パンドラ 6

獲物を狙う獣のように静かに、次元は待ち続けた。
今の彼は、その喩えそのものの存在であった。

カテリーナ・メンドーサ。
大富豪ルイス・メンドーサの妻。夫が暗黒街でも力を伸ばすことに一役買った、シロエ家の出である女。
そして、イザベルの命を奪った女。
直截彼女をひき殺した男は、ついさっき片付けてきたところだった。
あとは……

カテリーナは今、オペラ見物をしているらしい。
(何が、オペラだ)
豪華な衣装を身にまとい、全身を宝石で飾り立て、最上級の席で優雅にオペラ鑑賞しているのだろう。自分が実際にどんなことを命じたのか、実感さえもっていないに違いない。
誰かに「殺せ」と命じれば、邪魔な人間が消えてくれる。その人間の存在を消すということが、どういうことだかわかっていない。考えようとしたこと、想像しようとしたことすらないだろう。
だが、次元にとってはそんなことはどうでもいい。
正義感に駆られてこんなことをしているわけではない。かつては殺し屋だった次元である。キレイごとを言うつもりもない。
今やろうとしていることは、単なる私怨である。
それがどういうことであるのか、次元は知っているつもりだった。きわめて、リアルに。

空いた道を、高級車は快適に飛ばしていく。
オペラ座から、街の郊外のメンドーサ家までは車ならそう遠くない。
次元はアクセルを強く踏み込みながら、銃を握り締めた。グリップの冷たい感覚。だが、握るとすぐに次元の体の一部のように、なじんだ。
猛スピードで飛ばしながら、窓から顔を出し前の車に狙いを定める。

後部座席には、あの女の影が見える。

一瞬、そのシルエットに銃を向けかけたが、次元は狙いをタイヤに定めた。
躊躇なく、引き金を引く。一度、二度。
急ブレーキのけたたましい音と共に、その女を乗せた車は激しく回った。そのまま、車は街灯に激突した。
そう、次元の計算通りに。

次元はスピンし激突した車を巧みに避けると、何事もなかったかのように走り去った。
ぶつかった車は、しばらくしてから炎上した。
あの女が死んだか、それとも助かったのかには、次元はもはや何の興味も持っていなかった。



「あれ、次元!?」
彼の姿を認めると、ルナは嬉しそうに微笑んだ。その顔は、初めて会った時のまま、あどけなく見えた。
全身を包帯に包まれ、病室の白いベッドにひっそりと横たわる。その様子があまりにも弱々しかったせいかもしれない。
だが、見た目ほどに彼女は弱っていないようだ。

「やっぱり起きていやがったな。消灯時間は過ぎてるぞ」
「当たり前だよ、寝れるわけないジャン! こんな時間、いつもならまだまだ店を開けたばっかりじゃないか。……ところで次元、よく入って来られたね。面会時間もとっくに過ぎてるよ」
「バーカ。俺は泥棒だぞ。こんな所に入ってくるのなんざ、わけねぇさ」
次元は、楽しげにそう言った。ルナも「そうかァ」と笑い返す。

尾行者から次元がすべてを聞きだし、ルナの元へ駆けつけた時はすでに遅かった。イザベルと同じように、ルナはたった今「事故」で車に轢かれ、市場の近くで血にまみれていた。
その時の衝撃と怒りは凄まじいものがあり、当分忘れられそうもないと次元は思っていた。彼女を見た瞬間、死んだように見えたのだ。
だが、彼女は死ななかった。
出血こそ酷かったものの、彼女はすごい生命力を発揮して見事生還した。頭や内臓に決定的なダメージがなかったことも幸いしたらしい。
たった2日で、勿論体こそ動かせないもののいつものように喋りだし始める回復ぶりだった。

「ああ、早く帰りたいな。あの店に」
「あの店に、か」
次元が問うと、ルナは察しよく答えた。
「そりゃそうだよ、あの店しか帰る所ないモン。そうそう、この間の弁護士がすっ飛んできてさぁ、何だかあれこれ言ってたけど……あたしどこにも引き取られたくないし、別にお金もいらないって言っちゃったよ」
「そうか」
「もし、パパがあたしに会いたいならそっちから来なって伝えてって言ったら、弁護士ビックリしてたよ。びっくりの仕方も丁寧だから、笑っちゃったけど」


ルナは、今回の事情については何一つ知らない。単に運悪く事故に遭ったとしか思っていない。
だが次元は裏のルートを辿って、間接的にだが、イザベルとルナの話のすべてがメンドーサの耳に入るようにしてきた。もしもカテリーナ・メンドーサが無事生きていて、またルナを付け狙おうとしても、次からはメンドーサがきちんと目を光らせるに違いない。

「やっぱり、悪いコトがあったな……あの箱開けたら」
ルナがポツリとそう漏らし、次元は物思いからさめた。
「関係ねぇよ」
「そうかな。あたしね、事故に遭った瞬間『ああ、開けなきゃ良かった』って思ったんだ」
次元は、またしても「バーカ」と言った。
「開けてわかったと思うがな、あれは単なる手紙だった。開けても開けなくても、そりゃ同じさ。何の魔力もねえ」
「うん……」
「俺は開けちまって良かったと思うがな。ずっと閉じたまま中身に過度の期待をしたり、逆に怯えたり……。自分の想像力に振り回されるよりは、な」
「そうかァ。そうかもね」
「仮にどんな災いが入っていたとしても、しっかり正面から見ちまえば、もうそれほど恐ろしくもないさ。見ないで恐ろしがっている時よりは。そういうもんだろ?」
珍しく饒舌な次元を見上げつつ、ルナはコクリと頷いた。

そして、ルナは夜中に突然やって来た次元を見上げながら、ポツリと言った。
「行っちゃうんだね」
「……ああ」
「あたしのせいで、出発延びちゃったもんね。ごめんよ、次元」
「オイ何だ? やけにしおらしいじゃねぇか。別にお前のせいじゃねえよ。パスポート作るのに手間取っただけさ。……世話になったな」
「次元……」
その時、ルナの瞳に不思議な影が宿った。一瞬、ルナは意識が遠のいたように、目を閉じる。「あの瞬間」が来たのだ。次元は、黙って彼女を見守った。
ルナは半ば無意識のように呟く。
「次元、あの人にはサンタ・クルス通りで会えるよ……すぐに、そう本当にもうすぐ」
「ルナ」

ルナは、フウと大きな息を吐いた。そして、改めて次元をしっかりと見つめる。意識がきちんと戻ったらしい。
「次元、またね。元気でね」
「ああ、お前も。早く、治せよ」
そして次元は、振り返らずに病室を出た。
(またね、か)
この台詞は、予知なのかそれともルナの希望なのか。……どっちでもいい。またな、ルナ。

帽子を深く被りなおすと、彼は足早にサンタ・クルス通りへと向かった。



車通りも途絶えがちなこの時間、サンタ・クルス通りも森閑としていた。
が、次元は迷う様子もなく佇み続けた。かすかに馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、ルナの「予言」通りに行動してみたい気分だったのだ。
そんな次元が、一本煙草を吸い終わった頃……
一台のオンボロ車が、ヨロヨロと走ってきた。あれだ。
次元はふざけて、ヒッチハイクのポーズをとる。

車は次元の脇で、ガックンと大袈裟に止まる。
窓から覗いた顔は、確かに相棒のものであった。ルパンは、次元を認めるとニヤリと笑った。
「ヒッチハイク、野郎はお断りよ」
「ケッ、なんだよこのボロ車。もっとましなの盗ってこいよ。ルパンの名がなくぜ」
次元は憎まれ口を叩きながら、ずかずかと助手席に乗り込んだ。ルパンはわざとのように、派手にポンコツ車のエンジンを吹かした。

「ところで次元、お前なんであんなトコにいたの? これから探しに行こうと思ってたのにサァ」
「予知だ。お前が脱獄して、あそこに現れるっていう、な」
「予知ィ? ハーン」
ルパンは、次元の想像通りまったく信じる様子もなく、ただ冗談だと思って聞き流している。その相棒の様子を見て、次元は無性におかしくなった。

国境へ向かって、2人を乗せた車はガタガタと走り続けた。

初の次元モノに挑戦。次元はとにかく難しいです(^^;。淡々としているようで結構お節介、という新ルっぽい次元になったような気がします。
そしてゲストキャラのルナ。次元と恋愛関係にならなそうな女性に登場してもらいました。こういうさっぱりした間柄の方が、恋愛不器用の私には書きやすかったり(笑)。
ずっと、書きたいのに書き始められなかったお話なのですが、「箱」という要素を思いついたらあっさりと書き出せたので、何がキッカケで話が進むかわからないものです。
そして、ルナの処遇には結構悩みました。最初は、悲劇的な最期を考えてもいたのですが…やめました。私程度の技量で悲しい結末を書くと、やけに後味が悪く なるということも、あるのですが(^^;、何より最近「とにかく生きなきゃいかん!」と強く思ってたりしまして…(笑)それでルナにも頑張って生きていっ てもらうことにしました。

(01.11.7完成)

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