ウラノウラ 3

重く気まずい沈黙を、銭形はついに自ら破った。
抑えても湧き上がってくる反発心をどうにか宥めて、彼は大人しく頭を垂れ、言葉少なに詫びた。
ICPOの支局長は露骨にため息をついて、それを受け入れた。
革張りの背もたれから身を起こすと、不必要に豪華な机の上で両手を組み、嫌味たらしく云った。
「君もいい加減、ルパンに逃げられたという報告ばかりするのは、飽きてるんじゃないのかね。そろそろ本気で頼むよ」
両の手を強く握り締め、銭形は耐えた。
見た目ほどは殊勝に反省しておらず、彼なりの言い分は山のようにあったのだが、ルパンにしてやられたことは事実である。それに関してだけは誰よりも己を責め、激しく悔やんでいるのは銭形自身であった。
この程度の皮肉や叱責は受け入れねばならない。

支局長は、もっともらしく言葉を続けた。
「あの峰不二子……確かに扱いづらいと思うよ、うん。だがね、彼女が握っている情報は、ルパン逮捕に関しても、また我々ICPOにとっても、有益なものが多いのでね」
不二子は、お偉方にとって重要な情報を握っているようだ。それを吐き出させたいがために、彼女を抱きこみ懐柔しているというわけか。
女は女で自分の持つカードを操り、何らかの目的あって警察側に入り込み、動こうとしている。
あちこちに張り巡らされた企みや隠された思惑。
それらがじっとりとまとわりついてくるようで、たまらなく不愉快だった。
銭形は大声で怒鳴り散らしてしまいたい衝動に駆られた。
(俺はただルパンを逮捕したいだけなんだ!)

そんな銭形を逆なでするかのように、支局長はさらに云い添えた。
「その辺はちゃんと含み置いてくれたまえよ。表層的な正義感だけで突っ走る新人刑事じゃないんだから、君もわかっているだろうね? いずれにしても彼女を上手く利用するんだな」
銭形は頭を上げ、一瞬、支局長をきつく睨みつける。
「……ルパン逮捕以外のお約束は出来かねます」
「銭形くん!」
何か云い募ろうとする支局長を無視して、心のこもらぬ敬礼すると、くるりときびすを返して部屋を出た。
怒りの矛先は、廊下の隅にあったゴミ箱へと向かった。八つ当たりもいいところだが、銭形は力任せにゴミ箱を蹴り、「ちくしょう」と吐き捨てた。

「絞られたようね」
背後から、今一番聞きたくない女の声がした。
昨日とうって変わって、今日の不二子はシンプルなダークスーツに身を包んでいた。警察の人間らしく装っているつもりなのだろう。
色気のない服装と薄化粧が、さらに彼女生来の色香を強調していることに、本人はどこまで気づいているのだろうか。
銭形は彼女のかけてきた言葉を無視し、いたって事務的に尋ねた。
「何か用か」
「昨日警部が捕らえた男、ルパン本人ではないことが確認されたわ。それに、飲み屋などに借金はあるものの、これまで前科は一切なし。ま、ルパン一味ではないってことね」
わざわざそんな解りきったことを報告に来ることもないのにと、銭形はこれまた八つ当たり気味に腹を立てそうになったが、仕事に関することならば彼女の言葉に耳を傾けるしかなかった。
「ただ……彼があのレストランへ行ったのは、見知らぬ女から多額の現金を渡され、頼まれたからなんですって」
「何だと!」
「あの絵を店外に持ち出して欲しいと……要するに盗んで欲しいと依頼されていたそうよ」
銭形はあきれて、きつく云い放った。
「よく何食わぬ顔でそんな報告ができるな。その『見知らぬ女』とやらは、お前のことなんだろう」
「……言い掛かりはよして」
だが不二子はまるで腹を立てた風もなく、涼しげに微笑んでいる。銭形の目が光った。

「言い掛かり? 冗談じゃねえ。昨日俺があの店に行くことも、ルパンがあの絵を盗もうとしていることも、知っていたのはお前だけだろうがッ」
彼は「囮」だった。いかにも怪しげ風貌と、おどおどした気の弱そうな物腰は、銭形を釣るエサだったのである。銭形はまんまとそれに食いついてしまったというわけだ。言葉に悔しさが滲む。
「やっぱりお前はルパンとつるんでるんだ。そんなこと最初から判りきっていたことだがな。あの男と俺で騒ぎを起こさせ、その隙に盗む……計画通りに行ったわけだ!」
昨夜の騒ぎの後、店のソムリエが姿を消していることが判明した。ルパンの変装はそちらの方だったのである。ちなみに本物のソムリエは、地下のワイン倉庫で眠らされていた。

不二子は、銭形の怒りをそらすかのように軽く肩をすくめ、答えた。
「貴方がそう考えても不思議ではないけれどね。でもルパンの仕業よ」
「同じこった」
「違うわ。貴方が昨日あの店にいなくたって、ルパンの作戦は十分機能したのよ。あんな気弱な男が店の誰にも見咎められず絵を盗み出すなんてまず不可能、騒 ぎになることはわかりきっていたでしょう。ソムリエに成りすましていたルパンが取り押さえるフリをして騒ぎを起こせば、昨日と同じような状況が作り出せる わ」
銭形を組み込むことを想定した作戦ではなかった、だから不二子は関わっていなかったとでも云うつもりなのだろうか。
確かに女の言い訳が成り立たぬわけではないが――
ルパンがあんな素人男を使ったりするなど、「らしくない」と銭形の直感は告げている。どうも不二子が絡んでいる「気配」がするのだ。
だが、それも長年の勘にすぎず証拠はない。また、これ以上問い詰めたところで、この女が吐くとは思えない。
銭形は黙り込むしかなかった。

「だから云ったでしょう、焦るなって。私がちゃんと協力するつもりだったのに」
「うるせえッ! あれこれ指図される覚えはねえんだよ!」
そう怒鳴ると、忌々しそうに顔を背け、女から離れた。だが不二子の声はあとを追いかけてくる。
「どこへ行くつもり?」
「お前に報告する義務はないッ」
「意固地になるのはおよしなさいな。損をするだけよ」
銭形の足が止まった。振り向きざま、まるで射抜くかのような鋭さで不二子を見据える。
「損得なんか知ったことか。俺は巻き込まれるのは真っ平だと云ったはずだぞ」
「ご清潔な警部さん、また当てもなくルパンを探し回るってわけ?」
明らかに嘲笑の響きがあった。

ここで短気を起こすのは簡単だ。女に叩きつける罵詈雑言はいくらでも思い浮かべることが出来る。
しかし――現実問題として、ルパンの居所も、奇妙な盗みを続ける目的も、いまだ手がかりなしの状態にあっては、どれだけはらわたが煮えくり返ろうとも、不二子の小出しにする情報ですら正直、欲しい。
支局長の「上手く利用しろ」という声が蘇る。
不二子だとて銭形や警察機構を利用しようとしているのだから、お互い様のはずなのだ。
銭形は、強く歯を食いしばった。
不如意そうに立ち尽くす銭形にそっと近寄り、不二子は彼を下から覗き込んだ。
相変わらず冷静な声ではあるが、先ほどまでとは違い、言葉の底にかすかな優しさと甘さを忍ばせてくる。
「銭形警部、今度こそ貴方の力が必要なの。次のターゲットが盗まれればルパンは目的を遂げるわ。その前に……ね」
頷く以外になかった。すべてはルパン逮捕のためである。
不二子は廊下で立ち話することではないからと、会議室へと銭形を導いた。



仏頂面を決め込んで、銭形はパイプ椅子に荒々しく身を降ろした。不二子がコーヒーを勧めてもわざとらしくそっぽを向いた。
「で、今度ルパンは何を狙うというんだ?」
「ここ、ICPO支局に保管されているという、ウォールリック伯爵家の黄金の宝石箱よ」
「ああ……」
不二子のその答えを聞いて、ようやく得心がいったような気がした。
彼女がコネクションを駆使して警察にもぐりこんできたのは、この宝に接近し、手に入れるためなのだ、と。
ようやく、一方的に振り回されずに済むようになるかもしれない。銭形は俯きながら薄く頬を緩めた。

下を向いたまま沈黙を続ける銭形の様子を伺い、不二子は問いかける。
「貴方ならご存知でしょう? その宝石箱を」
「まあな。ルパンはここへ来てようやく少しまともなモノを狙うってわけだ」
「これで最後のピースが揃うのよ。ルパンの手に入れようとしている財宝の、ね」
銭形は顔をあげた。
思わせぶりに一呼吸置き、不二子はコーヒーをゆっくり飲む。苛つく銭形は「早く話せ」と食いつかんばかりの視線を送る。
「今回ルパンが狙っているのは、ウォールリック伯爵家に伝わるという隠し財宝のありかを示した地図なのよ」
ついに不二子は新たなカードを切ってみせる気になったようだ。


戦後直後、この国の貴族にとっては受難の時代であった。
当時課せられたあまりに苛烈な相続税により、貴族の多くが先祖代々の財産や土地を手放さざるを得なかった。
大した商才もなければ、観光スポットになりうる土地や城を持っていたわけではないウォールリック伯爵家も例外ではなく、今から三代前の当主が亡くなる際に、殆どの財産を手放さざるを得なくなっていた。
死を目前にしたその当主は没落してゆくしかない現状を大変不服に思っていたが、もはやどうすることもできず、せめてもの腹いせにと、家に伝わる伝説の宝の地図を千切って、借金のかたに売ったり税金の代わりに国に没収されゆく品々の中に隠したのだった。
もはや伝説の隠し場所をあさる財産的余裕もなくしていた伯爵は、そうするしかなかったのだ。
ウォールリック家を完全に再興した者にしか、宝の地図は渡さぬ。そう言い残して、三代前の伯爵はこの世を去ったという。


「要するに、ウォールリック家の家財道具まで買い戻せた子孫に宝の地図を譲るってことか? バカバカしい話だな」
「家宝の中の家宝だったらしいから、それを大人しく国に渡してしまうのが嫌だったんでしょう」
不二子は伯爵家を代弁してはみたものの、あまり同情している風もなく、淡々と話を続けた。
「もうお判りだと思うけど、ルパンが最近集めていた品々は、元はすべてウォールリック伯爵家のものよ。それらの中に、古い宝の地図の断片が隠されているっ てわけ。『何に地図の一部が隠されているのか』ということは、本来子孫しか知らないはずだけど、そういう情報ってどこかから必ず漏れるものなのよね。で、 次にルパンが宝石箱を手に入れれば、地図は完成するんじゃないかしら」
「ふん……なるほどな」
二人は同時に冷めたコーヒーに手を伸ばした。

十六世紀に「海賊伯爵」とその名をとどろかせたウォールリック伯エドワードの子孫に伝わる宝の地図。ルパンが好みそうな獲物だと云える。
地図を復元して、どこかから掘り出すなり、海底をあさるなりするつもりなのだろう。そうした目的あってのことなら、今までのルパンの行動も納得できる。
ようやく一番の疑問は氷解したが、まだ気になることは山積している。
「不二子、お前がルパン逮捕に協力することへのICPOからの報酬は、その黄金の宝石箱とやらなんだろう?」
「ええ、そうよ」
何ら悪びれる様子もなく、あっけらかんと不二子は頷いた。
「だったらICPOに協力なんぞせんでも、ルパンと一緒に盗めばいいだけの話じゃないのか」
銭形は、さり気なくカマをかけた。それに対し、涼やかな微笑が返された。
「あいにく、今回私とルパンは狙うものが同じでも、目的は違うのよ。彼は伝説の宝が目当てらしいけれど、私はそっちに興味はないの。黄金の宝箱が欲しいだけ」
「ほう、欲のないこったな。お前らしくもない」
「欲がないんじゃないわ。現実的なだけよ」
銭形の疑わしげな視線をそっけなく受け流す。

ルパンが手に入れようとしている、存在するのかしないのかすら判然としない数百年前の海賊の財宝よりも、すでに買い手が名乗り出ている黄金の宝石箱の方が、ずっと利益になると判断しているのだという。
「アメリカの好事家がね、手に入れられるならかなりの額を出すと云ってきてるの」
もう買い手が決まっているとはずいぶん手回しのいいこったな、と銭形は口の中で呟いた。
確か、その宝石箱とやらは、とある密輸組織を摘発した際にICPOが押収した物品の中に含まれていたものだったはずだ。金銭的価値はあるものなのだろう。

そういう状況を含めて考えてみても、今回不二子は本当にルパンと利益が対立していて、裏で手を組んでいることはないと見ていいのか、判断に迷うところである。
敵対すると見せかけて共闘していることがあるのと同様、実際にルパンの敵に回ることや、手酷い裏切りをすることが数多くあることもまた事実なのだ。
(つくづく厄介な女だ。立場も真意も……計りにくすぎるぜ)
変幻自在にどんな色にでも染まったように見せかけるくせに、その実決して何色にも染まらぬ女――
「まあいい」
迷いを振り切るように、決然と銭形は云った。今考えても仕方がないことは、これ以上考えまい。
銭形はとって大事なのは、ルパンを追う、そして逮捕する事。これ以外にないのだから。
(ウジウジとした探り合いなんぞ、もうたくさんだ。お前らは勝手にやれ。俺は俺のやり方でやるまでだ)
銭形の腹が決まった。

「ルパンは次にあの宝石箱を狙うというのだな? それは確かなんだな」
「間違いないわ」
大きな瞳を真っ直ぐ向けて、不二子は断言した。銭形は頷き返す。
「よし。だったらそれを手に入れるためだ、お前にもせいぜい一緒に守ってもらうとしよう。……宝石箱は、ここから移す」
「え? 移すってどこに?」
「K美術館が手頃だろう。ICPO支局とは川を挟んだほぼ真向かいにある近さだから移送も楽だし、あそこの設備ならそう易々とは破れねえ。今から、さらにルパン対策を徹底させるしな」
突然の決定に、不二子はわずかな戸惑いを示した。
「警察内に置いた方が守りやすいんじゃない?」
「いや、ここの地下保管庫の扉くらいじゃ、ルパンには物足りねえだろうさ」
有無を云わさぬ調子で断言した。
決定権は銭形にある。不二子はそれ以上口を挟むわけにはいかない。

ICPO支局に、例の宝箱が押収されたことは掴んでいたものの、多分具体的な保管場所やその警備システムの情報が得られなかったために、不二子は警察側に接近したのだろうと、銭形は踏んでいた。
なのにここへ来て急遽、目的の宝石箱は美術館に移され、堂々と公開されるという事態になった。そのことをどう捕らえ、判断していいのか迷っているのかもしれない。
ごく淡い戸惑いの色ではあったが、不二子にそんな表情を浮かべさせることが出来て、銭形の気はほんの少しだけ晴れた。
「すぐに関係各所に手配する。一緒に来い」
「……ええ」
二人はそれ以上言葉は交わさずに、素早く会議室を出て行った。


◆ ◆ ◆


一日の仕事を終え、夜もかなり更けた頃、不二子はホテルの部屋へ戻ってきた。
ICPOの人間が用意してくれた上等の一室である。
堅苦しいジャケットを脱ぐと、ベッドの上に放り出す。そのままシャワーを浴びに行こうか迷ったが、その前に済ませるべきことは済ませておこうと、彼女は電話の受話器を取り上げた。
数回の呼び出し音の後、聞きなれた声が電話口に出てきた。
『もしもし』
「ルパン? 私よ」
『よう、不二子。連絡待ってたぜ。首尾はどうだ?』
今日の銭形が決定したK美術館への移送や、その後の細かな動きを、不二子は要領よく、正確に説明した。
幾度か軽い相槌を入れながら、ルパンは大人しく聞き入っている。何か考えを巡らせているのだろう。
「……まあそんなところよ。具体的な警備状況については、また連絡するわ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみぃ。俺の夢でも見てよね、不二子ちゃん」
電話越しの軽いキス。不二子は黙って受話器を置いた。

そして音をたてぬよう、慎重に電話本体を裏返す。そこには、小型の盗聴器らしきものが仕掛けられていた。
それを見た不二子の面には、ゆっくりと、まるで水面に投げかけられた波紋のような、不思議な笑みが広がった。
静かに電話を元の位置に戻すと、衣服をすべて脱ぎ捨てて、バスルームへと向かう。
熱めのお湯を全身に浴びながら、再び不二子はひとり妖しく微笑んだ。
「さっきの電話、ちゃんと聞いていてくれたかしらね、ICPOのお偉方さんは」
その呟きだけは、激しい水音にまぎれて、誰の耳にも届くことはなかった。

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