Poison (後)

「で? そろそろ俺を呼んだ理由を聞かせてくんないかな?」
干したグラスを静かにテーブルに戻すと、ルパンはようやく切り出した。
「そうね。こうしてお近づきになれたことですし……では本題に入らせていただこうかしら」
今度はロクサーヌがワインボトルを取り上げて、二つのグラスに注いだ。ゆらゆらと揺れる液体が落ち着くと、彼女は物憂げな風情で再びそれを口元に運ぶ。
「実はね、貴方と取引がしたいのよ、ルパンさん。貴方をお呼びしたのは、そう……簡単に言えばビジネスのため、ね」
「ビジネスぅ?」

時代がかった豪華なソファにもたれていたルパンだったが、その瞬間、ビクッと跳ねるように身を引き起こした。
「い、いててててて……」
急激な、突き刺すような激痛が、ルパンを襲っていた。その身の置き所のない痛みに、思わずルパンはうめき声をあげ、胃の部分を押さえながら前のめりになる。
そんな彼の様子を、冷然と、研究者のように静かな、何の感情も含めない目つきで、ロクサーヌはじっと見つめていた。

「痛いはずよ。どうぞご遠慮なく、ソファに横たわってくださっていいんですのよ」
「ぐッ……。ってことは、や、やっぱり一服盛ったってワケか」
痛み以上にそのことがルパンの身をさいなんでいるかのように、きつく唇をかみ締める。
だが次の瞬間、苦しそうな息の合間に、ふっと荒々しい笑みを浮かべて、ロクサーヌをねめつけた。
「お見事だよ、ロクサーヌちゃん。ワインに仕込んだような気配もなかったが、一体どうやって……」
「グラスよ。二つのグラス両方に、予め毒を塗っておいたの。貴方がどちらのグラスを選んでもいいように。勿論、無味無臭で無色透明。ごく微量でも効く我が一族に伝わる秘伝の毒の一つなのよ」
唄うようにロクサーヌは云い、そしてルパンが飲んでしまったものと同じ毒が塗りつけられているはずのグラスで、美味しそうにワインを味わった。
彼女に毒が効かないということは、もしかしたら本当のことなのかもしれなかった。

ルパンはいかにも悔しそうに、ソファへひっくり返った。
「ヂグショー! そんなに簡単な手ぇだったのか! 素人の手だなんて云ってたのに……」
「誰もが後から聞けば『そんなことか』と呆れるような簡単な手段ほど、意外に盲点になって、効果的な時もありますでしょう?」
「ああ、確かにあるな。俺もよく使う手だよ。……クッソ〜!」
身を苛む激痛に耐えながらも、ルパンは地団太を踏まんばかりの勢いだ。
「もっと意外なところから攻撃されると思っていらっしゃったのかしら。フフ、私の前口上に引っかかってくださるなんて、ルパンさんも案外お人がいいみたい」
弄るような調子でそう云い、ロクサーヌは真っ赤な唇を綻ばせた。

「ですが先ほども申し上げたように、今回私はビジネスのために貴方をお呼びしたの。商談が成立すれば、貴方は死なずにすむでしょう」
「へっ……ず、ずいぶん強引な商談だな。俺に拒否権はないってわけだ。……なんだい? あんたの目的は」
額に汗を滲ませつつ苦しさに耐えるルパンの顔は、次第に蒼白になっていく。
ロクサーヌはそれらの症状を満足をもって静かに眺めた。
「かなりの特異体質だと聞いていたけれど、貴方にもちゃんと効く毒で良かったわ。症状の出方も人並みみたい。……後3時間ほどは貴方の命を保証します。そ れまでに、つい先日貴方が手に入れた世界一のルビーを私に譲ってください。それと引き換えに、今私の手の中にある貴方の命をお返ししますわ」

「イヤだって言ったら……?」
苦しげな息遣いの中で、ようやくルパンはソファから起き上がった。
いつの間に取り出したのか、ワルサーP38をしっかりとロクサーヌの方へと突き出していた。激痛のため微かに手は震えているようだが、テーブルを挟んだだけのこの距離、ルパンならば外すことはないだろう。
だが、ロクサーヌは微塵も表情を変えることなく、相変わらずワイングラスを片手に、静かにルパンと対峙している。
「この取引を断るのもご自由に。貴方のご判断にお任せしますわ。ただ、私をここで殺して、果たして意味があるかしらね。確かにこの屋敷の中に、今貴方を苦しめている毒を完全に消し去る解毒剤はあります。飲めば一瞬で楽になれる、魔法のような解毒剤がね」
妖しく白い喉元を見せ、ロクサーヌはまた一口ワインを飲む。
「でも、この屋敷のとある部屋には、それこそ何十万、何百万もの数え切れないほどの毒薬とその解毒剤が、無秩序に置いてあります。それらが各々どういう効 果を持つものなのか、すべて把握しているのはこの世に私しかおりません。それだけは、貴方も知っておいていいでしょうね」
「なるほどねぇ。……上手くこの毒を消す薬を見つけられる確率は、何百万分の1ということ、か」
「私を殺して、そして家捜ししながら、片っ端からこの屋敷の中のすべての薬を飲んでご覧になる? 中にはもっと即効性の猛毒もたくさんありますけれどね」

痛みを堪えつつ、ルパンは軽く頷いた。
銃を突きつけてみたのも、彼にしてみれば本気ではなかったのだろう。
わずかに笑って見せたようだが、それは突き上げる強烈な痛みのために、頬に上ると同時に、消えた。
「オーケイ……条件をのみまショ。あんたから、俺の命、買い戻すことにするぜ。あ〜あ、この俺様としたことが」
そのぼやきも、最後まで云い終わることなく途切れた。




ロクサーヌが要求したルビーを持って、慌しく次元が駆けつけてきたのは、それから1時間ばかり後のことであった。
慇懃な執事に案内されて部屋に入ってくるなり次元は、ロクサーヌをちらりと一瞥しただけで、すぐにソファにのびているルパンに駆け寄った。
「おい、ルパン! しっかりしろッ! 何だよこのザマは」
「よう、次元……早かったなぁ。悪ぃ、悪ぃ」
ルパンはすでに紙のように白くなっている顔を上げ、それでも次元にニヤッと笑いかけた。
痛みに耐えつつもソファに座りなおそうとしているルパンを助け、次元は「まったく大バカヤロウだぜ」と呟いた。
そして振り向きざま、ロクサーヌの方を睨みつける。ポケットの中から、先日ルパンと二人で盗み出した、稀に見る大きさのルビーを取り出した。
「女、ルビーはこの通り持ってきた。早く解毒剤を出しておうか」

次元が手に持って突きつけた、そのルビーの輝きに、ロクサーヌはうっすらと頬を昂揚させ、わずかに彼女の内心の興奮を表に示した。
「これが、クリスチャン・ローゼンクロイツが持っていたという、伝説のルビーなのね。この輝き、やはりただの宝石ではないわ」
うっとりと魅せられて、ロクサーヌの金褐色の瞳が、ますます金に近い不思議な色合いにきらめいた。
「なんでもあのルビーには、錬金術の最終奥義を解くカギがあるんだと」
毒のせいでだいぶ痛めつけられ、その辛さにフウフウ言いながらも、ルパンは茶化した調子で次元に告げた。
それを聞いた次元もフンと鼻先であしらう。
「どうでもいいが、早く解毒剤を持ってきな。コイツがくたばったら、あんただってこのルビーを手に入れられないどころか、てめぇ自身の命も失うってことを忘れねぇこったな」
「……ええ。判っていますわ。早く取引を完了させた方がいいでしょうね、お互いのために」
ロクサーヌは滑らかな手つきで、ベルを鳴らし執事を呼んだ。

完璧な執事は、すでに解毒剤を用意していたらしく、すぐさま銀盆にそれを乗せて、静かに部屋の中へと入ってきた。
その執事の行動が、改めて何もかもロクサーヌが書いた筋書き通りに事が運ばれたのだと、ルパンと次元に知らしめることになった。
思わず次元は忌々しげに舌打ちをした。ルパンも出来ることならそうしたかったかもしれない。

「本当に効くんだろうな?」
次元はさも胡散臭げに、執事からロクサーヌに手渡された、解毒剤の入った小瓶を見やる。
「勿論。これを全部飲めば、すぐに楽になるはずよ」
「一時的に効いたと見せかけて、ルビーをせしめる気じゃねぇだろうな。もしも後でコイツがポックリいったら……」
「ルパンさんを殺して私に得になることなど何もありませんわ。疑り深い相棒さんね。……ええ、万が一にもそんな事が起きたりしたら、どうぞ撃ち殺してくださっていいのよ。私、ここから逃げも隠れもいたしませんから」
ふてぶてしいまでに堂々としたロクサーヌの言葉に、内心かなり腹を立てつつも、次元はこれ以上疑い続けても埒が明かないと、ようやく取引に応ずることにした。

お互いにルビーと解毒剤の小瓶を、慎重に受け渡す。
次元は受け取るやすぐに解毒剤をルパンに手渡し、それを飲ませた。ルビーを手にしたロクサーヌが、妖しい歓喜の吐息を漏らしていたが、もうそんなことはどうでも良かった。
小瓶の中に入った液体を飲み終わり、しばらく不味そうに顔をしかめたまま、ギュッと目を閉じていたルパンだったが、瞬く間に顔色も良くなり始め、端から見ていても痛みが綺麗に引いていく様がよくわかった。
先ほどまで全身を痛みに硬直させていたルパンが、大きく息を吐いた。

「ルパン」
「は〜、死ぬかと思ったぜ」
呑気そうな声で、ルパンはそれだけ言った。
「…ったく、世話をかけるのもいい加減にしろってんだ」
安堵の溜息をつきつつも、次元は自分の忠告を聞かずに罠に飛び込み、まんまと乗せられたルパンに対して不満そうに口元を曲げた。
ルパンが助かった今、手荒なことをしてもロクサーヌからルビーを取り返してやりたいところであったが、そんな恥の上塗りになるような行為を、ルパンが認めるとも思えない。
だから余計に、次元のイライラは募るのであった。

「さて、これで無事商談完了ってコトだね、ロクサーヌちゃん」
まるで悪びれず、また悔しさや怒りも感じさせず、何事もなかったかのように立ち上がり、ルパンはロクサーヌの方へと向き直った。
さも優雅に座ったまま、ロクサーヌは手中のルビーから顔を上げ、にっこりと二人の男に微笑みかけた。
「ええ。貴方とお近づきになれて、とても楽しかったですわ」
「俺もさ。……じゃあこっちも約束を果たしてもらおうかな。俺流の『お近付きのしるし』受けてくれるよな?」
ルパンはテーブル越しに身を乗り出し、やや強引にロクサーヌを胸元へ引き寄せる。
「……本当に楽しい方」
それだけ云うと、ロクサーヌは観念したかのように目を閉じた。
二人の唇が、しっかりと深く触れ合う。次元は呆れたように目をそらした。


次の瞬間、ロクサーヌはルパンの腕の中でハッと身体を強張らせたかと思うと、すぐに彼から身をもぎ離した。
「な、何を飲ませたの?」
だがロクサーヌはまだ冷静であった。
「復讐のおつもり? ずいぶん無駄なことをなさるのね。私にはどんな毒も効かないとお教えしたはずよ」
「ああ、ちゃんと判っておりますよ、『毒薬使いのロクサーヌ』嬢。毒薬に関しちゃあんたは確かに最高のプロフェッショナルだ。同じ土俵で戦う気なんか俺にはないよ」
ルパンがそう答えるや、わずかに彼女の面に焦りと戸惑いが浮かんだ。ルパンはそれを見逃さなかった。
「じゃあ、何を……?」

ロクサーヌの問いに、ルパンは懐からごく小さな白い錠剤のように見えるものを取り出した。
「コレと同じものさ」
「……?」
窓の方へと近付き、手早くカーテンと窓を開くと、そこからは噴水のある広大な庭が一望できた。
ルパンは取り出した白い粒状のものを軽々と窓の外に向けて投じた。風に乗り、それは見事に噴水の中へと落ち、水面に小さな波紋を描いた。
そしてルパンは、ポケットからまた何かを取り出す。その手に現れたのは、今度は掌に収まるほどに小さな、リモコンのようなものあった。
「さーてお立会い」
明るくそう云うと、ルパンはリモコンらしきものの中にあるボタンの一つを軽く押す。
と同時に、噴水の中から激しい轟音が響き、高々と凄まじい勢いで水柱が立った。

刻んだように美しく、常に陰鬱な優雅さを湛えていたロクサーヌの美しい顔に、自分が何を飲まされたかの理解が広がり、やがてそれはありありとした恐怖の色となった。
「そうさ。今あんたの腹の中には、小型爆弾があるってワケ。いつ爆発させるも、俺の気分次第の、ね」
今までになく非情な、冴え渡るような恐ろしさを感じさせるルパンの瞳が彼女を見据えている。
ロクサーヌは自分が震えていることを自覚した。

「わ、わかったわ。このルビーはお返ししますわ……だから」
「い〜や、返してくれるには及ばねぇよ。一度オンナにあげたモノを返してもらうようなケチな真似をするルパン様じゃねぇや。それはあんたのモノだよ、ロクサーヌ」
優しいとさえいえるその声に、ますます彼女の恐怖は募った。
ルパンの見るからに器用そうな手の中で、今や彼女の命そのもののとなったリモコンが、クルクルと回され弄ばれていた。
「さぁて、いつ押そうカナ?」

「あああ……ああッ!!」
ついにロクサーヌは恐怖に引き歪んだ顔を背け、もはや耐え切れずに部屋をバタバタと出て行った。
あれだけ維持していた奇妙な優雅さも投げ打って、ドアすらも開けっ放しにして。
しばらくすると、どこかから激しく水の流れる音と、彼女のうめき声が聞こえて来た。
小型爆弾を吐き出そうと、必死なのであろう。
それを聞いたルパンは一人微かに、複雑な笑みを浮かべる。そして次元を振り返り片目をつぶった。
「さ、帰ろうぜ」



「どうせ爆弾じゃねぇんだろ? 女に飲ませた方は」
次元は助手席で悠々と身を伸ばし、美味そうに煙草を吹かしている。
ハンドルを握りつつ、ルパンはちらりと横目で相棒を見つめた。どこか満足そうな面持ちで。
否定も肯定もしないルパンの沈黙を気にする素振りもなく、次元はなおも続けた。
「お前のこった、あの女の吠え面かく姿を見て満足したんだろう。だがな、ルパン。ハッキリ言わせて貰えば今回のことは自業自得だぜ。お前が余計な好奇心を起こしたりするからだ」
「へいへい、反省してますよぉ」
「……チッ。まったく懲りてねぇな」

ようやく陰気な中世のごとき深い森を抜け出して、ルパンは大きくハンドルを切った。
「まあいいじゃねえの。あそこには、代々のロクサーヌが要人暗殺の見返りとして溜め込んだ、膨大なお宝があるってことがわかったんだ。いずれ戴きに参上しようぜ」
「いやなこった。俺は二度とあんなところへは行かねぇぞ。『毒薬使い』の屋敷なんて気味が悪くて仕方ねぇや。お前もいい加減懲りるってことを覚えな」
断固たる調子で次元はプイと横を向いた。だがルパンは意に介さず、
「そんなぁ。行こうぜ行こうぜ、次元ちゃ〜ん。お宝ザクザクよ」
と、すっかりいつもの調子を取り戻して云うのであった。

まずはごめんなさい〜!
今回、ややルパンがヤラレ気味なので、特にルパンスキーの方々には面白くなかったかと思います。私自身ルパンスキーなのにこんなの書いちゃいました(笑)
でも原作にも、時々ルパンが女にしてやられる話もあることですし、たまにはドジって苦戦するルパンもいいかしら?なんて(言い訳大王)。
唐突に思い浮かび、急激に書き上げてしまったお話。粗もあるかと思いますが、それでも書いている間、すごく楽しかったです。
ゲストキャラのロクサーヌ(とその先祖)には、もっとあれこれと些細な設定などを考えてもいたのですが、あまりにも煩雑になるのでこれくらいにしておきました。
毒薬のプロフェッショナルな暗殺者という面と同時に、魔女っぽいイメージも私の中にはあったので、錬金術云々という伝説のあるルビーを欲しがっているということに。
これらは全部フィクションです。あ、当たり前か(笑)
私はこういうゲストキャラ、好きというかかなり書きやすいようです。悪女好き。マンネリでスミマセン。

(03.4.25完成)

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