人間関係考察(対次元編)

銭形の関心の中心は、ひたすらルパンだけであり、その相棒たる次元に向けた台詞というのは、それほど多くない。
直接、銭形と次元「二人だけ」で関わったシーンは、本当にごくごく僅かしかない。
二人の間には、いつも必ずルパンの存在がある。
ルパンという男を中心にして、真反対の位置で、それぞれ最もルパンの近くに居る二人。
そんな関係を、ここでは銭形側から出来る限り見ていきたいと思う。

「次元、そうだ、次元大介はどうしたんだ」

(旧ル4話「脱獄のチャンスは一度」より)


ルパンをひたすら追い続ける銭形と、常にルパンの傍らにある次元、ルパンを介した二人の付き合いもそこそこ長いのではと考えていた。
が、旧ル1話の時点では、それほどでもないのか?という疑問が沸いた。
次元が、不二子からの耳打ちによって銭形に引き渡され、「ミラクル」のタネがバレた時、ルパンが「次元、あ、いや、誰だいその男?」とすっとぼけるシーンがあるからだ。
次元が相棒としてすっかりお馴染みになってからでは、いくらなんでもこのとぼけ方はないだろうと思うのだが…(ルパンならやりかねない?)
ということは、旧ル1話時点で、まだ銭形には「ルパンの相棒」として、きちんと認識されるに到っていなかったのだろうか。


さて、相棒と認識されてからでも、銭形の(精神的)視野に次元がどの程度入っているのか定かではない。
銭形は時として、次元の存在を忘れる、というか、意識せずにいることがある。よっぽど、ルパンのことしか眼中にないのだろう。
上の台詞は、銭形が次元の存在を長いこと失念していたものの一つ。

ようやく念願のルパン逮捕を果たした銭形だが、脱獄の気配すら見せない宿敵に次第に苛立ちを募らせる。何かを仕掛けてくるはずだと待ち受けるのに、ルパンは「俺はルパンじゃない」と叫ぶばかり……
銭形の複雑極まる心理が見所でもある旧ル4話だが、その中で銭形が次元の存在を思い出すのは、ほぼ一年が経過し、ルパンの処刑が間近に迫ってきてからなのだ。
ルパンが捕まった際に、宝をクレーンで持ち上げ奪ったのは、「次元大介」だと気づいていたというのに。
ずいぶん長いこと、忘れていたものだ。

あのルパンのこと、たった一人でも企みを巡らし脱獄するに違いないと銭形が強く確信していたから、という理由もあるだろう。
時間が経つにつれて、「何でもいいから脱獄して欲しい」になっていくわけだが、その時まであまりにルパンの行動だけに意識が集中していて、次元のことは思い浮かばなかったようだ。
いよいよ銭形のやりきれなさがどうにもならないほど募った時、初めて「次元、そうだ次元大介!」と彼のことを思い出すのだ。
「そうだ」という言葉が、何となく“この時初めて思い出した”風に感じさせる。
「次元、ルパンを見殺しにする気か?」という問いに、相棒なんだからそんなはずはない、という期待がこめられており、ずいぶん忘れ去られてはいたが、銭形にとって次元が、いざという時に救いに来そうなルパンの相棒だと認知されていることがわかる。

…しかし、ややうがった見方をすれば、独り言で次元を名指しした直後に、「誰でもいい」「何でもいい」と呻いている銭形の姿からは、「他ならぬ次元だから来てくれるはず」という特別な信頼感や期待感は薄く、わらにもすがるような思いのように見受けられるのだが、どうだろうか。
この時点では、次元に対しての認識が、今ひとつ軽いように思えなくもないような(←曖昧)。

また、ニュアンス的にはかなり軽いもの(というかややメタ)だが、同様の台詞に
「次元!しばらく出てないんで忘れとった」
というのもある。(PARTIII・24話「友よ深く眠れ」)
ルパンが単独で行動することもあるだろうけれど、それにしたってルパンの危機となれば相棒が必ず駆けつけることくらい、この時期の銭形であれば想像がつきそうなものなのに。
銭形は次元をコロッと忘れてしまう時があるらしい。
目の前にルパンがいる時は、そこだけに意識が集中してしまう傾向にあるようだ。これも銭形らしいといえようか。


銭形にとっては、やはりまず「ルパンありき」なので、やむを得ないといえばやむを得ない。
旧ル8話で初めて四人揃ったルパン一味を追いかける時、常に「ルパン待て」と呼びかけ、追いつめると「とうとう捕まえたぞルパン」と言う。
他の三人への呼びかけが省略されることは、この後も日常茶飯事となるのである。

やや話は逸れるが、ルパンしか眼中にない銭形を感じさせるエピソードとして、以下のものを挙げてみたい。
ルパンによる銭形への変装は見事に見破ることが出来るのに(新ル8話、89話、102話、パートIII・32話他多数)、なぜか次元が化けていたときは、「次元だ」と見破ることが出来なかった(新ル49「可愛い女には毒がある」)。
自分に化けた不審者(笑)は、パターンとしてルパンであることが圧倒的に多いのに、ルパンと間違えることもまた、なかった。
掛けた言葉は、「待て、誰だ貴様は!」だった。
ということは、「あれがルパンではない」ということだけは直感でわかったが、「では誰か」ということまではわからなかったのだ。
あくまで、ルパンだけは見抜けて、次元だと気づかないというのが、いかにも銭形らしくて興味深い。

新ル10「ファイルM123を奪え」では、さすがに一人目のニセ銭形をルパンだと見抜いた後であったため、二人目のニセ銭形=次元だと気づいていたけれど、これは消去法とこの状況を考え合わせた推測だったのではないかと思われる。

「次元大介、0.3秒のガンさばきの名手」

(新ル149話「ベールをはいだメッカの秘宝」より)


銭形が、次元を客観的に評価して言った言葉となると、これが思い浮かぶ。
パトラに対してスライドを見ながら、ルパン一味について説明していたシーンである。
早撃ちの名手であることを、ごくごく正当に評価していて、納得のいく台詞であるが、同時に銭形の主観的な何かを感じることもなくて、個人的にはやや物足りない(笑)

銭形にとって、次元はどういった存在なのだろうか。
作中では、銭形が次元個人に対して、あるいは次元個人について、何かを言うシーンがあまり見当たらないので、なかなか想像しにくいものがある。
原作新「1人180役」や、新ル70「クラシック泥棒と九官鳥」では、銭形は次元(と五右エ門)のことを、「金魚のフン」呼ばわりしており、宿敵ルパンの付属物程度の扱いである。失礼なことに。
ルパンには「世界一のスナイパー」と賞賛されている次元なのに、あまりにも軽んじられた表現。
…「ルパンの行くところに次元あり」、と自ら言ってるほどの次元なのだから、銭形にそんなことを言われてもあまり気にしないとは思うけど(笑)
いずれにしても銭形は、次元単体の能力――次元の名ガンマンっぷりを、多くの場合あまり重要視していないように(私には)見えてしまう。

確かに、次元の腕は非常に立つが、それは銭形も同様。
本気になれば、二度も次元を(そして五右エ門やルパンまでも!)生け捕りに出来たほどの、生け捕り術の達人なのだ(新ル57話、新ル97話)。
そんな銭形が、何をもってルパンをライバルだと思い定めているかといえば、腕っ節の強さや拳銃の腕前ではなく、類稀なる非凡な頭脳ゆえに他ならない。
敏腕警部である銭形が、なかなか捕らえられず苦戦し続けるのも、そのせいなのだ。
己自身の強さに自信がある銭形のこと、きっと相手の強さを、脅威に感じることはないのだろう。
だから、次元の射撃の凄さを、それほど重んじている様子は見せない。

もちろん、次元の頭が悪いわけではない。
原作では、「その頭脳のきれあじはむしろルパンよりするどい」とコンピューターによって評価されているくらいの頭の良さだ(原作新「次元ばくだん」)。
それを知っている銭形も、次元の頭脳を軽んじるつもりはないのかもしれない。が……
やはり、予想のつかない天才性を持つルパンと比べると、銭形にとっては物足りないのではないだろうか。
常識の範疇の頭脳明晰さでは、銭形はたぶん恐れもしないし、惹きつけられもしない。
アニメだと忘れられがちではあるが(苦笑)、本来、神出鬼没のルパンに幾度も手錠を掛けたり、逮捕したりできるほど、銭形自身めっぽう腕も立ち頭も切れる男なのだ。
そんな彼にとってライバルと呼ぶに値するのは、やはりルパン一人、なのだろう。

「お前らそれでもルパンの相棒といえるのか!」

(新ル32話「ルパンは二度死ぬ」より)


だからといって、銭形が次元をどうでもいい存在だと思っているかといえば、それも違うだろうと思う。
上に挙げた台詞には、それが現れている。
この時期になると、「ルパンの相棒」として、しっかりとその存在を理解しているようだ。

殺し屋ピューマに狙われたルパンが、死んだ(と見せかけた)時、相棒二人だけでなく、銭形までも号泣して大暴れし、一緒の留置所に入れられることになった。
その時、銭形は次元の襟首を掴んでそう叫んだのだ。
「お前ら」と言っているので、もちろん五右エ門にも向けた言葉なのだが、銭形が掴みかかったのは次元の方。
どちらかといえば、次元の方をより強く責め立てているように見える。
次元のルパンとの付き合いの長さ、深さを知っているから、なのだろう。

ピューマに狙われたルパンの身の安全を考えて、逮捕することで守ろうとした銭形を振り切って逃げ出した…。そういういきさつがあったためか、傍にいた相棒が何をしていたのか、なぜルパンを死なせたんだと、激しい怒りをあらわにしている。
ルパンの死に打ちのめされているのは、次元だって同じなのに、あまりに思いやりも遠慮もない台詞。
それだけ銭形自身もルパン死すの衝撃が強く、心の余裕がなかったゆえのことではあるが、つくづく銭形にはルパンなのだと感じさせられる。
と同時に、ここでは「お前らならば、守れたんじゃなかったのか。守るべきだったんじゃないか」という、ある種の信頼感のようなものも感じられる…というのは、考えすぎだろうか?

時として、銭形はルパンの生命の危機となると、次元と五右エ門を頼りにすることもある。
アジトにしているホテルへ飛び込んで、ルパンのピンチを知らせ、相棒二人と共に一緒に駆けつけるのだ(新ル90「悪い奴ほど大悪党」)。
警察という立場があるのだから(相手がマルカーネという有力者であるにしても)、銭形の性格からすれば、ひとりで乗り込むこともありえそうなのだが、この場合相棒らに協力を求めた。
協力というのか何というのか…もしかしたら、「ルパンを助けるならお前らの役目」という意識が、銭形の心のどこかにあったとか?(笑)

また、次元に対して感動の涙を流したこともある(新ル152「次元と帽子と拳銃と」)。
死を覚悟してミネソタ・ファッツとの戦いに赴こうとしていた次元の決意に、ひどく心を動かされたようで、
「次元の不屈の精神、闘魂。まさに男の美学である」
と、絶賛。
そして「次元、頑張れよ。俺も影ながら応援しているぞ」と、警察官という立場を忘れたように、親しみを込めた言葉をかけている。
この感動のために、ルパン逮捕を見送るということまでしていて、その感動の大きさが知れようというもの。ルパンたち三人には、ぽかんとされるほどだった。
…まあ、ここではギャグメーカー的に登場している銭形だったので、大真面目にこの言葉と態度を考察していいのか迷うところだが(苦笑)、銭形個人として、次元の潔い態度・心意気に感じるものがあったというのは、わかるような気がする。
男らしく真っ向から困難に立ち向かう態度を銭形は好みそうだし、そういう男には喜んで敬意を払うタイプだろう。
(ルパン逮捕を見送るというのが、銭形らしいかはまた別の話として^^;)


いずれにしても、銭形にとって眼中にあるのはルパンばかりで、その相棒となると心理的に影が薄くなるようだが、
それでいて、ルパンにとってのいざという時には、次元が頼りになる存在であることを基本的によく理解している。
そして、一人の男としては、好感を抱くこともあるくらい、次元を認めているのだろう。

(2005.12.13)


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