タイムリミット (前)

まるで深海のような静けさと暗さが、その部屋を包み込んでいた。
完全に閉じられた、地下深くの一室。
そこに余計なものは、何一つない。
暗闇。沈黙。そして、黒光りする巨大な金庫。それだけが在った。

ふいに、黒尽くめの影がその部屋の中に降り立った。そっと、あたりの様子を伺う。
わずかな物音も立てぬ、しなやかな身のこなし。およそどこにも隙のない様子で、彼はゆっくりと金庫の前へと辿りついた。
現れたのは、ルパン三世である。
ここまでは、計画通りだった。
彼自身の行動は誰にも気付かれぬよう、様々な警備を潜り抜け、ようやくこの金庫と対面できたのだ。
一瞬、満足そうに口元を緩めたものの、ルパンはその瞳に再び挑戦的な色を浮かべて、彼の背丈よりもやや大きな金庫をゆっくりと上から下まで眺めた。

まず手元を照らす小さな灯りを点す。そして次々と背中からいくつかの道具を取り出すと、ルパンは、真剣な眼差しを金庫に注いだ。
真剣でありながらも、どこか不真面目そうな、いかにも楽しげな眼差しである。
ルパンは、金庫のダイヤル部分に素早くコードをいくつか取り付け、手元の小さな機械を操作する。
耳が痛くなるほどの沈黙の中に、初めてごく小さなタイピングの音や、金庫のダイヤルを慎重に回す音が響いた。
無駄のない彼の指の動きは、流れるようにスムーズで、洗練され美しくすらあった。
ルパンの目が、輝く。
久しぶりに手ごたえのある強敵にぶつかった時に見せる充実感が、そこにはあった。

チンという、ごく軽い音が、その金庫が開いたことを告げた。
時間にすれば、ほんのわずかな間でしかなかったであろう。
が、その間凄まじいまでの集中力を発揮していたルパンは、思わず大きく息を吐き出した。額に一筋、汗が流れた。
そんな彼の様子が、この金庫がかなり手強かったことを、わずかに伝える。ルパンが、何としてでも挑戦してみたいと望んだだけのことはあった。
この地下室へ至る道の煩雑で厳重な警備網と、シンプルでオーソドックスな作りのわりに、開ける際不思議なほど難解で高度なテクニックを要する鍵に守られ、 今まで、挑戦した金庫破りは数多くいたものの、誰一人として成功したものはいなかった、名高い防犯金庫なのである。

その名高さに偽りはなかった。
電子ロックとダイヤル錠を組み合わせただけの、一見簡単に見えるその鍵。しかし、思わぬところに仕掛けてある数々のトラップ。
まるで情の強い酒場女のような鍵だ、とルパンは思った。
金庫破りとしての自信がある者を、誘ってやまぬ。だが、そう易々と落ちたりはしない。むしろ自信がある人間ほど引っかかりやすい罠が、その鍵には巧妙に仕掛けられていた。
それが、この金庫製作者がどれほど「金庫破り」の性質を知り尽くしているのかを表していた。

だが、ルパンはそれを今、完全に征服してのけたのだ。彼はいたって満足げに笑う。
(さーて!)
心の中で威勢のいい掛け声を発し、ついにルパンは難攻不落と言われていた巨大金庫の扉に手をかけた。
深夜1時ジャスト。彼が予告状で告げた時刻通りである。



金庫の中に入っているのは、ここ、S国国立犯罪心理学研究所が発明したという心理分析マシンの試作品第一号と、古くから蓄積された膨大な犯罪心理学研究結果報告書である。
その「心理分析マシン」とは、嘘発見器をさらに発展させた機械で、人間の考えていることをさまざまな身体的・生理的反応からより深く探り出し、分析し、モニターに画像として映し出すというシロモノだと言う。
特別金銭的に価値のある品物などでは、決してなかった。これらに価値を見出すのは、研究者ばかりであろう。
ルパン自身、この機械に魅力を感じ、手に入れたいと思ったわけではない。
むしろ目的はこの巨大金庫に挑戦することであり、その中身には大した興味を持っているわけではなかったのだ。


しかし、行きがけの駄賃である。
それに、人間の心の中を覗く、といういやらしい機械の存在、そしてそれが犯罪者に対して使われようとしているということが、彼にとっては不愉快だったということもある。
ルパンは、その「心理分析マシン」を盗み出そうと、ゆっくりと巨大金庫の中に足を踏み入れた。

高さは2メートルほどの金庫であるが、奥行きはそれほどあるわけではなかった。
ルパンが小さく3歩ほどあるけば奥に行き着く程度である。そんな金庫の一番奥まった場所に、心理分析マシンはひっそりと置かれていた。
尤もらしく台座に鎮座ましましている、ちっぽけな機械。
(こんなガラクタの寄せ集め如きに、人間の考えていることがわかってたまるかッてんだよな)
そんなことを考えつつ、ルパンは機械にそっと手をかけた。


その瞬間。
マシンの置かれていた台座がはじけ、中から勢いよく何かが飛び出し、現われ……
目にも止まらぬ早さで、ルパンに、手錠をかけたのだった。

「銭形ッ……」
「今度こそ本当に捕まえたぞ、ルパン!」
台座の中から現れたのは、銭形警部であった。ついにルパンに手錠をかけた銭形は、手錠のもう片方を自分の腕にしっかりとはめ、ニヤリと笑った。
ルパンも思わず笑い返す。半ばあきれたような、ほとほと感心したような笑いだった。
「今回、ズイブンおかしなところから出てきたなぁ、とっつあんよぉ」
「来ると、思っていたぜ、ルパン」
二人の表情はそれぞれに明るかったが、しかしその奥には、押し殺された闘志にも似た感情が秘められている。お互いにそれを感じ合いながら、平静を装い、隙を伺う。
ルパンは牽制するかのように、手錠を掛けられたままの体を動かした。
「おっと! 逃げようったってそうはいかねぇぞ」
銭形は、いつもに増して素早く動き、身をもってルパンの退路を防ぐ。

「アッ! よせッ!」
ルパンの叫び。
それと同時に、金庫の扉がしっかりと閉じられる音が、重々しく響き渡った。

「これでもういくら貴様といえども逃げ出せんぞ、ルパン。観念するんだな」
まさに鼻をつままれても分からぬほどの、真の暗闇の中で銭形が豪快に笑った。
「バーッカヤロウ! どうすンだよ、扉しめちまいやがってぇ! この金庫はな、ただでさえやっかいな作りになってんだ。内側からなんて、とても開けられやしないんだぜ?」
一気に怒鳴ったルパンだったが、ふと全身から力を抜いた。鼻先で、軽く笑って言葉を続ける。
「ま、今更俺が金庫について説明するまでも、ねぇやな? とっつあんよ。……なんせ、この金庫を開発したのはアンタ自身、だもんな」
「……それも知っててやって来たのか、ルパン。相変わらず、腹の底から虫の好かねぇヤロウだな、貴様は」
「お褒めにあずかり、光栄ってトコロでしょうかね」
ルパンのそんな軽口に、銭形は何の反応も示さなかった。



恐ろしいまでの沈黙と、絶対の暗闇が、二人の上にのしかかった。



銭形警部が、このS国犯罪心理学研究所に協力を求められ、巨大な金庫の開発に携わったことを、ルパンは以前から知っていた。
開発した銭形の名前が表に出ることはなかったが、その金庫の存在はこれ見よがしに暗黒街に喧伝され、名を上げたいと望むあらゆる金庫破りに誘いをかけていた。そして、実際難攻不落を誇ったその金庫は、ますます「勇名」をはせていった。
だが、その金庫の真の狙いは、ただひたすらルパン三世だけだったのだ。
ルパンは、銭形の無言の挑戦をしばらくの間、わざと無視していたのだったが、先日、暗黒街での伝説の鍵師であるジャン老人すらも、この金庫の前に敗れ去ったと知り、ついにルパンも「挑戦」を受ける気になったのであった。

いずれ、銭形の挑戦なら、受けて立つつもりであった。
しばらく、この金庫に見向きもしなかったのは、単に銭形をイラつかせてやろうとしていたに過ぎない。
ルパンは大々的に予告状を出し、この日、この時間に金庫を破ると宣言したのだった。それは、確かに予告通りに果たされたのだったが……。

「とっつあんと、こーんな狭くって真っ暗闇の中手錠で繋がれてるなんて、ゾッとしねぇな」
ルパンはそう呟きつつ、予備のペンライトでもを取り出そうと、自由になる方の手を懐へと伸ばす。
が、不意にルパンはこめかみに銃口が当てられるのを感じ、動きを止めた。気味が悪いほどに、それは冷たかった。
「いいか、ルパン。絶対に動くな。余計なことをしたら、俺は遠慮なくお前を撃つ」
「おーお。殺気立ってやがンなぁ。俺はさ、ただ灯りをつけようとしただけなんだけど?」
「灯りなんざ、必要ねぇ。お前におかしなトリックを使わせるだけだからな。ジタバタせんでもすぐにブタ箱へ連れてってやる。そこなら、少しは明るいだろうさ」
低く静かだが、断固とした意志の固そうな声。いつものように怒鳴り散らさない分、銭形の本気の度合いがうかがい知れる。気の小さな男なら、銭形のその声だけで震え上がりそうなほどの、迫力であった。
ルパンはそれでも、いたって気楽そうな声で答える。
「ヘイヘイ、わっかりましたよ、銭形のダンナ。じっとしてりゃいいんでショ。……で? これからどーすんの?」

しっかりと重い扉を閉ざしてしまったこの金庫。
さすがのルパンといえども、そもそも開けることなど想定していない金庫の内側から、しかも真っ暗闇の中、道具もなくては、開くなど自信ありはしなかった。


何となく息苦しいような気がする。
それは、錯覚などではないのだろう。
扉が閉じて、まだ1、2分しかたっていないはずだが、ゆっくりと、着実に、密閉された金庫内の酸素は減り続けているのだから。


「とっつあんさぁ、いつまでこうしてるつもりなンだよ? ブタ箱へ入れるんなら早くしてチョーダイ。あんたに銃を向けられながら、真っ暗闇の中でジーッとしてんのも、結構疲れんのよね」
「黙れ。もうすぐだ」
「……今日は随分気合入ってやがんなぁ」

銭形は、ルパンに抵抗したり無駄に動いたりする気がないのを見て取って、ようやく彼のこめかみに押し当てていた銃を下ろした。しかし、相変わらず銭形に隙はなかった。
「気合が入ってたのは、お前の方じゃないのか? エ、ルパン? どうせ今頃は、お前に変装した次元か五右エ門が、警備をさんざん攪乱した後、もっともらし くルパンとして捕まっている頃だろう? お前が誰にも邪魔をされないで、自由にこの金庫を開けられるように姑息な時間稼ぎしやがって。いつもよりかなり慎 重じゃねぇか」
その言葉を、ルパンは苦笑いで受け止めた。もっとも、その表情は暗闇の中に溶け、誰にも見ることは叶わなかったが。
「どこまでもお見通しってわけか。やりにくいったらないねェ、まったく」
「永い付き合いだからな……イヤになるほどの。だが、それも今日限りってわけよ」
銭形は、低く、笑った。


息苦しさが、増したようだ。それほど広くもない閉じられた空間で、大の男が二人呼吸し続けていれば、いずれ酸素がなくなるのは当然のことである。
いつも、呼吸など無意識のうちにしているものだが、息を吸い、そして吐くという行為を強く意識せざるを得ないほど、徐々に息がしづらくなってきた。
何一つ見えぬ闇の中で、着実に死が迫ってくる。


「俺も、とっつあんとの腐れ縁が切れてくれれば何よりだけっどもがな……まさかこのまま一緒に死んじゃって、何もかも終らせようってコト、考えちゃいないでしょうねェ?」
「フン、冗談じゃねぇ。俺は、この手で、貴様の骨に戒名を刻んでやることだけが生き甲斐なんだ。どうして一緒に死なにゃならん。大丈夫だ、後1分もしないうちに、部下が来る」
「部下?」
「そう。俺がここで、お前が来るのを待ち構えているのを、一番信頼できる部下にだけ告げてある。どんな事態が起きても……お前の予告した1時からキッカリ5分過ぎた時に、選りすぐりの武装警官10人を連れて、ここへ来る事になっているのだ」
「なぁ、とっつあん。まさか……その部下ってさぁ……」
ルパンにしては珍しく、言いにくそうに口ごもった。
「あ? 何だ?」
「そのあんたが信頼している部下ってヤツさ、こう、背がヒョロッと高くて、気難しいインテリ面した銀縁メガネの、グレーのスーツ着ていた40歳くらいの男……ってこたぁないよな? マサカ」
「な、何でそんなことを聞く?」
銭形の声に、初めてかすかな動揺が走る。
ルパンは、悪戯を見つかった時の子供のような調子で答えた。
「いやー、まいったな。その部下、次元ちゃんがとっ捕まえて気絶させちゃってるわ」
「何ィ?!」

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