Pride (後)

「動かないで、お二人さん」
そう言って、二人の男に小型ライフルを向けているのは、峰不二子であった。
倒れたルパンの傍について、何くれとなく気を配り、普段の彼女に似ず献身的な看病をしていた不二子であったが、外の騒ぎを聞きつけて飛び出してきたものらしい。
「不二子……」
呼ぶともなしにその名を呟いた五右エ門を、当の不二子は一瞥しただけで、すぐにその視線を銭形の方へと向けた。
「警部さん、私がルパンの部屋に案内するわ」

「……。賢明だな。警官隊も、じきにここへ到着する。抵抗しても無駄ってモンだ」
不二子の言葉に不意をつかれたかのように、一瞬大きく目を見開いた銭形であったが、再び憮然とした面持ちで冷静に答えた。
相変わらず不二子のライフルの銃口は、二人の方へ向けられたままである。不二子は、クイと顎を持ち上げ、銭形に指示を下した。
「その前に。銭形警部、まずは五右エ門にしっかりと手錠をかけてくださる?」
「……」
銭形はむっつりと黙ったまま、頷いた。

「不二子ッ! お主は……」
五右エ門はうめくように言う。
と、それと同時に不二子のライフルが、五右エ門の心臓にピタリと狙いを定める。
「あっと、五右エ門はそのまま動かないで。警部の邪魔をしないでもらうわ……いいこと?」
「不二子」
「アラ、何も驚くことなんかないじゃない? 私が貴方たちを裏切ることなんか、いつものことなんだもの」
そして不二子は、いつものように謎めいた妖艶な微笑を浮かべた。


五右エ門の両腕にしっかりと手錠を掛けなおした銭形は、まだ抜き身の斬鉄剣を握り締めていた五右エ門に、鞘を拾って返してやった。
「今のお前じゃ、俺と不二子の二人はさすがに防ぎきれん。大人しく、捕まるんだな」
こんな台詞を、普段の五右エ門なら決して、黙って聞き逃したりはしないであろう。
だが、今の銭形の真意は、多分そこにはない。五右エ門を覗き込んでくる眼差しは、雄弁に何かを物語っている。
勿論、すでに五右エ門だとて気付いていた。
彼はもはや抵抗するでもなく、だが苦しげな表情を浮かべながら、鞘を受け取るとそこに斬鉄剣をゆっくりと収めた。しかし、斬鉄剣を銭形に渡すことだけは、断固として拒む。それに対し、銭形は深追いしようとはしなかった。
まずは、ルパンに解毒剤を与えなくてはならない。それが最優先事項なのであった。

不二子の案内の元、銭形とそして彼に捕らわれた格好の五右エ門は、アジトの中へと入って行った。
しん、と静まりかえった室内は、奇妙に薄ら寒いような気がした。
さすがに危機に陥ったルパンが立てこもるアジトだけあって、かなりの警備装置が仕掛けられている。それが、銭形の興味を引いているようだった。不二子の案 内がなければ、屋敷の二階にあがるまでに、落とし穴だの、侵入者を閉じ込めるための落ちてくるオリだの……銭形はいくつもの罠に引っかかっていただろう。

そんな二階の、最も奥まった部屋にルパンがいる。
銭形は不二子に問いかけた。
「ヤツの容態はどうなんだ?」
「……もう意識がないわ。熱もひどく高いし。貴方たちがやりあう直前までは、どうにか意識を保っていたようだけれど」
「……」

(やはり不二子は)
五右エ門は、俯き加減に銭形を導く彼女の様子をそっと見つめながら、先ほどからずっと同じ事を繰り返し考えていた。
(ルパンがこれ以上持ちこたえられそうもないと判断して……そして自ら裏切りを買ってでたのだ)

次元がどんなにスムーズにS国から帰還できたとしても、最低あと数時間は掛かってしまう。
また銭形と五右エ門の戦いの決着がつくのを待つには、もはやルパンの容態が猶予ならざるものになっていたのだろう。
二人の戦いを強引に終らせ、即座にルパンに解毒剤を与えるには、銭形の味方に寝返るしかない。五右エ門側の助太刀などを不二子がしようにも、そんなものを彼が受け付けるはずがないことを、多分不二子はイヤになるほどわかっていたのである。
(いや。それだけではないかもしれん……)
五右エ門はさまざまな感情を押し殺すかのように静かに目を閉じた。

どうしても銭形を斬ることが出来ずに、ルパンの命を助けるためとはいえ道を譲ってしまったととなれば、ルパンに対しての、五右エ門の立場はない。
認めることは悔しかったが、今日のように迷いある状態では、とても銭形を斬り伏せることが出来ないことは誰よりも五右エ門自身がわかっている。そして、不二子もそれをしっかりと見抜いていたに違いない。
だがここで、不二子がルパンの言いつけを裏切ったことにすれば。五右エ門もその裏切りのせいで捕えられたことにすれば。
(もしかしたら、不二子は……俺のことも慮って?)

これは考えすぎだろうか。不二子に問いただせば間違いなく、冷笑を浴びせられるか、「自惚れないで」と一蹴されてしまうだけだろう。
(済まぬ、ルパン。そして……)
五右エ門は、今まで味わったことのない感情の高まりを――怒りとも、情けなさとも、申し訳なさとも、あるいは純粋な感謝や好意とも違う、名のつけようのない混沌とした熱い感情の高まりを、胸の奥に押し隠すように唇をかみ締めた。
そして不二子が静かにルパンの寝室のドアを開けるのを見守った。

薄暗い部屋の中に、一つだけぼんやりとしたオレンジ色のランプだけが灯っている。
寝台の頭側と右側にある広めの窓にかかる分厚いカーテンは、すべて厳重に下ろされ、まだ日のある時間だとは思えぬほどに、外界の光を完全に遮っていた。これはルパンが、外から漏れてくる光すらも苦痛に感じ始めたからに他ならない。
ゆったりとした寝台の脇に、三人がそっと回り込むと、ようやく横たわるルパンの様子が、頼りない灯りで微かに浮かび上がった。

浅く、いかにも苦しげな呼吸がまず耳を打つ。
彼はいつになく弱々しく横たわったまま、目を開く気配もない。額には、高熱のためか汗が浮かんでいた。
不二子がそっとその汗を拭ってやるが、反応はない。辛そうな呼吸だけが続く。

「警部、早速お願いするわ」
「ああ」
銭形は、懐深く大切にしまっておいた解毒剤の入った小瓶と注射器ケースを取り出す。その間に不二子は手馴れた様子で、ルパンの腕を取り手早く消毒する。
注射器に解毒剤を丁寧に注入すると、銭形は注意深くルパンの右腕に打った。
「本来即効性の毒に対する解毒剤だから、このクスリの効き目も早く出てくるはずなんだが……」
我知らず銭形は不安そうな声を漏らした。



長く――限りなく長く感じられる数分間が、沈黙と共に過ぎた。
「ちょっと、そのクスリ本物なんでしょうね」
不二子は思わず苛立ちを抑えかねた調子で呟いた。銭形はむっつりと黙りこくったままである。
銭形がどのようにしてS国を説得して、かの国秘伝の解毒剤を入手したかはわからぬが、考えてみれば容易いことではなかったはずだ。真実本物の解毒剤であるかは、銭形に確認する間もなかっただろう。
まさかICPOの警部相手に偽物など掴ませるわけもあるまいが……。
五右エ門は相変わらず静かに目を閉じながら、ひたすらそう信じ、待った。


やがて。
微かに瞼を震わせると、ゆっくりと、本当にゆっくりと、ルパンはその目を開いた。
「ルパン!」
静かな、囁くような不二子の呼びかけ。だがその声には、隠しようのない嬉しさが込められているようだった。
ルパンは、不思議そうに数回瞬きし、己を覗き込む3人をぼんやりと見つめ返していた。
次第にその瞳は力を取り戻していく。
改めてルパンは、ベッドを取り囲む不二子と、五右エ門、そしてここにいてはならぬはずの銭形に目をやった。さらに五右エ門に掛けられた手錠を見やる。
いまだ蒼ざめたその頬に、皮肉そうな笑みが微かに浮かんで、消えた。それを、五右エ門は確かに見たと思った。

「ヨオ、とっつあんじゃねぇか。……お元気?」
ほんの数分前まで生死の境をさまよっていたとは思えぬほど、能天気な声でルパンは言った。だが、その声も普段の彼からすれば、まだあまりにも弱々しく響く。
銭形はそんなルパンを、ホッとしたように見下ろしている。
「死にかけてたクセしやがって。何が『お元気』だ。こっちの台詞だぜ、バカヤロウ」
「ああ。まったくね……」

その時不二子が、そっと銭形の腕を取って寄り添いながら、言った。
「ごめんネ、ルパン。こんな時に悪いけど、大人しく銭形さんに捕まって頂戴。私、貴方と一緒にこんなところで逮捕されちゃうの、イヤなのヨ」
「不二子チャン、そりゃないんじゃないの?」
ルパンは不二子にそう言いながらも、ゆっくりと腕を頭の後ろに組んで、余裕の態度を崩さない。ベッドから起き上がろうともしないルパンを、銭形は満足そうに見つめると、言った。
「そうだ、ルパン。大人しくしてるんだぞ。もっともジタバタしようったって、まだ体が動かんだろうがな。……お前がこのアジトへ至る道に、あれこれと随分 仕掛けておいてくれたお陰で、警官隊の車は全部足止め喰らっちまっちゃいるが、それが到着するのも時間の問題だ。間もなく警官隊がここを取り囲むだろう ぜ。逃げられやしねぇぞ」
「おーお。容赦ねぇなぁ」
「当然だろう。ま、ちゃんと医療設備のある護送車を用意してあるから、その点では安心していいぞ」
「有り難いこって」

ルパンは全然有り難そうではない口調でそう呟くと、銭形から目を逸らし、その目を五右エ門へと向けた。
「なっさけねぇなぁ、五右エ門」
時間にすればほんの僅かな……ほぼ一瞬のことである。相棒にしかわからぬアイコンタクト。意志を持った視線。ルパンのその視線は、明らかに五右エ門に「あること」を伝えていた。
五右エ門は思わず身構える。
次の瞬間、音もなく三人の足元に突如、ポカリと穴が開いた。
「キャッ!」
「うぉッ」
真っ暗な落とし穴の中へ、銭形はまっ逆さまに落ちていった。

五右エ門は穴が開くよりも一瞬早く、床をけってルパンのベッドへ飛び移っていた。ルパンは満足そうに笑う。
「さーて逃げるぜ、五右エ門」
「ああ」
ルパンは枕の下で握っていた落とし穴のスイッチを放り投げると、もはや銭形の落ちた穴を振り返ろうともせずに立ち上がった。
さすがのルパンも足元がふらついていた。が、心配そうに振り返った五右エ門を、ルパンは手振りで抑えた。
落とし穴とはベッドを挟んだ反対側の壁を、ルパンが規則正しく数回叩く。すると、壁がスルスルと真っ二つに開いていった。
開いた壁の奥には、広々とした隠し部屋に、脱出用の気球が用意されていた。


「ル、ルパン!」
「お〜や、不二子ちゃん。さっすがにカンがいいこと」
ルパンの、五右エ門への合図に気付いた不二子は、とっさに落とし穴の縁にしがみつき、下まで落ちることを免れていたようだった。
辛うじて自力で這い上がり、穴の縁から顔をのぞかせると、不二子は不敵に笑って見せた。
「覚えてらっしゃいよ、ルパン!」
「ンフフ、不二子ちゃん、またね〜」

「ルパン」
彼が不二子をこの場へ置いていこうとしていると知り、五右エ門は思わず声をあげた。
(今回不二子は、お主を本気で裏切ったわけでは……)
そう言い掛けたものの、五右エ門はそのまま言葉を呑み込んだ。そんなことは、このルパンが気付いていないわけがない。
何もかも、すべてわかっていながら。
いや、すべてをわかっているからこそ、「裏切り者」として不二子をここへ置き去りにするのかもしれない。
そうしなければ、不二子の計らいが無駄になってしまうから――

「行くぞ!」
ルパンは、準備の整った気球に乗り込むと素早くロープを切る。ふわりと飛び立ちかけた気球へ、五右エ門は慌てて乗り込んだ。
「やりやがったな、ルパン! 待てぇッ!」
ようやく落下の衝撃から覚めたものか、落とし穴の奥底から銭形の悔しそうな絶叫だけが後を追ってくるのだった。





今までいたアジトがどんどん小さくなっていき、やがて視野から消えていく。
それを見届けると、ルパンは気球の中でゆっくりと腰を下ろした。さすがにまだ体の調子がいいはずはない。気遣わしげに見つめる五右エ門に気付き、ルパンはわざとふざけたようにニヤニヤと笑った。
「なぁに辛気臭い顔してンだよ、五右エ門?」
「いや……」
何を言えばいいのだろうか。彼に伝えたいことは山のようにあるはずなのに、何一つ言い出すことが出来ない。
死の縁から生還した彼。銭形を防ぎきれなかった己。
そして、「裏切った」あの女について……
結局五右エ門は、いつものように黙り込んでしまうのだった。

いまだ五右エ門に掛けられたままの手錠に気付き、ルパンは再び悪戯っぽくニヤリと笑った。
「まあ、罰としてしばらくソレ、つけてるンだな」
「……」
「それにしてもお前ってヤツはつくづく大根役者だよなぁ。あーあ。どいつもこいつも……」
「ルパン」
「……」

今度は反対にルパンが黙り込んでしまった。その目は軽く閉ざされ、彼の表情から一切の感情を窺い知る術はない。
五右エ門も敢えて沈黙を破るつもりはなかった。

どれくらいその沈黙が続いた頃か。五右エ門は目を閉じたままのルパンが、再び眠ってしまったものと思っていたが、不意に彼の呟く声が聞こえた。
「借りが出来ちまったよなぁ」
誰に対する言葉だったのか。
勿論返事などせぬ。そんなものが必要とされていないことくらいは、五右エ門にも解った。
相変わらず近くて遠い男。
五右エ門は、ただルパンを黙って見つめるばかりであった。

五右エ門VS銭形を書きたくて着手した作品でした。最初に考えていたのは、前編だけだったんです。五右エ門が負けて終る、という…(笑)。
この二人が真剣に戦った場合、だいたい銭形の勝ちなんですよね。やっぱり年の功?
ただ、それじゃいくらなんでも五右エ門の立つ瀬がないなぁと思ったのと、妄想が色々と加速したことが相まって、こうした話になりました。
新ル「ルパン逮捕頂上作戦」で「とっつあんにごめんなさいするくらいなら…」という台詞が確かあって…そんなルパンがすごく好きなんです。個人的に。
というわけで、みんな意地っ張りになってます(笑)。
あ、今回の不二子の行動に関してのあの解釈、あれは完全に五右エ門視点です。「本当」のところは不二子本人にしかわからないんじゃないか、と思ったりしてます。
ちなみに、「惨めな生〜」という箇所、私個人の考えでは決してありません(笑)。私は恥も屈辱も生きていてこそ雪げるし!と思うタイプです(←どーでもいい話ですが)。
とにかくこの話、未だかつてないほどに難産でした。その分愛着もありますが^^

(02.9.13完成)

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