ウラノウラ 4

街の中心を流れゆく河のほとりに立つK美術館は、何一つ変わったことなどないかのように装ってはいたが、その実張りつめた緊張感に満ち溢れていた。
本来芸術を鑑賞する場所であるはずの館内に、あまり似合っているとは云い難い、物々しい警官の姿が散見できる。
正面入口に立ちふさがる警官に驚き、来館者たちは「何かあったのか」と怪訝な表情を浮かべるが、やがて彫像のように動かぬ彼らを意識しなくなっていった。
またごく目立たぬように私服刑事らを要所要所に配置し、常に館内に死角がないよう警戒している。
人数自体は多くないが、銭形が選りすぐった警官ばかりである。
当然、監視カメラも常時動き続けている。それをチェックする警備システム班も、隙のない精鋭を揃え、二十四時間万全の体制を整えてある。

ルパンが狙うという、伯爵家の宝石箱は、この日から特別展示品としてK美術館でお披露目されることになった。
複雑で細かい手配や指示、関係各所への許可申請の手続きなど、多くの雑事を銭形が強引に片付けて、今日という日を迎えた。移送を決定してから、わすが数日後のことであった。
水面下でそうしたことがあったことなどおくびにも出さず、件の宝石箱は館内の奥まった場所に、比較的ひっそりと展示されている。
だがその黄金の輝きと、細やかな象嵌の見事さは、十分見る者を感嘆させ、人目を引いた。
ウォールリック伯爵家の最も優雅な時代を象徴するものだけのことはあった。

銭形は、その古い宝石箱の美しさになど関心を持たなかった。彼の今の関心は、館内の警備体制に不備がないかどうかに集中していたのである。
鋭く要所要所を見回りながら、足早に館内を歩き終わると、銭形は満足げに頷いた。
(いつでも来い、ルパン)
そうして美術館の片隅で、腕組みしながら来館者たちをじっと伺い続けた。


◆ ◆ ◆


深夜のICPO支局には、さすがに昼間の慌しく物々しい活気は消えていた。
しかし完全に人気がなくなることも、警戒が緩むことも、当然ない。厳格な不夜城は、静かに息づいている。
油断することは出来ない。そう実感しながら、不二子は素早く身を翻して、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーター内のコンピューター端末から個人カードキーとパスワードを求められたが、あらかじめ彼女のデーターはコンピューターに密かに入力してある。何の問題もなくクリアした。地下三階へ降りていく。
さらには、そこから金庫室へ通じる廊下の監視カメラにもすでに細工してある。何事もない無人の廊下が、しばらくの間延々と映し出されているはずだ。
足音をしのばせ、壁際に近いところを猫のように進む。姿が映されていないはずだとわかっていても、こちらを睨んでいるようなカメラのレンズは、やはりあまり気持ちのいいものではない。

金庫室の前には、二人の警官が警護に当たっていた。
柱の陰に身を隠して警官の様子を伺いながら、不二子は大きな瞳をきらめかせた。
そしてポケットからコインを取り出すと、廊下にゆっくりと落とした。非常に小さなものではあったが、静まり返った空間に硬質な音はやけに響いた。
警官二人の視線がたちまち集中する。
「誰だ?!」
殺気だった声が近づく。一人がこちらへ向かって来た。
タイミングを計り、一気に飛び出す。不二子は渾身の膝蹴りをごつい警官の鳩尾にお見舞いする。
派手にうめいて前のめりになったところへ、さらに首筋に鋭い手刀を決める。
近づいてきた警官は、完全に昏倒した。
「何者だ!」
同僚が瞬く間に倒されたことに焦り、残った一人は慌てて拳銃を取り出した。すかさず、不二子の腕が一閃する。
放たれた小ぶりのナイフは、狙い違わず拳銃を握る手を襲った。
悲鳴と同時に拳銃が床をすべる。その隙を逃さず、不二子は武器を失った警官に駆け寄ると、鮮やかな一撃でノックアウトした。
わずかに乱れた髪をかきあげて、不二子は悪戯っぽく呟いた。
「手荒なことして、ごめんなさいね」

完全に伸びた警官らにあっさり背を向け、不二子は金庫室のキーを開けはじめた。
必要なカード類やパスワードは、すでに入手してある。殆ど手間取ることもなく、攻略できた。
重々しい音と共に、扉が開く。と同時に、室内に淡い光が点った。周囲は静寂に覆われたままだ。
警報装置に触れることなく、正常に開いたしるしである。不二子はホッと息をつくと、慎重に中へ入った。
薄暗い金庫室の中には、何列ものファイル棚や小型金庫が、整然と並んでいた。
ICPOが犯罪組織などから押収した、さまざまな証拠品や現金・美術品の一部が、ここに保管されているのだ。
ゆっくりと見回れば高価で貴重な品々が見つかるはずだと思うと、あちこちの金庫を開けてみたいというかなり強い誘惑を感じたが、彼女は自らを戒めるように軽く首を振った。今回は予定外の行動は慎んだ方がいいという理性が欲を制した。
当初の目的通りの場所へ身を滑り込ませると、いよいよ本命の小型金庫を開けはじめた。

程なく、その金庫のロックも解除し終えた。
期待に彼女の瞳は明るく輝いた。しかし、その輝きは一瞬うちに消えうせ、激しい失望が取って代わった。
その時、背後から低い声が掛けられた。
「さすがだな」
「銭形っ……」
不二子ははじかれたように振り返った。声を掛けられるまで、気配を感じることが出来なかったのだ。
列を成す棚や金庫で形作られた狭く細い通路に、やや身をもてあまし気味にしてその男は立っていた。コートのポケットに両手を突っ込んだまま、薄笑いを浮かべて不二子を見つめている。
「よくここまで一人で忍び込んだもんだ。伊達に女ルパンと云われてるわけじゃねえってことだな」
彼女も、ようやく笑顔を返した。それは、かなり苦々しいものではあったが。
「さすがなのはそっちでしょう、警部。やられたわ」
皮肉っぽく賛辞を呈し、不二子は開けたばかりの金庫を指し示す。
金庫の中は完全な空、であった。

「例の宝石箱、本当に美術館に動かしたのね」
「……」
女の頬には、珍しく自嘲の陰が漂っている。答えが返ってこないことを気に留める素振りもなく、まるで最初から独り言であるかのように話す。
「私、てっきり向こうが贋物だと思っていたのよ。ルパンをおびき寄せるための、ね。これ見よがしに美術館で一般展示なんか始めるし、警備状況を私にも隠そ うともしなかったでしょう。これって怪しく思うわよ。貴方は元々私をまるで信用してなかったし、私もわざと貴方の反感を買うような態度ばかり取って、警戒 させるように仕向けていたんだから…」
何か思い出したのか、クスッと笑う。
話はまだ続いていた。
「第一、部屋に仕掛けた盗聴器で私がルパンと連絡を取り合ってることもわかっていたはずですものね。ま、電話はわざと聞いてもらったんだけれど。だから尚更、あっちは囮で本物はここに保管したままだと思うじゃない?」
「ああ」
二人は空っぽの金庫に視線を注ぐ。
本物も贋物もない。最初から、銭形が云った通りに事は運ばれていたのだ。伯爵家の宝石箱は今、K美術館のケースの中にある。
「貴方の裏をかいたつもりだったのに……」
「裏の裏は表ってことだな。単純な話さ」
他人事のように答える。不二子は「そうね」と肩をすくめた。
銭形は、さまざまな思惑や企みの裏を、ましてや裏のさらにその裏をかこうとしたわけでなく、ただ真っ正直に、ルパンを美術館で待ち受けていただけなのだろう。銭形に踊らされたのではなく、結果的にひとり勝手に踊っていた己を嘲笑った。

「こんなところにいていいの? 貴方の目的はルパンでしょ」
そう云った不二子は、すぐに何かに思い当たったように頷き、言葉を継いだ。
「そうね、ルパンなら美術館でなく、ここに現れるかもしれないわね。彼も私と同じタイプだもの」
「同じタイプ?」
「そ。すぐに裏を読みたがるタイプよ」
小首を傾げ、いかにもおかしそうに答えた。
「ルパンには美術館で貴方と遣り合ってて欲しくて、正確な警備状況すべて彼に伝えておいたんだけれど。考えてみたら私の言葉を鵜呑みにするルパンじゃない もの。美術館は罠だと考えるかもしれないわね。時々バカみたいに単純な時もあるけど……彼は私を信用してはいないから」
女を見つめる目に、不思議な色を湛えて男は云った。
「そうかな。ヤツはお前に賭けることを決してためらわねぇ男だぜ」

その芝居がかった台詞を聞いた刹那、不二子の腕が男の頬に素早く伸びた。
一気に、「銭形」のマスクをむしり取る。
「やっぱりルパン!」
「なぁんだ、バレちゃった」
楽しげで不真面目そうなルパンの笑顔がそこにあった。不二子はあきれて首を振った。
「おかしいと思ったのよ。銭形にあんな台詞は似合わないもの。よく云うわ、『お前に賭けることをためらわない』だなんて!」
「不二子、俺の本心だぜ?」
相変わらずニヤニヤと笑いながら、不二子の肩に手を回すが、すげなく振り払われた。
「だったらどうしてこんなところにいるのよ。結局私のこと、信じてなかったんじゃない」
自分こそ手を組んだフリをしつつ、銭形もルパンも両方利用し出し抜こうとしていたことは棚に完全に上げ、拗ねたように云う。
だがその表情は思いのほか柔らかい。本気で拗ねているわけではないようだ。
ルパンもそれを承知で、わざと大袈裟に機嫌を取ってみせる。
「そんなことないってぇ。不二子のことは信じていたぜ、モチロン。ただとっつあんがどう出るかわからなかったからさぁ」
「言い訳はたくさんよ、ルパン。ああ、何だか気が抜けたわ。今回、二人して銭形にいっぱい食わされたってわけね」
「正直者は強いってことかねぇ」
悔しさも滲ませず、あっさりと同意する。不二子はふと違和感を覚えた。
「ずいぶん余裕じゃないの。……まさかルパン」

不二子がそう云い掛けたちょうどその時。彼女が昏倒させた警官が腰に下げているトランシーバーから、慌てた声が応答を求めてきた。
『美術館にルパン一味が現れた。宝石箱を奪って逃走中。至急応援求む! 応答せよ、至急美術館まで応援を!』
金庫室を出て、ルパンはいまだ気を失ったままの警官からトランシーバーを取り上げ、「了解しました」と答えて切った。
後を追って、不二子が弾むような足取りで近づいて来た。今の連絡を聞いていたらしい。
にっこりと優しくルパンに微笑みかける。
ルパンたちが目的のものを手に入れたとわかった途端、蕩けるような甘い声で囁きかけた。
「ルパンったら、向こうにも手を打っておいたのね、さすがだわ」

盗み出した宝石箱から、海賊の宝の地図の一部を取り出せば、ルパンにはもう用のないものになるかもしれない。不二子の意図は見えていた。
「予定では、次元と五右エ門に任せたあっちが囮のつもりだったんだけっどもがな。さて、いつまでもこんなところに居ても仕方がないから、お暇しましょうかね」
わざとクールに不二子に背を向け、ルパンは去っていこうとする。
「待ってよルパン! ねえ、話があるの」
「待たない〜っと」
悪ふざけする子供そのままに、ルパンは飛び上がって逃げ出していく。不二子もすぐさま追いかける。
ルパンは満面の笑みを浮かべた。
「おっ、不二子ちゃん追う姿がサマになってるじゃないの。本格的にICPOに転職する? やっぱりとっつあんなんかより美人に追っかけられた方がダンゼン燃えてくるモンなぁ」
「冗談じゃないわよ。ルパン、待ってったら」
二人は追いつ追われつしながら、地上へ通じるエレベーターへと乗り込んでいった。

銭形と不二子という組み合わせ、以前から書いてみたいと思ってました。きっかけは「闘祭」の6人コラボの次元verの枝を書いたこと。その時は軽く触れる 程度しか書けなかったのですが、この二人のシーン、書いていて楽しかったんですよー。いずれはじっくりと…と思っていたのが、今回の話の元になりました。
それにしても4分の3までは完全に銭形主役ですよね。もっと不二子色も濃くなるかと思っていただけに、ちょっと意外。←ひとごとのよう(笑)
結果から云えばルパンの勝ちではあるんですが、でも銭形も「完全に負けたわけではない」という話って出来ないものかなーという考えも以前から持ってまし て、今回ちょっとその辺意識してみました。私はやはりルパンスキーだから、どうしても最後の華はルパンにって思ってしまうので、こんなところに落ち着いた 模様。
作中の舞台、何となくイギリスチックですが、あくまで架空の国ってことで(笑)。云うまでもないことですが、伯爵家云々も全部フィクションです。
でもってタイトルが最後の最後まで決まらずに苦戦しました。ある意味キーワードなので、いいのかなぁ。この話の中の不二子の立場にもやや適用できなくはないし(←強引)

(04.7.13完成)

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