ウラノウラ 2

銭形は、ここで初めて不二子がイヴニングドレスを着ていることに気がついた。
上品なラベンダー色のドレスの裾を翻し、彼女は堂々と店のドアをくぐった。
恭しく迎え入れる支配人らしき男に対して、優雅に微笑んでみせる。
豪華さが重々しくなりすぎない程洗練された店内は、居心地が良くそれでいて華やいだ空間を作り出していた。随所に装飾のセンスが光り、こうした場には不慣れな銭形ですら、穏やかで調和の取れた店内を感心して見回した。
が、ふと我に返り、銭形はそっと不二子に近づき囁いた。
「おい、俺はこんなところで呑気に飯食っとる時間なんかねえんだぞ」
「これも仕事よ、銭形警部」
事情は飲み込めないが意味ありげに「仕事」と云われては帰るわけにも行かない。案内された席に、黙って不二子と共につく。
最初から銭形の希望を訊くこともせず、不二子が勝手に二人分の注文を済ませた。どうせこの店のメニューについてなど、よくわからないだろうと決めつけているかのようだった。実際そうであったから、銭形はそれに関して文句はなかった。
しかし、いつまでも一方的に不二子に振り回されるのはごめんであった。

「不二子、いい加減にしろよ。ルパンが次に現れる場所を知っとるというからついてきたんだ」
運ばれてきた食前酒でほんの少し唇を潤し、不二子はゆっくりと答えた。
「わかってるわよ。だからここへ連れて来たんじゃないの」
「こ、ここへルパンが現れるというのかッ」
小さく叫ぶと、今までとは違った鋭い視線を周囲に投げかける。銭形は全身をレーダーのように研ぎ澄まし、いつ彼が現れても見過ごすことのないよう身構えた。
二人の席は、店内のどっしりとした飾り柱のお陰で、ほかの客からはあまり目立たないのだが、うまい具合に店内を見渡せる落ち着いた場所にある。
そうしたことも考慮した上で、不二子が予約をしておいたのだろう。女の抜け目なさに、銭形は改めて気づかされた。

今のところ店内にルパンらしき人間はいないように見える。もっとも、彼のことだから思いもかけぬ人間に変装しているということもありえる。
前菜を運んできたギャルソンにまで、銭形は疑いの目を向ける。が、彼に特に変わった様子はなく、料理の説明をよどみなく終えると物静かに立ち去った。
改めて料理ののった皿を凝視し、銭形は呟いた。
「ルパンのヤツめ、こんな贅沢なモン食いやがるのか」
「普段はともかく、今夜ルパンは食事するためにここへ来るわけじゃないわ」
「じゃあ何か盗もうってのか?」
もっと声のトーンを下げるよう身振りで指示しながらも、不二子は大きく頷いた。銭形は辺りをはばかるように見回した後、小声で続けた。
「レストランなんぞで、何を盗むつもりなんだ、ヤツぁ……」
確かに、店内に置かれているアンティークの燭台やシャンデリア、壁際の小さな絵画、それに食器やグラスもかなり高級そうではある。だがわざわざルパンが盗むほどのものがあるとは思えない。
いつものルパンならば、の話だが。

不二子は食事を楽しんでいるように見せかけつつ、隙のない様子でそっと告げた。
「ルパンの狙いは、あそこにある小さな絵画の一枚よ。ほら、ここから見て右手の壁際にある、あの絵」
「ん、ああ、あれか……」
古き良き時代の田園風景を描いたと思しき、どこにでもありそうな風景画の一枚であった。誰が見ても美しく上品であることが取り柄だが、悪く云えばごく平凡な作品だ。
「またか。どうしてヤツは、こう立て続けに他愛のないものばかり盗みやがるんだ」
疑問を口にしたわけではない。
真相を知っているであろう不二子に対しての、詰問のつもりであった。
女は悠然とした面持ちのまま、銭形の険しい視線を受けてたった。

しかしちょうどその時、次の料理が運ばれてきた。気を削がれたような格好となり、銭形は仕方なく、一旦黙り込む。
再び二人だけになった時、不二子は薄く微笑んで云った。
「ルパンを捕まえたら訊いてみればいいわ」
銭形に教えるつもりはないらしい。
こんな女、最初から信用してもいなければ、当てにしているわけでもなかったはずだ。そう思い出して、彼はフンと鼻を鳴らし、強く云い切った。
「おお、訊くとも。ルパンから直接な!」
そうして銭形は、女から目を逸らし、自棄気味に猛然と食事をし始めた。
不二子はただ静かにそれを見守っていた。



銭形が、その男に気がついたのは、メインディシュが運ばれてきた頃のことであった。
いつの間に店内にいたのだろうか。全体的に胡散臭い雰囲気を漂わせている男がいる。
紳士面してシックなスーツを着込んでいるものの、妙に不似合いな感じがつきまとう。大きめの眼鏡と口髭が、いかにも取ってつけたように見えないこともない。
そうして眺めていると、食事するどこか態度も滑稽でぎこちないように見えてくる。
その男は、地味な女と共に「ルパンが狙っている」という絵画に近いテーブルについていた。
(まさか、ヤツがルパンか)

「どうしたの、警部」
先ほどから落ち着きなく視線を彷徨わせている銭形に、不二子はやや窘めるような口調で訊いた。
銭形は答えようとはせず、怪しげなその男と、不二子を交互に見比べた。
あれがルパンなのか尋ねたところで、不二子が正直に答えるものだろうか。
現在図々しくもICPOの臨時捜査官などという肩書きをぶら下げているけれども、銭形にとって彼女はルパンの仲間以外何者でもなかった。
今回も「お宝が目当てで警察側に付いた」ともっともらしいことを云ってはいるが、それを完全に真に受けるほどのお人好しではないつもりである。
「いや、別になんでもねえよ」
ぶっきらぼうにそれだけ云うと、銭形は食事を続けることにした。
銭形をわざわざ連れて来たからには、ここで何らかの動きがあるのは間違いないだろう。
あとはもう、己の力と勘だけを頼りにルパンを逮捕するしかない。どんな企みが巡らさせていようと、関係ない。

そんな銭形の内心を知ってか知らずか、不二子は皮肉っぽく囁いた。
「あまり焦らないでね。貴方がいつまでもルパンを逮捕できないのは、肝心なところで気が短いからなんじゃないかしら」
「大きなお世話だッ!」
思わず大声を張り上げ、拳をテーブルに叩きつけた。
周囲の上品ぶった客たちが向ける物珍しそうな、あるいは咎めるような視線も、恭しく何事もなかったフリをしている店員の態度も、何もかもが癪に障ってならなかった。
もちろん一番腹立たしいのは、峰不二子と、彼女と一緒に行動しなければならないこの状況、そして――
(ルパンめ、すべて貴様のせいだ。絶対にふんじばってやるからな)
怒りに燃える目を、どことなく怪しい例の男に向けるのであった。


その後特に何事も起こらぬまま、二人のテーブルにはデザートが運ばれて来た。まもなく食事が終わってしまう。
彼らが入店した時間が遅かったせいもあり、閉店時間もそれほど遠くはない頃合である。
今から新たに客が入ってくることはあるまい。
相変わらず、穏やかな談笑に包まれた空間は平穏そのもので、ルパンが狙っているという絵も、当然のことながら壁にかかったままわずかばかりも動く気配はない。
だが、不二子が云ったことが本当だとすると、そろそろ何かが起きなくてはいけない頃である。
銭形はかなり焦れていた。
新たな客が入ってこないならば、今ここにいる人間の中にルパンが紛れ込んでいる可能性が非常に高い。
閉店時間などお構いなしに乱入してくることも、あるいは完全に人気がなくなってからこっそりと侵入してくることも考えられるが、不二子が敢えて銭形をこう いう形で店に連れてきたということから、やはり奴らは営業時間中に何かをしでかそうとしているように思われてならなかった。
銭形にとっての「奴ら」には、当然不二子も含まれている。
(やるならとっととやりやがれ!)
苛々とそう念じつつエスプレッソを啜り、銭形が険しい視線を不二子と、怪しい男に向けている、その時であった。

男が、のっそりと立ち上がった。
連れの女に何やら言葉をかけ、少し慌てた様子で席を離れた。
彼は内股でこそこそと歩き、あの絵画の真正面に来ると、銭形の方へ怯えた目を向けた――ように見えた。
「そうはさせんぞ、ルパン!」
銭形はテーブルを蹴って、男に猛然と飛び掛った。皿やカップが宙に舞う。
「ちょっと銭形さん?!」
不二子の叫びと、食器の割れる音が同時に響いた。
たちまち、その場は大騒ぎとなった。客たちの驚愕のざわめきと悲鳴が渦巻いた。
ギャルソンらや支配人が慌てて駆けつけ、床に転がりもみ合う男と銭形の間に割って入ろうと試みる。しかし、こんな事態に不慣れな高級レストランの店員たちは、銭形に跳ね飛ばされたり、おろおろと手をもみ絞ったりするのが関の山であった。
ルパンの腕をひねり上げることに夢中の銭形は、誰の制止も聞き入れようとしない。
支配人の「警察を……」という弱々しい叫びに、「もう来とるわい!」と怒鳴り返した。

ふいに暗闇が店内を覆った。
柔らかなシャンデリアの灯りも、装飾的に置かれていた蝋燭の灯火も、一瞬にしてかき消えた。
女性の甲高い悲鳴が上がる。それがいっそう、辺りをパニックに陥れた。
「停電か?」
「誰か灯りを」
「迂闊に動かないでください! 危険ですから」
懸命の叫びが交わされる。店側の人間が、この場を何とかしようと試みているようだ。

前代未聞の乱闘騒ぎと、唐突な停電。時間にすれば、たかだか数分の出来事であっただろう。
だがそこに居合わせた人々にとっては、あまりにも長く混乱した時であった。
それがようやく、終わった。
再び、店内に光が戻ってきた。あちこちから、ほっとしたような吐息が漏れる。
殆どの人間が席から立ち上がり、右往左往していた。
そんな中、銭形は、突然の停電騒ぎの間もしっかりと「ルパン」を組み敷いたまま、彼の腕にかけた手錠を引き絞り続けていた。
「何をしてるの、銭形警部!」
彼らに近づいてきた不二子の、鋭い声が耳を打った。
「見りゃわかるだろう。ルパンを捕まえ……」
得意げにそう云い掛けた銭形であったが、手錠をかけられた男の、あまりの手応えのなさに違和感を覚えた。
背中に嫌な汗が流れる。
「何するんだよぅ、放せよぅ」
弱々しく抗議する男の顔をつねってみるが、変装マスクの手ごたえはない。何度やっても本物の皮膚であることが確かめられるばかりであった。
慌てて男から身を離し、背後の壁を振り返ってみると、ついさっきまであったはずの絵画が消えている。
「やられた!」
銭形はまなじりが裂けそうなほど、大きく目を見開いた。
絵のあった場所には、「ルパン三世参上」のカードが残されていたのであった。

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