パンドラ 2

「ルパン三世、ついに逮捕!」
翌々日の新聞は、大々的にこの話題を取り上げていた。
ルナに日々新聞を届けさせていた次元は、その記事を苦々しい思いで睨みつけていた。
(あの、バカが……)

その記事によると、ルパンは次元と別れた後、次元が逃げた方向とはまったく逆の方向に幾度も姿を目撃されていたようだ。まるで警察をあざ笑うかのごとく、意図的に姿を現しては、警察と激しい攻防戦を繰り広げ、またふいに消えてしまう。
ここ数日それを繰り返した挙句、とうとう昨晩遅くに逮捕されたものらしい。
(アイツ、わざと捕まりやがって)
怪我をした次元が無事に逃げられるように時間を稼ぎ、自分の方に警察の目を集め続けた。そして、敢えて逮捕されて警察の捜索が緩むのを狙ったのだ。きっと取調べでも捜査が攪乱するようなことを言い続けるつもりだろう。次元の逃亡先をわからなくするために。
(お節介も、ほどほどにしろッてんだ)
次元は、新聞を引き裂きたい衝動に駆られた。

「次元、どこ行くつもり?」
痛む脇腹を押さえながら、次元はベッドから起き上がりシャツを身につけ始めていた。部屋に入ってきたルナは、あっけにとられて立ち尽くしている。
「よう、世話になったな、ルナ。ちょっとヤボ用が出来て、な」
「バカなこと言うのはやめな、次元! そんな怪我しながらどこをほっつき歩こうってぇのよ? 助けに行く必要なんか、ないよ、その人」
「……っ!? ルナ、お前……」
不意に、ルナの様子が変わった。

「その人、あと10日もすれば勝手に出てくるよ」
ルナは、どこか遠いところを見ているようだった。その深く蒼い瞳には、何か得体の知れない神秘の光が宿っている。そう見えたのは、次元の錯覚だったか。
ルナ自身も、自分が「何」を見ているのか、「何」を喋っているのか、自覚していないかのように、無感動に言葉を紡ぐ。
「今はちょっと、荒っぽい警察相手にタイヘンみたいだけど……別にその人にとってはどうってことないみたい。むしろ、面白がってるよ。そこを『出る』のにもそれほど苦労はしないみたいだし。すぐに、また会えるよ」
「おい、そりゃルパンのことを言ってるのか?」
「ん?」
その瞬間、ガクリとルナは倒れこんだ。
「ルナ!」


ルナが気を失っていたのは、ほんの一時のことだった。
次元が駆け寄る間もなく、びっくりするほどの唐突さで目を見開き、さっさと一人で起き上がった。次元はなすすべもなく、ベッドに腰を下ろすしかなかった。
「大丈夫か、ルナ? どうしたんだ」
「ああ。いつものコト。……今日はあんたの友達の様子が見えただけ」
「見える……のか? ルパンの様子が」
ルナは床に落ちていた今朝の新聞を拾うと、ちらりと紙面に目をやり、丁寧に畳んだ。
「うん、見ようと思って見れるワケじゃないけどね。ああ、確かにこのヒトだ。ルパンっていうんだね。そういえば名前、聞いたことがあるよ。泥棒だろ?」
「ああ。俺の、相棒だ」
次元は、ゆっくりと答えた。
次元とルナの瞳が、しっかりと合う。ルナの目には、何の感情も浮かばなかった。
「ふーん。次元も泥棒なのか。知らなかったよ」

若い殺し屋だった次元を、匿い続けてくれた母と同じように、ルナもまた、次元を追い出す気はないようだった。
(本当に、女ってヤツはわからねぇ)
そんな次元の内心には気付かない様子で、ルナは隣の部屋から食事を運びこみ、ベッドの脇のテーブルに置いた。
「次元は無理して助けに行く必要、ないみたいだよ。大体そんな怪我でウロウロしたって、かえってその相棒の迷惑になるだけだよ」
ルナは涼しい顔をしてずけずけと言った。だが、あまりにも彼女の言うとおりだったので、次元は苦く笑った。
「違ぇねぇ。お前の言う通りだ」
「うん」
ルナはようやくにっこりと笑って、次元に豆の煮込みを勧めた。


「どうして、俺を助けたんだ?」
食事を終えた次元は、ルナに包帯を換えてもらいながら問いかけた。どうせはっきりとした理由はわからないのだろうと思ってはいたものの、やはり聞かずにはいられなかったのだ。
「どうして……って、前からそういうコトになっていたからだよ。言ったでしょ?」
ルナの答えは、やはり要領を得ない。

かつて次元がイザベルに助けられ、やはりこの古い部屋に匿われていた頃。
母のイザベルは階下の店の切り盛りが忙しく、ルナは母に相手にされないその暇な時間によく次元の部屋を覗き、他愛のないことを喋っていったものだった。
まだ5,6歳だった彼女の話すことはどれも些細な、いかにも子供っぽいことばかりで、子供の扱いに慣れていなかった次元は、正直初めの頃は辟易していた。だが、だんだんと彼女の利発さがわかってくると、相手をするのもほんの少しだけ楽しくなったいった。
そして、ちょうどその頃、ルナにはわずかに変わったところがあることに気付いたのだった……。

「偉いヒトが死んじゃうよ。お屋敷が燃えて」
「隣町から別の神父さまが来るみたい」
「お客さん同士が喧嘩するから、コワイ」
隣の国のクーデターから単なる酔客の喧嘩まで、その内容はあまりにも脈絡がなく、あまりにスケールの違うことではあったが、ルナは明らかに「未来」を語っていた。
自分の身近なことだけに限らず、時には遠くの国の戦乱すら、彼女は「見る」ことがあったらしい。
「何」を見るのか、それは自分の意のままにはならず、突然不意に予想もしていなかったものが勝手に「見えて」しまう。
最初の頃はどう考えても信じられずに、何かカラクリがあるのではないかと疑っていた次元だが、ルナが彼を騙したところで何の得にもならないし、絶対に知り えないはずのことを、事が起きる「前に」喋っていたのを、誰よりも身近で見ていたのは、次元本人であったのだ。
いまだに胡散臭い、という思いは抜けぬものの、彼女の特別な力を信じずにはいられなかった……

イザベルはそんな娘の力を大らかに受け止め、大切に育てていた。
イザベルは遠くにマヤ族の血を引いていると信じており、そのせいで一族には時々こういう特殊な力を持った人間が生まれるのだという。イザベルの祖母も、ルナと同じような力を持っていたと話していた。

そんなルナが、次元と別れる時こう言ったのだった。
「また、あたしがアンタを助けてあげるよ、次元」
あどけない笑顔で何度も繰り返し、繰り返し。この光景だけは、今もやけに次元の目に焼きついている。
その時は、単にまた会おうというくらいの意味にしか、受け止めていなかったのだが。


「あの時から、すでに『今』のことが見えていたのか?」
「うーん、そうかもね」
「俺がいつ、どこで怪我をして倒れるのか、わかってたってわけか」
「そんなにハッキリしたもんじゃないよ。ただね、あの日は何となく落ち着かなくて……どこへ行けば次元に会えるのか、何となくわかったんだよ。行かなくちゃって思って……」
(何となく、か)
相変わらず腑に落ちないままだったが、次元はこれ以上訊くのをやめた。ルナは、明らかにどう答えていいのか、戸惑っていた。
どうやら、ルナ自身にもはっきり説明のつくようなことではないらしい。
まさに、「何となく」わかってしまう、というのが一番近い感覚なのだろう。
(オンナの感覚だな)
と、次元は深い考えもなく、そう思った。




次元の怪我は順調に回復していった。
もともと人並み以上の体力を持ち、怪我にも慣れていた次元は、治すコツのようなものすら掴んでいるらしい。
そんな彼を、ルナは「野生動物みたい」と言って笑った。
痛みが少しずつ引き傷口がふさがり始めると、次元はやはり相棒のことが気になり出した。
ルナが予言した、10日くらいで出てくるという言葉を信じるとすれば、ルパンの脱獄もまもなくである。

だが、さすがにまだ歩こうとすると激しい痛みが襲う。
次元は、少しずつ体を慣らそうと部屋の中をそっと歩きはじめる。最初は自分にあてがわれた部屋をウロウロしているだけだったが、次第に飽きて隣のリビングへも足を運んでみた。

古いながらも、丁寧に住んでいるせいか、暖かく居心地のよさそうなリビングだった。
イザベルの生きていた頃と、あまり変わっていないように見えた。ここで、よく彼女と酒を酌み交わした……普段思い出すことのなかった記憶も、ちょっとしたことでやけに鮮明によみがえることがある。
次元は、しばしその思い出に浸った。

ふと、サイドボードの上にある古い箱に目がいった。
マヤ風の意匠がほどこされた、古い木箱。見ようによってはオルゴールのようにも思える。
(イザベルが、持っていたヤツだな)
そんな些細なことまで覚えているものかと、我ながら不思議な気がした。今まで、すっかりイザベルのことなど忘れていたというのに。
次元がそうやってしばし立ち尽くしていると、下の店から帰ってきたルナが、驚いたように慌てて走り寄ってきた。思いも寄らぬ激しさで叫ぶ。
「これダメ! 開けちゃダメだよッ!」

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