目が覚めると、頭の奥に鈍い痛みを感じた。全身にじっとりと汗がにじみ、えらくのどが渇いていた。
すでに午後の強烈な日差しが差し込んでいる。
昨夜も、カウンターで酒を飲みながら眠り込んでしまったようだ。
俺は微かにふるえる指先で酒瓶を引き寄せ、口元に運んだ。空だった。
ちくしょう。瓶を放り投げようと思ったが、やめた。後始末をするのは自分なのだ。
こんなチンケな店、たたんじまってもいいんだが。
毎日のように考えることをまたしても繰り返しながら、カウンターの他にはテーブルが二つばかりの狭苦しい店内を、のろのろと見渡した。
汚れたドアのガラス越しに、一台の車と、三人の男女の姿があった。何やら言い争いをしているらしい。
「このポンコツ車がすっかりイカレちまったんだから仕方ねえだろう!」
そうだ、コイツらの怒鳴り声のせいで、目が覚めてしまったのだった。迷惑な連中だ。
女が威勢よく云い返している。
「八つ当たりは止めて欲しいわね。私がこの車であんたたちを拾ってあげなかったら、今頃どうなっていたと思うのよ!」
帽子を深々とかぶった男は、さらに食って掛かろうとしたようだが、派手なジャケットを着たもう一人の男が間に割って入った。
喧嘩している男と女を宥めているらしい。ご苦労なことだ。
どうでもいいが、早く立ち去ってくれないだろうか。店の前で喧嘩されてちゃ目障りだ。
しかし、やつらは揉め続ける一方で、なかなか動こうとしない。何をしているんだ。
迷惑していることをあいつらに気づかせるため、出て行くことにした。俺がひと睨みすりゃ、大抵のチンピラはこそこそと逃げていく。
すっかり足を洗っちまったが、一時はギャングとして鳴らした俺だ。多少歳を食ったとはいえ、まだまだその辺の若造に負けやしない。
わざと大きな音を立てて、ガラス戸を開け放った。
三人は、一瞬喧嘩をやめて、こちらを見返してきた。
ここぞとばかりに俺は凄みを利かせて睨みつける。
が、三人とも俺の姿が目に入らなかったかのように、すいと視線を逸らし、中断された揉め事の続きをはじめやがった。まるで動じてない。完全に俺を無視している。なんて野郎どもだ。
「私のせいにしたいならすればいいじゃないの。どうぞご自由に。でもね、こんなところで罪の擦り付け合いをしてたって、何も解決しないのよ」
女が冷たい口調でつけつけと云う。帽子の男は、忌々しそうに舌打ちした。
しかしまあ、気の強い女だな。
喧嘩相手の男も仲裁役の男も、どことなく胡散臭く、かすかに物騒な気配を漂わせているというのに、そんな野郎を相手に一歩も引かず、云いたい事を云っている。大したタマだ。
しかも、今まで見たこともないくらいの極めつけの別嬪ときてる。
赤い上着の男が、女の機嫌を取る気持ち、少しわかる気がした。
「まあまあ不二子ちゃん、落ち着いて。次元だって悪気で云ったんじゃないんだからさぁ」
「悪気で云ったんだ」
「……ですって」
不二子と呼ばれた女は、不愉快そうにそっぽを向いた。
「次元、余計なこと云うなってぇの」
場を丸く収めようとしていたのに、思惑を台無しにされ、仲裁役の男は鼻にしわを寄せた。
どうやら女と喧嘩している帽子の男が、次元というらしい。
――次元?
馴染みのない異国的な響き。だが、どこかで聞いた名だ。それも、つい最近。
彼らの様子を憮然としたまま眺めていた俺に、ようやく赤い上着の男が気づいた。
「よう、爺さん。ちょっと聞きたいんだけども」
なんて馴れ馴れしいヤツだろう。しかも云うに事欠いて“爺さん”だと!? 白髪は増えたが、まだそんな呼ばれ方をする歳じゃない。
俺の目元はさらに険しくなったはずが、男は気にかける様子もなく続けた。
「この辺に車の部品、売ってるところ、ねえかな?」
彼らが乗ってきた車が壊れてしまったらしい。そういえば、開いたボンネットから、うっすら煙が上がっている。
「さあな」
気分を害していた俺は、素っ気なく答えた。通りすがりの野郎に親切にしてやる義理なんぞない。……この美人だけは少々気の毒ではあるが。
そのまま店に引っ込んでしまっても良かったのだが、男の顔に引っ掛かりを感じて、足を止めた。
どこかで見たような顔だったのだ。
「困っちゃってるンだよねぇ。こんなところで車がすっかり壊れちまって、どうにもならないんだわ」
こんなところで悪かったな。
いちいち癇に障る男だ。が、俺はヤツの顔をじろじろと見ずにいられなかった。
愛嬌もあるが、油断ならない鋭さとふてぶてしさが見え隠れする、捉えどころのない顔立ちだった。二枚目だか三枚目だか、さっぱりわからないこの顔。
確かに、どこかで見たことがある。客として来たわけじゃない、もっと違うところで――
思い出せそうで思い出せない。俺はもどかしさに感じながら、言葉を継いだ。
「昔は少し先のガソリンスタンドで、カルロス親父が車の修理も請け負ってたんだが、ずいぶん前に死んじまったからな」
「他にどっかない?」
「そうだな……」
話には上の空で、俺は目の前の男が誰だったのか思い出そうとしていた。
次元という男が、小声で云った。しかしその声は、しっかりと俺の耳に届いた。
「どこかで車を新たに調達した方が早いんじゃねえか、ルパン」
ルパン!
そうだ、ルパンだ、ルパン三世!!
昨日、ニュースで見たばかりの顔だったんだ。次元という名前も、その時に聞いたのだ。
こいつらは昨晩、隣国のカジノから巨額の売上金を盗み出した。確か、ニュースではそう云ってた筈だ。
厳重に国境を封鎖した、とも報道されてたが、警察なんて当てにならないもんだ。こいつら、もう国境越えしちまってるじゃないか。
あのルパン三世が、今俺の目の前に居る……
たぶん、盗んだ大金を車に積んだまま。
当の本人は、正体に気づかれたなんて想像してもいないのだろう。俺のことなんぞ、もう見向きもしてない。
相棒の次元大介と、壊れた車を指しながらひそひそと相談している。「調達」なんて云い方してたが、どうせどこかで盗もうって腹だろう。
このままでは、まもなく彼らは立ち去っていく。車を“調達”し、溢れる札束を積み替えて。
どうする。俺は自問自答した。
サツにタレこむ気はさらさらない。懸賞金が掛かっているのは知っているが、警察なんか大嫌いだ。
本来、何の関わりもないし、関わる気もない。ルパン三世には恩義もなけりゃ、恨みもない。逃げようが捕まろうが、好きにすればいい──車に積まれている筈の大金さえなければ。
久しぶりに気分が高揚してくる、血が騒ぐ。ギャングの血、ってヤツだ。
目の前の1000万ドルを、みすみす見逃す手があるもんか。
金さえあれば、こんな店さっさとたたんで、アカプルコあたりで悠々自適の生活ができる。毎晩呑んだくれのゴロツキを相手にしなくて済む。
行かせちゃならない。ともかく彼らを、いや大金を、この場から逃してはならない。
どうすればいいのかまだよくわからなかったが、俺はごくりとつばを飲み込み、再び、ルパンに声を掛けた。
「車の部品なら、少し先の街で売ってる。そこなら修理工場もあるはずだ」
「どの辺だい?」
「南へ100マイルほど行ったところだ」
「100マイルかぁ」
ルパンは困って口をひん曲げている。
俺は試すように云った。
「レッカー車を呼ぶかね。電話してやってもいいが、どっちにしてもその街から来るから、時間はかかるぜ」
「いや、レッカーはいらねえ」
断った!
車を持っていかれちゃ、困るのだ。やはり、大金を積んでいるに違いない。俺は密かにほくそ笑んだ。
「だったら、自分で街に出るしかない。見ての通り、ここは荒野のど真ん中にあるちっぽけな村だ、ほかに手はねえよ」
今度は次元が尋ねてきた。
「その街まで行く手段はあるのか」
「日に1便バスがあるんだが、今日のはもう行っちまっただろう」
三人が失望するのが手に取るようにわかった。やや嗜虐的な気分でそれを見届けてから、俺はもったいぶって申し出た。
「仕方ねえな、うちの車を使わせてやってもいいぜ」
「ホントかい?」
「そりゃ助かるな」
ルパンと次元の表情が明るくなった。不二子という女は、少しだけホッとしたようだが、用心深そうな目をしたままだ。
ここはひとつ、心証を良くして油断してもらわねば。俺は心にもないことを云った。
「困った時はお互い様だからな」
街には次元が行くことになったようだ。
まだ根に持っているのか、「この女には用心しろよ」と捨て台詞を吐く。当の不二子はさっさと行けとばかりに、犬でも追い払うような手つきをしてみせた。
また喧嘩が始まらないうちに、俺は車のキーを次元に放り投げ、ふるえる指で店の裏手を指した。
「裏に置いてある」
「爺さん、ありがとよ。あとで礼はさせてもらうからな」
次元は渋い顔をしながらも、俺には軽く手をあげて車へ向かった。
「あんたら、この暑い中、そこへ突っ立っててもしようがないだろう。……入んな」
残った二人に声を掛け、ドアを開けた。
「ありがてえ」
ルパンは陽気な笑顔を向けてきた。不二子を促して、店内へ入る。
女は車が気になるらしく、ちらりと振り返ったが、黙ってルパンの後からついて来た。
この辺は昼間、殆ど人通りなんかないと云って安心させてやりたいところだったが、当然黙っている。
彼らがルパン三世一味だってことにまったく気づいていない、ましてや盗んだ大金を車に積んでいるなんて夢にも思っていない、田舎の酒場の主として振舞わなきゃならん。
そして、何とかして、この二人の目を盗み、大金を手に入れてやるのだ。
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