異なる体つきではないか。もっと張りつめたシャープなボディライン、それでいて逞しく、柔軟性に飛んだ伸びやかな肉体。
「あ、あなたは……」
混乱と恐れで、かすかに声が震えた。

だが目の前の男は、悠然とした態度を崩さぬまま、
「あら、もう気づかれちゃった?」
と云った。声はもはや、シャルルのものではなくなっていた。
そして、突如顔の皮を剥ぎはじめた。それが変装用の特殊マスクである事などわかるはずもなく、アンリはその光景を、まなじりも裂けんばかりに見つめ続けるだけである。
新たに現れた顔は、シャルルのぬるま湯のような顔とは正反対であり、生き生きしたエネルギーが溢れ、非常に鮮烈な印象を与える。陽気そうな笑顔をたたえているが、非常につかみ所のない、得体の知れなさも、アンリは感じた。

「そんなに見つめなさんなって。別にアンタを驚かすのが目的じゃなかったんだがなぁ。……ゴダールの坊ちゃんには、ちょいと偽の呼び出しを掛けて留守にしてもらったんだ」
「な、何ですって? どうしてそんな……」
そもそもこの男は誰なのだ。いや、どこかで見たような覚えはあるのだが。アンリは怯えながらも必死に頭をめぐらせていた。
彼の混乱などお構いなしに、ニセシャルルは元々着ていた自分の服を取り上げると、懐から一冊のスケッチブックらしきものを取り出した。
「これを渡そうと思ってね」
そう云って彼が差し出してきたのは、アンリの祖母エヴァ・ブランジェの古いデザイン画であった。


あまりにも名高いデザイナーであり、彼女の作る服は世界的ブランドにまでなった──すでに亡くなって久しいアンリの祖母。
そのデザイン画のスケッチ集は、まだ若い頃に描かれた古いものであったが、当時の流行を彼女自身が作り出したと云われるだけあって、今見ても実に大胆で独創性に富み、何よりとても美しかった。

「社交界に顔が広いゴダールの坊ちゃんに化けて、もっともらしい理由をつけて渡せば、事を荒立てずに済むと思ったんだけっども、こうあっさりバレちまうとは予想外だったわ」
男の言葉を聞ていはいたが、アンリは半ば呆然としながら、受け取ったスケッチブックをめくる。
「確かこれは、以前オークションにかけられたものだったのでは?」
アンリの問いに、男は頷いた。
「ある金持ちのご婦人が落札してたみたいだな。エヴァブランドが、まだ廃れていなかった頃はかなりの愛好者だったようだが、今は興味をなくしちまったみたいで、そのスケッチブックも古金庫に突っ込んであったぜ」
エヴァブランドが廃れていなかった頃。この言葉が、アンリを我に返らせ、自分でも思わぬ激しさで叫んだ。
「どういうつもりで、これを僕に渡そうなどと考えたんですか? 当てつけですか、エヴァ・ブランジェの作り上げたブランドを、会社を、つぶしてしまった僕への?」
「おーお、怖。そんなにトンがらなくったっていいでしょうが」
男は両手を小さくあげ、おどけて「降参」といった身振りをしてみせた。だが表情はあくまで余裕に満ち、どうとでも受け取れるニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「ちょっくら前に金庫ごと失敬してきたんだけっども、俺の目的のモンとは別にソレが中に入ってるのに気づいたのヨ。俺には用のないシロモノだし、だからといってこんなに見事なものを捨てるのは忍びねえ。だから、本来の所有者に返しちまおうと思ったダケの話」

金庫ごと失敬したという、日常では絶対に耳にすることのない台詞が発せられていたが、それ以上にアンリをひきつけた言葉があった。
見事のもの──そう、男は云った。
ラフなデザイン画であるが、どれも彼女の迸る才能を雄弁に語っている。誰の目から見ても、それは明らかなのだ。
その豊かな才能をもって祖母が作り上げたものを、自分がすべてなくしてしまったのだ。
予期せぬ両親の早世に始まり、商才のなさ、人望のなさ、そして認めることは何より辛かったが、祖母には到底及ばないデザインセンスのなさが、受け継いだ会社をつぶし、エヴァ・ブランドの名を地に落としてしまったのだ。
このスケッチブックを手放したのも、どうしても借金を完済したいがために彼がした事だった。
一瞬にしてそれらの出来事を思い出し、胸にえぐられるような痛みをアンリは覚えた。

スケッチブックを捧げ持ちながら、うつむいて身動きひとつしなくなってしまったアンリを、男は黙って見つめていた。
やがて、静かに口を開いた。
「それはお前さんにとって重過ぎるものだったか?」
「え……?」
「さっきは『用のないシロモノ』と云ったけども、俺のコレクションに加えたいくらいだったんだぜ。偶然手に入れちまったわけだが、そのデザイン画は素晴らしかったからな。でも、俺より持つに相応しい人間がいるようだと……」
飄然としつつも、沁みいるような声で話していた男は、そこでふと言葉を切ると、しんみりしてしまった空気を吹き飛ばすように明るく云った。
「思って来てみたんだけど、余計なお世話だったかしらァ?」

アンリはゆっくりと顔を上げ、男を正面から見つめ返すと、しっかりとした声で答えた。
「いいえ、そんなことはありません。これは私にとって大事な宝です」
偉大な祖母は、今でもアンリの誇りである。
彼女の作り上げたものをつぶしてしまった事は、一生拭い去れない痛みとして抱えていくことになるだろうけれども。
「少し前だったら、受け取れなかったと思います。祖母は私の誇りであると同時に、どうしても越えられない高い壁……コンプレックスの対象でしたから。でも、最近ようやく……」
アンリは笑顔を見せた。客相手にむけるどこか不器用そうなものでなく、心の底からの笑みを。そして続けた。
「ご高名なお爺様以上の活躍をされているあなたには、私の気持ちはわかっていただけないかもしれませんが。ルパン三世、さん」
そう呼ばれたルパンは、大きく笑い返した。
「わかるぜ、なぁんてことァ云わねえよ。ただ、婆様は婆様、お前さんはお前さん、だよナ」
「はい」
アンリは素直に頷いた。
祖母の残したすべてを失った後に、改めて自分の力だけで一から出直さねばならなかった彼は、それでも迷わず洋服を作る道を選んだ。
この街の片隅で、どんなに少ない客相手でもいい。一人一人に最も合う服を、丹精込めて作り上げる。
誰のためでもなく、彼自身がそうせずにはいられなかった。そんな自分に気付いた時、彼の中で凝り固まっていた何かがほんの少し溶けたのだった。

ルパンはピンク色のジャケットを羽織ったまま、クルリと身体を回してみせ、
「実際、お前さん、いい腕してるよ。この服なんか着てること忘れそうになるモンな。……そういや、だいぶ前になるけども、俺お前さんの店で買ったことがあるんだぜ」
「覚えてますよ。私がまだ店をオープンしたばかりの頃でしたね。その時は、別のお名前で、確かダンドレジー伯爵としてご注文を承りましたけど」
アンリがルパンをどこかで見たことがあると感じたのは、テレビなどで見かける手配写真や犯行時の映像よりも、かつて客として迎え、彼の寸法を細かく測った時の記憶に寄るところが大きかった。そのことにもようやく気付いた。
「へえっ、そんな名前で頼んだっけか? よく覚えてンだなぁ。俺は仕事柄、すぐに服をダメにしちまうんだが……あれはえらく着やすかったっけ」
「何よりのお言葉です」

ルパンは突如何か思いついたらしく、悪戯っけのある笑顔を浮かべた。
「というわけで、本日の獲物はこれに決定。いただいてくぜ」
そう云うや、ひらりと窓に飛び移ると、一度振り向き、アンリの作ったジャケットを指してみせた。
「あ、それは貴方のでは……」
「悪りぃな、俺は欲しいと思ったらナンでも盗んじまう男なの。んじゃ、あばよ〜」
道化た調子でそう云うと、瞬く間にルパンの姿は眼前から消えた。
アンリが慌てて窓辺に近寄り見下ろすと、遠ざかっていく一台の車が見えるばかりであった。



「なんだお前、ピンクの服なんか着やがって。ちったぁ歳を考えたらどうだ?」
ハンドルを握る次元が、言葉とは裏腹に愉快そうに横目でルパンを眺めた。ルパンは上機嫌で云い返す。
「へへん、似合うだろ。この色を着こなせるのは俺様くらいなもんだろうな」
「よく云うぜ」
「次元ちゃんよ、お前こそいつも地味〜な服ばっか着てると、早く老け込むぜぇ。たまにはお洒落したらどお? いい仕立て屋紹介しようか?」
「ハッ」
次元は軽く笑い飛ばし、アクセルを強く踏み込んだ。車はパリの夕暮れの中に溶け込んでいった。



数日後、ダンドレジー伯爵宛に小包が届いた。
中にはピンク色のジャケットが入っていた。
横取りしてきたジャケットよりも、さらに柔らかく身体を包み、余裕があるのに絶妙にフィットする着心地は、ルパンを驚かせた。
そしてその色合いは、ルパンが身にまとうと華やかに映え、軽やかな雰囲気の中に仄かな気品さえも漂う、絶妙なピンクに仕上がっていたのだった。

本日から開催される「PART III祭」のために、そして何よりPARTIIIへ愛情をこめて書きました。
パースリ祭りやろう〜という話が決定した後、すぐに思いついた、軽いお話。
パースリといえば、ルパンのピンクジャケットでしょう、という印象や、パースリ初期では淡くていい感じの色を着ていたルパンが、回が進むにつれてやや派手 目のピンクジャケットを着るようになっていってる事などが、頭の中で結合してこういうお話になりました。(最初のうち着てたジャケットはきっとどこかで破 れちゃったのね〜とか、ルパンの事だからどこかでオーダーメイドくらいしてても不思議じゃないかな?等等・笑) 個人的には初期のジャケット色がとても好 きです^^
妄想たっぷりな一作ではありますが、まあ毎度のことですし、二次創作だという事でお許しを。
ピンクジャケットを粋に着こなせるのは、やはり我らがパースリルパンだけっていうことで!
(09.4.30完成)

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