シャドウ (2)

「銭形警部ですな?」
背後から慇懃な声がかけられた。銭形が振り向くと、そこに男が一人、姿勢正しく立っていた。
栗色の髪を短く切りそろえ、西洋人としてはごく平凡な顔立ち。背はあまり高くないが、がっしりとした体格を地味なスーツで包んだ、一見目立たぬ男である。
だが、口元が笑みらしき形を作っている時でも、決して笑うことのない目が、銭形をまっすぐに射ている。
油断ならない男であることに、すぐに気づいた。
「あんたは?」
「殺人課のノイマン刑事です。ワルター・ノイマン」
如才なく差し出された手を、銭形は無愛想に握り返した。

ルパンの行方を追ってこの国へとやって来たその足で、何か新たな情報がないかと念のためにICPO支部に立ち寄っただけの銭形は、気分的に非常に急いていた。のんびり他の課の人間と立ち話をする気分ではない。
が、ノイマンという男が、無駄話をするために声をかけてきたわけではないことは、彼の様子からわかった。
「何か?」
儀礼的な握手を済ませると、銭形は即座に訊いた。ノイマンはその事務的な態度に納得したように、ゆっくりと頷いた。
「なるほど、あのルパンを追い続けるためには、僅かの時間も無駄にできないというわけだ。ご安心ください、私の用件はルパン絡みです」
「あの男が、現れましたか?」
声が弾むのが、自覚できた。
だが、ノイマンは残念そうに首を横に振った。
「この国に潜伏しているらしいという事は、銭形警部もすでにご承知の通りですが、まだ姿を現したり、めぼしい動きをしたという情報はありません。……ですが、彼が殺し屋に狙われているという噂を耳にしましてね」
いつものことだった。
遥か以前から、ルパンはどこへ行っても、誰かしらに命を狙われ続けている。ルパンに恨みを持つ者たち、不死身とすら称されるルパンを殺って名を上げたいならず者たち――
またしてもルパンが殺し屋のターゲットになったからといって、驚きはしない。けれども、無論、銭形としては無関心ではいられない。

「その殺し屋を、あなたが追っているというわけですかな」
「さすが話が早い。その通りです。通称シャドウという、数年前から活動しはじめている得体の知れない殺し屋です。噂くらいは聞いたことがおありでしょう。 最近、そのあまりの凶悪さにICPOもシャドウ逮捕に本腰を入れはじめましてね。私が専任捜査官に任命されたのです」
ノイマンは言葉遣いこそ丁寧なままであったが、急に親しみを滲ませた口調になった。
なかなか姿を現さず、その正体も杳として知れない者を追う大変さは、あなたならおわかりでしょう?とでも云いたげな視線を送ってくる。
銭形は、無言のまま話の先を促した。
「シャドウはまったく奇妙な殺し屋でして。依頼人の希望があった場合に限るようですが、わざわざ殺しの予告をするのです。勿論、依頼人の名は決して明かし ませんし、その予告状に彼自身の正体を示す何の痕跡も残しません。そして、厳重な警戒をかいくぐって、まんまと目的を達してしまう。恐ろしいヤツなので す」
「殺しの予告……だぁ?」
銭形は苦々しく顔をしかめた。
“仕事”が困難になるというのに、敢えて予告状などというものを出し、多くの人間を出し抜いてみせる――嫌でも誰かを思い起こさせた。
だが、何かが違う。そう銭形は感じてもいた。

銭形の仏頂面にもひるむことなく、ノイマンは穏やかに話し続ける。
「さらには、いまだその正体は一切つかめず、おおよその容姿すら判明していません」
殺人課が無能揃いなんじゃないのか、という言葉を銭形は呑み込んだ。
「というのも、シャドウは変装の名人でもあるという、きわめて厄介なヤツでしてね」
言葉にならない低いうめき声を上げた。正体不明の変装の名人ときたか。銭形は、まるきり面白くないジョークを聞かされた時のように、口元をゆがめた。
「ルパンが、ルパンもどきの殺し屋に狙われている――という事か」
独り言のように呟く。しかしノイマンは即座に反応した。
「云いえて妙ですな。実際、シャドウは『殺し屋界のルパン三世』との異名をとり始めています」
なぜだか、不快な、怒りのようなものが銭形の胸中に湧き上がった。
ルパンが――俺が追い続けるルパン三世みたいなヤツが、この世に何人もいてたまるか。
そんな思いを押し隠し、眼光鋭くノイマンを見やる。

「で? どうしようというんだ」
ノイマンは、相変わらず目だけが凍てついたままの微笑みを浮かべ、慇懃に云った。
「お恥ずかしい話ですが、私はまだシャドウ選任捜査官に着任したばかりで、ヤツの行方をつかめていません。だが、ヤツがルパン三世を狙うとなると……」
「必ず、ルパンの近くに現れる、というわけか」
「はい。シャドウはこれまで予告を違えたことはありません。ヤツの予告状では常に一週間の期間を設けます。そして、必ずその間に実行しています。今度も、間違いなくルパンに数日のうちに接近し、命を奪うでしょう」
銭形の目がギョロリとむかれた。
「ルパンはそんな駆け出しの殺し屋に殺られるような甘い野郎じゃないぞ」
「まあ、長年ルパンを追っていらっしゃる銭形警部がそうお考えになるのは尤もだと思いますよ」
ノイマンの笑みが微かに皮肉の色合いを帯びた。
「ですが、私としては現行犯逮捕ができる絶好の機会。これを逃すわけには……」
「ルパンが殺られるワケがねえだろう!」
初対面の相手に対して維持していた穏便な態度が一気に崩れた。銭形のあまりの荒々しさに、ノイマンは一瞬言葉を失った。
しかし、すぐに例の微笑みが戻って来る。
「私とて、ルパンの死を願っているわけではありませんよ。ですが私も自分の任務を果たしたい。あなたにだったら、この気持ちはわかっていただけると思うんですけどねぇ」

目の前の刑事を睨み付けたまま、銭形は問うた。
「だからどうするつもりだ?」
「しばらくあなたと同行したいのです。殺人課もルパンの行方を追うことに協力は惜しみませんよ。ルパンの居所がわかるなら、あなたにとって損はないはず」
気の弱い人間だったら震え上がって逃げ出す程の銭形の強い視線を、平然と受け止めながらノイマンは微笑み続けていた。
「断ったところで、ついて来るんだろう」
「あなたの上司の許可は取ってありますよ」
「……勝手にしろ」
そう云って背を向け、廊下を歩き出した。もうICPO支部に用はない。
音もなくついてくるノイマンを確かめることもせず、銭形は断固たる口調で云った。
「だがな、俺はルパンを必ず生かしたまま逮捕する。それを邪魔するヤツは誰であろうと容赦しねえ。そのつもりでついて来い」





「いやあ、まいったまいった」
昨日襲撃を受けた場所からさほど遠くはないが、いっそう秘密めいた別のアジトの一室で、ルパンはぐったりとソファに身を投げ出していた。
「あンの野郎、しつこいったらないぜ。追いかけりゃ逃げるし、撃退しようとすりゃどこまでもまとわりついてきやがるし。結局、きりがなくて撒いてやったがな」
「ルパンがそんな風に愚痴るなんて珍しいじゃねえか。まさに“影”みたいなヤツだったってことか?」
からかうように次元が笑った。五右ェ門もルパンが怪我ひとつない姿でアジトにやって来たのを見て、表情を和らげている。
だがルパンはまだぶつぶつ云っていた。
「美女ならともかく、男にしつこくされるの、嫌いなのよねぇ。まあったく、冗談じゃないぜ」
ゆっくりと身を起こし、ウィスキーで咽喉をたっぷりと湿らすと、ルパンは相棒二人に視線を投げた。
「それで? わかったんだろうな」
当然、と云わんばかりに二人は頷いた。それでなくては、昨日危険の中にルパンを残して別行動した意味がない。

次元もウィスキーを口にしてから説明を始めた。
「依頼人探しは結構難しくてな。お前さんときたら、あっちこっちで恨みを買ってるから仕方ねえが」
「余計なことは云わなくていいの」
「ま、最近俺たちはそれほど派手に仕事しちゃいなかった。だから、古い恨みを引きずってるヤツが糸を引いてるのかとも思ったが、そうじゃないらしい。で、思い当たったのが、ローゼンタールだ」
「ローゼンタールゥ? あくどいマフィアのくせに、いつの間にか実業家面してる耄碌ジジイだろ? アイツのモノなんか盗んでないぜ」
ルパンは不満そうだ。次元は頷いて続けた。
「確かに盗んじゃいねえが……先月、銭形のとっつあんと派手な追いかけっこした時、偶然マフィアの麻薬取引現場に乱入する形になっちまったのを、覚えてるだろ」
「あーー」
その様子を思い浮かべているらしく、ルパンは宙を見つめながら声を上げた。

とある港の寂れた倉庫に、逃げるルパンたちと追う銭形が乱入した事がきっかけで、極秘で行われていたはずの麻薬取引が警察の目に触れ、取引自体が駄目に なったという出来事があった。そればかりか、そののち、現場にいた人間や関係者は全員逮捕され、麻薬もすべて押収されることになったのだという。
「その取引の裏にいたのがローゼンタールの爺さんだったってワケかい?」
「ああ。うまいことやってヤツの存在は表に出ずに済んで、逮捕は免れたがな」
「なんだよ、逆恨みじゃねえか。それに、手下逮捕したのも、ヤク押収したのも、とっつあんの活躍が大きかったって聞いてるぜ。な〜んで俺が狙われなきゃならねえんだろ」
すねたような顔で「不公平」だの「理不尽」だの云っているが、そんな理屈の通る相手ではないことも、ルパンはよく承知していた。
珍しく五右ェ門が付け加えた。
「ローゼンタールが最近、腕の立つ殺し屋を探していたという話をあちこちで聞けたし、ほぼ間違いないと思う」
「……ローゼンタールか」
腕を組んだルパンは、しばし伏せ目がちに考え込んだ。

やがてその目を、悪戯っ子のように輝かせて大きく見開いた。
「確かローゼンタールは、巨大な紫ダイヤを持ってたよな」
「ああ、そうだったな。由緒正しいローゼンタール家の家宝だとか抜かしてるが、没落貴族から二束三文で強引に買い叩いた物だって話を聞いたことがある」
次元が答えると、満足そうにルパンは笑った。
「そんじゃ、それ戴いちゃいまショ。早速、予告状を書いて届けなきゃな」
「おい、ルパン。そんなことしてる場合かよ? ヤツはお前ぇの命を狙ってるんだぞ。雇った殺し屋は待ち構えるだろうし、屋敷に忍び込むとなると荒くれ者の手下どもだって黙っちゃいねえぞ」
だが、次元の言葉など聞こえないかのように、ルパンは嬉々として作業に取り掛かっている。
こうなってはルパンを止めることは誰にもできない。
その姿をしばし見つめた後、次元は諦めように軽く首を振り、五右ェ門は微苦笑を浮かべて静かに目を閉じた。

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