夜を駆ける

古い石造りの街を、二つの影が駆け抜けていた。
ルパン三世と次元大介である。
凍てつく空気を切り裂くように走る。走り続ける。
気配を消し、忍ばせた足音が石畳に響くことは殆どなかったが、それでも彼らは次第に包囲され、追いつめられつつあった。
数箇所の広場を基点に、放射線状に主要道路が伸び、さらにそこから無数の路地が網目のように張り巡らされた、複雑きわまる街。その構造を利用して、何とか警察の追尾を振り切ろうと試みてはいるものの、成功しているとは云い難い。
むしろ、先回りされ、行く手を遮られ、じりじりと確実に包囲網を縮められている。

「まいったなぁ。今日の銭形、どうしちゃったの? 冴え渡ってンじゃないのよ」
悪臭漂う細い路地の壁際にひしと身を寄せ、パトカーをやり過ごしながら、ルパンはぼやいた。
「ヘッ、こっちがドジ踏んじまっただけの話だろ」
次元は不機嫌そうに相棒を睨みつける。わずかにルパンは首をすくめた。
「な、何だよ、作戦は成功しただろ? この通りちゃーんとダイヤは戴いて来たんだ。後はここを抜け出すだけさ」
「簡単に云ってくれるぜ」
そうしている間にも、二人は身を潜めつつ路地を移動し、広い道路に出ようとした。

彼らが表通りに躍り出ると、絶妙すぎるタイミングで、両脇から数台のパトカーが滑り込んでくる。ヘッドライトが強く二人を照らし出した。
「またかよッ」
それ以上叫ぶ間もなく、追っ手が迫る。やむを得ず、再び路地に駆け戻った。
路地に面した廃墟ビルの窓を一枚外し、潜り込む。そのビル内を突っ切って、別方向に逃げ出すことにする。
窓をくぐって内部に入り込むや、凄まじいまでの埃が舞い上がり、さらには蜘蛛の巣が二人の顔にへばりついてくる有様であった。
大いに咳き込み、蜘蛛の巣を振り払いながら、次元はありったけの悪態をついた。
しーっと指を口元に当てて、ルパンは次元を嗜めた。この廃ビルの前に差し掛かったパトカーのサイレンが、徐々に遠ざかっていく。
「まあまあ、次元、落ち着きなさいってば」
この状況下でも緊張感の感じられない相棒の態度を見るにつけ、毎度のこととはいえ無性に腹が立つのを、次元は抑えることが出来なかった。
「呑気なこと云ってる場合か、ルパン? そもそもお前ぇがここ最近、夜になると女とほっつき歩いているからこんなことになるんだぜ。今回の失敗は、明らかに準備不足が原因だ」
「だーってカワイコちゃんがさ。……って、いいじゃねぇかそんなこたぁ。無駄口叩いてる間に、とっととズラかろうぜ」
それに関しては異議があるはずもなく、次元は仏頂面を決め込みながらも、ルパンの後に従った。


街から脱出を試み、パトカーと接近しては、辛うじてかわす。それが幾度も繰り返された。
危ういところで逃れてはいるものの、街から出るどころか、明らかに二人は街の深部に追いつめられていた。移動できる範囲は徐々に狭まる一方、このままでは捕まるのは時間の問題である。
警官隊の指揮を執っている銭形の今宵の采配は、恐ろしいほど的確であるらしい。
「ちっくしょう、とっつあんったらしつっこいんだから、もう!」
「どうすんだよ、ルパン。向こうからも来やがったぜ」
無駄と知りつつ、次元はパトカーのタイヤを狙い、銃弾を放った。どうせすぐに別のパトカーが現れるのだ。人海戦術も完璧に指揮され綿密に連動しているとなると、かなりの脅威になる。
その一台を足止めしている僅かの隙に、二人は再び走りに走った。
街灯の投げかける光が、二人の影を奇妙に長く伸ばしていた。

「チェーッ、何とまあ礼儀正しい街だい、ここは。路上駐車してる車の影もありゃしない」
「銭形の事前準備の賜物だろうぜ。俺たちの足を徹底的に奪う戦法だ」
そもそも逃走用に使う予定の車が発見され、向こうに押さえられてしまったことが、この事態を招いているのである。
警察の指導に従って、市民の車は念入りに保管され、盗むに容易い駐車場はすでに警官隊がびっしりと固めており、とても近づけたものではなかった。
よろめく足を励ましながら、二人は必死に走り回るしかなかった。

「まずい」
逃げに逃げ、勢いで暗い路地に飛び込んだ瞬間、ルパンの面が曇った。
ついに二人は、袋小路に突き当たってしまったのだ。
細長い路地は、しばらく行くとそそり立つ古びたレンガ塀で終わっている。
路地の入口には、もはやパトカーが到着していて、引き返すことは不可能だ。
「ルパンッ! そこにいるのはわかってる。神妙にお縄を頂戴しろ」
深夜だというのに、スピーカーを通して怒鳴る銭形の声が響いてきた。
「うわぁ、うるっせーの。近所迷惑ぅ」
「ふざけてる場合かよ。どうするつもりなんだ」
「いや、どうするったってさぁ」
途方にくれて、それでもルパンは隙のない視線を周囲に向けていた、その時。
「こっちよ、ルパン!」
暗闇の中から、聞き慣れぬ女の声が降ってきた。
路地左側のビル上方、三階付近から何かが投げられた。白い縄梯子であった。
考えている暇はなかった。二人は、すぐにそれに飛びつき、するすると登って行った。


縄梯子を登りきり、転がるように部屋の中へ入った瞬間、女がてきぱきと窓のよろい戸をおろし、厳重に鍵を閉めた。
「危ないところだったようね?」
女は肩越しに振り向くと、そう云って静かに微笑んだ。
柔らかそうな金髪を肩まで垂らし、深みを帯びたブルーの瞳で二人をじっと見据えている。白いシンプルな部屋着の上からでも、十分すぎるほど肉感的魅力に溢れていることがわかる。
ルパンは目を見開いた。
「君は……!」
「クリスよ。デートまでしたっていうのに、名前も覚えてないの?」
潤んだ瞳で恨めしそうに見上げる女の様子に、盛大に首を振ってルパンは云いきった。
「忘れるはずないじゃないのよ、クリスちゃん。いやぁ、助かったぜぇ」
ゆっくりとクリスに抱きつくと、身体をあちこち触りながら頬にニ、三度キスしてみせる。女はまんざらでもない様子であった。

もの問いたげな次元の視線に答えて、ルパンは改めて口を開いた。
「クリス、コイツは俺の相棒の次元だ。次元、彼女はクリスちゃん」
「よろしく、次元さん」
クリスの妖艶な微笑みに、次元は帽子の縁を軽くつまむことで返事に代えた。彼女が、ルパンが最近遊び歩いていた相手なのだろう。
曖昧な表情を浮かべたままの次元の耳元に、ルパンは悪戯っぽく囁いた。
「夜遊びもしとくモンだろ? 地獄に仏たぁこのことだ。何が幸いするかわからないってね」
「そうかね」
次元は肩をすくめただけでそっぽを向いた。

クリスの部屋の中は、必要最低限の家具があるだけの、いたって簡素なつくりであった。ランプシェードを通した柔らかな灯りが、部屋の片隅を照らしている。
音を絞ったテレビが、この日最後のニュース番組を流していた。
「クリス、ホンのしばらくの間、ここに居させてもらうぜ。うるっせえのが遠ざかっていったらすぐにお暇すっからさ」
「ええ、わたしは構わないわよ。」
「ほう、随分親切なんだな。俺たちは警察に追われてるんだぜ?」
突然次元が言葉を挟んだ。皮肉まじりの強い口調に驚いたのか、コーヒーを淹れていたクリスの手が止まる。
「じ・げ・んッ!」
咎めかけたルパンを、クリスは身振りで制した。
「相棒さんが疑うのも無理はないかもね。わたしはただ警察が大っ嫌いなだけの。ヤツらを見るだけで虫唾が走るわ。だから警察に協力する気はまるでないってわけ。それに追われてるのがルパンだったから……だから助けたのよ、おわかり?」
そう云いながら、クリスは部屋の真ん中にあるテーブルに、コーヒーカップを置いた。
油断なく壁際に突っ立ったままの次元は、彼女の言葉を聞いても、表情を変えず、身動きしようともしなかった。
気まずい沈黙が流れる。
取り繕うように、ルパンがカップを二つ手に取った。一つを次元に勧める。
「俺はいい」
「いいから、飲めって。走り回って、喉カラッカラでしょうが」
そう云って、パチパチと片目を瞑ってみせる。仕方なく、次元はそれを受け取り、そっと口をつけた。


テレビのニュース番組が、事件を告げた。
世界最大級のダイヤモンドがルパン三世によって盗まれた、現在彼らは市内を逃走中である――と。
頬杖をついてルパンを覗き込みながら、女が囁く。
「有名人なのね」
「まあね」
「世界一大きなダイヤを盗んできたのね。ねぇ、わたしも一度見てみたいわ」
クリスの青い瞳が輝く。
「ああ、コレ?」
ジャケットの内側に手を差し伸べたところで、不意に動きを止め、ルパンはニヤリと笑った。
「こんなの見ちゃうと、良くないかもヨ?」
「あら、どうして」
「女はダイヤに目がないからね。こんなデカイの見ちまったら、それ以下のものじゃもう満足できなくなるかも知れないぜ」
「大丈夫よ」
クリスの白い顔が、さざ波のように妖しく揺らめいた。
「だって、それがわたしのものになるんだもの」
「何ッ」
次の瞬間、ルパンの手からコーヒーカップが滑り落ちる。フローリングの床の上で砕け散った。続いて次元のカップも派手な音を立てて割れた。

「うう」
胸の辺りを押さえ、ルパンは不明瞭な呻き声を搾り出す。次元も壁にもたれたまま呻き、ずるずると座り込んだ。
「やっぱり、お前は……女盗賊のクリス、だったんだ、な」
勝ち誇った眼差しを二人に向け、高慢そうに頷く。そしてクリスはガーターベルトからそっと拳銃を取り出した。
「さすがに勘付いてたのね。でもまあいいわ。身体が痺れて、もう思うように動けないはずよ。そんな状態で警察に見つかったら、絶対に逃げ切れないでしょうね。いくら天下のルパン三世でも」
躊躇いなく銃口をルパンの胸元に向け、ゆっくりと、慎重に近づいてくる。二人は苦しげな声を上げるだけで、動く気配を示さない。
「警察に捕まりたくなかったら、大人しくダイヤを渡すのね。そうしたら、痺れが取れるまでこの部屋を貸しておいてあげるわ」
女はしゃがみこんで、ルパンの内ポケットを探ろうと、銃を握る反対の手を伸ばした。
その手首を、ルパンは素早く握り締め、一気にひねりあげた。
「ルパ……」
「悪りぃな、クリスちゃん。俺たちお行儀悪くってさ、コーヒー全部袖口に飲ましちゃってたのよ」
壁際で、次元が薄笑いを浮かべて立ち上がった。
クリスは強く歯噛みし、まだ自由な右手で引き金を引いた。

しかし、銃弾が飛び出すことはなかった。いくら引き金を引いても虚しい音が続くばかりだ。
ルパンはさらに人を食った笑顔を向ける。
「またまた悪りぃねぇ。俺ってば、昔っから手癖悪くて、ホレ、す〜ぐこんなことしちゃうの」
彼の掌からパラパラと零れ落ちてきたのは、クリスの銃に込めてあったはずの弾であった。
「いつのまに……」
「これからは安易に男に身体を触らせない方が身のためだぜ、クリス」
「よく云うぜ」
次元が呆れたように呟いた。どうやらルパンは、先ほど女の頬にキスしている間に、銃弾を抜き取っていたようだ。
ルパンと次元は、すでに余裕の態度で笑い合っていた。

「くっ」
ルパンの視線が逸れたごくわずかな隙を突き、クリスはつかまれていた腕を振り解いた。
ひらりと身をかわして二人から距離をとる。
反射的に腰からマグナムを引き抜こうとした次元に、鋭く怒鳴りつけた。
「動くんじゃないよ!」
それまでの様子とは明らかに違った、猛々しい光が女の瞳には宿っていた。
手の中には、何かのリモコンらしきものが握られている。
彼女が一つのボタンを押すと、部屋を囲う四方の壁がスライドし、物騒に黒光りするマシンガンの銃口が覗いた。
「照準はあんたたちに合わせてある。下手に動くと、蜂の巣になるよッ」
明らかに本気の威嚇に、二人は思わず顔を見合わせた。
「やっぱり、地獄にゃ鬼しかいねえようだな、ルパン」
「そうみたいねぇ」
「勝手に喋るんじゃ……」

女がそう云いかけた時であった。
アパートのドアが外から激しく叩かれた。
「ルパン! 無駄な抵抗はやめて大人しく出て来い! ここにいることはわかっとるんだ」
大声で怒鳴り飛ばす銭形の声が、深夜の空気を震わせた。
マシンガンに囲まれて対峙する三人の間の緊張感が、さらに強まった。誰も動こうとはせず、外の気配に耳を澄ませる。
「五つ数える間に出て来ねぇと、遠慮なくドアをぶち抜くぞ。いいな! それでは、い〜ち……に〜い……」
ゆっくりとしたペースで、銭形は数え始めた。
次元が横目でルパンを見つめながら、怪訝そうに云った。
「どうしてとっつあんにここまでバレちまうんだ?」
「透視能力でも開眼しちゃったのかね、あのお方は……あ」
ルパンがさらに何か云い募ろうとするのを、女は「黙れ!」と一喝した。が、先ほどの余裕と迫力は失われていた。彼女自身予想外の速さで訪れた警官隊に慌て、どうするればいいのか判断できずにいる。

「5!」
ついにカウントダウンが終わった。
「おのれルパン、出て来ない気だな。それでは遠慮なく行くぞ!」
銭形の号令と共に、間髪いれずにドアが大きく打ち鳴らされた。部屋中が軋むような衝撃が走る。
女が、うろたえた視線をドアの方に走らせた。
その一瞬の隙で十分であった。
次元は今度こそマグナムをしっかり構えると、女の手に握られたリモコンを撃ち砕いた。その勢いで、彼女は後方に吹っ飛んだ。
「そんじゃま、お邪魔しましたぁ!」
撃たれた傷は浅そうであったが、女は至近距離で銃弾を浴びたショックで気を失っている。ルパンの能天気な挨拶が届いた様子はなかった。
二人は迷わず、入ってきた窓を開ける。
当然、下の路地にも警官隊が待ち受けている。だが、逃げ道はここしかない。
ルパンは先ほど使った縄梯子を再び取り出すと、鉤の方を上階に向けて思いきり投げた。それはうまく雨どいに引っかかったようだ。
相棒に頷きかけると、素早くそれを登っていく。次元も後に続いた。
次元の足が、窓枠を離れたちょうどその時、銭形率いる警官隊がドアを打ち破り、どっと室内になだれ込んできた。
銭形の怒鳴り声が轟いている。
堂々と窓から躍り出た二人の姿に気づいた途端、路地裏の警官隊は遠慮なく発砲してきた。しかし、瞬く間に彼らは屋根へと姿を消した。


いくつかのビルの屋上を縦横無尽に伝い渡る。どうあがいても道路を走るしかないパトカーは、なかなか彼らに追いつくことが出来ずにいた。わずかにサイレンが遠ざかったところで、ルパンはふと立ち止まった。
「何だい、早く逃げねぇと……」
云いかける次元の方へ、ルパンは意地悪そうな視線を向けて、言葉を遮った。そっと手を伸ばし、トレードマークの帽子のてっぺんに触れる。
「絶好調銭形のタネはこれだ」
ルパンが摘み取ったのは、超小型の発信機であった。次元は目をひん剥いた。
「い、いつの間に?! ちくしょう、銭形の野郎」
自分の帽子を撫でさすりつつ、次元はわずかに肩を落とした。
「……面目ねぇ」
「いんや、いいってことよ。たまにはポカも役立つもんさ。銭形の突入のお陰で、助かったわけだしな」
ルパンは軽く笑って頷いた。
そして、下の路地を覗きこむと、そこで餌をあさっている一匹の野良犬に向けて、発信機をピンと弾いた。
狙い通り、発信機は犬の背中に張り付いた。
「じゃ、行こうぜ次元」
「あいよ」
二人は立ち上がると、再びビルからビルへと飛び移り、やがて夜の闇へと消えていった。
パトカーのサイレンだけが、いつまでも街中に鳴り響いていた。

ここで後書きを書くのも久しぶりになります。
凝ったお話を作ってみたいという構想を、取りあえず脇においてみたら、驚くほどあっという間に書きたいイメージがまとまったので、びっくりしました(笑)
難しいことを抜きにして、ひたすら自分が好きな「ルパン」の要素に基づいて書かせてもらいました。ルパンと次元の会話、しつこく追ってくる銭形、謎の女……そうした「ルパン」の風景が、やはり私は好きなようです。
あまりにもオーソドックスな、殆どひねりのない話になってしまいましたが、こうした他愛のない物語でも、読んでくださった方が楽しんでくださればいいなと、祈りつつ。
クリスというゲストキャラ。書いてるうちに描写がどんどんズレて、まるで違う感じになりましたが、元のイメージは、新ル「殺しはワインの匂い」に出てくる、ルパンがナンパ成功したカワイコちゃんだったりします(笑)彼女の顔、好きなんですわ^^

(04.12.22完成)

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