忘却の街 1

いくら銭形を撒くのに時間が掛かったとはいえ、約束の日から早くも五日が経とうとしている。
これだけ遅れたのだから、文句の一つや二つ浴びせられることは覚悟していた。
アジト代わりに滞在するつもりのホテルの一室の前で、ひとつ大きく息を吐いてからルパンはドアを開いた。
しかし、投げつけられた次元の言葉は、彼の覚悟や予想のうちにないものであった。

「誰だッ、貴様は!?」

遅刻に抗議しての嫌味にしては、あまりに語気荒い。叫ぶと同時に、次元は警戒心あらわに立ち上がった。
五右エ門も、それまで座っていたソファから素早く身を起こしていた。
相棒二人はじっとルパンを睨み据えた。
ただ事ならぬ殺気が満ちる。
まだ抜きこそしないものの、何かあれば瞬時に武器に手を掛けることを躊躇わぬ気配がそこにはあった。

意表をつかれた思いで、ルパンはとっさには反応することが出来なかった。
が、これは二人の新たな怒りの演出なのだろう。きっと。
そう考えて気を取り直すと、すぐさま手を合わせて大袈裟に謝ってみせた。
「悪かった、俺が悪かったってばよ。このッ通り謝るから機嫌直してくれよ。な? 俺だって反省してンのよ」
「何を云っておる。お主、何者なのだ!」
「あらやだ、ま〜だそのネタ引っぱっちゃうんだ? もういいじゃないの、謝ってるんだからさ。俺にもイロイロ事情があったン……」
ルパンは、途中で言葉を呑み込まざるを得なくなった。
彼を見つめる二人の眼差しは、限りなく冷たく、疑惑と不信感に凝り固まっていたからである。

「部屋を間違えてるんじゃねえのか。俺たちは貴様なんざ知らねえよ」
「おい次元、何云ってんだよ……あんまりしつっこいと笑えねえぞ?」
名を呼ばれた次元は、怪訝そうに五右エ門と顔を見合わせてから、ますます物騒な気配を漂わせた。
「貴様は誰なんだ。答えろッ」
「誰って……」
もはや物理的な圧迫感すら覚えるような二人の殺気と、真顔で質された問いに、ルパンは絶句する。
だがそれを跳ねのけるように、大きく手を振り回して答えた。
「ルパンだよ、ルパン三世。名乗ったぜ、これでいいのか? まったくいつまでそんな嫌味な怒り方して…」

鞘に収めたままの刀で、五右エ門は激しく床を突いた。あまりの迫力に、発していた言葉も、部屋へ入りかけていた足も、止まった。
「ルパン? 知らんな」
「ああ、知らねえ。気味の悪りぃヤツだ。おい、早く出ていかねぇとぶっ放すぞ」
次元の手には、見慣れたコンバット・マグナムが握られている。その銃口は、真っ直ぐにルパンを狙っている。

何をどう考えればいいのか。
緊迫した二人の気配は、もう猶予ならない段階に達しようとしていた。
ルパンはとりあえず、ゆっくりと両手を上げ、刺激をしないように数歩後退した。
「わかった、わかりましたよ。出て行けばいいんでしょ」
「早くしな」
吐き捨てるように云い放つ。二人の態度は、“不審者”への敵意に満ち、取りつくしまがなかった。

慎重に様子を伺いつつ、後手にそっとドアの取っ手を回す。
ここで、相棒たちが笑み崩れて、実はからかっていたのだと白状するのではないかと、待ち受けた。
しかし、笑うどころか、二人は表情一筋すら動かすことなく、妥協のない殺気だけを向けてくる。
沈黙に耐え切れず、また己の混乱を持て余して、ルパンは曖昧に笑って云ってみた。
「あの、お二人さん。つかぬ事お伺いしますがね、俺ぁいつ頃ならここへ戻ってきてもいいのかなあ、なんて……」
「とっとと出て行け!」
引き金に掛かっていた次元の指先に力が入り、五右エ門が鯉口を切ったのを目の端に止めると、ルパンは大いに慌てて部屋から転げ出るのだった。



「おお、こわ……一体全体、どうしちゃったってんだ、あの二人は?」
廊下の端まで撤退すると、もう一度二人の居る部屋の方を覗いてみるが、ドアは固く閉ざされたままだった。ここからでは何一つ中の様子は窺えない。
仕方なく、ルパンはその場から離れることにした。
エレベーターが無人であることを確認した後、それに乗り込みながら、ポケットから小型のイヤホンを取り出し、ボリュームの調整を始める。
「まさか、自分の部屋に盗聴器を仕掛けるハメになるとはね」
逃げ出す時に、ドア近くにあった花瓶の陰に隠し置いてきたものであった。

ルパンは、ホテルを出て向かい側にある、小さなカフェの一席に陣取ると、聞こえてくる相棒たちの会話に集中した。

『何者だったんだろうな。ルパン、とか申していたが』
五右エ門が低く呟いている。それに答える次元の声もまた低く、張りのないものだった。
『わからねぇ。見たこともねえやつだったが……俺の名前は知っていたようだし、何らかの狙いがあってここに来たことは間違いねえだろう』
『うむ。だが殺し屋にも見えなかった』
『まったくな。おかしなヤツだぜ。一体何が狙いなんだか……』


二人の会話は、“ルパンという見知らぬヤツ”の正体と狙いを推測しようとしていたが、結局何の結論も出せぬまま、うやむやに立ち消えた。
その後、ぽつりぽつりと他愛のない雑談をしていたが、やがて五右エ門が奥の部屋に引き取ったらしく、聞こえてくるのは次元がつけたテレビの音ばかりになった。
ため息をついて、ルパンはイヤホンを耳から外した。
「ホントに俺のことを忘れちまったってのかよ? まっさかねぇ……」

渋る二人を強引に仕事に担ぎ出しておきながら、約束の日から五日も遅れて到着したのはルパンである。彼らが怒っても仕方がない。
だから、ルパンのことを見知らぬ人間扱いして追い払う、というのは、あまり趣味の良くない悪ふざけであるが、新手の懲らしめなのだろうと思っていた。
二人の真に迫った“演技”に戸惑い、不審に思いはしたけれど、それだけのことなのだ、と。
しかし、どうやら演技でもなんでもないらしい。次元も五右エ門も、本気でルパンと名乗った男が誰なのか、考え込んでいた。

盗聴器を仕掛けたことを、気づかれてはいない自信はあった。
が、もし仮に気づいていたとしても、ルパンの耳を意識した演技にしては、あまりに長く、くどすぎる。
万が一にも、ルパンが約束に遅れた事以外に何か理由があろうとも、彼らの気性からして、これほど悪趣味な芝居を続けることはまずあり得ない。

あそこにいた次元と五右エ門が、誰かの変装した偽者だという可能性も考えてみた。
しかし、相棒を見誤るルパンではない。何者かがいかに巧みに化けてみせようと、変装のプロであるルパンが、ましてや相棒への変装を見抜けぬはずがない。
あれは確かに、次元と五右エ門本人だ。

と、なると――
二人の冷たく突き放した目つきと、一発触発の殺気は、間違いなく本物だった。
だがそんなバカなことが有り得るのか……

深い物思いに沈み込みながら、とうに冷めたコーヒーに手を伸ばす。
「わ、なんだこりゃ」
コーヒーのあまりの不味さに、顔をしかめる。微妙に何かが混じっているかのような、奇妙な風味が舌に残った。
心配そうに近寄ってくるウェイトレスに、愛想笑いを向けて大丈夫であることを示す。習慣的にウェイトレス相手にジョークを飛ばして和ませたが、当然ルパンの気持ちが晴れたわけではない。
この街に来てから、ロクなことがない。
まだ着いて間もないが、早くもそう云いたい気分になっていた。


そもそも、この街ロイドバーグでの仕事は、不二子が持ちかけてきたものだった。
周囲は無人の荒野と山に囲まれ、陸の孤島とすら云われるほど交通の便の悪いロイドバーグくんだりまでやって来たのも、ここには世界最大の青ダイヤの一つがあると聞いたからだ。
街周辺エリアの資産の三分の二以上を一手に有し、実質的な街の支配者であるエドワード・ロイドが、そのダイヤモンドの持ち主であるという。
元は、荒野の中にあるちっぽけな田舎の集落にすぎなかったこの一帯を、小規模ながら近代的な街と呼べるまでに育て上げた、ロイド家だ。貴重な青ダイヤくらい持っていても不思議はないと、ルパンは相棒たちを口説き落とし、一足先に調査と準備のために送り出したのであった。

そう、それはたった十日前のことなのだ。
十日前までは、いつもと何一つ変わらない二人のままだった。「やれやれ」と云いながらも、結局は乗り気になって、ロイドバーグへ向けて発って行ったのだ。
本来であれば、その五日後に合流しているはずだった。しかし、結局ルパンがここへ到着したのは今日になってしまった。
その間に、一体二人に何があったのか。
直接会っていなかった十日の間に、「遅れる」ことを告げたごく短い電話を一本入れているが、あまりの慌しさに会話らしい会話もできず、ルパンが一方的に喋って切った形になった。その時次元の受け答えがおかしかったかどうか、よく覚えていない。

「参ったなぁ。どうしよ」
ぽつりと漏らしたそれは、ルパンの偽らざる本音だったかもしれない。
もう一度念のために、仕掛けた盗聴器が拾う音を聞いてみようと、イヤホンを取り出す。
しかし、相変わらず次元が観続けている西部劇の音声が聞こえてくるばかりだった。
呑気にテレビなど観ている相棒に、ちょっと腹を立てながら、ルパンは席を立った。
今、部屋に押しかけたとしても、同じことの繰り返しだろう。とりあえず、しばらく二人の様子を見ながら、原因を探っていくしかない。気づかれぬよう別の部屋を取って、そこで改めて対策を練ろうと決める。

ポケットに手を突っ込んだ格好で、目の前のホテルへ戻る途中。
数軒先のレストランから出てくる人影に、目を留めた。
「不二子」
それは、間違いなく不二子であった。
ルパンは大きく手を振って、注意を引こうとする。
彼女はふと顔を上げ、真っ直ぐにルパンの方を見つめた。確かに、彼の姿に数瞬、目を留めていた。

しかし、不二子の表情が動くことはなかった。
無表情のまま、ごく自然な動作でルパンから視線を外す。まるで、路傍の石か、見知らぬ人間を目に留めただけだといわんばかりに。
「不二……」
まさか、不二子までも。
その思いがルパンを貫き、彼女に近づきかけた足を止めた。

不二子の背後には、身なりのいい初老の男がエスコートしているように、寄り添っていた。
どこかで見た男だ、とルパンは思った。
その男は、やや強引に不二子の肩を抱き寄せると、素早く車に乗せてしまった。厳つい運転手付の、ぴかぴかに磨かれたクラシックな高級車だ。
脇を通り過ぎていく時も、車中の不二子は前を向いたまま、一切彼を顧みることはなかった。
紅く滲む夕焼けの中に消えていく車を、ルパンはただ見送った。

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