不在 (中)

次の日、次元はF国行きの飛行機に乗った。
銭形の尾行に神経を尖らせていたが、そんな気配は感じられなかった。彼がルパンの居所を知らぬということに納得し、別の方面から調査する気にでもなったのかもしれない。
四六時中見張られていたらたまらない。銭形の影のないことに、かすかに胸をなでおろす。

F国に着くや、今まで以上に細心の注意を払い、アジトの一つへと向かった。
過日、マルセル宅を襲撃した後にいったん身を潜め、絵画コレクションを置いて来たアジトである。
郊外へ向けて車を走らせながら、次元の思考は我知らず、行方のつかめぬ相棒のことに終始していた。

ルパンの姿が少しの間見えなくなったくらいで騒ぎ立てるなど、あまりにも馬鹿げたことだと思う。銭形が大袈裟に考えすぎているのだ、と。
彼が大真面目な心配顔で現れなかったら、次元はこうして行動を起こしたりはしなかっただろう。
今までに何度もあったことであるし、第一、そんなことをいちいち心配していたら身が持たぬ。
それに……「ルパンに限って」という思いは、次元の中に非常に強く根ざしている。
長年、最も近くでルパンの行動を、その頭脳の働きを見てきた次元にしてみれば、彼がそう易々とやられるはずはないと確信している。たとえどんな強敵が相手であってもだ。

だが――
同時に、もしかしたらいつかはこんなことがあるかもしれぬと、考えたことはなかっただろうか。
ルパンと連絡が取れなくなっても気にも留めず、いつものように「どうせまたオンナと」などと楽観していると、やがて聞こえてくる「ルパン死す」の噂……
気が向けばヤツの方から連絡があるさと構えているうちに、ついに二度と現れることのない相棒……
他愛のない、だが決してあり得ないとは云いきれぬ、想像。
「ま、俺たちは、いつどこで野垂れ死んでもおかしくないからな」
自分の思い描いた事に苦笑いし、つい独りごちる。
そうして、「ルパンに限って」と「もしかしたら」の間を、思考が虚しく行き来していることに気づく。
自嘲せずにはいられない。
荒々しくアクセルを踏み込むことで、彼には似合わぬ答えの出ない物思いを一気に振り切ろうとした。




数週間前に立ち寄ってはいたが、普段からあまり使うことのないアジトは、いつも独特の匂いがする。埃っぽくかび臭いような、無人の匂いだ。
あれから誰かがここを訪れた気配は感じられない。
次元は、いくつかの鍵を開け、地下の絵画保管室へと向かった。
薄暗く、常に一定の温度と湿度の保たれているその部屋には、数多くの絵画がさり気なく飾られている。好事家が見たら卒倒しそうなほどの幻の名画も含まれている。
それらが無秩序に、ルパンの気の向くままに置かれているのだった。
そんな光景など見慣れている次元は、無感動に名画の前を素通りし、先日マルセルから盗み出した数枚の絵の元へまっすぐに歩み寄った。
「さて、どこに隠したってんだ?」
呟きながら、絵を一枚一枚検めていく。マイクロフィルムが隠せる場所、それもとっさに隠したという状況なら、一番可能性が高いのは、やけにゴテゴテとした額縁の部分だろうとあたりをつける。
果たしてそれは、比較的たやすく見つかった。銭形の情報は正しかったようだ。
「もう少し気の利いたところに隠して欲しいモンだな」
誰ともなしにそう云うと、次元はマイクロフィルムを持って、絵画保管室を出た。


アジトを出る前に、再度ルパンにコンタクトを取ろうと試みてみた。
ルパンがいくつか所有している携帯電話にも、滞在していそうなアジトへも連絡を入れたが、応答はなかった。
F国へ発つ前、新聞を通じて出した、ルパンにしかわからぬ暗号文への反応も、まだない。
(どこへ雲隠れしちまったんだか)
ルパンは仕事関係では約束を決して違えないタイプであるが、殊プライベートとなると、気まぐれであることこの上ない。また、何かに熱中しだすと、それ以外のこと一切に関心がなくなってしまうことも多々ある。
携帯電話など身につけていないこともあろうし、どこかにこもっていて新聞に目を通すことすら忘れているのかもしれない。心配するほどのことではないはずなのだ。
それでも、銭形の話と、真剣な表情が脳裏によぎる。
「チッ、まったく人騒がせなヤツだぜ」
それは相棒に向けられた言葉だったのか、それとも銭形に向けられたものだったのか。
次元はマグナムを取り出し、手馴れた様子で装弾等を確認すると、それを再び腰に差し込んだ。拳銃以外にも仕込んでおくべきものを身につける。念には念をというやつだ。
そして次元は、夕闇にまぎれてアジトを後にした。




F国一の繁華街、その中でもひと際賑やかで、最も物騒である一角に次元は居た。
ここは、まさにマルセルファミリーの縄張りのど真ん中である。
アジトを行き来する時は、ことのほか人目を引かぬようにしていたが、この時の次元は、そうした注意をまるで払おうとはしていなかった。むしろ、彼はわざと目立とうとしていたのであった。
マルセルの息のかかった店で、派手に札びらを切り、高価なボトルを開けさせる。
あからさまな挑発行為である。
どうしてもこの挑発に乗ってもらわねば困るのだ。次元は高級な酒をゆっくりと味わいながら、待ち構えていた。
マルセル一味が接近してくる時を。

夜もすっかり更けた頃、次元は店を出た。なかなか現れないマルセル一味に痺れを切らしたのだ。店内では手を出し難いのかもしれないと、「気を利かせた」つもりでもあった。
案の定、次元が人気の少ない裏通りをゆっくり歩いていると、すぐに数人の男たちが目の前に立ち塞がった。
(ようやくお出ましかよ)
こっそりとほくそえむ。彼の心内も知らず、柄の悪い男たちは、次元を威嚇するように険しい目をむけ、じりじりと近づいてくる。
男たちの中でリーダー格らしい一人が、一歩前に進み出た。威圧するかのような巨躯とスキンヘッド。見るからに凶暴な雰囲気を発している。
「次元大介、だな?」
居丈高に声をかけてきた。そんな相手に対し、普段の次元だったら素直に言葉を返すはずもなかったのだが、今回は目的がある。表情を変えずに答えた。
「そうだ」
「一緒に来てもらう」
有無を云わせぬ口調である。その間に、次元の背後も物騒な男たちが取り囲んでいた。
ちらりとそれに目をやり、皮肉に笑う。そのまま恐れ入ったふりをしてついていけばいいのだが、どうしても大人しく唯々諾々と人に従うことの出来ない性分であった。一言付け加えずにはいられない。
「俺はチンピラなんぞに用はないぜ」
「お前になくても、こっちにはある」
次元の背中に硬いものが突きつけられた。カチリと撃鉄を起こす音がする。同時に、別の男が次元のベルトからマグナムを引き抜き取り上げた。
正面の巨漢が物騒な笑顔を向けてきた。
仕方なくのろのろと両手を挙げたが、次元も負けじと笑い、言い放つ。
「フン、いかにもチンピラらしい、芸のないやり方だな。強引な手口は、ボス・マルセル譲りってワケだ」
その横っ面を、巨漢は力任せに殴った。よろけたところへ、さらに腹部に一発。たまらず次元は前のめりになる。
そこを両脇から、男たちに腕をつかまれ、そばに停められていた車に、荒々しく押し込まれた。
車内では、さすがにへらず口も叩かず俯いていた。が、次元の口元には、うっすらと満足げな色が浮かんでいるのだった。




後ろ手にきつく腕を縛られた格好で、次元はマルセルの自宅へと連れてこられた。
先日ルパンと共に盗みに入った、贅を極めた広大な邸宅である。
表面的な豪華さが訪れたものを圧倒するが、物々しく剣呑な雰囲気は隠しようもない。庭をはじめ邸内の各所に黒服の男が警備に当たっているのが伺える。
その中の一室に、後ろから二丁の拳銃で小突かれながら、次元は入っていった。巨漢の男が先導し、背後には二人の野蛮そうな男たちが、次元を逃がすまじとへばりついている。

ゆったりとした革張りのソファに、でっぷりと太ったその身をゆだねている人物こそ、マルセルであった。
目を細め、鍔の陰からその人物を伺う。
いかにもマフィアのボス然とした、ふてぶてしい面構えの中年男である。
「ずいぶんと、派手なことをしてくれたねぇ、次元くん」
重々しい容貌と不似合いな、妙に甲高く金属的な声でマルセルは云った。両手を飾る巨大な指輪を、神経質そうにもてあそんでいる。
「今までもコソ泥のあんたらは目障りだったが、私は心が広いもんでねぇ。大目に見てやってきたんだよ。だがね、オイタもあんまり度を越すと、さすがの私でも……許すわけには、いかなくてね」
軋むようなキーキー声で、嫌味ったらしく一語一語を丁寧に発音した。
冷酷そのものの瞳が、白々と次元を睨みすえている。

だが次元は臆することなくその目を見返すと、ニヤリと笑い、
「まどろっこしい言い方はやめてもらおうか。俺は茶飲み話に付き合えるほど暇じゃねえ。単刀直入に行こうや」
「誰に向かって口をきいてると思っていやがる!」
巨漢の一喝と同時に、銃口がさらに強く次元の背中に食い込んだ。
マルセルはわざと一呼吸置いてから、大物然と彼らを手ぶりでなだめ、抑えた。
「……次元くん。そうしたつまらない虚勢を張るのは、得策ではないよ」
「損か得かは俺が決めるさ」
大袈裟に首を振り、マルセルは露骨なため息をついて見せた。
「まあいい。いきがっていられるのも今のうちだからねぇ。……暇じゃないのは私も同じでね。では聞こうか。お前たちが私から盗んだあの絵はどこにあるんだね?」
一瞬、次元とマルセルの視線が、静かに、だが激しくぶつかった。
しかしすぐに次元はその真剣な雰囲気を茶化すかのように、鼻先で笑った。
「ああ、あんたの絵ね。そういや、そんなコトもあったっけな。さーて、あれはどこへやったか。何しろルパンのヤツは次から次へと色んなものを盗むモンでね。いちいち覚えちゃいられな……」
「ふざけるな!」
そう怒鳴ったのはマルセルでなく、またしても巨漢であった。襟首をつかみ、軽々と次元をつるし上げる。マルセルは、相変わらず両手の指輪を触りながら、それを冷たく眺めていた。
巨漢は次元に食いつくような勢いで、獰猛に叫んだ。
「質問に答えろ! そんなに死にたいのかッ!」
喉を締め上げられる息苦しさの中でも、次元は薄笑いを浮かべ続けた。やがて、忌々しそうに突き飛ばされる。
咳き込む次元に、マルセルは再び問いかけた。

「ルパンの狙いは何だね? コソ泥を廃業して、強請り屋にでもなるつもりか?」
「……俺は何も知らねぇよ。知りたきゃルパン本人に訊いたらいいだろう」
次元の言葉をどう受け取ったのか、マルセルは大きくうなずき、下卑た笑いで顔を一杯にした。
「ああ、それが出来れば話が早いねぇ。相棒を売るというのなら、喜んで買うよ」
そしてマルセルは云った。
「――ルパンは今、どこにいる?」

待ちに待ったこの言葉。
次元はこれが聞きたくて、わざわざこんなところまでやって来たのである。
マルセルはルパンの居所を知らないのだ。
ということは、ルパンはこの事件のために殺されてはいないのだ。

このことが確かめられれば、最早マルセルに用はない。
次元はマルセルの問いかけや巨漢の恫喝を完全に無視して、逃げ出すことだけに意識を集中し始めた。
宥めても賺しても、脅しても殴っても、まるで口を割ろうとしない次元に痺れを切らしたマルセルは、苛々と指先をこすり合わせながら、
「もういい! 後はお前らに任せる。殺してもいいから白状させろ! さっさと連れて行けッ、目障りだ!」
と甲高い声で怒鳴った。
次元が再び銃で背中を突かれ、部屋から出るよう促された、ちょうどその時であった。
一発の銃声が轟いた。

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