シャドウ (5)

「身分証明書を見せろ」
「へいへい。でもまたですか、旦那。城門をくぐってから、これで何度目だと思ってるんです。こっちはローゼンタールさんから呼ばれたからわざわざ来たっていうのに」
居丈高に命じる警官に、二人の技師のうちの一人が文句を云った。もう一人に脇を小突かれたからか、ようやく云われた通り、作業着のポケットから身分証明書を取り出した。
警官が丹念に証明書の顔写真と本人たちを見比べ、やっと納得したらしく無愛想にうなずいた。
二人の技師は、重そうな道具箱をぶら下げて、塔の入り口へと進んだ。

「待て!」
背後から銭形が二人を呼び止めた。
技師たちはしぶしぶ足を止める。不信に満ち溢れた銭形の目が、上から下まで二人をねめつけていた。
「な、何ですか、今度は」
戸惑う技師の問いなど無視して、銭形は傍らの警官を怒鳴りつけた。
「きちんと変装のチェックもしろと云っただろう! 職務怠慢だぞ」
身を縮める警官には目もくれず、今度は大股で技師たちに近づいてくる。その迫力に、二人はじりじりと後退した。
「悪いが、ちょいと顔かしてもらおうか」
銭形の大きな手が、技師二人の顔へと伸びてくる。
その時だった。一人の警官が本館の方から走ってきた。
「銭形警部、お電話です。支局長から」
「なにぃ?」
「ローゼンタール邸の本館の電話にかかってきてます……あのう、急ぎの御用だということです」
「この忙しい時に」
苦々しく顔をしかめ、本館へと身を向けかける。が、いきなり銭形は技師二人の顔をむんずとつかむと、大いにつねり上げた。
「痛てててててててて」
「な、何するんだッ」
二人は同時に悲鳴を上げ、じたばたと身悶えする。
銭形はようやく手を離した。
はがれる様子のない二人の顔を、それでもまだ疑り深げに睨みつけていたが、おどおどと「お早く」と囁く警官に導かれ、銭形は去っていった。


五右ェ門が支局長を装って掛けてきた電話は、なかなかいいタイミングだった。
だがルパンと次元は――当然技師に変装していたのはこの二人であった――、出来ることならもう少し早く掛けてほしかったと、贅沢なことを考えつつ、激しく痛む頬を二人揃ってさすっていた。
「現在ルパンが身を潜めているアジトについてのタレこみがあった」と、五右ェ門演ずる支局長が調査を命じれば、とりあえずわずかな時間でも、邪魔者の銭形は城から出て行くはずだ。
その間に、事前調査だけでは情報が足りなかった塔の中の様子を探り、可能ならばすぐにでも紫ダイヤをいただいてしまおうと、ルパンはもくろんでいた。
奇妙なほど幸運なことに、昨夜遅く、宝物室の赤外線レーダーの調子が悪いと、ローゼンタール邸から警備会社への連絡が入ったのだ。電話を傍受していたことでそれを知ったルパンの動きは、とたんに弾みがついた。
早速、今日警備会社から派遣された技師とすりかわって、城へと乗り込んできたのであった。
昨日の戦いでもシャドウと決着がつけられなかったので、先にこちらを片付けてしまおうと考えたためでもある。

身分証明書も指紋データも、入れ替わる時に技師たちから手に入れてきていたし、ローゼンタール本人の特別許可が下りているので、あとは必要なパスワードを入力するだけで、塔の中へ入ることができる。
技師の姿をしたルパンと次元は、いまだに痛む頬をさすりながら、塔の扉に続く短い石段を上った。
「この新開発とかいう変装マスク、もう使うのやめようぜ。身がもたねえや」
次元がうめいた。専用特殊スプレーをかける以外の手段では、滅多な事で剥がれない変装用マスクだと、ルパンが嬉しそうにお披露目した新作だったが、ひっぱがされそうになる時の素顔へのダメージは相当なものであることが判明した。
ルパンもしぶしぶ同意した。

アーチを描く石でできた扉が、鋼鉄で補強された姿で二人を迎えた。
半円形の戸口上部には、聖人たちが象嵌されている。だがその古く雅なたたずまいに似つかわしくない警備装置が、脇に備え付けられていた。そこに、パスワードをルパンがうちこむと、まるで魔法のように扉が内側に開いた。
内部はしんと静まり返り、まるで本当に中世の戻ったかのような薄暗さと、やや澱んだ空気が彼らを迎えた。
八層にわかれた塔の、最上階すべてを使った広い一室を宝物庫として使用している以外、この塔のほかの階の部屋は殆ど使われていないのだ。
古びた螺旋階段が伸び、小さく開けられた窓からごくわずかに光が差し込む。この階段を使うこともできるが、入り口の右側には場違いなくらい“現代”そのものであるエレベーターが待ち受けている。
実際、塔の高さは相当なものであり、補修・改築を施しているとはいえ、数百年前の築城の技術の高さがうかがえた。
歴代の城主によって、略奪してきた美姫を閉じ込めておいただとか、反逆した公子を幽閉し裁判を行っただとか、敵への内通者を拷問にかけた等等、塔に関する 逸話は数多く残されている。それも納得できるような、時の重みを感じさせるおごそかな静謐さが、無粋なエレベーターなどにも壊されることなく漂っている。
入口の扉が閉まると、それはいっそう強まった。

ルパンと次元はエレベーターで最上階へと向かった。
音もなく、エレベーターのドアが開いた。眼前に、淡い光ひとつだけで照らされたぼんやりとほの明るい宝物室が広がっている。
塔の幅から想像していたよりは、かなり狭く感じる部屋だ――というのが、ルパンの第一印象であった。よほど内側の壁を厚くして補強しているのだろうか。
元々あったはずの窓は、すべて塗りこめられており、そのせいか、何となく閉塞感を覚える。
だが室内はきらびやかであった。
仰々しい騎士の甲冑や巨大な剣に、さまざまな年代の名画が多数、それに神話や伝説をモチーフにしたタペストリーが壁際を飾っている。また、細長い宝石台が左右に二つあり、そこにも十二分に高級な宝飾品の数々がおさめられている。
だが、二人の視線は、部屋の中央に鎮座している紫ダイヤに注がれた。
ロココ調をさらに過剰装飾した悪趣味な台ではあったが、非常に大きく、しっかりと床に固定されている。紫ダイヤはベルベットのような布の上に置かれ、分厚いガラスケースの中で、ひっそりと輝いていた。
二人は泥棒らしい笑みをこっそりと交し合った。

しかし、部屋の四隅から監視カメラが二人の姿を捉えている。今すぐ迂闊な動きはできない。
故障したという赤外線レーダーが作動していないため、二人は無造作に部屋の中を歩き回った。
ちょっと調べると、故障の原因は簡単に判明した。配線の一部がこすられたように切れていたのだった。
「ネズミでもいるのかね」
「これだけ古けりゃ、ネズミの一匹や二匹、いても不思議はねえが」
小声で話しながら、わざとゆっくり修理に取り掛かる。
「自分が忍び込む部屋の警備システムを直すなんて、バカらしいよなァ」
ルパンがくすりと笑うと、次元は身を乗り出した。
「じゃ、今やっちまうか? ガラスケースに触れたら警報装置が鳴りやがるだろうが、今ならとっつあんもいねえ。メンテナンス中だと誤魔化しゃなんとかなるぜ。そろそろ五右ェ門が城壁の脇に待機する頃だし、絶好の……」
「シッ」
ルパンが鋭く遮った。
エレベーターが動いていた。誰か来るのだ。

やって来たのは、ローゼンタールの三人の息子たちだった。
長男のカールと次男のフランツがずかずかと入ってきただけで、部屋が狭くなり、息苦しくなった気がした。がたいの大きさ以上に、二人が発散する荒々しい気配が、人を圧迫するのであった。
一歩下がって、三男のルーファスが静かに佇んでいる。室内を見回し、作業中の二人も一瞥したが、無表情のままだった。
喋りだしたのは、カールだった。見た目からのイメージ通り、だみ声だ。
「さっさと直せよ。親父の機嫌が悪くてたまらん。ルパンなんぞというコソ泥に万が一にも家宝を盗まれでもしたら、ローゼンタール家の名に傷がつくからな」
「こんな警備装置に頼らなくても、もし現れやがったら、そんなコソ泥、俺がぶっ殺してやるのに」
鼻息荒く、フランツが云い放った。
(殺し屋雇ってるクセによく云うぜ)と、ルパンは内心舌を出した。
負けじと、カールも続く。
「俺だってそうしてやるさ。だが、とりあえず警備システムを直せと親父がうるさい。どれくらいかかる? そもそも何が原因でぶっ壊れやがったんだ?」
殺してやると云ったばかりの当人を相手にしているとも知らず、カールはルパンに尋ねた。
「なぁに、ちょっとした配線のトラブルですよ。ネズミが齧ったみたいに切れちゃってて……」
「ネズミ!? 失礼なことを云うな、ネズミなんかここにはいないぞ!」

その後もカールは、警備会社の装置自体が安物なのではないか、メンテナンスの手抜きしているのではないかなど、ガミガミと因縁をつけてくる。
フランツにいたっては、「この際だから、城壁の電圧をあげておけ」とか「ガラスケースにも高圧電流を流せないか」などと云い出し、今すぐ作業にかかるよう命じる始末だった。
(うるせえ野郎どもだな……)
ルパンは辟易した。
察するに、ルパンの予告状が届いたと知って城へご機嫌伺いに来てみると、想像以上に怒り狂っている父親に息子たちは慌てふためいているのだ。それで、何とか父の宝を守ることに尽力している姿を見せようと必死になっているらしい。
いい年して、いまだに父親に頭が上がらないのだろう。

これでは仕事にならない。
せっかくローゼンタールを驚かす趣向を用意してきていたが、今日盗み出すことが無理ならば、後日のためにせめてひとつでも仕掛けを残しておきたいルパンとしては、脇でギャーギャーわめきたてる息子たちは、あまりにも目障りすぎる。
気づかれないように、ルパンは次元に向かって軽くあごを突き出した。
とにかくこの邪魔者を追い出し、時間をかせげとの合図だ。
次元はうんざりした様子で立ち上がり、「壁に流す電流に変更を加えるなら、権限のある人にこちらへ来てもらわないと」などと、やかましい二人を何とか云いくるめて、エレベーターへと導いていった。
途端に室内が静かになる。ルパンは、ふうと大きくため息をついた。
「やかましい兄たちで申し訳ないね」
静かな声だった。が、いつのまにか斜め後ろに立っていたルーファスの一声は、ひどくルパンを驚かせた。
日陰の花のようにひっそりした男だった。黙っていても暑苦しい兄たちとは大違いだ。半分しか血がつながっていないとはいえ、これほど似ていない兄弟も珍しい。
しかしすぐに気を取り直したルパンは、愛想のいい作業員然と「いやあ、とんいでもないですよ」と笑って見せた。
ルーファスはあまり関心のなさそうな態度で、「では、修理よろしく頼みます」とだけ云い置いて、エレベーターで去っていった。

ルパンは再びため息をつくと、作業に取り掛かった。
どうせ後でチェックされるだろうから、赤外線装置の修理は済ませておく。
続いて、確認作業をしているふりをしつつ、紫ダイヤの台に近づき、ガラスケース自体には触れぬよう、留めネジをそっと緩めておいた。
騒ぎになる気配はない。
(いっそ、このまま戴いていくか)
ダイヤの不思議な色合いを見つめていると、そんな気になる。

しかし、何かが――泥棒の本能のようなものが、ルパンをためらわせた。
“今はまずい”、そう頭の中で警報が鳴った。
一旦やめると決断すると、ルパンは迷わなかった。用意してきた仕掛けをひとつだけ設置すると、さっさと修理道具をしまい、ボタンを押してエレベーターを呼び寄せ、階下へ降るべく乗り込んだ。
すると、ルパンが「地階」のボタンを押す前に、エレベーターが動き出した。誰かが階下で呼んだのだ。
またあのやかましい兄弟だったらたまらないと、ルパンはほぼ反射的に、勢いをつけて飛び上がった。そしてエレベーターの天井部にあるハッチに指先を引っ掛 け、閉まっている薄い蓋にナイフを差し込みぐいと押し上げる。懸垂の要領で身体を穴に引き上げると、ルパンの姿はエレベーターの箱の上へと消えた。ルパン ならではの早業であった。


入ってきたのは三兄弟ではなく、ローゼンタールとノイマン刑事だった。ルパンはわずかな隙間から、箱の中を覗き込んだ。
ノイマンを知らないルパンだったが、ローゼンタールが特別許可を出して宝物室まで同行するのだから、相当忠実な手下か警察関係者なのだろうと考える。
ノイマンは丁寧な調子で云った。
「ですから、あなたとしては紫ダイヤが無事ならそれでいいのでしょう?」
「そりゃそうだ! なんといっても家宝だからな。ルパンなんてワケのわからん盗人にとられるわけにはいかんのだ」
「ルパンの身柄には、特別なご関心はないでしょうね」
殺し屋を雇ってまでこの世から始末したいと思っているとは云えないらしく、ローゼンタールは途端に歯切れが悪くなった。
「……う、あ、ああ。別に……こそ泥に関心はないがね」
「でしたら、ちょっとお願いというか、ご提案があるのですが……」
ちょうどそこでエレベーターが宝物室へ着き、二人はエレベーターからおりてしまった。

どうやら警察関係者のようだが、何か企んでいるらしい。ルパンは眉根を寄せ、何とか話の続きを聞こうとした、その時。
ギシリ。
軋むような、イヤな音がした。
ルパンが思わず暗い上方を見上げようとした瞬間、エレベーターが大きく傾き始め、何かが重く裂ける音が響いた。
エレベーターのワイヤーが切れ掛かっている。
そう気づいた時は遅かった。
頭上でブツリというワイヤーの断末魔が聞こえ、激しい振動と同時に、エレベーターは真っ逆さまに落下を始めた。
ルパンは驚いたもののまだ冷静さを失っていなかった。いつもベルトに忍ばせている、極細のワイヤーロープを手早く繰り出そうとする。
だが今度こそ、ルパンは慌てた。身に着けてきたはずのワイヤーロープが、なくなっているのだ。
なぜだ。そう考えている間もない。
数瞬後にエレベーターは地上へ激突してしまう。
もはや“考えている”という自覚はなかった。頭が真っ白にスパークするような感覚だけに満たされる――
だがこういうに瞬間こそ、ルパンの頭脳は猛烈な速さで回転しているのだ。

本能的に乗っていたエレベーターを蹴ると、空に身を躍らせた。
くるりと身体をひねって壁際に近づくと、落下しながらも素早く取り出したナイフを思いきり壁に突き立てる。
目のくらむような火花が散った。
ナイフが折れたら一巻の終わりだ。
耳障りな金属音とともに、ルパンは勢いのままに滑り続けたが、壁に食い込んだナイフが辛うじて彼の身体を支え、止まった。
直後に、エレベーターが最下層に叩きつけられた。衝撃が地震のように塔全体を揺るがせ、轟音がいつまでもこだました。
舞い上がる粉塵に軽く目を細める。そして、安堵のあまり「ヒュウ」と口を鳴らした。
ルパンはナイフだけを支えに片手でぶら下がりながら、しばし真顔で、見る影もなくつぶれたエレベーターを見据えていた。
そこには、どこか納得したような表情が浮かんでいる。
最上階でローゼンタールが大声でわめきだしたのを潮に、ルパンはその場を去ろうと、一番近い階のドアへと精一杯手を伸ばし始めるのだった。

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