シャドウ (6)

今夜こそは絶対に逃さない。その決意で全身を満たし、ノイマンはモニターを睨み始めた。
ローゼンタール邸本館一階にある警備室、現在そこにいるのは彼一人であった。
モニターには、数台のカメラで捉えている宝物室のほかに、要所要所の城門、城壁、庭、本館の様子が映っている。今のところ、どこにも異常はない。

警察がローゼンタール邸の警備に当たるようになってから、警官らがここで見張りについていたのだが、それ以外にローゼンタールのならず者の手下たちが常時居座っており、何かとくだらないいざこざが絶えなかった。
だが昨日、ローゼンタールと話をつけたことで、警備室は警察の手にゆだねられた。
警察としては、ダイヤを守ることが最優先事項なのだということを何とか納得させた上で、暗にルパンがどうなろうと構わないと匂わすと、ようやくローゼンタールは警備室を明け渡したのであった。
無論、ルパン逮捕だけが目的の銭形には内密の話、としてある。

実際のところ、ノイマンとしては、ローゼンタールの宝石など知ったことではなかった。
ローゼンタールみたいな悪党は、この件でシャドウが逮捕できれば、殺しの依頼人として必ずしょっぴいてやるとも考えていた。
また、ルパンについてもあまり関心はない。当然、世紀の大泥棒を捕らえることは警察の威光を甚だしく上げるだろうし、世のためにもなるのだろう。
だが、長年に渡っていっこうに捕らえることができず、過去何度かICPOから射殺命令が出されている程、もはや手のつけられない悪党なのだから、シャドウ逮捕に利用させてもらって何が悪いのか、という思いがある。
謎の殺し屋シャドウこそ、ルパンよりもさらに凶悪な脅威であり、その正体を暴き逮捕することが必要なのだとノイマンは信じていた。
そして、シャドウの早期逮捕こそ、刑事としての己の経歴に華々しさを添え、組織の頂へ登りつめる速度を速めてくれるだろう、とも。

塔の入口は警官二名が、常に見張りに立っている。
警備に関する銭形との暗闘の末、塔の見張りには銭形配下の警官が立つことになった。彼らは命令された事以外に余計な手出しはしない単なる番兵だからいいだろうと、最終的にノイマンが譲歩したのである。
その周囲をローゼンタールの部下たちが、武器を懐に頻繁にうろついており、こちらの方がはるかに目障りだったが、さすがにそれまで止めるわけにはいかなかった。
(ルパンが雑魚にやられるとは思えないが……ローゼンタールの手下どもに邪魔させるわけにはいかん)
ノイマンは冷たい瞳を、動きのない宝物室に注ぎながら考える。
ルパンとやり合うのは、シャドウであってもらわねばならない。
昨日は、彼の目の前で二人の死闘があったらしいのに、どちらの姿を見ることも叶わず、まんまと逃してしまった。無残に壊れたエレベーターと、鋭い切り込み を入れられた跡のあったワイヤーを眺め、自分も巻き込まれる可能性があったのか……とゾッとしたことも事実だったが、それよりも二人が手の届く距離にいた のに気づかぬ己の不明を、より恥じたのであった。
今度こそ現場を押さえ、シャドウを捕らえる。
もうルパン、シャドウ共に彼らの出した予告期間まで今日明日を残すばかりだ。絶対にここに現れるはず――
その時こそ、逃さない。再度ノイマンは自分に云い聞かせた。

そういえば、銭形警部の姿をしばらく見ていないことに、ノイマンはようやく気づいた。
少し前までは、城のあちこちを精力的に歩き回り、警備状況に漏れがないかしつこいほどに確認したり、ルパンが変装して潜りこんでいないか調べたりしていたはずだった。
どこへ行ったのだろうと、わずかにいぶかしく思う。
ノイマンとしては、シャドウがルパンを求めてここへ現れるだろうとわかってからは、銭形と協力する意義を失っていた。むしろ、ルパン逮捕にのみ執着し、融通の利かない彼がいない方が好都合なのだが、いなければいないで気になる存在である。
余計なことをしてくれなければいいが、といういたって利己的な理由からではあったが。

何の動きもないまま、夜が静かに過ぎてゆく。
今日はルパンもシャドウもけん制し合い、互いに様子を見ようとしているのだろうか。
信頼できる部下たちをこの周辺各所に派遣し、ルパンやシャドウを発見したり、何らかの騒動があったりすれば、速やかに知らせが来るよう、出来る限りの手はうってあるが……。
まさか、予想もつかない場所で二人が戦っているのでは、とノイマンが気をもみ出した頃。
モニターの中に、動きがあった。宝物室である。
すらりとした人影が、螺旋階段を上って入ってきたのだ。
それは、ルパン三世だった。
ノイマンは思わず身を乗り出した。

その時、警備室のドアがそっと開いた。
銭形配下の警官は、何気なさを装って今日明日の警備室の監視当番から遠ざけておいたはずなのに、とノイマンは軽く苛立ちながら振り返った。
しかし、入ってきたのは、ローゼンタールの三男ルーファスだった。
「どうされました?」
予想外の訪問者に、ノイマンは怪訝さを隠しきれなかった。
質問には答えず、ルーファスは無表情のまま、監視カメラに目をやった。
「ルパンが現れたみたいですね」
「え、ええ……」
「捕まえないのですか?」
「捕まえますよ、もちろん。だがそれは銭形警部の役目でして」
シャドウが現れるまでとはいえルパンを自由に泳がせていたと、ローゼンタール家の人間にはあまり知られたくなかった。何より、シャドウ逮捕に集中したい今、ローゼンタールの息子などが傍にいられては迷惑だ。
ノイマンは、どうやってルーファスをここから追い出そうかと考え始めた。
だがルーファスは、ルパンが現れても動かぬノイマンに不審をいだいた様子もなく、淡々とモニターを見つめていた。
「面白い見物ですね。なかなか見られるものじゃあない。あのルパン三世が盗むシーンを、リアルタイムで、なんてね」
そう云ってはいるものの、興味や楽しさのかけらも浮かばない無感動な白い顔を、モニターの光にさらしている。
おかしな男だなと思う反面、素人からすれば、かの有名なルパン三世が盗む瞬間を見られるのは確かに物珍しいのだろうと納得する。
どうやら家族の中ではやや浮いた存在らしい三男が、父の宝物などどうなっても構わないと思っていても、さほど不思議はないのかもしれぬ。宝石のひとつが失 われたところで、補って余りあるほどの莫大な財産があることだし……ノイマンは頭の片隅でそんな事を考えつつ、モニターの中のルパンの動きに注意を戻し た。





その少し前。
どこもかしこも真っ黒に塗った気球で、ルパンたちはローゼンタール邸の上空を音もなく飛んでいた。燃料の燃える音を限りなく小さく改良した気球である。
森も、城壁をも軽々と越え、次第に目的の塔へと近づいていく。
あまり低すぎては気づかれてしまう。次元は巧みにポジションを調整していった。
その間にルパンは長い縄梯子を下ろしたが、それを使うことなく、突然五右ェ門が気球からひらりと飛び降りた。その勢いのまま、見張りに立つ警官一人を鞘に 収めた斬鉄剣で殴り気絶させ、もう一人の警官が声を発する間も与えず、疾風の如く懐へ飛び込んだ。意識を失った体が、だらりと塔の屋上に横たわった。
ルパンと次元は、するすると縄梯子を降りてきた。
「五右ェ門、やるぅ」
「夜は屋上に警官が立つことになったんだな。助かったぜ」
二人の賛辞を、五右ェ門は涼しげな顔で受け止めた。

無人になった気球の燃料はほぼゼロになっている。放っておけばしばらく勝手に飛び続けた後、森の中へ落ちていくだろう。
こうして塔の上に立った三人は、改めて頷き合う。
ルパンが今度はロープを取り出すと、自分の身体に巻き、その反対側を鋸歯状に塔の上部を飾る大きな石にしっかりと縛りつけた。
入口の真裏に当たる場所から、ロープを伝って降りはじめたが、塔の周りを警官らが巡回してきて、一時ぶらさがったまま息をひそめていなくてはならなかった。
警官らが去ると、ルパンは再び降下を開始した。

塔の中ほどに、かつては矢狭間として使われていたと思われる細長い穴がいくつかあいている。現在ではそこにガラスがはめ込まれ、窓になっていた。
ルパンは塔の壁に足を掛けてバランスをとりながら、ガラスを切りはじめた。
枠から切り取ったガラスを、そっと茂みに放り投げる。予想通り分厚いガラスは派手な音を立てて割れることはなかった。
上にいる二人に合図を送ると、彼らも静かに降りてきた。
ガラスのなくなった空間に、まず背負っていた荷物をそれぞれ放り込むと、三人は狭い隙間に次々と身を滑らせ、塔の中へと入っていった。
「キツイな、こりゃ」
「そろそろ身体がたるんできたんじゃないの、次元ちゃん」
「バカ云え。お前ぇだって相当ギリギリだったじゃねえか」
軽口を叩きつつ、三人は階段を上がり、最上階手前で二手に別れた。
「それじゃ、またあとでな」
ルパンが軽く手をあげる。そして音も立てずに最上階の宝物室へと駆け上がっていった。





螺旋階段から宝物室に入ったルパンは、赤外線スコープを掛けると、慎重に動き始めた。時に床に身をかがめ、時に爪先立ちで横歩きをし、時に大股で飛び越え、赤外線を突破していく。
「いい運動になることぉ」
そう云いながらも軽々と紫ダイヤの眠る台の前へたどり着いた。ルパンは満足げに微笑んだ。
「さぁて、そんじゃま、戴いちゃいましょうかね」
自分を焦らして楽しむかのように、ゆっくりとガラスケースに手を伸ばしていく。
そっとケースを持ち上げた。非常ベルは鳴らなかった。その事に特に驚きはない。昨日ここへ侵入した時に、ガラスケースの非常ベルがこの時間帯だけ切れるように仕掛けしておいたからだ。
むしろ不思議なのは、防犯カメラに彼の姿が映っているだろうに、警官が駆けつけてこない事の方だった。やって来たら、階下にいる次元と五右ェ門が足止めすることになってはいるが、騒ぎになっていないところを見ると、まだ警官らは現れていないのだろう。
「ま、いいか。ダイヤが手に入るんだからな」
独りごちて、大粒のダイヤをまじまじと眺める。淡い光に照らされた、そのダイヤモンドの輝きはまぎれもなく本物だった。
ふと、ダイヤに伸ばしかけた手が止まった。
視界の端に、何かがよぎったのだ。
部屋の奥、壁際に並ぶ中世騎士の甲冑の脇に、人影がある。ぼんやりとした常夜灯に照らされて、浮かび上がった姿は――ルパン三世そのものだった。

その“ルパン”が一歩進み出る。本物のルパンは、肩をすくめた。
「あまり独創的な趣向とは云えねぇな、シャドウ。俺の格好をして俺を殺ろうだなんて。俺はその手の悪ふざけには飽き飽きしてンのよ」
シャドウは、本物そっくりに不敵な表情を真似て見せた。
「精一杯の敬意を表しているつもりなんだけどね。ある意味あんたは僕の師匠だからな」
ルパンそっくりな声だった。が、抑揚の乏しい口調は、声が似ている分だけ異様に不気味に響いた。
不快さを露骨に示して、ルパンは鼻にしわを寄せた。
「師匠だぁ? ジョーダンでしょ。お前みたいな弟子持った覚えはないぜ。勝手にやり口を真似されるのは迷惑なんだヨ」
クククク、とシャドウは咽喉の奥を振るわせる。
「そう云うと思っていたよ。そうだね、師匠というよりは同類だ。あんたを初めて知った時からすぐにわかった。分身的存在と云ってもいい。だから僕があんたを真似るまでもなく、似るのは当然なんだ」
「はあ? お前何を……」
ルパンの戸惑いなどお構いなしに、シャドウは憑かれたように喋りはじめた。
「あんたは以前、世界有数殺しの名人として本業のヤツに妬まれたほどだと聞いてるのに、泥棒の枠から出ようとしないのが残念だよ。……でも多少の違いはあ れ、この僕にはわかるよ、有り余る才能を持った者の気持ちが。内からこみ上げ続ける人並みはずれた能力、溢れるエネルギー、無限のアイディアで、時々身体 がはちきれそうになる。それに突き動かされるように、“何か”をしたくてたまらなくなるだろう、あんたも?」
「お前と一緒にされたくないね」
素っ気なくそう吐き捨てるが、シャドウの方はいっこうに気にする様子はない。
「そういう稀有の才能の凄さなんか何一つわかっちゃいないくせに、ああだこうだと批判する凡人どもが、えらくみすぼらしく、くだらない存在に思えることは ないかい? そんな時、無性に孤独や虚しさを感じたり、怒りにとらわれることは? あるだろう、ルパン三世」
「ないね」
「あるはずさ。あんたはもう一人の僕なんだから」
「思い込みもいい加減にしろってんだ!」

ついにルパンが大声をあげた。そして、ホルスターからワルサーを引き抜く。
「解り合えるオトモダチを作りに来たんだったら生憎だったな。俺はお前のお喋りに付き合う気はない。俺を殺るんだろ? それなら相手になるぜ」
銃口はまっすぐ、シャドウに向けられた。にもかかわらず、シャドウはまだ武器を取り出す様子もなく、ルパンだけをひたすら見つめているばかりだ。
ルパンはさも気味悪げに顔をしかめたが、まずはここにやって来た目的を優先させることにした。
「……お前なんかに口出しされる覚えはねえ。元々俺はコレが本業なんだ」
そう呟くと、視線はシャドウから離さぬまま、もう片方の手で紫ダイヤを取り上げた。




「今だ!」
ついにシャドウとルパンが対峙した。二人はまだ何か話をしているようだ。
ノイマンは珍しく我を忘れて立ち上がった。
この警備室は塔へ最も近い本館の一室にある。駆けていけば必ず間に合う。
脱兎の如く、ノイマンは走り出した。が、その足は数歩も進まぬうちに、膝から崩れ落ちた。
背後には、ルーファスが眉ひとつ動かさずに立っていた。ノイマンの首筋を打ち据えた手刀をそっと下ろし、一人口の中で呟いた。
「目障りなヤツだけど、殺さないよ。我々は警官は殺さない。そうだよね、ルパン三世」

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