化身 (前)

「ルパンたち、遅いわね」
静まり返った山道に車を停めてから、かなりの時がたつ。
峰不二子は、小刻みに幾度もハンドルを指で叩く。その仕草が、彼女の苛立ちを如実に示していた。
助手席の石川五右エ門は、彼女のそんな様子に気づいているのかいないのか、この場所に車を停めて以来、ずっと目を閉じたまま、微動だにしない。

4人揃っての大仕事。ルパンは、久しぶりに獲物を日本に求めた。
麻薬密売にも手を染めているという噂の、怪しげな「貿易商」の豪邸から、多額の現金と大量の宝石を盗み出す。
警察の方は早いうちに撒いてしまえたが、自称貿易商の手下達が想像以上にしつこく、ルパン達4人は、二手に分かれて逃げることになったのだった。
貿易商の手下たちは、ルパンと次元の乗った車の方を、遮二無二追いかけていった。
今ごろは、熾烈なカーチェイスが繰り広げられているかもしれない……。

落ち合う場所は、都心からかなり離れた寂れた、この山道。
この後、ルパンがどういう計画を立てているのか知らされていなかったが、とにかくここで合流するしかない。
思わず、不二子の口からため息が漏れた。

「心配するな。ルパンと次元が一緒なのだ。ちょっとしつこくて数が多いだけの連中に捕まることもあるまい」
五右エ門が、初めて口を開いた。その言葉を不二子は軽く受け流す。
「心配なんか、してないわ。ただ、私は待つのが嫌いなだけよ」
「……」
ルパンたちの車に、こちらの車よりずっと高価な宝石や、より多額の現金が積まれていなかったら、確かに不二子は待ってはいないだろうな。
二手に分かれる時、今日の獲物の中で一番高価なダイヤやサファイアを、すかさず自分の手元に置いたルパンはさすがというべきか……。
そう、五右エ門はひっそりと思った。が、勿論そんな考えを口に出しはしない。ただ、再び目を閉じるばかりである。

不二子は、落ち着かなげに煙草を取り出した。
ちらりと、五右エ門の視線が向けられる。
それを、狭い車内で煙草を吸おうとしていることへの抗議の視線と受け取ったか、不二子は一瞬、何か言いたそうな表情を浮かべた。
が、急に気分を変えたように、黙って車を出て行った。



「うわぁ……す……ごい!」
周囲を見回した不二子の口から、思わず歓声が漏れる。

そこは、あたり一面満開の桜。
山肌に、道の両側に、桜の花々は、淡い靄の如くどこまでも広がっている。
冴え冴えとした満月に照らされて、ほのかに輝く春の花。
微風に揺られ、妖しい生物のように、桜色が揺らめく。小さな花びらがゆるやかに舞う。

「五右エ門、見て。桜よ。すごく綺麗!」
助手席側のドアを開け、不二子は五右エ門の腕を取る。ピクリ、と五右エ門が動く。
「お主、今まで桜に気づかなかったのか?」
「夜桜なんて見るの、いつ以来かしら。ねえ、どうせ待つなら狭苦しい車内にいないで、外へ出て来なさいよ」
五右エ門の問いには答えずに、不二子は強引に彼の腕を引いた。
どうせ桜なんぞより宝石のことで頭が一杯だったのだろう、と次元なら皮肉を言うところだろうが、五右エ門は無言で車を降りた。

ほとんど街灯のないここでは、満月の光が思いもかけぬほどに明るい。
山奥の暗闇の中に、桜だけが白く浮かび上がる。夢幻的ともいえる、淡い輝きだった。
「久しぶりに見る日本の桜。やっぱり、いいものねぇ。こんな静かな場所なら、花見で浮かれるバカな酔っ払いもいないし。ね、五右エ門」
煙草を吸うのも忘れて、不二子は圧倒的な桜に見惚れていた。そんな彼女の横で、五右エ門はそっと呟いた。
「魔性の……美しさだな」
「え?」
「美しすぎるものは、どこか恐ろしいとは思わぬか」
「……そおかしら? わたし、美しいものは、全部好きよ」
「お主はそうであろうが……」
舞い落ちる一枚の花びらをそっと手のひらに受け、物憂げにまた散らす。五右エ門は、この夜桜見物をあまり楽しんでいないようであった。

「なぁに? いつも以上に陰気な顔しちゃって。風流だ、とか言って普段の五右エ門なら喜びそうなものじゃないの」
「……済まぬ。俺はあまり夜の桜は……」
「そう?」
いつもの不二子であったら、それ以上聞き出しはしなかったであろう。
だが今日は、ルパンたちを待つ、この手持ち無沙汰の時間がそうさせたか、それとも幻想的な桜の花の下での気まぐれか。
不二子は、五右エ門の話を促した。

「美しすぎてこわいだなんて……五右エ門らしくない台詞ね。何か、あったの?」
「あった、というわけでもないのだが」
「もーう、ハッキリしないわねぇ」
うっすらと五右エ門は微笑んだ。彼とはまったく正反対の感性を持った女。不二子にどうして自分の思い出を話す気になったのか。
もしかしたら、それも桜の花の魔力だったのかも知れぬ。


「昔……本当に随分昔のことだ。俺がまだ忍びの技を学んでいた頃……」

五右エ門が10代の、まだ少年と呼べる時代のことであった。
ひとりの女が、忍びの里にやって来た。
そう、五右エ門が語り始めたとき……。
「その人が、美しすぎてコワイって女? あなたその人に惚れちゃったの?」
「……」
口をつぐんだ五右エ門の表情は、月明かりのしたでもあきらかにわかるくらい、「茶化すようならもう話さん」と言いたげであった。不二子は笑って謝った。
「ごめんなさい、もう余計な口を挟まないから」

五右エ門は、少し間を置いてから、静かに語り始めた。

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