シャドウ (1)

それが届いたのは、ルパンがまだ怠惰な眠りをむさぼっている頃だった。
カーテン越しにやわらかく差し込む春の日差しが、ほどよく室内を暖め、その心地よさがますます彼を眠りの中へとどめたまま離さない。もっとも、すでに太陽が天に昇って久しく、世間的には昼と呼ばれる時間帯ではあったが――
相棒のこうした生活に慣れている次元は、ルパンがまだベッドの中で枕を抱きかかえてぐっすり寝入っている様子に驚くことなく、ずかずかと部屋の中に入ってきて彼を起こしにかかった。
「おいルパン、ルパン」
肩にかけられた次元の手は、いつもよりやや荒っぽく揺すぶってくる。それに抵抗して、ルパンは体を布団に巻きつけ、いっそう深々ともぐりこんでいく。
ルパンを布団から引き離そうとしながら、次元は声のボリュームを少し上げた。
「いい加減起きろよ!」
「なんだよぅ……うるっせえな。たまにはゆっくり寝かしてくれよ」
「何がたまにだ。ここんところ、毎日好きなだけグータラしてるじゃねえか。なあ、おい、そんなことより、おかしなモノが届いてるんだ」
ルパンはようやく、布団から少しだけ寝ぼけ眼を覗かせ、次元の顔を見上げた。
「おかしなモノォ?」
「手紙らしいんだが」
それを聞くと少し気が抜けたらしく、大きなあくびをもらし、おもむろに上体を起こしながらルパンは云った。
「また俺へのファンレターでしょ。あとで読むから、その辺に置いといてくれよ」
「まだ寝ぼけてんのか? バカ云ってねぇで、顔でも洗ってすぐ来いよ」
部屋を出て行く前、次元は「いいか、すぐにだぞ」と念を押す。それに対し、ルパンは「コーヒー淹れとけよ」と横柄に命じた。


身支度を済ませたルパンがリビングに入っていくと、次元ばかりでなく、五右ェ門までソファの隅に座っているのが見えた。
「どうしたのよ、お二人さん。揃って真面目な顔しちゃってまあ」
コーヒーの方はテーブルに置き、次元が差し出してきたのは、例の手紙の方であった。
「これがどうしたっていうの?」
一見、何の変哲のもない白い封筒。宛名は「ルパン三世」とだけタイプされている。
差出人名はない。
ルパンは無造作に封を切った。
中には、封筒と同じく真っ白な、やや厚手のカードが一枚入っているだけだった。それを慎重に摘み上げると、タイプされた文字を読み上げる。
「なになに……『死にゆくルパン三世へ』だぁ?」
「やっぱり」
次元が低く呟いた。ルパンはさらに読み進める。
「『一週間以内に、貴方を死の世界へご案内する。ハデスの鎌より正確な我が手から逃れる術はあらず。心して待たれよ』……なんだ、これ?」
きょとんと目を見開いていたが、やがて苦笑いを浮かべる。
「カッコつけやがって。要するに、まぁた果たし状かよ?」
「果たし状というより、予告状のように聞こえるな」
と五右ェ門が静かに云った。
「予告状?」
ルパンはかすかに眉をひそめる。
「そう、これは予告状だぜ、ルパン」
と、次元が身を乗り出し、ルパンの手元からカードを取り上げながら訊いた。

「ここ数年、予告状を出してから相手を始末する殺し屋が現れたって話、聞いたことないか、ルパン?」
「いんや」
素っ気ない答えだった。この類の無頓着さはいつものことだと云わんばかりに、次元は軽く肩をすくめた。
ルパンは口を尖らせて疑問を口にする。
「でもよう、殺し屋ってえのは、闇から闇へと人を葬り去るのがオシゴトなんだろ。それを予告状出すなんて、おっかしいんでないの? 相手は警戒するから殺りにくくなるし、第一、依頼人だって目立つのは願い下げなんじゃ……」
「勿論そうだ。殺し屋稼業は、無差別に殺人予告だの爆破予告だのをする悪質な愉快犯とは根本的に違うからな。ヤツも、普段は予告も何もない通常の『暗殺』 をやってるんだろう。だが中には、殺す相手にじわじわと恐怖を感じさせたいと思ったり、制裁であることを暗に示したいと考える依頼人もいるらしいんだ。そ ういう場合のみ、ヤツは『予告状』を出し、殺しを実行する」
次元は乾いた口調で付け加えた。
「確実に、だそうだぜ」

一瞬、冷たい沈黙が落ちた。
が、ルパンの敵愾心丸出しの声がそれを破る。
「何者なんだ、そいつは?」
「詳しいことはわからねえ。ただ、シャドウという通り名で呼ばれている」
「なぁにがシャドウだ、気取りやがってぇ!」
荒々しくカップを手にすると、ルパンは冷めてしまったコーヒーを一気に呷った。
カードをテーブルの真ん中に放り出し、次元はソファに深々と身を沈めて、多少云いにくそうに話を続けた。
「なんでもな、正体不明、神出鬼没、その殺しの技の正確さ、多彩さはかなりのものらしい。決して尻尾は出さないが、活動しはじめてからヤツが手がけた殺しは相当な数に上ると、その筋では評判になっている。しかも、ヤツは変装の名人だという噂もある」
「……ルパンみたいなヤツだな」
五右ェ門がぼそりと呟くや、たちまちルパンのこめかみがぴくりと震えた。
「勝手に物真似されてるみたいで気色悪りぃの」
不機嫌さを丸出しにして口元をひん曲げた。
次元は隣の五右ェ門に苦笑い混じりの視線を送った後、ついでとばかりにルパンに云った。
「お前にゃ気に入らねぇだろうが、暗黒街の一部では、ヤツを『殺し屋界のルパン三世』と呼んでるらしいぜ」
「ふざけるな! ルパン三世は俺様一人だ! 冗談じゃねえぜ、何が『殺し屋界の』、だ! 胸くそ悪りぃにも程があらぁ」
ついに怒りも顕に立ち上がると、ルパンは持っていた封筒を一気に引き裂いた。ひらひらと白い封筒の成れの果てが足元に舞う。

だが、ふいに、ルパンは不敵な表情を浮かべた。
「へっ、シャドウだかホドウだか知らねえが、この俺に殺しの予告状を叩きつけるたぁいい度胸だ。やれるモンならやってみやがれ。え、どうだ? 『悪ぅございました』と尻尾巻いて逃げ出すんなら今のうちだぜ」
まるでそこにシャドウ当人がいるかの如く、あからさまに挑発的な口調であった。
その様子から何かを察知して、次元と五右ェ門は思わず立ち上がり、静かに身構えた。
ルパンは真っ直ぐにカードを睨みつけている。
つられるように彼らの視線は、テーブルの上に置かれたカードに集中する。
「ルパン……」
次元が囁き、呼ばれた当人はうなずき返す。
「聞いてるんだろ、シャドウさんとやら。封筒に住所はなかった。アンタがご丁寧にもわざわざお出向きあそばして、今朝ポストに投函したってことはわかっている。そして、カードに仕組んだ極小の盗聴器で俺たちの話を、この近くで盗み聞いている事もな!」
ルパンがそう云い放った瞬間、白いカードがみるみる変色し始めた。
続いて一気に煙が噴出す。
「伏せろ!」
同時に三人は、部屋の隅まで飛び退り、身を伏せた。
派手な爆音と共に、その上にあったカップや灰皿もろともテーブルが粉々に砕け散った。彼らの座っていたソファも後ろへ吹っ飛ぶ。衝撃で、室内の窓ガラスがびりびりと震えた。

三人が顔を上げて互いの無事を確認した刹那、今度はマシンガンの銃弾の嵐が襲いかかってくる。再び彼らは頭を低くせざるを得なかった。
窓ガラスがめちゃくちゃに割れて散乱し、カーテンは見る影もなくただのボロキレと化す。壁は瞬く間に蜂の巣の如く穴だらけになる。室内のあらゆるものが、荒れ狂う銃弾に破壊されていった。
腹這いになってじりじりと窓辺へ移動し、集まってきた三人は、忌々しげにその有様を見つめた。
「ちくしょう」
次元はマグナムを握る手に力を込めると、すばやく身を起こし、窓枠だけになった空間から重い銃声を轟かせた。
茂みに翻る影がかすかに見えた。が、仕留めた手ごたえはなかった。次元は舌打ちをする。
再びマグナムを撃ち込むが、すでに前に居た場所にその姿はなく、銃声の余韻が消えると、辺りは異様な程の静けさに包まれた。
次元は壁際に座り込む。
「すばしっこいヤツらしいな」
「だが、まだ逃げちゃいねえだろ」
そう云ってルパンがワルサーを構えて、窓からわずかに姿をさらした瞬間――
先ほどの静寂が嘘のように、マシンガンを連射する音が響き渡り、銃弾が降り注ぐ。慌てて、ルパンは頭を引っ込めた。
「なぁるほど、狙いは俺だけってワケか。生意気な野郎だぜ。狙った獲物以外にゃ手を出さねぇとでも云うつもりか」
彼のやり口を嘲笑的に真似られているような気がした。ルパンは口元を皮肉そうにゆがめ、その目は危険な光をたたえた。


「ということらしいぜ、お二人さん」
そう云って二人の相棒を見やると、彼らはルパンの意図を察して頷いた。
「残念だな、五右ェ門。俺たちは相手にされないんだと。だったら、別行動させてもらうとするかな」
「うむ」
二人は無防備に立ち上がった。やはり、マシンガンが発射される気配はない。
「あ〜ら、行っちゃうの。冷たいことぉ」
ひとり壁を背にうずくまったままのルパンが、おどけた笑顔を向けつつ云った。次元も同じような表情を返しながら、
「健闘を祈るぜ、ルパン」
そして、二人はすばやく部屋から、そして裏口を使ってアジトから出て行った。

二人が去った頃合を見計らい、ルパンは再びワルサーを手に、身を躍らせた。
「さあて、降りかかった火の粉をパッパしちゃいましょうかね」
大胆にもルパンは、盾にできるはずの部屋から飛び出し、シャドウの姿を求めて走り出した。
正体不明の殺し屋の素顔を意地でも拝んでやる、と彼の行動が叫んでいた。
自分の潜んでいる場所を知られることを嫌ってか、走るルパンの後を銃弾が追ってくることはなかった。
だが、まだこの周辺で息をひそめていることは間違いない。

アジトから離れるにしたがって、低く茂った植え込みだけでなく、周囲に高い木々が増えてくる。
午後の穏やかな木漏れ日を浴びながら、ルパンは用心深く移動を続けた。
ちらりと、影が横切る。そこへ向けて正確に撃ちこんだ。
しかし、放たれた銃弾は空しく木にめり込む。小鳥たちが驚いて飛び立った。
なかなか気配がつかめない。こんな相手は珍しい。ルパンは素直にそう思った。
その直後、先ほど影のよぎったところからかなり離れた場所に、殺気を感じた。無意識に身体が動き、茂みの中に膝をついた。
頭のすぐ上を銃弾が通過していく。危ないところだった。
「へっ、あっちこっちよく動くこと。これが噂の神出鬼没ってヤツですかね」
負けん気をむき出しにしてルパンが呟くと、答えだと云わんばかりに銃が連射された。
ルパンも素早く撃ち返す。
今度は自分の攻め込む番だと、ルパンは多少の危険など顧みず、連射しながらシャドウに接近を図った。だが、近寄ってみると、そこにはもう人影はない。
ワルサーを低く構えつつ、全身で敵の気配を探る。
すると、またしても予想もつかないところから、弾が襲い掛かってきた。存在していることは明白なのに、とにかく気配がつかみにくい。
「まったくどこにいるのやら。屁みたいなヤツだな」
ルパンは下品な喩えで茶化してみせたが、その面は危険の中にあって引き締まり、目はますます輝いた。そして再びトリガーに力を込める。

しばらくの間、激しい撃ち合いの音が鳴り止むことはなかった。

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