フェイク (前)

そこに居る人間の中で、上機嫌なのはただひとりであった。銭形警部である。
他のものは、憮然としたまま沈黙を守っている。
護送車は黙々とハイウェイを走り続ける。風を切る音だけが、車内にやけに響いた。

銭形にとっては、彼らのそうした重苦しい雰囲気がいっそう心を浮き立たせた。
いつも小憎らしく彼をあざ笑い翻弄していた四人が、ついに銭形の罠に引っかかり、なすすべもなく、ただ不機嫌そうに護送車に揺られているしかないという光景。
幾度夢見てきたかわからぬこの光景を前にし、銭形の心がいつもより弾んでいたとしても、致し方ないことであろう。
だが、銭形は決して、すっかり気を緩めてしまったわけではない。逮捕したからといって油断出来ぬということは、今までの苦々しい経験から嫌というほど身に沁みていたのだ。

護送車の助手席から何度となく背後を振り返り、彼らが後ろ手に特製の手錠を掛けられたまま大人しく座っているのを確認せずにはいられない。
次元大介はいつも以上に深々と帽子をかぶっており、表情ははっきりしないものの、いかにも機嫌が悪そうに足を高々と組みふんぞり返っている。
その隣に座る石川五右エ門は、比較的無表情に目を閉じていたが、その口元はきわめて気難しそうに引き結ばれていた。
彼らの向かい側では、峰不二子が大人しく腰掛けてはいたけれども、無様に逮捕されてしまった憤りを向ける相手を物色しているかのように、視線だけは妙に鋭く、三人の男たちを均等に見据えていた。
そして彼女の隣にはルパン三世が――身動きもせずに座っている。
ルパンたちは、確かに護送車の中に居るのだ。
振り返り、それを確認するたびに、大きな充足感と誇りが銭形を一杯に満たしそうになる。が、ここで気を許してはならないと、懸命に己を戒めるのであった。

何度目かに銭形が、金網越しに護送車の中を検めた時、ちょうど顔をあげたルパンと視線が合った。
反射的に満足げな勝ち誇った笑みを浮かべて、宿敵の大泥棒を見やる。そして、「いい格好だぜ、ルパン」という台詞が喉元まで出掛かった。
が、ちょうどその時、銭形の嘲笑を悔しがるそぶりもなく、いかにも面白くてならぬといった満面の笑みをルパンは返してよこしたのだった。
「ずいぶんご機嫌そうねぇ、とっつあん」
そう云うルパンこそがご機嫌そのものの声で話しかけてくる。まるで、この余裕こそが、銭形には憎らしくてならないのを知っているかのように。
彼らを逮捕した直後から続いていた銭形の高揚した気分は、次第に冷め始めた。
しかしそれをおくびにも出さず、銭形は再びニヤリと笑うと、
「ああ、貴様らをまんまと逮捕してやったんだ。これ以上めでたいことがあるか。機嫌も良くなるってもんだぜ」
そう云ってルパンの様子をさり気なく伺う。

ルパンは意味ありげで、無性に気になる薄ら笑いを浮かべたままだった。
「何をそうニヤニヤしとる! 貴様らは逮捕されたんだッ。もう逃げられやしねぇんだぞ」
思わず怒鳴りつけずにはいられなかった。銭形の怒声に、ルパンはわざとらしく首をすくめて見せた。
「いやなにね、相変わらずとっつあんはヒトがいいと思ってさぁ」
「……どういう意味だ」
金網越しに、ルパンと銭形は一瞬、激しく視線をぶつからせた。
が、ルパンは再び、からかうように笑った。
「だって俺たち『全員』を逮捕できたーって喜んでるんでショ? オメデタイというか何というか」
「何だと? それはどういう意味だ」
ルパンはそれには答えず、ただゆっくりと護送車の中を眺め回した。銭形も彼につられるように、一人一人の顔をまじまじと見る。
どこからどう見ても、いつもの彼らだとしか思えなかった。

ルパンの言葉に、今まで黙りこくっていた他の三人も顔をあげた。
「おいルパン、それはまさか……」
わずかに身を乗り出して次元が云いかける。五右エ門がその後の言葉を継いだ。
「ここには我々全員がいるわけではない、つまりこの中に、偽者が入り込んでいるというなのことか?」
「偽者?」
不二子は低い声で囁くと、大きく目を見開いた。
しん、と重く気まずい沈黙が落ちた。
「偽者だとぉ?」
自分でも意識せぬうちに、銭形は後ろを注視したまま金網にへばりつき、助手席から半ば腰を浮かしかけていた。
その時、護送車のハンドルを握っている警官が、小さく鋭い声で「銭形警部!」と呼びかけた。その声は、明らかに銭形に注意を促していた。
そうだ、罠かもしれない……と不意に我に返る。
この中にルパン一味でない人間が居るなどと嘘を云って、車を止め確認させるのがルパンの狙いなのかもしれない。その隙を突いて脱出を図ろうという魂胆か。その可能性は高いように思えた。
銭形はとりあえず彼の出方を注意深く見守ることにした。

一同の反応をじっくりと楽しんでいるかのようにルパンはしばし口を開かなかった。謎めいた笑みを浮かべ、護送車の硬いシートに身をゆだねている。
その沈黙を破ったのは、次元であった。彼もまた不真面目そうに片頬で笑って云った。
「なるほど。じゃあ俺たちゃまだ絶望的ってわけでもねえのかな? 誰かが逮捕されずに残ってるとすりゃあ」
「何を呑気な……。それよりも、これほど巧妙な『偽者』が入り込んでいる状況の異常さが気にならぬのか?」
静かだが、わずかに棘を感じさせる言い方を五右エ門はした。
次元は口元をへの字にひん曲げて、五右エ門を横目で伺ったようだった。
「まあ確かに。俺たちにここまで気づかれずに紛れ込めたヤツがいるとすれば、タダモンじゃねえだろうしな」
「考えられるのは……」
五右エ門が云いかけたことを、今度はルパンが引き取った。
「そう、そんなことが出来るのは、ネズミ一族くらいなモンだろうな」

銭形の先ほどまでの上機嫌はいまや完全に吹っ飛び、仏頂面で黙りこくりながらルパンたちの会話を聞いていた。
ネズミ一族。
その名前は当然銭形も聞き及んでいる。だが、ICPOにとっても「ネズミ一族」というのは極めて謎めいた存在であり、その実態については殆ど何も知らないと云ってもよかった。
非合法的な犯罪組織であること、その組織にはかなりの歴史があるらしいこと、血縁関係等が入り組んでいるせいかひどく結束の固い組織であることなどがわかっているばかりである。
何より有名なのは、永年ルパン一味と激しく対立していることであろう。

風の噂に、今回ルパンたちが盗んだ世界有数の大きさと輝きを誇るダイヤモンドコレクションを、ネズミ一族も狙っていると聞いた。しかし、ネズミは結局現れず、ルパンたちが盗み出してしまったのであった。
銭形が、彼らが取るであろうと予測した逃亡経路に、大胆な罠を仕掛けておいたお陰で、ダイヤを取り返すことが出来た上、ルパンたちを一網打尽に出来たと喜んでいたところだったのだが……
この中に、ネズミが紛れ込んでいるとルパンは云う。
彼の云っていることが事実であるかどうかはわからない。だが、もしも本当であるならば、かく云うルパン自身も本物である保証はない、というわけだ。
面倒なことになりやがったぞ、と内心呟きながら、銭形は煙草を取り出し、慌しく火をつけた。

ルパンの言葉をどう受け取ってか、彼らは無言で互いの顔を伺い合い、探り合っているかに見えた。
次元と五右エ門の視線は、やがて不二子の上に揃って留まる。彼女を疑っていることを端から隠そうともしていない露骨な視線だった。不二子は不愉快そうに眉根を寄せた。
「な、何よ、その目は。わたしが偽者だって云いたいの?」
「そうは云っちゃいねえが……今回の仕事の話を持ってきたのは、お前さんだったと思い出したモンでね」
皮肉な口調で、次元は答えた。だがもちろん不二子も負けてはいない。
「バカバカしい。人を疑う前にあなたこそ、そのむさっくるしい帽子を取って、ちゃんと顔を見せたらどう? 胡散臭いったらないわ」
「何だと?」
「それに。怪しいというなら五右エ門じゃなくって?」
突然矛先を向けられた五右エ門は、驚いて目を見張った。不二子は彼の上から下まで、不審げに幾度も視線を往復させている。
「だって、今日の五右エ門ときたら、罠にかかった時あんなにあっさり斬鉄剣を奪われてしまったのよ。おかしいと思わない? 『武士の魂』が聞いて呆れるわ」
「……くッ」
五右エ門は何か云い返そうと、何度か口を開きかけた。しかし、結局忌々しげに不二子を睨みつけただけで言葉を返さなかった。
己の不覚に対する言い訳をしたくなかったのだろうと、銭形は察したが、それはあくまでも彼が五右エ門本人であった場合のことである。もしかしたら、言い訳の出来ない事情があるのかも知れぬ。

「まあまあ、不二子ちゃん。そう突っかからなくても」
「あら、庇うのルパン。あなたって、そんなに優しい男だったかしら」
口を挟んだルパンに、間髪入れず云い返す。意味ありげな言葉を添えて。すると、二人の相棒はにわかにルパンに注意を向けた。
「そういや、お前さんが本物だっていう証拠もねえんだよな、ルパン」
次元は薄く笑いながらも、探るように云った。五右エ門はもっともらしく頷いた。
「そういえば、今日はルパンの口数が少ないのではないか? いつもはやかましくて仕方ないほどだというのに」
「あらっあらっ? お前らこの俺を疑っちゃうワケ?! それでも相棒かぁッ」
ひるんだルパンに、不二子は脇から冷たく云い放った。
「確かに彼らが『相棒』だっていう証拠はないわね」

険悪な雰囲気が一同の頭上に重くのしかかった。
話を聞いている銭形にも苛々がつのる。備え付けの灰皿に苛立ちをぶつけるかのように、強く、煙草をこすり付けた。
いっそのこと、どこかで車を止めさせて、彼らの面の皮をひん剥いてやりたかった。
護送車に乗せる際、彼らが変装しているかもしれないという可能性を考えなかったことが悔やまれる。彼らが別人を装うことはあっても、彼らの偽者が登場するとは、その時の銭形には考えられなかった。
やはり、ルパン一味を逮捕した歓喜に、冷静さを失っていたのかもしれぬ。銭形は、自分の迂闊さを呪わずにはいられなかった。

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