ウラノウラ 1

「ここも空振りか……」
すでに引き払われて久しいのだろう、無人の部屋には埃っぽく湿気た空気が澱んでいるばかりであった。
無愛想な室内を、カーテンの隙間から差し込む繁華街のネオンが、品のない鮮やかさで彩った。
必要最低限の家具が無造作に残されているものの、ここに部屋の持ち主が戻ってくることはなかろう。無言のままそう告げているかのように、見放された部屋は生気をなくし、静かに荒んでいきつつある。
忌々しげに、銭形は足でドアを蹴り開けると、部屋を後にした。
口から漏れた言葉ほど、落胆しているわけではない。
ただただ、腹立たしいのである。こうして、後手にまわり続けねばならない現状が。

ここ数週間、ルパンはこの国を派手に荒らしまわっている。
が、彼の行動はいつもと少々勝手が違い、そのことが銭形をいっそう苛つかせている。
最高級の宝石類、伝統ある国宝、天才の描いた名画――そうした数々の「ルパン好み」といえるお宝が、この国には数多く存在しているというのに、彼が盗み出しているのは、どう考えても二流の物品ばかりなのであった。
古びたサーベル、ヴィクトリア王朝風の鏡台、十七世紀に写書された古い聖書、大昔の壊れた船の面舵。
確かにそこそこ歴史的価値はあろう。が、どうしてもルパンの趣味に合っているとは思えない。それらはさほど金銭的価値も希少価値もなく、美術的に評価されているものでもないのである。
また、これらが保管されていた場所に、銭形言うところの「ルパンの鼻持ちならない挑戦心」をくすぐる何かがあった、というわけでもなかった。ごくごくありふれた警備がされただけの、いわくも因縁もない、ただの美術館であり、裕福な個人宅なのだった。
そんなところへわざわざ潜入したくせに、もっと高価で派手な宝があっても目もくれず、ルパンはひたすら冴えない品物ばかりを盗んでいくのだ。

ルパンの名を騙った偽者の犯行かと疑ってみたが、現場に残されたカードや、その他手口等を詳細に分析した結果、また長年の経験からも、盗みを続けているのはルパン本人に間違いないと確信している。
一体何が目的なのか。
こうした奇妙な盗みはいつまで続くのか。
今回ルパンは、犯行後に署名入りのカードを残していくものの、予告状は出してこない。こういうパターンも過去にあることとはいえ、じれったいことこの上なかった。
ルパンがこの国にいることは間違いないのに、手をこまねいて彼が次の犯行に及ぶまで待つだけ、というのは銭形の性格上いかにも耐え難い。
今回ばかりは、「ルパンが好みそうなお宝」に目星を付け先回りするという作戦も取れそうもない。
それゆえ、彼は無駄足になる可能性がどれだけ高くとも、ルパンが潜んでいるアジトを見つけだそうと、日々頼りにならない情報をかき集め、歩き回っているのであった。

今出てきたばかりのアパートメントの一室を、無意識にもう一度見上げてしまう。
だがやはり、何の気配もありはしない。
銭形は自嘲するように顔をゆがめると、ゆっくり歩き出した。1ブロック先に目立たぬよう停めてある己の車へと戻る。
今日のところは一旦ICPO支局へ引き上げようと、ドアに手をかけたその時、車内に、あってはならない何者かの影が動いたことに気づいた。咄嗟に固く身構える。
そんな警戒にはお構いなしに、助手席のドアがゆっくりと内側から開かれた。まるで銭形を招くように。
「お疲れ様、銭形警部」
「ふ、不二子!」
運転席から、やや身を乗り出し気味にしつつ、銭形に微笑みかけていたのは、峰不二子であった。
「貴様、どうしてこんなところに!」
「あら、ご挨拶ね。せっかく貴方を待っていたっていうのに」
「一体何の用だっ」
銭形が一喝しても、わずかばかりの動揺も表さず、涼しげな面持ちで見上げてくる。その滑らかな頬には、彼女らしい謎めいた笑みが浮かんだままだ。
銭形が車に乗るまでは、それ以上口を開かぬつもりなのだろう。視線だけで、早く乗るように促している。
あからさまな警戒心に目を光らせつつ、銭形は慎重に助手席へと身を滑り込ませた。
どうせ何か企みがあるに違いないが、不二子から少しでもルパンの手がかりを得られるかもしれないと考えたのである。

ドアが閉められると、不二子はゆっくりと車を発進させた。あまり柄の良くない繁華街を抜けていく。
「おい、どこへ行く気だ? 俺はこれから支局の方へ……」
「まだ帰るには早いわ。ルパンを捕まえたいのなら、ね」
途端に銭形の目がカッと見開く。
「ルパンの居所を知っとるのか!」
凄まじい銭形の勢いに、不二子は辟易したように苦笑いする。軽やかにハンドルをさばきながら、淡々と云った。
「ルパンがこれから現れる場所なら、わかるわ」
「どこだっ、ヤツはどこに」
「そんなにせっつかなくたって、今からご案内するわよ。そう興奮しないでちょうだい。……貴方って本当にルパンのこととなると夢中なんだから」
からかうような響きがあった。
大きく身を乗り出していた自分に気づき、銭形はおとなしく助手席に収まることにした。そして、少し沈黙した後、低く問いかけた。
「何を企んでいる?」
「そんなこと、関係があるかしら。貴方はルパンが捕まえられれば、それでいいんじゃなくって?」
小面憎いほど、不二子の横顔は乱れることがない。
夜の湖のように静かで美しく、そして得体が知れなかった。

「そうはいかん。俺はお前らに振り回されるのは真っ平だからな」
「お前らって……ルパンが私をここへ差し向けたと勘ぐっているなら、心配はご無用よ。今回、私は貴方の味方だもの」
そんな台詞を平然と云ってのける。
「信じられるかッ」
声を張り上げた銭形に、不二子は冷静な視線を投げかけた。
「別に信じてくださらなくても構わないけど、今回は一緒に行動させてもらいますから、そのおつもりでね」
「な、何ぃ?!」
一体、何から問い詰めればいいのか、銭形は一瞬言葉につまった。この女の態度は、いつも不可解そのものである。
「いやねぇ、バカみたいに大口開いて。酸欠の金魚みたいだわ。そんなに驚くなんて、もしかしてまだ警部は聞いてなかったの?」
「……何を聞いとらんというのだ」
さっきから「何、何」ばかり云っていることを自覚していたが、やはり尋ねずにはいられない。すでに女のペースに巻き込まれていることに、かすかな抵抗を感じたが、銭形はそれをとりあえず押し殺した。

「今回に限り、私はICPOの特別捜査官なの。ルパンを逮捕するために、貴方に協力させてもらうわ」
「な、な、なんだとぉッ」
またしても似たような台詞をもらすことになったが、最早気にして入られない。
「ほら、書類もちゃんとあるわよ。不服なら、貴方の上司に確認してみればいいわ」
銭形の驚愕を片手であしらって、不二子は運転を続けた。
彼女が取り出したのは、かなり特殊ではあるが、確かに正式なICPOの任命書だ。
銭形は激しく眉間に皺を寄せ、低くうなってそれを凝視し続けた。

峰不二子という女は、警察組織上層部にも何らかの特殊な繋がりを持っているようだ。ルパン一味として行動することも多いくせに、以前も同じように警察協力者として銭形の前に姿を現したこと幾度かある。
だが、ルパンと敵対すると見せかけてその裏で協力体制にあったり、あるいは彼の身を案じるゆえに獄中に入れようとしていたりと、何らかの「裏」があってことだ。
彼女なりの利益を追ってのこともあるが、結局のところ不二子が警察側に協力する時は、ルパンと一脈通じていると考えて間違いない、と銭形は身を持って知っていた。
懲りずに再び不二子を警察に迎え入れるなど、銭形にしてみれば言語道断なのである。
ルパン三世逮捕のためには超法規的だろうが手段を選んでいられないという判断もあろう。また、不二子に対するお偉方の思惑や裏事情なども背後にあるのかもしれぬ。
それにしても――
銭形は納得のいかぬ思いで、ICPOの任命書を睨み据えている。
(お偉いさん方は、この女をルパン逮捕に利用するだけしたら、さっさと獄中にぶち込んでしまえばいいと考えているんだろうが。そう簡単にいかねえから、こっちは苦労してるんだ)
苦々しく、過去のことを思い返す。
ただでさえ、ルパン逮捕は難事であるのに、さらに扱いに困る峰不二子などという女を押しつけられても、混乱する一方である。
(しかし確かに、利用価値はある。ルパンに一番近い女だ。それは間違いない……)

むっつりと黙り込んだまま、ろくに身動きもしなくなった銭形を不二子は横目で伺う。
「納得していただけたかしら、銭形警部」
「お前が出した条件は?」
「え?」
そっけなく任命書を返すと、ギロリと彼女を睨みつける。
「タダで警察の味方なんかせんだろう。この事件でお前がルパン逮捕に協力する、その見返りは何だと訊いとるんだ」
あまりにストレートな問いかけに面くらい、不二子は楽しげな笑いを漏らした。
「もちろん、お宝よ」
彼女もいたって率直に答えた。その様子に偽りは感じられない。
この女の厄介なところは、必要な時には極めて素直に、正直になれるところなのだ。
銭形は、曖昧に頷くしかなかった。
「……ねぇ、そろそろ尋問はお終いってことでいいかしら。目的地に着いたのよ」
そう云って、不二子が車を乗りつけたのは、街の郊外にある高級レストランであった。

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