切り札 (中)

「何事でありますか?!」
銭形の発砲を止めようと叫んだ日高の声が届いたのだろう。警官が一人、部屋の中へ入ってきた。
警視総監である日高の身に何か起きたのではないかと案じたか、かなり慌てた様子である。
その警官は、警視総監と共にいる銭形が、手に拳銃をぶら下げているのに気付き、思わず警戒するように身を強張らせた。
銭形の険しい眼光が彼を射る。
しかし日高は、穏やかな冷静さでとりなした。

「何でもない。大丈夫だ。君は下がってよろしい」
「……はッ」
二人に敬礼して警官が出て行こうとした時であった。

「待て」
低く、それでいて鋭い銭形の声が響く。有無を云わせぬ威圧感。
制服の警官はドアに手をかけたままの格好で立ち止まった。

「ルパンってヤツは、とことんひねくれた男でしてね。目に見えたコトを素直に信じちゃいかんのです。ヤツが現れたかと思えば、まだ現れてない。消えたかと思えば実は消えてない。そういう男なんですよ」
あまりに唐突に語り出した銭形に、日高は戸惑いを隠せない。ドアのところで立ち尽くす警官も同様である。
銭形だけが、恐ろしいまでに落ち着いている。
窓辺から部屋の中央へと歩みを進めると、手にしたゆっくりと拳銃を持ち上げた。
「そうだろう? え? ルパンよ」

その瞬間。
警官の格好をしていた男は、一気に制服を脱ぎ去った。
派手な色合いのスーツが、銭形の目に飛び込んでくる。現れたのは、ルパンである。
「とっつあん、お仕事ご苦労ちゃん」
そう云うや、彼は脱いだ服を、飛び掛ろうと突進してきた銭形の顔面に勢いよく叩きつけた。
「お、おのれ!」
顔にまとわりつく布を荒々しく払い除けたが、ほんの一瞬の隙に、眼前からルパンの姿は消えている。

「あばよ、とっつあん。また博物館で会おうぜ」
瞬く間に背後に回りこんでいたルパンは、総監の机の上に身軽に立つと、傲然と銭形を見下ろした。そして、次の瞬間には体当たりで窓を破り、鮮やかにそこからダイブした。
夕日を反射し輝くガラスの破片と共に、ルパンの身体は窓の外へと落ちて行った。

「うわぁッ」
なす術もなく突っ立っていた日高が、恐怖の叫びを上げた。
「こんな高い窓から飛び降りるなんて、バカな」
しかし銭形だけは冷静である。
「早く都内に緊急配備を! もちろん空もです。……なぁに、ルパンはどうせイロイロ仕込んでますから、ビルから飛び降りようが、海の藻屑と消えようが、ちゃっかりと生きている。そんなヤツです。油断してはなりません」
「わ、わかった。すぐに手配を」
唯々諾々と受話器を取り上げ、日高は緊急配備を命じた。

その間、銭形は警視総監室の中をあちこちひっくり返したり、覗き込んだりし始めた。
やがてドアの近くにおいてある、葉の大きな観葉植物の幹の陰から、何やら摘み上げると、日高にそれを突き出した。
明らかに盗聴器である。
憎々しげに床に叩きつけると、銭形はそれを踏み潰した。
「さっき警官に化けてやって来た時に仕掛けられたものか、それとももっと前から仕掛けてあったのかはわかりませんがな。間違いなくルパンの仕業です!」
「なんということだ……いつの間に」
日高はただ呆然と呟くばかりである。

「まだ何か仕掛けてないとも限りません。後でゆっくり、部屋の隅から隅まで調べ尽くした方がいいでしょうな」
そう云いながら、銭形は机の上のメモ用紙を引き寄せると、手早くボールペンを走らせた。
そして日高の前に静かに差し出す。そこには次のように記されていた。

『搬入日時を1日早めます。2日後の午後11時搬入。それで手配しなおします』


当初の予定であった博物館への搬入日について、ルパンはすでに知ってしまったと考えたほうが良いだろう。
予定を1日早め、今度こそは内密に、ルパン一世の遺品を博物館へ運びこむ段取りを組む。
博物館に運び込んでしまった方が、むしろ守りやすい。最新の防犯システムを誇る、完成したばかりの大規模な博物館である。
「19世紀のパリ展」開催までの5日間、そして2週間の開催期間――銭形はルパンをそこで待ち受けるつもりのようだ。
何も問い返さず、日高は静かに頷いた。

同意を得られたのを確認すると、銭形は「それでは今から、ルパンを追跡してまいります」と言い残し、慌しく部屋を出て行く。と、すぐにもう一度部屋の中へ戻って来て、日高に対しとってつけたような敬礼をした。
どことなくわざとらしい、敬礼の仕方であった。皮肉な調子ですらある。
日高は鬱陶しそうに、銭形に早く去るよう手振りで促した。
強い音を立てて、警視総監室のドアは閉められた。


「ふぅ〜、さすがに今回は気付かれなかったみたいだな」
つい先ほどまで鼻の先にエリート意識をぶら下げていたような日高の顔が、不意に楽しげに歪んだ。
「彼」は、己の顎の下に手を差し入れると、ゆっくりとそのエリート面を引き剥がしていく。
特殊ゴムの面の下から現れたのは、ルパン三世の顔である。彼こそが本物であった。

次いで、何の面白みもない紺色のスーツを脱ぎ去る。いかにも清々したように、ルパンは大きく伸びをした。
「相変わらず嫌ンなるくらいこっちの手口読んでくれるから、手間のかけ甲斐もあるってもんだけっども。……次元も五右エ門も、無事に逃げやがったかな」
ルパンに変装して銭形を攪乱させた、二人の相棒。彼らのことだから、難なく警備網を突破し、あるいは欺き、アジトへと戻っていることだろう。

そして、銭形自ら書き残していった搬入日時のメモを眺め、ルパンは愉快そうに目を細める。
「悪いね、とっつあん。ちょうどこの時間に、ジイサマの遺品は返してもらうぜ」
後は、本物の日高警視総監に、たった今起きたことを自分自身が体験したかのように、催眠術でも掛けておけば良い。
そうすれば銭形と本物が顔を合わせた時に、話が食い違うこともない。
彼の足元、大きな総監机の下に、半裸で縛り上げられている日高を、ルパンはゆっくりと引っ張り出すのであった。

◆ ◆ ◆

2日後の夕刻である。
次元大介は、愛用の銃の手入れを終えたところだった。
そして予備の弾や、今回の作戦に必要なものを一つずつ確認しながら、素早く身につけていく。
「おっと」
煙草が切れていたのだった。新しいカートンを開け中から一箱取り出すと、早速その封を切り、一本咥えてから内ポケットにしまう。
煙草に火をつけ、ゆっくりと大きく吹かした。
これで準備は万端である。

「おいルパン、そろそろ出る時間だぜ」
「ん〜〜」
テーブルの上にペタリと身を伏せたままのルパンからは、いかにも気だるそうな声が返って来た。
これから一仕事しようという時に、あまり覇気が感じられない。次元は、テーブルを挟んだルパンの向かい側に腰を下ろすと、ぶっきらぼうに問いかけた。

「何だい、腹の調子でも悪いのかよ」
「そんなんじゃねぇ」
「じゃ、どうした」
「なぁんか、引っかかるんだよねぇ……今日のヤマは」
仕事に対してやる気がないわけではなかったのだ。むしろ、その逆か。
次元は何となく安心して、
「あれだけ面倒なコトをして銭形を騙して、ブツが運び込まれる時間を聞き出したんじゃねぇか。博物館の警備員として入り込む手順にも、問題はねぇ。気にしすぎじゃねぇのか?」
「だよなぁ」

ルパンが特にナーバスになっているとも思えない。祖父であるアルセーヌ・ルパンに所縁の品物を盗む時は、普段以上に熱くなったり、力が入るのは、彼にはよくあることといえた。
だが、今回はそうしたこととは別に、何かひっかかる点があるらしい。
ルパンのことだから、いたって合理的な「何か」を気にしているのだろうが、「何が」気になっているのかがわからないのでは、どうしようもない。
ルパンのそんな様子を眺めながら、次元も念のために、頭の中で今日の仕事の段取りを一通り思い浮かべてみたが、取り立てて問題があるとも思えなかった。
充分な下準備と計画をして尚、不確定要素があるのは、この仕事の常である。
あとは出たとこ勝負しかない。

次元がそう云うと、ルパンは吹っ切るように大きく頷いて、立ち上がった。
「ま、何とかなるわな。うちには切り札ちゃんもいることだし」
「切り札……ちゃん? 五右エ門のことか?」
ルパンは肯定とも否定とも取れる、とらえどころのない笑いを答えにかえた。
そういえば、昨日今日と五右エ門の姿が見えない。ルパンは思うところあって、五右エ門を別行動させているのかもしれない。
「さぁて、行きますかぁ!」
自分自身を鼓舞するかのように、ルパンは景気のいい声を出して、次元も待たずにアジトから表へ飛び出して行った。


都の郊外に新しく出来たR近代博物館は、きわめて洗練された3階建ての建物である。
その白くスマートな外見からは想像しにくいが、最新鋭の警備システムが設けられた堅牢な守りが、一部では有名になりつつある。

ここで3日後開催される「19世紀のパリ展」は、ガレのガラス工芸品やピアズリー、モローの絵画を目玉に、パリ万博に出展された自動車や、リラダンやマルラメの直筆の手紙・原稿を展示する。
また当時のパリの街並みの一部を作り出し、その中のグラン・カフェではリュミエール兄弟のシネマグラフ(の再現品)を映写するなど、19世紀末のパリに関連する品を幅広く集めた展覧会となる。
その中に、アルセーヌ・ルパンの遺品4点――マント、モノクル、シルクハット、ステッキ――が飾られることになっている。

銭形のような人間から見れば、無秩序な展覧会であり、そしてよりによってアルセーヌ・ルパンの遺品を飾ろうなど、迷惑極まりない企画だと思わざるを得ない。
しかしそんな内心を彼の表情から伺う術はない。銭形は無表情に博物館内を足早に歩き回りながら、警備員の配置や警報装置の確認を続けている。
すべて銭形が指示した通りだ。
これで後は、アルセーヌ・ルパンの遺品の到着と、そしてルパン三世が盗みにやってくるのを待つばかりである。

(さあ来い、ルパン!)
強い闘志をほんのわずかに滲ませ、銭形は、アルセーヌ・ルパン所縁の品が運び込まれるスペースの方に視線を向けた。
吹き抜けのロビーを抜けた、一階の最も奥の部屋。
壁際に設けられた、ガラス張りの展示コーナーに、それらは置かれることになる。
そのガラスケースの中に入れさえすれば、外からどのような仕掛けを施そうと、攻撃を加えようと、びくともしない特別製のケースである。
鍵は、複雑な電子ロック式であり、迂闊にその部分に触るだけでも、警報装置が鳴り響き、警備員がたちまち駆けつけることになっている。
ここならば、守りきれる。
銭形はそう思いながらも、油断なく、展示品を運び込む前の最終確認を怠らない。

「警部、空港からたった今、アルセーヌ・ルパンの遺品4点が到着いたしました」
博物館入口から、荷物を護送してきた一人の警官がそう云って走りよってくる。
午後11時ジャスト。予定通りである。
「よし、ここまで運び込め」
銭形の指示とほぼ同時に、奥から一台の台車を押して、別の警官が入り口の方へと向かった。

その台車に乗せられて、ようやくアルセーヌ・ルパンの遺品が博物館へと入ってきた。
かなり大きなジュラルミンケースに入れられたそれは、多くの警官たちが見守る中、静かにロビーを通り抜け、奥の展示室へと入っていく。銭形はただ黙って佇み、その様子を極めて用心深く見守っている。

特殊なガラスケースは、すでに遺品4品を受け入れるべく開けられていた。
二枚目顔だがまるで無表情な男のマネキンが置かれている。これに、アルセーヌ・ルパンの身につけていたものを着せて、展示する手はずになっているのだ。

一人の初老の博物館職員が現れ、警官を手伝い、台車からジュラルミンケースを丁寧に下ろした。
「それでは警部、展示して宜しいかな」
彼は、穏やかに尋ねた。銭形は無言のまま首を縦に振った。
慎重な手つきでケースを開き、中に納まっているものを確認する。そしてまず、シルクハットを取り出し、マネキンの頭の上にそっと乗せた。
傍にいた警官に手伝わせ、次はマントを着せ掛けようと、博物館職員は身振りで指示した。警官は、ついでにとばかりに、モノクルとステッキも取り上げてから近寄った。
そして職員と警官は、一段高くなっている、特殊ガラス内の展示スペースへと足を踏み入れた。

静まりかえっていた一階展示室の中に、突然硬質な音が響き渡る。
振り返った職員と警官の顔が、驚愕に歪んだ。
展示コーナーを覆う特殊なガラスケースが、ピタリと閉ざされたのだ。
二人は、その内部に閉じ込められてしまった……。

「ぜ、銭形警部! ここを開けてください」
博物館職員は、内側からガラスケースを軽く叩いた。それを見守る銭形の目は、非常に冷たく、同時に抑えようもない満足の色を湛えている。
「もうヘタな芝居はよそうぜ、なぁ、ルパンよ」

「ンホホ、なぁんだ、バレてたの」
その瞬間まで大真面目な顔をしていた博物館職員が、ゆっくりとその面を引き剥がし、ルパン本来の顔を顕にした。その後ろで、警官になりすましていた次元も、無造作にマスクをむしりとる。
たちまち、警官隊が透明な盾を押し立てながら、ルパンと次元を閉じ込めたガラスケースの周囲を取り囲む。
その背後には、狙撃部隊の姿までもが見える。

「とうとう追いつめたぜ、ルパン」
銭形は、ここでようやく冷たい笑みを浮かべた。

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