シャドウ (3)

深い森の中を貫くゆるやかな上り坂に、ようやく終わりが見えてきた。ずいぶん長いこと車を走らせたような気分だった。
森の切れ目から、まるで中世の要塞そのものといった建物が現れた。
鋸歯形の突き出し狭間のある物々しい城壁と、内部にそそり立つ矩形の塔が印象的な城である。14世紀に完成した古城を、なるべく外観は昔の面影を残すようにし、内部だけを現代風に改装したと聞いている。
銭形はその城を見上げながら、「面倒くさそうな所に住みやがって」とひそかに文句を云った。
埃っぽい道の終点には、深い堀が横たわり、そこに時代がかった跳ね橋が待ち構えていた。
いったん車を止めると、銭形は窓から身を乗り出してクラクションを鳴らした。
「ICPOの銭形だ! すでにローゼンタール氏には連絡してある」
そう怒鳴ると、橋守りの老人がうっそりと頭を下げ、ゆるゆると橋を下ろしにかかった。
助手席で、ノイマンが皮肉そうに呟いた。
「大した住まいですな」
「成金のやることはどいつも似たようなモンだ」
この城も、金か力に物を言わせて強引に買い取ったのだろう。それがローゼンタールのやり口である。

跳ね橋が下ろされると、銭形はゆっくりと車を進めた。
案内されるままに、敷地中央に位置する居住地区の前の緑豊かな庭を横切って、そこで車を止めた。
主の住む城の中心部は、ゴシック様式風の尖塔が目立つ、三階建ての堂々たる建物であった。
そして、大仰なほど鋼鉄で強化された扉の前に、二人は降り立った。ライオンの形をしたノッカーは金色に輝いている。
ノックすると同時に、執事が重々しく扉を開けた。物腰は柔らかだが、どことなく胡散臭い執事だ。
銭形は、コートを預かろうとする執事を手振りで断り、一刻も早くローゼンタールと会わせるよう急かした。
とりあえず案内された一室は、ちょっとした小部屋であるにも関わらず、どこもかしこも金ぴかで、家具にも随所に金をあしらい、緞子や壁紙にもいちいち金で刺繍が施されていた。
ローゼンタールと会う前から、銭形はうんざりした気分になった。ノイマンは無言でそれらを眺め回し、いつもの張り付いたような笑みを浮かべていた。

「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
先ほどの執事が、銭形とノイマンを導いた。案の定、長い廊下もゴテゴテとした飾りつけがされ、やたらと金色ばかりが目立って胸焼けしそうな眺めであった。
そして、とどめは当主ローゼンタールの居間であった。
驚くばかりの黄金の光の洪水。ミダス王の部屋ですらこれには及ばなかったであろうと思わせるほどに、金で溢れていた。元々は上品なアンティーク家具だったと思しいものにも、無残に手が入れられ、むやみに黄金で飾り立てられている。
黄金以外で目を引くものといえば、裸婦像ばかりをモチーフにした絵画や彫刻だが、本来は「芸術作品」と呼ばれる類のものであろうに、この部屋にあるというだけで妙に猥褻に見えるのだから不思議だと、銭形は思った。
そんな中に、ローゼンタールはどっしりと座って居た。
巨大な黄金の肘掛け椅子に、肥大した身体をだらしなくあずけ、訪問者に不愉快そうな一瞥を投げかけている。老いて垂れ下がったまぶたから覗く瞳は、猛禽類の荒々しさを秘めていた。

銭形とノイマンは、事務的に名乗り警察手帳を示した。
「用は何だね」
葉巻をふかしながら、さも迷惑そうにローゼンタールは口を開いた。
動ずることなく銭形は答えた。
「用件はあなたが一番ご存知のはずだと思いますがね、ローゼンタールさん」
「警察なんぞに用はない。あんたたちが会いたいというから会ってやったのに、その態度はなんだ!」
老人の威圧的な一喝を平然と聞き流すと、銭形は懐から一枚のカードを取り出した。
「これは今朝警察に届いたのですが、同じものがあなたのところにも届いているはず。そうですね?」
それは、ルパン三世からの予告状であった。

――ごうつくばりのローゼンタール老の所有する、家宝の紫ダイヤを5日以内に頂戴するぜ。そのときを楽しみに。ルパン三世――

差し出されたカードを手にしたものの、すぐに銭形につき返し、険しい顔をいっそう険しくした。
「知らんね」
「そうですか。でももうおわかりになったでしょう。私がお邪魔したのはこういうわけです。あなたの家宝がルパン三世に狙われている。それを阻止するために、今日から5日間この城を我々が警備させていただきます」
「余計なお世話だ!」
弛んだ頬を震わせてローゼンタールはしゃがれた声を張り上げた。銭形も負けずに怒鳴り返す。
「これはあんたのためなんかじゃない、私の仕事なんだ! この家の当主といえど邪魔せんでもらおう!」
予期せぬ反撃にローゼタールが言葉を失う。顔ばかりか薄くなった頭頂部まで激しい怒りで真っ赤に染めている間に、銭形はふいに平静な調子に戻り、必要な法的書類はすべて揃っている旨を述べた。
そして、「ではすぐ警官たちを配置につかせますので、よろしく」と、反論を許さない、静かだが強い口調で云いきると、さっさと部屋を出て行った。慌ててノイマンもついてくる。

「いけすかない野郎だ」
「今でこそ合法的な企業の仮面をかぶることを覚えて、一応実業家という体裁を整えてますが、マフィアあがりの成金ですからね。警察とはできるだけかかわりたくないんでしょう」
ノイマンはさらに声を潜めた。
「……警部、これはまだ噂なんですが」
「車の中で聞こう」
用心深く、銭形は云って足を速めた。ノイマンも同意して後に従った。

「で、噂というのは?」
車の中に戻ると、銭形は煙草に火をつけ、大きく煙を吐き出した。
ノイマンは嫌煙家らしく、漂う紫煙に神経質そうに眉をひそめたが、特に異議は唱えず本題に入った。
「私には何人か懇意にしている情報屋がいるんですが、その中の一人が、今回のシャドウの依頼人はローゼンタールだと云ってきたのです」
やっぱりな――というのが、銭形の感想だった。
「まだ確証はありませんが、この辺りの暗黒街ではさかんにそう囁かれはじめているそうです」
「ああ……だからだろう。ルパンのヤツがやりそうなこった」
自分の暗殺を命じた人間から、家宝を奪うと大々的に予告する。
それは、逃げも隠れもしない、むしろ相手と同じやり口で意趣返ししてやる、と宣言しているに等しい。
ルパン自身のやり方として馴染み深い「予告状」という形で、シャドウなどという駆け出しの殺し屋から挑戦されたまま、大人しく暗殺期限である一週間が過ぎるまでこそこそ逃げ回って身を隠しているはずはないと思っていたが……
銭形はくわえ煙草のまま軽く目を閉じた。
ルパンがあえてダイヤを盗む期間を5日間のうちとしたのも、おおかた暗殺の予告状がルパンの元におととい届いたからに違いない。シャドウが予告したのと同じまったく期間中、執拗に迫るであろう魔の手から逃れつつ、自らの予告も果たすつもりなのだ。
バカなヤツだ、と思う。同時に、いかにも彼らしいとも思う。
だがそんなことより、再びルパンを捕らえるチャンスがめぐってきたことに、静かな高ぶりを覚えていた。
ローゼンタールも、シャドウとやらも、そしてノイマンも関係ない。この俺がルパンを逮捕する。それだけの話だ。
銭形はそう考えると、カッと目を開き、警察無線を使って次々にローゼンタール邸の警備に関する指示を出し始めた。





「ルパン、すごい騒ぎになってるわよ。あなた、いったい何をしたの?」
「よう、不二子」
少し慌てた様子でアジトに入ってきた不二子を、ルパンは寝そべっていたソファから身を起こしながら迎えた。
すでに夜の闇が落ちてくる頃合であった。
いつもなら一緒にくつろいでいるはずの次元と五右ェ門の姿は見えない。
しかし不二子は二人のことを尋ねることもなく、隣に腰を下ろしてきた。ルパンがニヤリと笑いかける。
「俺は特に変わったことなんか何もしちゃいないぜ。ただそろそろいつものようにシゴトに励もうかなぁ、なんて思ったりしてるだけよ」
「ローゼンタールに予告状を出したんですってね」
「そ。世界一大きいとも云われる紫ダイヤだぜぇ。不二子も見たいだろ? 楽しみにしててくれヨ」
いたって緊張感のないルパンの態度に鼻白んだように、不二子はわずかに口ごもった。
「そ、そんなことしてて大丈夫なの? わたし、あなたがシャドウっていう殺し屋から狙われているって聞いたわ。何もそんな時にわざわざ仕事なんかしなくたって……」
ルパンは楽しげな顔つきで不二子に向き直った。
「あーら、心配してくれてるの、不二子ちゃん? めっずらしいんだ」
「珍しい? そんなことないわ。イジワルね、ルパン」
不二子はすねた顔をして見せた後、そっとルパンに身を寄せた。

「とにかくその筋では大騒ぎになっているわよ。もう賭け屋が現れて、ルパンとシャドウ、どちらが勝つか、なんて賭けが行われているほどなんだから」
不二子は不安げな面持ちでルパンを見上げた。ルパンは相変わらずニヤニヤと笑いながら、ゆっくりと、不二子の肩に手を回す。彼女は大人しく、ルパンの胸にもたれかかった。
「不二子のことだから、当然俺に賭けてきたんだろ?」
「ルパンったら、わたしを相当冷たい女だと誤解しているのね。こんな時に賭けだなんて……」
とてつもなく甘い声が囁く。
切なそうにルパンの身を案じている彼女の表情が、次の瞬間、氷のような冷徹さに切り替わった。
「負ける方に賭けるはずがないでしょう!」
そう云うや、“不二子”は太ももに隠していたナイフを取り出すと、ルパンの胸に突き立てた。

が、ナイフがえぐったのは、さっきまでルパンがもたれていたソファであった。
間髪入れずナイフを引き抜き、一瞬のうちに背後に飛び退っていたルパンと対峙する。シャドウに呼応するかのように、ルパンも細身のナイフを取り出した。
「なかなかお見事な変装だ、シャドウ。だけっども、どんなに不二子ちゃんご愛用の香水をつけてきても、殺し屋特有の血のにおいは誤魔化せやしないぜ」
不二子の姿をしたシャドウは咽喉の奥でクククと笑った。
「それでこそルパンね。殺り甲斐があるわ」
「いつまでも不二子のフリをするな」
言葉と同時に、ルパンの手元からナイフが放たれた。
身をひねってそれを避けると、その勢いのまま、ルパンの懐に飛び込んでくる。
しかしすでにルパンの手には、二本目のナイフが握られている。さっきのものより、やや大振りのナイフである。
ぶつかりあった金属の響きが部屋に拡散した。
振り下ろし、受け流し、踏み込み、打ち合う。
二人はめまぐるしく動き回り、ナイフがぶつかるごとに火花が飛び散り、激しい一閃が紙一重で空を切る。
戦う二人の動きには無駄がなくリズミカルで、時に優雅ですらあり、まるで舞踏のようであった。一瞬の油断もならぬ死の舞いを、ルパンと“不二子”はしばし踊り続けた。

そのうち、ルパンは奇妙なことに気づいた。
シャドウの動きが、急速にルパンに似てきたのだ。
ルパンの軽やかな足の動き、ナイフの走らせ方、身の引き方、攻め込むタイミング、そしてその呼吸まで、瞬く間に吸収して己のものにしている。
相手はまだ不二子の姿を取っているというのに、まるで鏡の中の自分と――自らの“影”と戦っているかのような不気味さを覚えた。
(このヒト真似野郎が!)
ルパンは嫌悪感いっぱいに、心の中で悪態をついた。
いよいよルパンに似てきたシャドウは、その攻めに鋭さを増す。
彼は勝負に出た。
本物と同じくらい鮮やかな踏み込みで、一気呵成に攻め寄せたシャドウのナイフを、ルパンは一歩引いて大きく横になぎ払った。
と、キーーンという音と共に、ナイフの刃先が遠くへ飛んだ。
シャドウは驚愕の表情を浮かべ、とっさに壁際へ退いた。彼のナイフは根元から折れていた。
ルパンは得意そうに云った。
「うちの五右ェ門お手製のナイフさ。元祖斬鉄剣とまではいかないけっども、それに匹敵する切れ味だったでショ」

シャドウは一旦引くと決めたらしい。不敵な目つきでルパンをねめつけると、見事なまでに隙を見せることなく、窓ガラスを割って逃走しようと身をかがめた。
その瞬間を、ルパンは待ち構えていた。
テーブルの下に隠してあったスイッチに手を伸ばす。
すると、シャドウの足元に大きな真四角の空間が生まれた。声を出す間もなく、シャドウは深い穴の中へと落ちていった。
すぐに自動的に落とし穴が閉ざされる。

深く息を吐いて、ルパンはソファに身を投げ出した。しばし脱力したように身動きしなかった。
やがて一服しようという気になった頃に、ようやく次元と五右ェ門が戻ってきた。
「ルパン、ヤツは来たのか?」
「ああ」
ルパンは片目を瞑って、指で地下を差してみせた。
「落ちた先は、真っ暗闇の湿っぽい一室だ。ま、どうせ出てきちまうだろうが、少しは時間稼ぎになるだろうぜ」
侵入者に対する罠としてだけではなく、ルパンたちの脱出経路としても使われる落とし穴なので、無防備に落ちても死ぬほどの高さはなく、また、巧妙に隠され ているドアの開閉ボタンさえ探し出せれば、長い地下通路の果てに一般の下水道へと出られるようになっている。

五右ェ門がかすかに不満げな口調で、ルパンに云った。
「お主、シャドウが来ると読んで、わざと拙者たちを調査に出したであろう」
頭の後ろで腕を組み、ルパンは破けたソファにもたれかかった。
「鋭い、さっすが五右ェ門ちゃん」
「茶化すな」
「まあ、怒るなって」
次元が間に割って入った。「別に怒ってなどいないが……」と口の中で呟きながら、五右ェ門は引き下がった。
「お前ぇが売られた喧嘩だもんな」
諦めたように次元が薄く笑う。ルパンは「まぁな」と軽く受け流し、煙草に火をつけた。
そこに何ら気負いは感じられないが、ルパンはシャドウに関しては自分ひとりで決着をつけるつもりなのだ。
余計な手出し無用。その心意気は、五右ェ門にも当然わからぬものではなかった。

「でもヨ、盗みの方では大いに当てにしてるからな。頼むぜ、お二人さん」
うってかわって、ルパンは明るい声をあげた。

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