運のいい男 (前)

カジノの喧騒に背を向けたまま、片隅のバーカウンターでルパンはゆっくりとグラスを干した。
氷が小さく涼しげな音を立てたが、彼以外の耳に届くことはなかった。それくらい、場内は華やかな熱気に包まれ、ざわめいていた。
空いたグラスをかかげ、同じものを注文する。カウンターに置かれた新たなグラスを手に取ると、半分身を傾けてカジノ場内を見回した。

豪華客船インペリアル号の数多い遊戯施設の中で、一、二を争う人気を誇るのが、このカジノである。
こうした優雅な船旅に慣れきった、裕福で暇を持て余した男女が乗客の多くを占めていたが、中には一生に一度の贅沢とばかりに張りこんで来た、いわば「おのぼりさん」的客もいる。そうした彼らが、このカジノを初々しい歓声をあげているのだった。
ディーラーの一振りに一喜一憂する人々のほてった顔を、大した興味もなく眺めていたルパンであったが、その中にやけに目に付く男がいることに気づく。

「ルパン」
その時、下調べから戻ってきた次元が、そっと声を掛けてきた。そのまま隣に腰を下ろす。
振り向きもせずにルパンは相棒に尋ねた。
「どうだった?」
「ああ、だいたいは事前に掴んでいた情報通りだ。金庫を守ってるのはコワモテの奴らばかりだが、ま、なんとかなるだろうさ」
「よし、決行は最終日の夜だ。わかったな」
「オッケイ」
次元の声は楽しげに弾んでいた。
早速、バーテンに酒を注文し、喉に流し込む。この航海の最終日は二日後である。まだ存分に飲めるというわけだ。
ルパンの方は相変わらず、カジノ場内に視線を送り続けていた。

「そういや、ルパン。この船に俺たち以外にも例のブツを狙ってる盗っ人が乗り込んでるようだぜ」
次元の言葉が、ようやくルパンの関心を引いた。
「そういうことは早く云えよ、誰だいそりゃ」
「サイモンとかいう、最近売り出し中の泥棒だ。噂くらいは聞いたことあるだろう?」
煙草に火をつけながら問うと、ルパンは「知らねえなぁ」と、いたって冷淡な様子を見せた。新手の同業者については、日頃からそれほど強い関心を持っていないのだ。
仕方なく、次元が説明を始めた。
「まだ駆け出しの若造らしいんだが、とにかく奇妙なくらいの強運の持ち主だって話だ」
「強〜運?」
いかにも胡散臭いと云いだけに、ルパンは唇をひん曲げた。その様子に次元は薄く笑った。
「お前が云いたいことはわかるがな。ただそういう噂が絶えねえ男なんだよ、サイモンってヤツは。『神の寵児』だなんて名乗ってることもあるらしいぜ」
「へへ〜ん、カッコつけんじゃねえっての。神様が泥棒の味方してくれっかよ。どっちかっていうと、『悪魔の申し子』なんじゃねえの」
頭から小ばかにした様子で、ルパンはせせら笑い、残りの酒を一気に飲み干した。

「噂はもっとあるぜ。何でも、生まれたばかりの時に遭遇した飛行機事故ではただ一人無傷で生き残ったって話から始まって、ヤツには決して銃弾が命中しねぇだとか、ヤツの狙った金庫はなぜか偶然故障してあっさり開いちまうだとか……」
「おいおい、いい加減にしろよ、ずいぶん眉唾モンの話だなぁ、そいつは」
ルパンはあきれ果てたように云った。
「運がいいんじゃなくって、そいつの周りの奴らがみんなドジなだけでしょうが」
「かもしれねぇが」
「“かも”じゃなくって、そうなんだよ。お前だって、そのサイモンとかいう小僧に弾が命中しないなんて、信じられっかよ? どう考えても撃ったやつがヘタクソだったとしか思えねえだろう」
ルパンほどこの噂にムキになる気のない次元は、曖昧に肩をすくめて、再びグラスを口元に運んだ。
だが、ほどよく酔いがまわっているせいか、ルパンはいつも以上に雄弁だった。
「運、なんてもんはさ、突き詰めて考えりゃ、何らかの因果関係で説明できらぁ。“なぜか”やることなすこと上手くいくなんてぇのは、日頃の経験だとか知識 だとかを元にして、最適な判断を、瞬時に、無意識のうちにやってるからだろ。じゃなきゃ相手がよっぽどのヘッポコだとかな」
「ふん……」

次元は納得のいった思いで、頷いた。ルパンの合理的な説明に、というよりも、彼が何故それほど「強運の男」に反発するのかということに、得心がいったのである。
次元から見れば、ルパン自身、相当な強運の持ち主であった。
どんな死地からも、必ず彼は帰還してきた。その状況の中には「運が良かった」と表現したくなるようなものも含まれている。
が、ルパン自身は、それもまた「計算」だと云うのかもしれない。コンピューター並とも評されるその頭脳の判断によって、危険を回避したから今も生きているわけで、それ以上でもそれ以下でもない、と。
要は、己の力量ゆえなのであって、彼のやってきた事柄を他人から「運」といった得体の知れないものでくくられるのは、釈然としないに違いない。
一方でそういうことを「神」に由来するものだと、どういう意味であれ自称する男がいる。そういう人物に、ルパンが親近感を抱けないのも理解できる気がした。

ルパンの考えていることがわかってみると、今度はつい挑発してみたくなる。時々起こす次元の悪戯心であった。
「じゃこれはどう説明する? サイモンはかつて、ラスベガスのカジノで、たった一枚のコインから、店の限度額まで稼いだって話もあるぜ」
「イカサマでしょ」
あっさりとそう答えたルパンだったが、彼の視線は、先ほどから再びカジノ場の方に引きつけられている。つられて次元もそちらを眺めやる。
どっと、場内が沸いた。
騒ぎの元はルーレットテーブルだった。
客の視線は、若い男に集中している。どうやら、圧倒的な一人勝ちをしているようだ。
ルパンが先ほどから気にしていたのも、その男だった。――温厚そうな顔立ちの金髪の若い男。
彼の前には、いまや様々な色のチップが山となしていた。
金髪の男は、その中から無造作に高額チップを取り上げると、ルーレット・レイアウトの中に置いた。
ディーラーが球を投げ入れる瞬間、先ほどまでのざわめきがぴたりと消え、水を打ったような静けさが訪れた。
球が落ちると、何倍もの歓声と叫びが場内を満たす。また、彼が勝ったのだ。
ディーラーや監視員、フロアマネージャーなどスタッフの動きが慌しくなり、周囲の客は興奮の坩堝と化していたが、当人だけが涼やかな顔をしている。

どよめきの中で、ルパンは尋ねた。
「次元、もしかしてあれが……」
「ああ、ヤツだろう」
大勢の注視する中、若い男はふと、ルパンの方を向いたようだった。人垣を越えて投げてよこすその確信的視線は、向けた相手が誰であるかはっきりと知っていることを告げている。
ルパンも視線を逸らすことはしなかった。

その男――サイモンは、周囲の期待をよそに、それ以上賭けを続けるつもりはないようだった。ゆっくりと席を立つ。いずれにしても、彼がそう長くプレイすることは出来なかっただろう。ほぼ上限近くまで稼いだことはチップの山を見れば、明らかであった。
背後にうっそりと立っていた長身の男に、サイモンが合図する。仲間らしきその男は、黙々とチップを集め始め、換金に向かおうとした。
中から、サイモンが高額チップを一枚つまみとり、ディーラーに手渡す。
愛想のよい笑いを向け、ディーラーに何やら云っているらしいが、ここからでは話している内容を聞くことは叶わなかった。
そして、彼に注目していた人々が次第に散ってゆき、自分たち自身の楽しみに戻っていった頃、サイモンは静かに近づいてきたのだった。

「はじめまして、ルパンさん、そして次元さん」
それと知らなければ、聖職者とも見紛いかねない、穏やかで慎み深い表情を湛えている。
だが、どこか茫洋とした雰囲気をまとった不思議な印象の男である。
童顔のせいでまだ十代に見えるほどだったが、落ち着いた物腰から少なくとも二十代半ばにはなっているとルパンは推測した。
軽く眉をあげて、彼を見上げる。
「ずいぶん派手に遊んだみたいだな。この船の中で目をつけられると厄介だぜ、サイモンさんよ、気をつけな」
「ご忠告ありがとう。大丈夫ですよ、何もインチキなんかしてませんから、目をつけられたところで痛くも痒くもない。ちょっとした運試しです」
ルパンと次元は目を見交わし、揃って肩をすくめた。
「そりゃあ結構。よーごさんした」
本気で相手に出来ないと云いたげなルパンの失礼な態度にも、サイモンは得体の知れない笑みで応じた。そして、先ほどディーラーに心づけとして渡したチップと同色のものを取り出すと、ルパンの方にピンと高く弾いて寄こす。
「貴方も、運試ししてみては如何です? ――大事な夜の為にね」
反射的に、ルパンはチップを受け取ってしまった。
その僅かな隙に、サイモンは二人に背を向け、人混みの中にまぎれて去って行った。


「ケッ、宣戦布告ってわけか。澄ました顔してずいぶんと鼻息の荒い若造だったな」
次元は苦笑して、短くなった煙草をもみ消した。
隣では、渡された高額チップを手の中で玩びながら、ルパンが思いのほか真面目な面持ちで呟いていた。
「粋がるだけのことはあるかもしれねぇ。カジノ遊びに関しちゃな」
「へえ、お前が認めるとはな。よっぽどいい腕してたってわけか?」
「……俺ぁ、大抵のイカサマ技術は知ってるし、見破れる気でいたけどな、アイツの『手』はわからなかったよ」
「それじゃ、ルパン」
サイモンという男のツキは本物だということかと云いかけて、次元はその言葉を呑みこんだ。
ルパンが、珍しくも引き締まった横顔を見せていたからだった。彼の闘志が刺激された時に見せる顔だ。
だがそれもごく僅かな間で、次元の方を向き直った時には、へらりとしたいつもの様子に戻っている。
「いいイカサマ師だからって、いい盗っ人とは限らないけっどもな。ま、俺は俺でやらせてもらうさ」
あくまでもサイモンをイカサマ師だと決め付けているようだったが、ルパンがやる気になるのであれば異論はなかった。

ルパンが席を立ったので、次元もカウンターに数枚の札を置くと、後を追った。
背後から、バーテンダーのやや慌て気味の声が掛かる。
「あの、お客様、チップを一枚ここにお忘れですが」
サイモンの投げて寄越したカジノのチップである。ルパンは肩越しに笑みを投げかけ云った。
「やるよ。俺には、運試しなんて必要ないんだわ」
あまりの高額チップに若いバーテンダーが戸惑いつつも恭しく頭を下げ、再び顔をあげると、二人の姿はすでにそこにはなかった。

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