運のいい男 (後)

ルパンの哄笑に毒気を抜かれたように、サイモンはゆっくりと銃を下ろしていった。
次元もあきれ顔で相棒の様子を眺めている。
笑いの発作は収まりつつあったが、ルパンはまだこみ上げる衝動をこらえているといった具合に、腹を押さえてニヤついていた。
「いやあ、見事なもんだ。噂は伊達じゃねえってことだな。面白いじゃねえか、“神の寵児”さんよ」
ルパンの思惑が読めず、サイモンは沈黙をもって答えた。
「なあ、アンタの狙いも『ヴィーナスとキューピッド像』なんだろう?」
「え、ええ」
「だったらこうしようじゃねえか。この金庫室の中から、先に『像』を見つけたものの勝ち。野暮な殺し合いするまでもねえだろ。俺たちは泥棒だ。本業で勝負してみねえか、どうだい?」
「ルパン……!」
次元は小声で抗議の声を上げた。
何も、こんな小僧に譲歩する必要などない。サイモンが構えていた銃口は、一応ルパンの心臓を狙っていたが、マグナムを取り戻した今、彼に引き金を引かせない絶対の自信が次元にはあった。こちらが圧倒的に有利な立場だったのだ。

しかし、ルパンはいかにも彼らしい笑顔を、相棒に向けてきた。
こんな顔をしている時に、何を云っても無駄ということを、次元は良く知っていた。
噂通りのサイモンの強運ぶりを目の当たりにして、ルパンの挑戦心がいたく刺激されてしまったのだろう。
次元は肩をすくめて、マグナムを自分の腰に挿し戻すしかなかった。

一方で、まだ真意を計りかね、戸惑いを見せているサイモンを招くように、ルパンは金庫室の厚い扉を、大きく開け放った。
「これは……」
サイモンの唇から呻きが漏れた。
金庫の中は、奥に深く細長い部屋になっていた。全体的に銀色の、まるきり装飾性のない冷たい空間が続く。
そしてその部屋いっぱいに、整理棚状の金庫が――右にも左にも、真ん中の通路にも、ずらりと連なっているのだった。
個々の金庫の大きさには何種類かあり、かなり小型のものから、大人一人が楽に入りそうな大型のものまで、様々であった。
まるで巨大なコインロッカールームか、お役所の書類保管庫のようである。
当然、それを開けるためには、コインロッカーなどとは比べ物にならない複雑巧妙な鍵を攻略する必要がありそうだ。
部屋の左上隅の金庫に「01」のナンバーが小さく打ってあり、右奥へ向かって進んでいくようだが、果たして最後の金庫が何番であるのか、ここからでは確認することが出来なかった。
この中に、それぞれ美術品がしまわれているのだろうが、当然、ターゲットの『ヴィーナスとキューピッド像』がどこに入っているのかはわからない。
「まさか、こんな風になっていたなんて」
サイモンはそっと呟いた。言葉とは裏腹に、彼の目には力が戻ってきている。

「鍵の難易度を考えりゃ、片っ端から全部開けている暇はねえ。俺たちでずいぶん多くの警備員を眠らせちまってるからな、侵入したのが発覚するのは時間の問 題だろう。……限られた時間の中で、これとだ思うものを開けていき、先に見つけた方が勝ちってわけだ。恨みっこナシの勝負。どうする?」
「やります」
迷いのない応えだった。ルパンは、満足げに頷いた。
それが合図だった。
ルパンとサイモンは、素早く金庫室の中へ足を進めていった。
次元は入口付近の壁際にもたれ、仕方なく様子を見ることにした。

調べによると『ヴィーナスとキューピッド像』は、高さ70センチメートルほどの彫像だ。
ということは、宝石箱程度のものしか入らない、左側に並ぶ小型金庫は除外できるだろう。それでもまだ、中型・大型の金庫は数多く並んでいるのだから、あまり救いにはならなかった。
一体、その中から時間内に目当ての像を発見できるのは、何十分の一の確率かと、次元は溜息をつきたい気分であった。
眺めていると、サイモンは中型の金庫の列の前で、しばし目を閉じ佇んでいた。
まるで、全神経をそばだてて、金庫の中に入っているものを感じ取ろうとしているかにも見える。あるいは、彼の名を暗黒街に知らしめたその強運に、祈りでも捧げているものか。
そして、ついに意を決したかのように、一つの中型金庫の前に立つと、それを開けに掛かった。

一方、ルパンの方はと見れば、彼はまだ金庫室の中を歩き回っていた。
細長い部屋の突き当たりまで行き着き、奥の壁付近で何やらうろうろしている。
すでにサイモンは、道具を取り出し金庫を攻略し始めていることを思うと、次元は内心かなり苛々し始めていた。
ようやくその場を離れると、ルパンは金庫一つ一つを確認するように眺め回してから、とある場所で立ち止まった。そこは、なぜか小型金庫の前なのであった。
次元は、とうとう我慢しきれなくなって、ルパンの元へ飛んでいった。
サイモンの手前、ひそひそと囁くしかないのがもどかしい。
「おいルパン、何を考えているんだよッ。あの像は、そんなに小さかねえぞ」
「……ジョーンズってやつは、つくづく用心深かったんだな。金庫の中にこ〜んな金庫なんか作っちゃってまあ」
次元の言葉に注意を払おうともせず、ルパンはすとんと座り込むと、準備を整え金庫に向かうのだった。
「聞いてんのか、ルパンッ」
「次元ちゃん、ちーっとばかし静かにしててチョーダイ。金庫の反応が聞こえないから」
口調こそ呑気なものだが、ルパンの表情には真剣さが宿っている。細やかに指先を動かしながら、聴診器を耳に当てる。なかなか手応えのある金庫なのかもしれなかった。
そう云われては、疑問はひとまず呑みこみ黙るしかない。次元は、口をへの字に結んでむっつりと腕を組んだ。


「開いた!」
歓喜の声を上げたのは、サイモンが先だった。
続いて、言葉にならない興奮した叫びが響く。思わず次元は、金庫の列を抜けてサイモンの立つ場所に顔を出した。
彼は、両腕いっぱいに、滑らかな象牙色の彫刻を抱えて、満面の笑みを浮かべていた。キューピッドの羽の先端が覗いている。
「私の勝ちですね」
「まさか……一発で開けたっていうのかよ」
呆気に取られる次元を尻目に、サイモンは重い彫刻を抱えているとも思えぬ速さで、金庫室を駆け抜けていく。
去り際に、ルパンに向けて皮肉なほど明るく云った。
「お先に、ルパンさん」


「あのガキ……! 黙って行かせるのかよ、ルパン」
今更、何を云っても遅いとわかっていながら、次元は悔しさと苛立ちをこれ以上溜め込んでいることが出来なくなった。
だがルパンは相変わらず目だけは真剣に金庫と向き合いながら、のんびりとした口調で相棒を宥めにかかる。
「行かせてやんなさいよ。このタイミングじゃ、どうせサイモンは発見されるさ」
「呑気なこと云ってる場合じゃねえだろう! 何だ今回のザマはよ」
あまりに悠然としたルパンの態度が癪にさわり、つい声を荒げてしまったが、確信に満ちた彼の動きは、頭に血が上っていた次元を冷静さに引き戻した。
「ルパン……お前何を」
「サイモンってヤツは、確かに面白いな。さすがに一発で当てやがるとは思わなかったわ。運がいいって噂も納得だぁな。けども……今回ばかりはそれが裏目に出たみたいだぜ」
そう云って、得意げな面持ちで次元を手招きすると、たった今開いたばかりの小型金庫の中を示した。
そこには、なぜか小振りのレバーが一本設置させていた。唐突な眺めである。
ルパンがそのレバーを手前に引くと、金庫室の奥から地響きのような音が聞こえた。
「何たって、本物の『ヴィーナスとキューピッド像』を見ることすらできなかったんだからな、ヤツは。さて、俺たちだけでご対面といこうぜ」
「そういうことかよ」
片目を瞑ってみせるルパンに、次元はようやく安堵の表情を浮かべたのだった。


金庫室の最奥部の床の一部が、ほんの少しだけ浮いていた。レバーと床板が連動していたようだ。
その隙間に慎重に手を差し込み、持ち上げると、梯子が床下に伸びており、そこには真っ暗な空間が広がっていた。
隠し扉のすぐ脇に置いてあった懐中電灯を取り、ルパンが先に下りていく。
二人が立つと、それだけで息詰まりそうな小さな空間だった。周囲には闇が凝っている。電灯の光を向けると、ところ狭しと様々な形状の荷物が置かれていることがわかった。
その片隅に、求めていた彫刻が、ひっそりと佇んでいた。
豊満で生命感に溢れたヴィーナスと、その足元で戯れる愛らしいキューピッド。艶やかな像の肌に、光が柔らかく反射している。

「さーあ、一緒に行きましょうね、ヴィーナスちゃん」
ルパンは嬉しそうに担ぎ上げると、まるで子供を扱うようにそっと、像を背負った。
ポケットから紐を取り出し、落とさないよう自らにくくりつけながら、
「用心深いって評判のジョーンズが、あの程度の用心棒と金庫で安心しているわけはないだろうと思ってさ。本当に価値のあるものはさらに別にしてあるんじゃ ねえかってな。金庫室の中を調べてたら、床板が開きそうなところを見つけたモンで、ちょっと考えて探してみたってわけ」
「ふん、なるほど、観察力と思考の勝利ってわけかい」
「まあな」
ルパンは鼻高々である。
再び梯子を上がりながら、次元は尋ねた。
「で、どうやってあの金庫にレバーが隠されていると思ったんだ?」
「いくつか思いついたモンはあったんだけども、数字の当てずっぽうやる時は、やっぱまず誕生日でしょ」
「誕生日? ジョーンズのか?」
「いんや、インペリアル号のさ。年月日全部足して出た数字の金庫を開けてみたらズバリ大当たり。ま、これも実力ってヤツかしらね。ンフフ」
茶目っ気たっぷりに、ルパンは笑うのだった。

ちょうどその時、船内に事務的なブザーの音が数回鳴った。
乗客を驚かせないため控えめな音であったが、これは関係者に向けた「侵入者発見・確保せよ」の合図だった。
「お〜や、サイモンが見つかったようだぜ」
「それじゃここにも、もうすぐ物騒な連中がやって来るな」
「ああ。パラグライダーが隠してある甲板に辿り着くまで、ちょこっと荒っぽいコトになりそうだけっど……頼むぜ、次元」
「任せとけって」
慣れた手つきでマグナムを抜いた次元の声は、生き生きと弾んでいた。




不夜城のように輝き続けるインペリアル号が、暗色の水面にもその輝きを落としている。船上の騒ぎは、もう届かない。
追ってきていたモーターボートも、さすがにここへ近づくことを憚り、逃げていく。
ゆらゆらと揺れる幻のような光を見つめていると、すべてが夢の中の出来事のようだった。
しかしそれが一瞬の現実逃避に過ぎぬことを、サイモンはよく承知していた。
――あれからルパンはどうしたのだろうか。
そんな思考も、遠い。
たっぷりと海水を吸い、肌にまとわりつくシャツが遠慮なく体温を奪い始めていた。
そっと身を振るわせたのを見ていたのだろう。傍に立っていた警察官が、素っ気なく、タオルを放ってくれた。
大規模な密輸を調査するため、港に近づきつつあったインペリアル号をマークしていたD国海上警察の男である。
ジョーンズの追手のマシンガンから降り注ぐ弾丸の雨に耐えかね、乗って逃げた非常用脱出ボートも捨てざるを得ないほど追いつめられていた時、ちょうど海上警察の偵察船が現れ、サイモンと彼の相棒を冷たい海から救い上げてくれたのだった。
サイモンが必死に抱えていた、贋作の彫刻を皮肉そうに見やってから、警察官は云った。
「ジョーンズから密輸品を盗むなんて、危険なことをしたもんだ。あのままじゃ、お前さんたちは殺されてたところだぞ。……ま、捕まったのが俺たち警察だったのは、運が良かったな」

ルパンVS不可思議能力というコンセプトが先にありきのお話。ルパンが、とてもラッキーな男と対決することになったらどうするんだろうと考えたのが発端でした。
また、相手のラッキー具合が裏目に出るという皮肉な状況をオチに持って来たいなぁと思い続けていたわけですが…とにかくもう難しくって、消化不利用気味で あります(苦笑)ごめんなさい。もしも、もっとうまいことストンと決まったら快感だっただろうという話だけに、ちょっと残念です。でも今はこれが精一杯 (またこの言い訳)
「運」というものについて、個人的に興味があるってことも、この話を書かせたものと思われます。ルパン自身、強運の持ち主だと思うのですが…普段はそれを意固地になって否定したりしない気はしますけれど、今回は相手への反発があったせいってことにしておいてくださいまし。
五右エ門も登場させて、ルパンと「運」「ツキ」談義をさせようかと思ってたんですけど、無駄に長くなりそうなのでやめました。五右エ門、出番なくしてごめん(笑)
そして、今作ゲストのサイモン。名前だけ、かの義賊「聖者」サイモン・テンプラーより拝借しましたが、当然無関係であります。

(05.5.9完成)

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