05:口説く

「ねえねえ、ふ〜じこちゃん、いいじゃない」
「嫌よ。ルパン、離して」
「そんなこと言わないでさぁ。仲良くしようぜ、せっかく二人っきりなんだし」
しっかりと彼女の肩を掴んだまま、ルパンはデレデレと緩んだ顔を近づけてくる。いつもの通り、本気なのか冗談なのか、さっぱりわからない迫り方である。
不二子は、形のいい眉をひそめて、ルパンの顔ごと強く押しやった。
場合によっては、こうした強引な口説き方を可愛らしいと思わぬでもなかったが、今はそれどころではないのだ。
というよりも、口説くのに、これほど不似合いな状況と場所は考えられないくらいなのである。
「冗談はやめてちょうだい、ルパン」
半ば呆れ、半ば苛立ち、不二子はきつい口調でそう言いきると、ルパンを睨みつけた。

「冷たいンだからぁ。ま、ソコがいいんだけっども」
突っぱねられてもまるでこたえた様子もなく、再び不二子にしなだれかかってくる。
こうした時のルパンは、普段よりもいっそう素早く、油断がならない。隙を見せたつもりはないのに、いつの間にか不二子はルパンの腕の中に絡みとられていた。
その早業に驚き、感心すらしたが、不二子はやはり抵抗した。
「嫌ったら、い・や! ちょっとは真面目になってよ。今どういう状況だか、わかってるでしょう?」
「そりゃあ……」
ルパンは不二子を抱きしめる腕の力をわずかに緩めると、改めて気づいたかのように、まじまじと周囲を眺め回した。

二人がいる場所は、夜景の美しいホテルのスウィートルームでも、降るような星空が枕を飾るバンガローでも、潮騒がBGMになるロマンチックな海辺の隠れ家でもない。
今にも血まみれ騎士の亡霊でも出てきそうな、陰気臭く、古びた城の地下深く――しかも侵入者を捕らえるために設けられた、出口のない落とし穴の中なのであった。
彼らがまんまと掛かってしまった罠は、遥か頭上で、すでにその口を閉じてしまっている。内側からは決して開かぬ構造になっているようだ。
どこにも出口の見当たらない黒ずんだ石の壁は、じめじめと不快に湿っており、かすかに聞こえるのは、ネズミの鳴き交わす声ばかりだ。
その空間には、ぼんやりとした灯りがひとつ、青白く点っているだけで、薄気味悪いことこの上ない。
「まあ、ムードのある部屋とは云えないわなぁ」
「当たり前よ、冗談じゃないわ」
「でもさぁ、狭くて暗〜いトコロに、男と女がいたら、やることは一つでしょうが」
ムフフと笑うと、ルパンはまるっきり懲りた様子もなく、再び不二子を抱きすくめた。

もしも他の場所であったなら、ルパンを殴り気絶させてでも逃げ出しただろう。だが、今の不二子には逃げ出す場所などありはしなかった。
あるいは、思わせぶりをするだけして、自分にとって最上の利益を引き出すべく、駆け引きを楽しむこともできたかもしれない。しかし、この状況下ではそんな余裕は持ちようもなかった。
ましてや、いくら口説かれようとも、よりによってこんな場所でその気になれるはずがないことくらい、ルパンにだってわかりそうなものだ。不二子はだんだん本気で腹を立て始めていた。
ルパンのことだ。ふざけているだけの可能性もある。が、やはりルパンのことだ。場所柄もわきまえず、力任せにということもないとは云えない。
不二子はどうやってルパンを止めようかと、懸命に頭をめぐらせた。

「ちょっと待ってよ……ルパン。こんなところでなんて、イヤ。それにあんなモノまであるのよ」
しおらしい声を出して訴えてみせる。
ルパンは、彼女の指差した方へ視線だけ向けた。
そこには、旧式だが現在も動き続けている監視カメラが一台、設置してあった。
罠にかかった侵入者を、この城のどこかにある警備室で確認するカメラなのだろう。地の底のこんな場所にも、なぜか薄明かりが点っていたのは、侵入者の姿をカメラに映し出さんためであったのだ。
一瞬じっとカメラを凝視したルパンだったが、不二子に向き直ると、底抜けに明るく笑った。
「あんなの、別に気にすることないって」
まるで動じないルパンにいっそう呆れ、不二子は声を荒げた。
「気になるわよ! だって誰かが見てるのよ」
「いいよいいよぅ、望むところさ。た〜っぷりと見せつけてやろうぜ。俺ぁ、その方が燃えッちゃう」
そう云うや、ルパンの唇が、不二子の耳朶を甘くとらえた。




女の身体が、戦慄くようにふるえたのが、カメラ越しにも見て取れた。
城の各所を映し出す多くの防犯カメラ映像はそっちのけで、太った警備員はその画面に釘付けになっていた。あのように美しい女の濡れ場を見られるかもという期待に、早くも興奮しているのか、椅子から身を乗り出さんばかりである。
わざわざあの穴の中の音声まで聞き取れるように、スイッチをオンにしている。
そんな彼の脇に立つ、若く小柄な警備員は軽蔑したようなため息をついた。
その軽蔑は、先輩である太った警備員に向けられたものであるのと同時に、こんな状況下で女を口説き始めたルパン三世に向けられてもいた。
冷たい目つきで彼を見下している後輩に気づくと、太った男はいやらしく間延びしていた顔をもっともらしく顰め、とってつけたように云った。
「よくやるよなぁ、ルパン三世ってヤツは。女好きだと聞いてはいたけど、これほどとはねぇ」
そして、モニター前の開いた椅子の一つをさして、手招きする。
「カール、お前も座ったらどうだ? いい見世物だぜ」
カールと呼ばれた小柄な青年は、わざとらしく制服の襟を正して淡々と答えた。
「僕は結構です。ま、何でもいいですが、とりあえず目だけは離さないでくださいね。ICPOの銭形警部がすぐに来てくださるそうですから」


この城の罠に反応があったのは、久しぶりのことであった。
ましてや掛かったのが、手配書の中でしか見たことのないあの有名なルパン三世だとわかった時、深夜の警備室は大いに動揺した。
先に冷静になったカールの方が、早速ICPOへ連絡を入れると、ルパン専任捜査官の銭形警部が、至急こちらへやって来ることになった。元々、この国にルパンが滞在していることまでは掴んでいたらしく、車を飛ばせば一時間ほどの街に、銭形はいたのであった。
一時間、そのままルパン三世を監視しているだけでいい。
今ルパンのいる場所の状況を、電話で詳しく聞き出した銭形は、無愛想な声でそう指示した。
下手にちょっかいを出して刺激せず、その穴倉へ閉じ込めたままにしておけ、と。
狭い穴の中、ましてや峰不二子が一緒の場合は、よっぽどのことがない限り、壁を爆破したりする強硬手段には出ないだろうから、というのが銭形の予測であった。

ただ見ているだけでいい――そう云われても、カールは落ち着いてなどいられなかった。
相手は神出鬼没と噂されるルパン三世なのだ。予想もつかない手段を使って、煙のように逃げ出してしまうのではないだろうかと、不安が胸に広がった。
しかし、モニターに映るルパンの様子を見る限りでは、それも杞憂にすぎなかったように思えてくる。
ルパンは逃げ出す算段をするどころか、不二子という女相手に、情事に耽ろうとしているようだ。
噂だけが先行した、凡庸な泥棒に過ぎぬのか。それとも、いつでも抜け出せると信じるがゆえの余裕なのか。

幾度か軽いキスを受け、それで女もその気になったか、熱い吐息まじりの嬌声を漏らし始めた。抑えても抑えきれない色香が、その声からは滲み出ていた。
先輩警備員は椅子をきしませ、ますます画面にかぶりつく。
どいつもこいつも…と、カールは口の中で苦く呟いた。




「……ルパン、ね、少し待って」
「ダメーッ、もう待てない待てない」
ルパンの弾んだ声が響く。一方不二子は、全身から力が抜けてしまったかのようにルパンに身をゆだねつつ、それでも恥じらいのためか、幾分かの抵抗を見せている。
「あのカメラ、やっぱりイヤだわ。このままじゃ、落ち着かないもの」
「あ、そお? んじゃあ、こうしちゃえばいいでしょ」
そう云って、ルパンはジャケットを素早く脱ぐと、高々とそれを放り投げ、監視カメラに覆いかぶせてしまった。




「あっ」
監視モニターを見ていた二人の警備員は、同時に声を上げた。
画面はルパンのジャケットに覆われ、何一つ見えなくなってしまった。
カールは落ち着かな気に身じろぎした。
「ま、まずいんじゃないですかね。ルパンのことだ、見てない間に何をするか……」
「ううん、そりゃそうだけど、でもどうすればいいっていうんだよ」
「……」
そんなこと、新米のカールにわかるはずがない。こういう状況になっても、銭形の指示を厳守していればいいものなのだろうか。
まるで緊張感の足りない先輩警備員は、
「大丈夫だろ。だって、女の声は聞こえてるんだぜ」
と、好色そうな薄笑いを浮かべている。
確かに、途切れ途切れに女の声が聞こえている。ルパンと戯れているのだろう、女特有の媚を含んだかすかな声が。
女の声は、次第に艶を増し、潤んだような熱を帯びていく。
堅物を自認しているカールですら、心穏やかではいられなくなりそうだ。ごく細い声であるにも関わらず、壮絶に色っぽく、男の心を騒がせた。

不意に、カールは警備室を出て行こうと、ドアへと向かう。
「やっぱりおかしいですよ! こんな、わざと僕たちに聞かせるような」
「よせよ! 何もするなってICPOに云われてるんだろ。気の回しすぎだよ。単にヨロシクやってるだけでさ」
「相手は、ルパン三世なんですよ?! 何を企んでいるものか」
そう反論しつつも、カール自身ですら、ルパンが何を企んでいるのか、わかっていたわけではなかった。だが、見えなくなったモニターの向こうで、天下の怪盗がどんなことをしているのか、気になって仕方がなかった。
こちらの想像もつかない手段で、着々と脱出の準備を整えているのかもしれない。
女といちゃついていると見せ掛け、時間稼ぎをし、何かとんでもないトリックを仕掛けを施しているのかもしれない。
居てもたってもいられない気分を、カールはいやというほど味わっていた。

そんな時である。
ふと気づくと、いつの間にか女の声は途絶えていた。
どれだけ集音マイクのボリュームをあげてみても、吐息一つ聞こえてこない。
墓場のような静けさが広がっているばかりである。
カールはうろたえた。
「やっぱりだ! あんなことしていると見せかけておいて、脱出してしまったんだ!」
そう叫ぶと、彼は無我夢中で警備室を飛び出した。怠惰な先輩の彼を引き止める言葉には、もはや耳を貸す気もない。
ちくしょう、やられた、と何度も呟きながら、薄暗い城の中を駆け抜ける。
幾度も修復はしたが、城内部の根本的な構造は中世そのままであると聞いている。細く複雑に入り組んだ通路をしっかりと把握しながら歩かないと、たちまち迷ってしまいそうだ。

カールは、ようやく一つの小部屋に出た。地下深くにあるにもかかわらず、その小部屋には中世風の陰鬱さはなく、最近増築されたと思しき現代的な様子をしている。
ここは、例の落とし穴の裏側にあるごく小さな部屋なのであった。穴の方からは、ここへの出入り口はもちろん、部屋の存在もわからないように巧妙に造られている。
昔ならば、罠に掛かった侵入者には温情など無縁であり、即、死がもたらされたそうだが、さすがに現代ではそうもいかない。落とし穴に仕掛けられていた大きな針の山は取り除かれ、今はルパンらが落ちた、空虚な穴だけが残されているのであった。
そこに落ちた侵入者を捕らえ、警察へ引き渡すために、この小部屋から穴へと出入りするようになっている。

カールはふるえる手でカードキーを取り出すと、慎重に隠し扉を開いた。
ぼんやりとした灯りに、ごつごつした石壁の凹凸が不気味に浮かび上がる。ルパンの赤いジャケットが、カメラに掛けられたままぶら下がっている。人の気配に驚いた一匹のネズミが、キーッと鳴いて走り去った。
見えるのは、それだけである。
ここに閉じ込められていたはずの二人の姿は、どこにもない。
どこからも出られないはずなのに、一体どうやって……カールは混乱した頭で、無意味に周囲を見回した。
その刹那、彼の遥か頭上から、ひらりと黒い影が飛び降りてきた。それは音もなく、軽々と彼の目の前に立ちふさがると、大きく笑うのであった。
「ル……」
彼があのルパン三世か――そう認識した瞬間、カールの意識は途切れた。殴られたことにも気づかぬほど鮮やかに、ルパンの一撃はカールの鳩尾を抉っていた。




「もういいぜ、不二子、降りてきな」
ルパンは上を向いて声を掛けた。
吸盤で岩壁に貼り付けただけの、頼りないロープにしがみついていた不二子は、身を翻すと、静かに降り立った。
気絶した警備員が腰にぶら下げている鍵束一式と、持っていた何枚かのカードキーを奪い取りながら、ルパンは不二子に軽くウィンクしてみせた。
「さっすが名女優。いい演技だったぜえ」
「ああ、恥ずかしいったらないわ。突然耳打ちしてきて、あんな声を出せだなんて……まったく、貴方には付き合っていられないわよ」
「まあまあ。お陰で出口も見つかったし、キーも手に入ったんだからサ」
だが不二子は拗ねたように軽くそっぽを向く。ルパンに口説かれたところで、所詮はこういうことになるのだ。

じめじめした穴倉から出ようとすると、ルパンは素早く彼女の脇に回りこみ、そっと手を取をとる。まるでパーティにエスコートするかのごとく、優しくキザに、彼女を穴の外へと導いた。
そして、そっと囁く。
「俺、すっかりその気になっちゃったモンね。演技でない声も聞かせて欲しいなぁ。どーお、不二子ちゃん?」
「……」
見上げると、ルパンは相変わらずニヤニヤとしまりなく笑っており、その表情からは、やはり彼の言葉を真に受けるべきか否か、見当もつかなかった。
(こんな下手な口説き方をするなんて、恐ろしく照れ屋か、恐ろしく楽天家か、どちらかだわ)
不二子は妙に冷静にそう考えると、急におかしくなってクスッと笑った。
突然笑い出した彼女の様子に、ルパンは不思議そうに目を見開く。
ようやく自分のペースを取り戻した不二子は、小首をかしげ悠然と微笑みかけた。
「わかったわ、ルパン。とりあえず、当初の目的通り、この城にある黄金のティアラをわたしにちょうだい。その時になったら、また考えみるわ」

「口説く」といえばルパン→不二子という基本の路線で。
気乗りしない仕事に誘おうと、次元と五右エ門をルパンが「口説く」話もいいかなと思ったこともあったんですけど(^^)。
ルパンが不二子を大っぴらに口説く場合、またしてもキーになるのが「どこまで本気か」なんじゃないか、と思われます。
個人的にはルパンって、かなり本心をあけっぴろげに見せているようで、実は非常に韜晦癖があり、照れ屋なところがありそう…と考えたりしてます。(「照れ屋」なんじゃなく「照れ屋なところがある」がミソ)

(2004.3.17完成)

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