祝杯 (後)

「そうだ、忘れてたわ……」
店に入るなりそう呟くと、不二子は外へ出て行った。
まさか金をどこかへ動かすつもりじゃないだろうな。俺はさり気なさを装って、女の動きを目で追った。
ルパンの方はといえば、無造作にカウンター席に座り、ネクタイを緩めている。金と女が気にならんのか?

だが俺の杞憂だったようだ。不二子はすぐに戻ってきた。手には一本のワインボトルを下げている。
「この暑さだもの、車の中に入れておいたら、味が落ちてしまうでしょう」
「そうだよなぁ。せっかく不二子ちゃんが持って来てくれたワインだもんね」
「仕事がうまくいったら、アナタと乾杯したくて特別に用意しておいたのよ。その足でカリブ海へ遊びに行くって云ってたから、そこで飲んだら素敵かと思って……」
女の機嫌は直ったと見える。ルパン相手にとろけるような笑みを浮かべて囁きかけた。
当然、ルパンの鼻の下は伸びいてる。これだけの美女に微笑みかけられ、『アナタと乾杯したくて』なんて云われたら、誰だってにやけようというものだ。

しかし目障りではある。
俺の存在を無視して、二人で甘ったるいやり取りを始めるなんて、無節操なやつらだ。
女が云ってた『仕事』というのは、当然カジノ襲撃のことだろう。あれだけの大金を手に入れたら、乾杯のひとつでもしたくなるだろうさ。
一体どんな酒で祝杯をあげるつもりなんだ?
俺は、カウンターに置かれたワインのラベルを覗き見た。
シャトー・ぺトリュス。……1942年もの!?
これは相当な高級ワインじゃなかったか。さすがにいい酒を飲んでいやがる。うちの店にはまるっきり縁のないものだ。
大金に、美女に、高級な酒──俺は、無性にルパンが憎らしくなった。
どうやって、金を横取りしてやろう。
とにかく、あの次元とかいう相棒が戻ってくる前に、何とかしなくてはならない。
だが、真正面からやりあったって、勝てる見込みはない。それくらい、俺にだってわかる。
そもそも、俺は殺しはやらない主義だ。いっぱしの強盗だった頃から、それだけは守ってきた。いくら大金が欲しかろうが、ルパンが嫉ましかろうが、殺すつもりはない。
ならば──

「何か、飲むかい」
そう云って、俺は酒棚からテキーラを取り出し、ルパンの前に置いた。
「暑い時にはコイツさ。スカッとするぜ」
「いいねぇ。もう開店するのかい?」
「まだだが、構うもんか。どうせ俺は四六時中飲んでるんだ。付き合えよ」
カットしたライムと塩をカウンターに並べ、なみなみと注いだグラスをルパンの前に滑らせた。手がふるえているせいで、わずかに酒が零れた。
緊張してるわけじゃない。酒が足りないせいだ。
「あんたも……」
女にもテキーラを勧めようとしたが、穏やかだが実に毅然とした口調で断られてしまった。俺はめげずに続ける。
「だったらそれを飲んでくれても構わねえよ。持ち込みは遠慮してもらってるんだが、今は営業時間じゃないしな」
顎をしゃくってワインを指し示す。
しかし女は、またしても軽く微笑み、
「いいえ、今は飲みたい気分じゃないのよ。お気遣いありがとう」
「そ、そうかい」
女を酔わすだけじゃなく、あわよくば、俺も高級ワインのおこぼれに与れるかと期待したんだが……。無理強いできるタイプの女じゃなさそうだ。
仕方なく、ミネラルウォーターを出した。いざとなれば女だけなら、どうにかできるだろう。

ルパンは遠慮するそぶりも見せず、ライムにかぶりつき、塩をなめて、一気にグラスを干した。
「いい飲みっぷりだ。さあ」
間髪入れず、空いたグラスを満たす。再び、ルパンはテキーラを美味そうに呷った。
「くうっ、きくねぇ」
そう云ってはいるが、ルパンはいたってケロリとしている。
コイツ、底なしに酒が強かったらどうしよう。さらに酒を勧めながら、俺は少し不安になってきた。
だが、酔わせるしかない。とにかく酔わせて、できればぐでんぐでんに酔いつぶして、隙を突くのだ。



時折酒談義を交わしたりしながら、怪しまれないようにルパンに次々酒を勧めていった。
しばらく様子を見ているうちに、だんだん飲ませるコツがわかってきたのだ。
耳障りのいい言葉の中にかすかに挑戦的なニュアンスを混ぜてやると、ルパンは必ず受けて立つ。ヘラヘラとしまりのない顔をして、陽気に振舞っているけれど、芯は相当な負けず嫌いなのだろう。
「ねえ、もういい加減にしたら?」
女が止めに入った頃には、ルパンの顔は赤らんでいた。
「だ〜いじょうぶだって。修理も運転も、次元がやってくれっから」
「でも……」
すっかり上機嫌になったルパンは、女の心配を受け流し、軽々と飲み干す。すかさず俺は彼のグラスを酒を満たし、新たなライムを切って皿に盛った。

「あんた、かなり強いね」
なかなかつぶれないルパンに対しての苛立ちを隠しながら、愛想良く云った。
「そうでもないぜぇ。今、街まで行ってるアイツなんか、とんでもねえウワバミだからな。それに比べりゃあ」
そんなウワバミ男がここに残らなくて幸いというべきなのか。
頬こそ赤みを帯びているものの、ルパンは特に呂律が怪しくなるでもなく、ただ機嫌よく酒を飲み続けるばかりで、酔いが回っているのかどうかさっぱり判らない。
俺も多少お相伴にあずかったとはいえ、もう二本目だ。いい加減、つぶれてもらわないと困ったことになる。
相棒の男が戻ってきてしまうじゃないか。
うちのポンコツ車では、どれだけ飛ばしても街までの往復に三時間は掛かるだろうが……ルパンらを眠らせてから、金を持って俺自身逃げなきゃならんのだから、のんびりしている余裕はない。

こうなったら奥の手だ。睡眠薬でもあれば、一服盛って……
しかし生憎、うちにそんなものは置いてない。酒さえ飲めば、いつだって泥のように眠れる俺には不要の物だ。
何か使えるものはないかと、懸命に思い出してみる。
風邪薬は眠くなるはずじゃなかったか? しかし、風邪をひいても朝から晩まで寝てりゃ勝手に治るもんだ。風邪如きで薬を飲んだことなどないのが俺の自慢だ。当然、常備薬があるはずない。
こうなったら、下剤でもなんでもいい。ルパンと女を便所に閉じ込めている隙に、金を奪えれば。
必死に思い出してみたものの、うちには薬類が一切ないようだ。俺はこれまで、すべてを酒で乗り切ってきたらしい。
やはり、ルパンには酔いつぶれてもらうしかない。

人の気も知らず、ルパンは俺のグラスに酒を注ぎ返した。
「爺さんも飲めよ。このテキーラってのは、沁みるねぇ」
だったら早く酔っ払え。
俺は苛立ちごと、くいっと一気に飲み干した。ルパンがやんやとはやし立てる。俺が飲んでる場合じゃないのに。
お返しに、ルパンのグラスを満たしてやったが、今度はすぐに飲み干そうとしなかった。
さすがに限界が近づいてきたか?
期待と緊張に、俺の心臓は高鳴った。カウンターの下で、小刻みに震え続ける掌をぎゅっと握り締める。
が、ルパンは不二子と他愛ない話を続け、時々大笑いしてはしゃいでいる。
調子が良くてやや軽薄な話しっぷりは、かなり酔っているようでもあるし、またしらふの時となんら変わらないようでもある。
酔ったのか、そうでないのか。本当にわかりにくい野郎だ。
気づかれないように、そっと時計を確認する。もう、次元とやらは、部品を買い込んで帰り道を辿り始めていることだろう。時間がない。


できれば荒事は控えたかったが、夢の悠々自適の生活を送れるかどうかの瀬戸際だ。天下のルパン三世相手に、イチかバチかの大勝負──やってみるか。
ルパンはまるで無防備に、女と楽しげに喋り続けている。
俺は、護身用にカウンターの下に隠してある古いピストルに手を伸ばしかけた。
「爺さん」
ギクリ、と全身が震える。
よくぞピストルを落とさなかったものだ。
ルパンを仰ぎ見ると、ヤツは得体の知れない笑みをこちらに向けていた。
「今、なんか考えたデショ?」
「え?」
気づかれていたのか、まさか。冷や汗が、腋の下を流れていった。
「『オレもあと十年若かったら』とかさ」
「は?」
「だぁって不二子ちゃんのこと、イヤらしい目でじい〜〜っと見てたンだもん」
そう云ってルパンは、スケベったらしい声を上げて笑った。不二子はあきれたように肩をすくめた。
まったくもって失礼な男だ。確かにこの美人を見はしたが、イヤらしい目とはなんだ。それに十年若返らなくたって女くらい……
いや、そんなことはどうでもいい。
今のは、カマを掛けてきた、ということなのだろうか。それとも、単なる酔っ払いの戯言か。
まるで見当がつかん。見た限りではただの酔っ払いなのだが、相手はあのルパン三世だ、そんな単純なことか?
判らねえ、ちくしょう。
俺はにじみ出てきた汗を、乱暴にぬぐった。


その時だった。
ルパンがゆっくりと立ち上がった。
「ちょっくら失礼」
そう云って、便所へと向かおうとした。だが、突然ヤツはふらりとバランスを崩し、危うく転ぶ前に椅子につかまった。
不二子が心配そうに覗き込み、支えようとする。
「大丈夫? いやだ、飲みすぎじゃないの」
「違う違う、酔ってなんかいないもんね」
俺は、内心大いに興奮した。ヤツは酔っている、間違いない。テキーラは、慣れていないと足にくるんだ。
しかも酔ってるヤツほど、自分は酔ってないと言い張るものだ。
──チャンスは今しかない。
「ちゃんと歩いてよ」
「歩いてますってばぁ」
すっかり出来上がってるルパンを、不二子は支えきれずにいる。
「手伝うぜ」
親切めかして、俺はカウンターの内側から出て行った。回り込むときにさり気なく、その辺にあったモップを握り締める。
二人ともこちらをまるで見ていない。
俺は大きく、モップを振りかざした。




やった。やったぞ。
俺は足元に転がるルパンと不二子を見下ろし、大きく息を弾ませていた。
心臓の鼓動がやけにうるさい。耳鳴りもしてきやがった。
だが俺は上手くやったのだ。一気に襲い掛かり、ルパン三世とそのオンナを気絶させてやったのだ。
さあ、次は金を持って逃げなくては。ルパンの相棒が帰ってくる前に。
二軒隣の親父から車を借りよう。渋るようだったら、言い値で買ってやったっていい。なんたって、俺は1000万ドルを手に入れたのだからな。
モップを置こうとしたが、手からなかなか離れない。あまりに強く握り締めていたせいで、指先がまっ白になっている。
ようやくモップの柄をもぎ離したが、手のふるえが収まらない。今までとは比べ物にならないほど、ぶるぶるとふるえ続けている。参ったな。
興奮しすぎたせいだ……いいや、酒が足りないせいに違いねえ。

俺の目に、女が持ってきたワインボトルが飛び込んできた。今までの俺には、一生涯縁がなかったはずの高級ワイン。
この酒で祝杯をあげるのは、俺だ。
大いなる満足感とともに、ボトルを取り上げる。
とにかく一杯、引っ掛けよう。こんなにふるえてちゃ、車の運転も覚束ない。まずは、落ち着かねば。大丈夫、まだ次元は帰ってきやしないさ。
何とかコルクを引き抜いて、俺は慌しく酒をグラスに注いだ。もったいないことに、酒が少しこぼれた。
さすがにいい匂いだ。それにこの色。上等な女のドレスみてえだ。
それを俺は夢中で飲み干した。
美味い、美味いぞ。ざまあみろ。
これが天国のような心地、とでも云うんだろうか。急速に全身から力が抜けていくような感覚だ。
お、ずいぶん、酒の回りがはやいな。
……? おかしい、この俺がテキーラ数杯とワイン一杯くらいで酔いを感じるなんて。
ルパンを倒して気が緩んだからなのか?
まぶたが急激に重くなってきた。どういうこった。ああ、これから金を持って逃げなきゃならんというのに。せっかく、手に入れた大金を……
俺はそこで、完全に意識を失った。


◆ ◆ ◆


「不二子、大丈夫か」
「あ、イタ」
ルパンにそっと抱き起こされ、不二子は後頭部を押さえた。小さなコブが出来ている。大した時間気絶していたわけではないようだが、目が覚めたとき、何が起きたのか一瞬わからなくなっていた。
ルパンも彼女と同じように、痛そうに頭をなでて苦笑いしている。
「爺さん、やってくれるね」
その言葉に、不二子はすべてを思い出し、慌てて飛び上がった。
「お金!」
「大丈夫みたいよ」
ルパンはニヤニヤしながら、床の上で大いびきをかいて寝入っている店の主を指差した。
そしてゆっくりカウンターへ歩み寄り、コルク栓やワインボトルの底を観察する。ルパンは意地の悪そうな顔つきで、不二子を見つめた。
思わず不二子は視線を逸らした。
「なるほどね、さすが不二子が用意した“特別な”ワインだ。カリブの別荘で祝杯をあげてたら、俺と次元がこうなってたワケね」
「な、何のことかしら」
とぼけてみたものの、そんな言葉でルパンを誤魔化せないことくらい、不二子には判っていた。案の定、ルパンは少しだけ怖い顔で凄んでくる。
「不二子ぉ」
不二子は極上の微笑を浮かべて開き直った。
「あら、いいじゃないの。ワインのお陰で助かったんだから。あのお金は、私たちのものよ、ネ?」

Fellows」のkonさんによる、酒データ(Kon-Tents!データページ)に感銘を受けて、私も「ルパン」の酒シーン好きとしては、一つくらい酒がメインになってるお話を書きたくなりまして、頭をひねってみました^^
この話はオチが先に決まりました。以前konさんと「不二子が酒に薬を混ぜた回数」等についてお話させてもらったことが、思いつくキッカケの一つになってます。
不二子が入れた睡眠薬のお陰でルパンが助かる、というちょっと皮肉な結末を決め、これに辿りつきたくて過程を考えることしばし。
状況設定や展開も、頭の中で二転、三転。(睡眠薬で倒れる役が、銭形だったり別の敵役だったり…いろいろ変化しました)最終的に、こんな具合に落ち着きました。
途中までは『爺さん』の一人称になってます。その方が書きやすそうな気がして試しにやってみたんですけど、一人称って難しいですねぇ。もっと独り言云ってるような、くだけた口調をイメージしてたんですが。
それと、私にはルパンってどの程度で酔っ払うのか、そもそも本気で酔っ払ったりするのかよく判らず(笑)、それが影響してこんな話の流れになったみたいです。
あ、いうまでもないことですが…作中の『爺さん』は飲んだ後で運転しようとしてましたが、言語道断ですので決して真似しないでくださいね。(笑)

(07.1.30完成)

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